勇者のお手並み
「精霊王が仮面を外した姿は見たか?」
問うと、ジステは首を左右に振った。
まあ、そうだろうな。魔力を隠蔽する仮面をわざわざつけているのだ。正体を隠しているとしか考えられない。
「他に覚えていることはあるか?」
「……ごめんね。精霊王様を見た後、すぐに意識が遠のいちゃって……」
詛王カイヒラムに人格が切り替わったのだろう。
そして、奴が神隠しにあった、か。
「お願い、魔王様。カイヒラム様を助けて。二人があんまり仲が良くないのは知ってるけど、でも、他に頼る人がいないの……」
ふむ。
すべてが真実とは限らぬが、仮面の男の情報は有益だった。
もし罠だとしても、踏みつぶせばよい。
「ちょうど俺の配下も神隠しにあっている。ついでに、カイヒラムも助けておこう」
「ありがとう、魔王様っ」
ジステは満面の笑みを浮かべる。
このままカイヒラムの人格が出てこない方が、平和でいいのだがな。
まあ、成り行きだ。仕方あるまい。
俺はリィナに視線をやり、言った。
「もう構わぬぞ」
「……うん」
彼女はじっと前を見据え、なにかに引き寄せられるように花畑を歩いていく。
そして、この空間の中央に立った。
蔓草が棒のようなものに巻きついており、そこに一輪の白い花が刺さっていた。
リィナが手を伸ばし、その花を手にする。
すると、まるで意志を持ったかのように蔓草が解け、巻きついていた棒のようなものの姿を露わにする。
それは剣だった。
魔力のこもらぬ、なんの変哲もない鉄の剣だ。
長い年月を経たのだろう。
刃は錆び、ボロボロになっている。
地面に突き刺さったその剣と、手向けられた一輪の花。
そこはまるで墓標のようにも思えた。
「……悲しいよ……」
リィナが呟く。
彼女の瞳からは、また涙がこぼれていた。
「……行かなきゃ……」
強い感情が、言葉に滲む。
「……私は、まだ伝えてない……言わなきゃいけなかったことがあるんだ……」
俺はゆるりと進み、彼女の傍らに立つ。
リィナはこちらを振り向いた。
「……思い出せないけど、きっと、あの人に会えればわかると思う……」
「精霊王にか?」
こくりとリィナはうなずいた。
「そんな気がするよ」
精霊王があの仮面の男だとして、奴はなにが目的なのか?
「レイ、聞こえるか?」
<思念通信>で呼びかける。
数瞬遅れ、声が返ってきた。
「なんだい?」
「魔剣大会のとき、母親の精霊病を治療するのと引き換えに、契約の魔剣を刺されたな?」
「そうだね」
「お前の知っている範囲では、あれを企んだのは魔皇エリオ。しかし、奴は傀儡にすぎなかった」
アゼシオンとの戦争の後に、機会があったため、エリオにも訊いておいたが、やはり正体不明の魔族に脅されてとのことだった。
「念のため尋ねるが、お前の自作自演ではないのだな?」
「いくら平和のためでも、母の命を危険に曝すような真似は僕にはできなかったよ」
そうだろうと思っていた。
つまり、レイを脅し、その胸に契約の魔剣を刺した正体不明の何者かが存在する。
これまでの経緯から考えれば、それがあの仮面の男である可能性は高い。
だが、仮にそうだとして、奴の目的はなんだ?
俺があの魔剣大会で、七魔皇老ガイオス、イドルと融合していたカノンの根源を切り離し、その正体を見ようとしたとき、仮面の男はそれを阻止した。
結果的に奴は、カノンがアヴォス・ディルヘヴィアだという事実を、隠したことになる。
いったい、なぜそんなことをする必要があったのか?
アヴォス・ディルヘヴィアの正体に俺が気がつかなければ、カノンは偽の魔王として死んでいた。
ならば、カノンを殺すのが目的だったのか?
それとも、カノンの計画通りに事を進め、俺を救うのが目的だったか?
