ミッドヘイズ潜入
「ふむ。ミッドヘイズより少し離れた位置ならば転移できそうだな。そこから、徒歩で街へ入るのが一番早いだろう」
魔眼でミッドヘイズの外周を見回し、闇の結界が及んでおらず、中へ入りやすいルートを探る。
レイが言った。
「たぶん、殆どの魔族はアヴォス・ディルヘヴィアの命令に逆らえない。君が来るのを、待ち構えていると思うよ」
「だろうな」
「彼らを倒しても仕方がない。戦闘はなるべく避けた方がいい」
もっともな意見だ。
アヴォス・ディルヘヴィアとノウスガリア、そして精霊王以外を相手にするのは徒労だろう。まさか殺すわけにもいくまいしな。
皇族たちだけというのなら赤子の手を捻るようなものだが、二千年前の俺の配下もそこにいる。
「まあ、あちらも俺が交戦を避けようとするのは見抜いているだろう。あまり時間を与えるわけにも行かぬ。状況次第では正面から突破するしかあるまい」
「……あのっ」
リィナが俺に声をかける。
「私もつれていってくれる?」
彼女は切実そうな表情を浮かべていた。
精霊王がシンだとするなら、彼に会おうとしているこの記憶喪失の少女は何者なのか?
大精霊レノ……というのが、一番わかりやすいのだがな。精霊はその根源が滅びても、噂と伝承が潰えたのでなければ、再び蘇る。だが、記憶喪失になるという話は聞いた覚えがない。顔が見えないのも疑問だ。
それに、ティティはレノにはもう会えないと言っていた。それは、レノが精霊として完全に潰えたということではないか?
アヴォス・ディルヘヴィアの正体が判明したとはいえ、まだいくつかの謎が残っている。
二千年前に、アヴォス・ディルヘヴィアの誕生を巡り、なにかが起きたのだ。この少女が無関係だと考えるのは、あまりに偶然が過ぎるだろう。あるいは精霊王かノウスガリアに、記憶を封じられたのかもしれぬ。
「共に行こう。お前もきっと、俺たちと同じだろう」
「同じ?」
「二千年前にやり残したことの、決着をつけに来たということだ」
リィナは瞬きをした後、こくりとうなずいた。
「……そんな気がするよ……」
俺が差し出した手にリィナはつかまる。
レイやミーシャ、エレオノールなど俺の配下たちが手をつなぎ、全員で<転移>を使った。
視界が真っ白に染まり、すぐに色を取り戻すと、俺たちの目の前に道が見えた。
ミッドヘイズへ続く街道だ。もう少し近づくことはできたが、転移位置を知られては守りを固められてしまう。この辺りが適切だろう。
俺たちは街道を進み、少々時間をかけて目的地へ近づいていく。
やがて、城壁が見えてきた。その奧は闇が立ちこめ、結界と化している。
門を抜ければ、ミッドヘイズの中へ入れるが、そこは閉ざされていた。
「どうやって入ろうか?」
レイが尋ねる。
「誰もいない内に、強行突破した方が早いんじゃないかしら?」
サーシャがそう言うと、隣でミーシャが首を振った。
「誰か来る」
ミーシャがその魔眼を門に向けた。
闇の結界のせいで奥は見通せぬが、これだけ近ければおぼろげながら魔力の流れがつかめる。
確かに、かなりの数の魔族がここへ向かってきている。
「隠れるか」
<幻影擬態>と<秘匿魔力>の魔法を使い、俺たちはその場の風景と同化した。
しばらくして、城門が開く。
鎧と魔剣で武装した魔族たちが外へ出てきた。
見覚えのある顔だな。
アゼシオンとの戦争のときに先遣隊を務めたミッドヘイズ軍か。
その中の一人が前に出て、大声を上げた。
魔皇エリオである。
