予兆
精霊王の纏った漆黒の鎧が半壊し、血が勢いよく溢れ出す。
仮面に亀裂が入った瞬間、精霊王は片手でそれを押さえた。
<聖愛剣爆裂>が直撃し、まだ動けるとは、仮面と鎧、そして精霊王自身が纏った反魔法の賜物か。
とはいえ、奴の武装はこれでほぼ丸裸だ。
「勝負あり、じゃないかな? いくら君でも、剣を失って、仮面を押さえながらは戦えないだろう?」
レイは光が迸る愛剣を精霊王の鼻先に突きつける。
「……ええ、そうですね……」
初めて精霊王が言葉を発する。
彼はゆっくりと、仮面から手を放した。
仮面の亀裂が広がり、崩れ落ちる。
僅かに口元が覗き、その魔力が漏れ始めた。
レイがその正体に視線を釘付けられた瞬間である。
温かな風が吹いた。
それに乗って、チカチカと緑色の光を発する蛍が、精霊王の仮面と鎧、そして、折れた宝剣にまとわりつく。
すると、みるみる内に、仮面と鎧、宝剣が修復されていく。
風と共に飛んできたのは、治癒蛍セネテロ。精霊の傷を癒す、精霊の医者とも呼ばれている。
仮面も鎧も、精霊でできたものだったのだろう。
それらがすべて傷一つない状態にまで修復されると、精霊王は宝剣を振るった。
「ふぅっ……!」
精霊王の太刀筋を先読みし、レイは愛剣でエイルアロウを打ち払いにかかった。
五芒星を完成させるためには、どうしても剣の軌道は制限される。
だが、精霊王はそれを読み、剣の軌道を途中で変えた。
繰り出されたエイルアロウの刺突はレイの心臓を狙う。
根源が七つあるレイは、その攻撃を受けたところで致命傷にはならない。
命を取らせて、仮面を断つとばかりに、レイは愛の剣を大きく振りかぶった。
治癒蛍に癒せぬように、次は一撃で破壊するつもりなのだろう。
ズプゥゥッと宝剣エイルアロウがレイの心臓を貫く。
左胸から血を滲ませながらも、彼は渾身の力で剣を振り下ろした。
「<聖愛剣爆裂>ッ!!」
爆発を伴う膨大な光を発する愛剣が、精霊王の仮面めがけて振り下ろされた――
「……ぐっ…………!」
仮面を斬り裂く寸前のところで、愛剣は止められていた。
レイの右腕の付け根が青い宝石と化している。
交錯する最中、精霊王はレイの心臓を貫き、そして自らの仮面を斬り裂かれる前に、彼の右腕の付け根に、小さな五芒星の傷痕をつけたのだ。
愛剣が音を立て、その場に転がる。<聖愛域>の光が消え、床には折れた不折剣だけが残された。
力が入らないといった風に、レイの右腕がだらりと下がる。
小さな五芒星を描けば、本人を封印できぬまでも、斬りつけた場所の機能を奪うことができるのだろう。
とはいえ、レイが捨て身の攻撃を繰り出す合間に、心臓と右腕の付け根、両方に傷を負わせるとは、やはり並大抵の使い手ではない。
「仮に、君が僕と戦ったことがあるのだとして」
レイは左手の折れた精霊剣に<聖愛域>の力を集中させる。膨大な光を放つ愛の剣を構えながら、彼は言った。
「僕に剣技で優る相手は、一人しか知らないけどね」
「勇者カノン」
精霊王は言った。
「二千年が経ち、変わらないものはありません」
交錯させた視線が、火花が散らせる。
弾き出されたかのように両者は剣を振るった。
純粋な速度と速度の勝負だ。
仮面を叩き斬ろうとするレイの剣撃と、五芒星を描かなければならない精霊王の剣撃。有利なのはどちらか、考えるまでもなかったが、その一合を制したのは、やはり精霊王の方だった。
レイの剣が床に落下し、彼の左腕がだらりと下がる。
先程同様、今度は左腕に五芒星が描かれ、その付け根を青い宝石が覆っていた。
「終わりです」
剣閃が煌めく。
振り下ろされた宝剣エイルアロウが完全な五芒星を描く――その寸前で、軌道が変わった。
まるで矢の如く、数百本もの雷が、精霊王めがけて飛来していた。
その悉くを彼はエイルアロウで斬り裂く。
空中で雷は赤い宝石と化し、バラバラと落下した。
「レイさん、下がってくださいっ!」
ミサはその手から雷の矢を放つ。
風と雷の精霊ギガデアスの力だった。
「精霊魔法――」
あたかも昔から知っていたかのように、ミサが両手をかざし、魔法陣を描く。
彼女の魔力が桁違いに上昇していく。
それと同時に、ミサの栗毛の髪が、徐々に色を変えていく。
深い、深い、海を思わせる色へ。
その背に、結晶のような六枚の羽が現れる。
着ていた白の制服が、青みを含んだ気品のある黒――檳榔子黒のドレスへ変わる。