後者だとすれば、仮面の男の正体は俺の配下、二千年前の魔族とも考えられる。
たとえば、シンならば、それを行ったとして、不思議はない。
魔剣大会のことだけを考えれば、の話だがな。
仮にシンだとすれば、今この状況が不可解だ。
俺が生き延びた以上、あいつが姿を現さない理由はない。
ましてや、精霊王を名乗って正体を隠し、この俺に試練を課すなどということは考えがたい。
であれば、やはりカノンを殺すのが目的だったか?
彼に恨みを持つ者の仕業なら、その可能性も考えられよう。
「あ、ちょっといい、かな?」
リィナが俺に声をかける。
「あの、レイが今いる場所、見覚えがあるよ。たぶん、天辺へ行く近道があったと思う」
<遠隔透視>を見ながら、リィナは言う。
「ほう。どこだ?」
「えっと、もうちょっと先に進むと、たぶん、ミサと合流すると思うから」
「……え? そうなんですか?」
ミサの声が<思念通信>から聞こえてくる。
ミサとレイはそれぞれ、木の壁に覆われた階段を進んでおり、互いの位置は把握できていない。
しばらくして、レイの視界に円形の空間が見えた。
反対側に通路が見えており、そこからミサが顔を出す。
「あ、本当にいましたねー。一人じゃどうなることかと思って、心細かったですよー」
ミサがレイに駆けよっていく。
そのとき、その円形の空間に声が響いた。
「うむ。よくぞ、ここまで辿り着いた」
エニユニエンの声である。
「この場所では、選択の試練を受けてもらう。見ての通り、この先に進むためにはその扉を通らねばならぬ」
円形の部屋には、頑強そうな扉が一つあった。
「しかし、その扉には鍵がかかっておる。天辺を目指すための選択は二つじゃ。この場所でお互いが戦い、どちらかが勝利すれば、天辺へ続く扉が開かれる。じゃが、敗者には試練の間まで戻ってもらうことになる」
レイは訊いた。
「もう一つの選択は?」
「二人で協力し合い、他の道を探すことじゃ」
レイとミサは互いに顔を見合わせた。
「戦えば確実に一人は先に進めるけど、二人で進もうとしたら、道が見つからないこともあるってことかな?」
「その通りじゃのう」
「え、えーと、どうしましょうか?」
ミサが困ったように笑う。
「あたしがわざと負ければ、レイさんだけでも確実に進めますし、そっちの方がいいかもしれませんね」
すると、リィナが俺に言った。
「大丈夫、二人で行けるよ」
「レイ、ミサ。二人で行くといい。他の道の場所は見当がついている」
そう<思念通信>を送る。
二人はうなずいた。
「協力し合うことにするよ」
「うむ。では、ヒントを授けてしんぜよう。この先へ進む道はこの選択の間のどこかにある。制限時間は5分じゃ。それまでに見つけることができなければ、不合格じゃて。試練の間まで戻ってもらうことになるゆえ、よく考えることじゃのう」
そう言い残すと、エニユニエンの気配が消えた。
すぐにリィナは言った。
「選択の間に石の台座が二つあるでしょ?」
円形の部屋の上端と下端には台座がある。
「片方の台座には石像がのってると思う」
下端の台座には、二体の石像の姿があった。
「もう片方の台座に二人で乗って、石像と同じポーズを取れば、天辺へ行く一番近道の通路が開かれるんだよ」
その言葉をそっくりそのまま<思念通信>で二人に送った。
「ということのようだ」
「え、えーと……」
ミサが尻込みしたように、石像を見つめる。
「どうした? 早くするといい」
「そ、そうなんですけど……でも、この石像のポーズって……」
下端の台座に乗った二体の石像は抱擁している。
一体は相手の腰に手を回し、もう一体は相手の顔に両手をそっと添えている。
二体とも、幸せそうな笑顔であった。
「……まあ、でも、ここに来たのがミサでよかったんじゃないかな……」
苦笑したようにレイは言う。
「確かにな。俺がそこにいたら、なかなかの難題だったところだ」