「アヴォス・ディルヘヴィア様に弓引く不適合者とその配下が、このミッドヘイズに向かっている。アヴォス・ディルヘヴィア様の<闇域>の魔法で、ミッドヘイズ一帯には<転移>が通じぬ。奴らは城門のいずこかに姿を現すはずだ!」
部下たちにエリオは命令を下す。
「外周を索敵しつつ、一番隊、四番隊は西門へ、二番隊、三番隊は東門へ、五番隊は北門へ迎えっ! ミッドヘイズの中へは蟻の子一匹決して入れるなっ!」
「承知しました!」
エリオの部隊は三つに分かれ、城壁沿いに移動していった。
この場に残されたのはエリオと、恐らく側近であろう二人の魔族だけだ。
エリオは門を閉めようとせず、その場にじっと立ちつくしている。
妙な動きだな。
「ミーシャ、なにか見えるか?」
「強い心」
ミーシャが俺の耳元で呟く。
「信念が見える」
信念か。
「確かめて来よう。お前たちは隠れていろ」
俺は自分にかけた<幻影擬態>の魔法を解く。
そして、まっすぐエリオのもとへ歩いていった。
「え、エリオ様っ……!」
側近の一人が声を上げる。
すぐさま、エリオは俺の方へ視線を飛ばした。
「門を開けたまま賊を探すとは不用心がすぎるぞ、エリオ」
言葉をかける。
すると、姿勢を正し、俺に頭を垂れるように彼はその場に跪く。
すぐに側近の二人もそれに続いた。
「我が君が帰還するというに、どうして門を封鎖できましょうか」
「ふむ。アヴォス・ディルヘヴィアの支配は受けていないようだな?」
「は。しかし、我が軍も、この場の二名を除いては全員が、奴を本物の暴虐の魔王と信じ込んでしまいました。どうやら、アノス様への忠誠心が弱い者ほど、影響を受けやすいようです」
二千年前の配下については、暴虐の魔王の配下だったという噂と伝承が色濃く残っている。
特に現在でも有名な七魔皇老はアヴォス・ディルヘヴィアの支配から、逃れられぬだろう。奴からすれば、メルヘイスたちの反魔法は大したレベルではない。
しかし、この時代の魔族たちを俺が支配していたという噂と伝承はない。その分、彼らに対する支配の強制力は弱いのだろう。
レイやミーシャたちがそうであるように、強い心を持てば、それをはね除けられるということか。
「街はどのような状況だ?」
「闇の結界、<闇域>の魔法がミッドヘイズを覆いつくしております。どうもこれは、魔族にアヴォス・ディルヘヴィアの意志を植えつける魔法の様子。かつての<聖域>と同じでしょう。暴虐の魔王をアヴォス・ディルヘヴィアと信じる者に影響が強いようです」
<聖域>と同じか。
また面倒な魔法を持ち出してきたものだ。
俺が知らぬ魔法ということは、その場で作ったのだろうな。
まあ、確かに、できないことではない。
「ここへ来る際に街の様子を見て参りましたが、すでに皇族派の一部が、混血の魔族に暴力を振るったりと、我が物顔で振る舞っておりました。このままでは暴動に発展しかねませんが、アヴォス・ディルヘヴィアの命がある以上、軍を動かすことができません……」
皇族派が信じた噂と伝承通り、皇族至上主義の国を作りあげるつもりなのだろう。
皇族派に反対していた者は、現在、その殆どがアヴォス・ディルヘヴィアではなく、アノス・ヴォルディゴードを暴虐の魔王と信じた。
それゆえ、皇族至上主義に対抗する噂と伝承があまりないのだ。
「なに、アヴォス・ディルヘヴィアを討てば、それで済むことだ」
ミーシャたちの<幻影擬態>の魔法を解くと、彼女たちはこちらへ駆けてきた。
「俺たちが通った後、城門を閉めよ。不適合者を探すフリをしているがよい」
「承知しました」
もっとも、街に入れば、さすがにアヴォス・ディルヘヴィアに気がつかれるだろうがな。