二つ貝の首飾りが、十芒星の意匠のペンダントになった。
それが彼女の精霊としての真体なのか、その姿は、かの大精霊レノによく似ている。
「<大樹恵葉>」
魔法陣から出現したのは大樹の葉、後退したレイの右腕と左腕にそれを貼りつけると、両手を縛っていた青い宝石が砕け散る。
同時に胸元に書きかけだった五芒星の魔法線も消えた。
「……それが、君の真体かい……?」
「あはは……そうなん、ですかね……?あんまり実感はないんですけど……人の姿でほっとしています……」
「体の調子は?」
半霊半魔は、精霊に比べ噂と伝承に乏しいことが多く、根源が薄れやすい。
真体になれば、尚のことだ。
「大丈夫ですよ。昔から、あたしは元気が取り柄ですし。それに、レイさんのピンチに、そんなことは言ってられませんっ」
ミサは両手で魔法陣を描く。
精霊魔法の術式だ。
「<霊風雷矢>」
無数の雷の矢が精霊王へ飛来する。
その後を追いかけるように、レイは両手に<聖愛域>の剣を握りながら、駆けた。
それを迎え撃つかの如く、精霊王の側から、風と雷の精霊ギガデアスが、同じく数百本の矢を放った。
雷と雷が衝突し、ガガガガガッ、と室内にけたたましい音を響かせる。
「はぁっ!!」
精霊王に接近したレイは、右手の愛剣を奴の仮面に振り下ろしながら、あえて胸元への攻撃を誘った。
宝剣エイルアロウで五芒星を描く。精霊王の実力ならば、一瞬の交錯の間にそれも可能だ。
レイは最後まで五芒星を描ききられる前に、奴の仮面を破壊するつもりなのだろう。
仮面に振り下ろされた<聖愛域>の剣を僅かに避け、精霊王は肩口でそれを受けた。漆黒の鎧が斬り裂かれ、その肩に光の刃が食い込む。
精霊王は更に一歩踏み込んできた。
宝剣エイルアロウが振り上げられる。同時にレイは左手の剣を、走らせた。
閃光が煌めき、レイは目を見張った。
精霊王は剣を振り下ろさずに、更に踏み込み、すれ違うようにして、レイの攻撃を避けたのだ。
狙いは、一つだ。
咄嗟にレイが振り返った瞬間、真っ赤な血が溢れ出した光景が見えた。
「……ぁ…………」
精霊王の宝剣がミサの心臓を貫いていた。
レイの手にした光の剣が消える。
愛を魔力に変換する<聖愛域>も、その想いが消えれば使えない。
ミサの命が、消えようとしているのだ。
「…………」
小さく息を吐き、冷静にレイは精霊王を見つめた。
修羅場をくぐった経験は、幾度となくあろう。怒りに飲まれれば、誰も守れないことを彼は嫌というほど知っている。
ミサを大事に思うからこそ、彼は静かに、冷徹に、彼女の命が消えゆくのをじっと見据えた。
一歩、レイは精霊王に向かい、歩を刻んだ。
そのとき――
***
魔眼が寸断され、レイの視界が見えなくなった。
「よそ見はいけないねぇ、魔王。反魔法が疎かになっている」
俺が走っているのは雲の橋の上だ。
精霊王の城は目前である。
立ちはだかったのは、緋碑王ギリシリス。
奴が魔法で、レイの視界を共有する魔法線を切断した。
「いい機会だ。汝に、吾輩の二千年の研究の成果を見せてやろう」
緋碑王は上空に巨大な多重魔法陣を描く。
ぬっと姿を現したのは、山ほどもあろうかという緋色の碑石だ。
悠久の時を感じさせるほどの魔力の片鱗が、そこから溢れ、大気を激しく震わせていた。
「さあ、刮目するがいい。二千年の研鑽、深淵の底へ迫る魔法の偉業。これこそが、緋碑王ギリシリスの、大いな――る……」
奴が大層な口上を述べている間に、その腹部を俺は右手で貫いていた。
「……ごふぅ…………」
「変わらぬな、緋碑王。戦いは研究発表会ではない。大魔法を使いたいのなら、相手の隙を確認することだ」
緋碑王の体内に魔法陣を描く。
そのジェル状の体に流れる魔力をぐっとつかみ上げた。
「<魔呪壊死滅>」
相手の魔力をその場で暴走させ、死に至らしめる呪い。
ギリシリスの体にどす黒い蛇の痣が浮かび、奴を食らわんとばかりに、激しく暴れ始めた。
ぐじゅうぅ、とジェル状の体が原形を保てなくなり、水と化していく。
呪いが蝕むかのように、それは黒く、腐り果てる。
俺が腕を引き抜けば、そこに<魔呪壊死滅>の魔法陣が残された。
「<根源死殺>」
魔法陣に指先をくぐらせれば、右手が真っ黒に染まる。
虚空に浮かんだ<魔呪壊死滅>の魔法陣をわしづかみにし、それをぐしゃりと握り潰した。
水が四散するように、根源もろともギリシリスは砕け散った。
緋碑王瞬殺――!?