フッとレイは爽やかに笑う。
「もう一度アノスと全力で戦うことになっていたかもしれないね」
「え、えーと。それ、どっちがどうなときの話ですか?」
「お前はなにを言っている」
「す、すみません。なんでもありませんっ」
思考を打ち消すように、慌ててミサが手を振った。
「ミサ」
レイが台座に飛び乗り、彼女へすっと手を伸ばす。
「おいで。大丈夫だよ」
「あ……は、はい……」
ミサはレイの手につかまり、台座へ上がった。
「あの、皆さん、見ないで、くださいね……」
「ふむ。残念だが、それは難しい。俺が目をつぶった隙を狙い、なにか仕掛けてこないとも限らぬ」
「……あ、そ、そうですよね……そうですかぁー……」
「心配するな。冷やかしたりはせぬ」
「は、はい……それは、わかってるんですが……」
ミサは真っ赤な顔で俯きながら、もじもじと手をすり合わせている。
そうしている間にも、刻一刻と制限時間は過ぎていく。
なかなか決心がつかぬようだが、こうなってはレイに委ねるしかないだろう。
まあ、心配は無用だろうがな。
あの男は、勇者カノンはこれまでも幾度となく他者に勇気を与えてきた。
こういうことは、得意中の得意だろう。
「何回目だっけ?」
さりげなく、レイは言った。
「かっ、数えてませんよぉーっ、そんなこと」
「四七回だよ」
「あ」
と、ミサが顔を赤らめる。
「……は、八回です……よ……?」
「ん?」
「よ、四十……八回です……あの、レイさんが……こないだ、廊下ですれ違うときに、軽くしたときのを入れると……」
レイがさっとミサの顔にそっと両手を添える。
「やっぱり、覚えてた」
にっこりと微笑むレイ。
「……た、試すのは、ずるいですよ……」
そう言いながら、ミサは怖ず怖ずとその手をレイの腰に回す。
「ごめんね。君が覚えてないなんて嘘をつくから、つい意地悪をしたくなった」
ぎゅっと更に強く、ミサはレイに抱きついた。
二人の体勢は、ほぼ石像と同じである。
「……あ、あれ? なにも起きませんね?」
すると、リィナの声が<思念通信>で響く。
「たぶん、表情だと思うよ?」
「……あ……」
緊張しているのか、ミサの顔は強ばっている。
「こ、こんな感じでいいですか?」
笑顔を浮かべようとするが、しかし、なかなかうまくいかない。
石像の幸せそうな笑みにはほど遠かった。
そう考えると、この試練はなかなかの難題だ。
姿勢はともかく、幸せそうな笑顔など、役者でもなければ、そうそう真似できまい。
「ミサ」
顔を寄せ、レイは彼女の瞳をじっと見つめる。
「れ、レイさん……近すぎません……? これじゃ、石像の姿勢と違っちゃいますよ……?」
「ごめんね。さっきまでの分を取り返そうと思って」
「え……?」
ミサがきょとんとしたような顔でレイを見返した。
「この試験の間、君に会えなくて寂しかったよ」
といっても、まだ一時間も経っていないはずだ。
「……あたしは、きっと、もっと寂しかったです……」
ふむ。恋する者は、片時も離れたくないと言うが、そこまでとはな。
恋愛というのは奥が深い。
「……レイさん……」
先の言葉で羞恥心はいずこかへ飛んでいってしまったのか、互いの視線に吸い込まれるように、二人の顔が近づいていく。
今にもキスをするのではないかと思うほどである。
「もう、離れたくありません」
「大丈夫だよ。放さないから」
その言葉に、ミサは満面の笑みを浮かべる。
レイもつられて笑顔になり、また元の石像と同じ姿勢に戻った。
そのとき、ド、ゴゴ、ゴゴゴゴゴと音が響き、円形の部屋の中央に、みるみる内に大木が生えていく。
恐らくはそれが、上階へ続く道だろう。
さすがは勇者といったところか。
ああも容易く、ミサの緊張を解すとはな。
なかなかどうして、鮮やかな手並みだった。
別名、リア充の試練なのですっ。
受験者の組み合わせによっては大変なことになりそう……。