しかし、少なくとも、それでエリオの軍と戦わずに済む。
「行くぞ」
レイたちと共に、城門を抜ける。
「どうか、ご武運を」
俺の背中にエリオがそう声をかけた。
「えーと、これはどこへ向かってるのかな?」
俺の後ろに続きながらも、エレオノールが言う。
「まずは俺の家へ向かう」
「……そっか。魔族たちがアノス君を殺せっていう命令を受けてるなら、ご両親も危ないんだ……」
「家から出なければ、問題はないがな」
「どうして?」
「遠出になるからな。鍵を閉めれば、家が結界化するようにしておいた。並の魔族では突破できまい。母さんたちも魔法放送を見ていたのなら、店は閉めて、閉じこもっているはずだ」
言いながらも、俺たちは駆け、自宅へ近づいていく。
ここまで来れば、俺の家の結界を利用し、その付近の様子が見えるはずだ。
俺は魔眼に意識を集中する。
すると、自宅の中が見えた――
母さんがいた。心配そうな面持ちで、きゅっと唇を引き結んでいる。
傍らには父さんが立っていて、母さんの肩を抱いていた。
「……大丈夫だ。なにがあったかわからないが、きっとなにかの間違いだ。アノスがなにも悪いことをしてないのは、俺たちが一番よく知っている。そうだろ?」
父さんが、優しく声をかける。
「……うん……」
「あいつは無事に帰ってくる。絶対にな」
そのとき、店の外で鈍い音が鳴った。
女性の悲鳴が響く。
「なに……?」
母さんが店の窓へ近づき、そっとカーテンの隙間から外を覗く。
茶色いの髪と目をした少女が倒れていた。
その周囲を、魔族たちが取り囲んでいる。
魔王学院の制服を着た皇族派の生徒たちだ。
「なあ、おい? 混血の分際でよ、俺たちを気安く見てんじゃねえよっ!」
「……きゃあぁっ……!」
思いきり、男は少女を蹴り上げる。
地面に這いつくばりながら、少女は顔を上げた。
見覚えがあった。
「……やめ……なさい……わたしは……皇……族です」
エミリアだ。
「はあ? 皇族だぁ? ぎゃはははははっ。馬鹿言ってんじゃねえっ。お前の魔力はどっからどう見ても混血だろうがよっ!」
「皇族に憧れんのはわかるがよ。残念だが、お前には尊さがない。アヴォス・ディルヘヴィア様が治めるこの国じゃ、奴隷同然なんだよっ!」
笑いながら、生徒たちはエミリアを足蹴にする。
すると奇妙なことが起こった。
闇がエミリアとその生徒にまとわりつく。
そして、彼女の魔力が、生徒たちに吸収されていくのだ。
それも、<闇域>の効果なのか。混血を痛めつけることで、その魔力を吸収できる。アヴォス・ディルヘヴィアが口にした通り、混血は皇族たちの糧となるのだろう。
「やめなさいっ!」
声が響いた方向を生徒たちが振り向く。
母さんが店から出てきていた。
「あーん? なんだ、お前も混血か?」
「おい、待てよ、こいつ……アノスの?」
ニヤリ、と生徒の一人がいやらしい笑みを浮かべる。
「ああ、本当だ」
下卑た表情で男は母さんを舐め回すように見た。
「はっはっ! なんだなんだっ。どうやら運が向いてきたみてえじゃねえか。あの不適合者の吠え面が、今から目に浮かぶようだぜぇ、なあおいっ! 最っ高じゃねえの!」
男はエミリアを無視し、母さんに近づいていく。
母さんはじりじりと後ずさる。すると、男は飛びかかってきた。
「ひゃあっはははっ、逃げてんじゃねえよっ!」
「おりゃっ」
横から、足を引っかけられ、皇族派の生徒は顔面からぶっ倒れた。
父さんだ。
「……ぐぐ……」
「イザベラ、今だっ!」
母さんがエミリアのもとへ駆けよる。
「立てる? 危険だから中に入って」
エミリアの手を取り、母さんは家の中へ戻ろうとする。
「……どうしてですか……?」
エミリアは立ち止まり、母さんの手を振り払った。
「どうして、わたしを助けるんですかっ!?」
「どうして?」
母さんはわからないといった風に首をかしげた。
「……わたしは、もう……皇族じゃ……」
俯くエミリアに、母さんはにっこりと微笑む。
「大丈夫よ。わたしは味方。混血だからって人を蹴っていい理由にはならないでしょ。当たり前のことじゃない」
もう一度、母さんがエミリアに手を差し出す。
「ほら、家に入ろう。手当してあげるわ」
エミリアは怖ず怖ずと、母さんの手を取ろうとする。
次の瞬間、彼女は驚いたように目を丸くし、反魔法を張った。
「避けてくださいっ……!」
黒い炎の玉が母さんめがけ飛来した。<魔炎>だ。
咄嗟の行動なのか、エミリアは、母さんを庇うように両手で弾き飛ばす。
その背中が黒く炎上した。
「……あっ……きゃぁぁ…………!」
エミリアが膝をつく。
「おっと、外したか。だが、逃げようたってそうは行かないぜぇ」
黒い炎を手に召喚した生徒の一人が言った。
ボロボロになり、地面に倒れた父さんを踏みつけている。
「……逃げろ……イザベラ……家の中なら……」
「うるっせえよっ!!」
ガンッと生徒は父さんの顔を蹴り上げた。
「さあて、大人しくしてもらおうか。下手な真似をすれば、どうなるか、わかってるだろうな」
「ふむ。どうなるのだ?」
「ひゃあはははは、決まってんじゃねえの。ぐちゃぐちゃの、めちゃくちゃの、ぎったんぎったんにしたあげく、八つ裂きにし、バラバラになった遺体を、あの不適合者に突きつけてやんのよ。んでもって、絶望したあいつの前で嘲笑ってやるぜぇ。アヴォス・ディルヘヴィアはいたんだってよぉぉっ!! ひゃはは……はは――は……?」
言葉を止め、男は体を硬直させる。
まるで錆びた鉄の人形のようにぐ、ぐ、ぐとぎこちなく、そいつは後ろを振り向いた。
「……あ……アノス…………?」
まるで絶望を絵に描いたような表情を、そいつは浮かべていた。
「なるほど。八つ裂きが所望か。確か、馬や牛などに四肢をつなぎ、走らせる処刑だったな」
<森羅万掌>で生徒たち全員の体をつかみ、空へ持ち上げる。
「……お、おい……なにを……」
「や、やめろ……まさか、まさか……殺す気じゃないだろうなっ……?」
「……嘘だろ……なあ……嘘だろ、おい……本当に八つ裂きに……?」
<魔糸>の魔法で、彼らの全身に魔力の糸をつける。その先端をすべて<森羅万掌>でつかんだ。
もう一つ、彼らにはある魔法をかけておく。
母さんに見苦しいものを見せぬよう、更に空高くへ奴らを持ち上げる。
「安心するがいい。八つ裂きになどせぬ」
それぞれに結んだ糸は八八八本。それらを同時に、<森羅万掌>で別方向に引っぱった。
途端、全員の体が、弾けるように千切れ飛ぶ。
「八八八裂きだ」
彼らの肉体が細切れと化した。
「貴様らの心の弱さには呆れ果てるが、すべての元凶はアヴォス・ディルヘヴィアだ。責めはせぬし、殺しもせぬ」
彼らの根源には予め<仮死>をかけておいた。死ぬほどのダメージを負っても、仮の死で済ませることのできる魔法だ。
意識もあれば、五感も残るという優れもののため、そこから蘇生の魔法につなげることもできる。
まあ、多少は痛むが、二千年前ならよくあることだ。
「しばらく細切れのまま、かろうじて生きているがよい」
久しぶりのエミリア登場。生き辛そうにしてますね。