精霊の先生
鐘の音が響き、リン、リーンと鈴が鳴る。
「授業ー」
「授業が始まるよ」
「授業中は出られないよ」
ティティたちが教室中を飛び回り、口々に言った。
「ふむ。それで入り口が消えたというわけか」
「でも、授業なんて受けてる場合じゃないわよね?」
サーシャが言う。
レイが壁と化した出入り口の前へ出た。
「試してみようか」
魔法陣を描き、彼はそこから一意剣シグシェスタを取り出す。
そのまま、まっすぐ壁に向かって踏み込んだ。
「――ふっ……!」
一意剣シグシェスタが閃光の如く煌めく。
その刃は一呼吸で四つの軌跡を描いた。
レイはじっと目の前の壁を見つめる。
「斬れたは斬れたけど」
レイが斬った箇所を一意剣の切っ先で押す。
大樹の壁が四角形にくり抜かれ、そして落下していった。
「って、なによこれっ?」
サーシャの声は驚きに染まっている。
教室の外は、真っ白だったのだ。そこには上へ行く階段が延々と伸びていたはずだが、今は影も形も当たらない。上も下も終わりがなく、見渡す限り白い空間が広がっていた。
「魔法空間?」
ミーシャが呟く。
「そのようだな。授業中は教室を隔離し、戻れぬようにしているのだろう」
とはいえ、出ようとして出られぬわけでもないだろうがな。
俺は魔法空間に魔眼を向ける。
と、そのとき、真っ白な空間にヒビが入った。
ガシュンッと空間を斬り裂いたような音が響き、突如、紅い槍が現れた。
突き出されてきたそれを、レイは咄嗟に後退し、躱した。
「……これは?」
鼻先にまで迫ったその紅い穂先をレイはじっと見つめる。
「紅血魔槍ディヒッドアテム……」
槍でヒビの入った空間が、更に割れた。
ギシィィィッと音を立てながらも、亀裂はみるみる広がり、魔法空間が砕けていく。真っ白なヴェールを剥がされるかの如く、教室の外は元の木で作られた室内に戻っていた。
そして、そこには、紅い魔槍を突きだしている男がいた。
短く切り揃えた髪、厳つい風貌で、顔の半分ほどを覆う大きな眼帯をつけている。
ふむ。また見知った顔だな。偶然とは思えぬ。
「お前までこんなところにいるとはな、冥王イージェス。まさか、四邪王族は全員、この精霊の学舎で仲良く机を並べているのか?」
イージェスは槍を引き、魔法陣の中に消した。
彼は鋭い視線を俺に向ける。
「転生しても変わらぬものだな、魔王アノス」
「ふむ。変わらぬとは?」
「神族を見くびっているということよ。己の力を過信すれば、足をすくわれるというのが、わかっておるまいて」
苦言を呈するかの如く、重々しい口調でイージェスが言う。
「お前こそ相変わらず口うるさいことだ。それはつまり、俺の配下に神の子がいるのだから、さっさと始末しろという意味だろう?」
「やむを得ぬであろうな。手をこまねいていては犠牲が増えるだけぞ」
くはは、と冥王の言葉を笑い飛ばす。
「あいにく神が相手だろうと、俺は犠牲を払うつもりはない」
「傲慢なことよ。犠牲を払わねば、犠牲が増えるだけというのがわからぬか」
冥王イージェスは隻眼の瞳を、ミーシャとサーシャに向ける。
二人はぐっと身構えた。
「授業中に事を荒立てるつもりはない。この場所はいささか面倒が多いゆえにな」
そう口にし、イージェスは切り株の席へ向かう。
「冥王。いつから緋碑王や詛王と手を結んだ?」
「そう見えるのならば、それは精霊の仕業よ」
煙に巻くように言い、イージェスは着席した。
「あそこ」
ミーシャが、誰もいない切り株を指さす。
すると、そこに黒い靄が立ちこめ、一人の男が姿を現した。
頭から六本の角を生やした魔族である。
奴は俺たちに興味すら示さず、ただぼーっと目の前を見つめている。
「もしかして、あれも四邪王族かしら……?」
サーシャが訊いてくる。
「ああ、詛王カイヒラム・ジステだ」
半分の魔剣を持っていたのは、奴の配下だ。
シンのことについては一番、事情を知っている可能性が高いな。
とはいえ、詛王の場合は、力尽くで聞き出すとしても少々骨が折れる。
さて、今はどっちなのか?
「話しかけないの?」
「ふむ。そうだな。まあ、行ってこよう」
俺は詛王のもとへ歩いていく。
「久しぶりだな、カイヒラム」
話しかけると、ぼんやりと詛王は俺を見た。
だが、なにも言わない。
「なるほど、今はジステか?」
そうすると、彼はニコッと笑った。
「あ。誰かと思ったら、魔王アノス様ね。そっか。もう二千年も経ったんだ」
詛王は敵意のこもらぬ声でそう言った。
女性のような口調だが、彼の心は今、正真正銘女性である。
「カイヒラムはどうした?」
「またどこかにお出かけしちゃって、ちっとも帰ってこないのよね。ほんと、恋人をおいて行くなんて、カイヒラム様の放浪癖にも困ったものよ」
「そうか。ところで、お前はここでなにをしている?」
「お勉強よ。カイヒラム様が帰ってくるまで暇なんだもの。アノス様は?」
「少々人を捜していてな。シンか、俺の配下を見なかったか?」
「あー、それならちょっと前までいたわね。一緒に授業を受けていたけど、神隠しにあっちゃったわ。緋碑王様や冥王様の配下もいなくなっちゃったのよ」
ほう。
「神隠しはここでの授業に関係があるのか?」
「小テストで落第点をとると神隠しにあうみたいよ。取り返すには、この大樹の天辺にいる精霊王様にお願いするしかないみたい」
「天辺には簡単に行けるのか?」
ジステは首を横に振った。
「授業を真面目に受けて、精霊の試練っていうのに合格しないと行けないって聞いたわ。あ、そうそう。そういえば、カイヒラム様の配下も神隠しにあっちゃってね、戻ってくるまでに助けておくように言われてるのよ。困っちゃうわ」
ふむ。配下を人質に取られ、緋碑王も冥王もこの精霊の学舎で授業を真面目に受けているといったところか?
それだけとも思えぬが。
「精霊王というのは何者だ?」
「精霊の王様なんじゃない? 会ったことがないから、わからないけど」
どうやら精霊王に会うには、精霊の試練とやらに合格するしか道はなさそうだな。
そいつに会いさえすれば、俺の配下を取り返すこともできるということだが、さて、どうしたものか?
とりあえず、ジステに訊くのはこんなところか。
「邪魔したな」
「うぅん。またね、魔王様」
振り向き、その場から離れると、寄ってきたサーシャが小声で言った。
「……ねえ。どういうこと?」
「薄々わかったと思うが、詛王は二重人格でな。主人格である詛王カイヒラムと、その恋人ジステの人格を持っている」
「わけがわからないわ……」
サーシャはちらりと詛王を見る。
中性的な顔立ちをしているとはいえ、カイヒラム・ジステの体は完全に男だ。
「二重人格なのはさして気にするほどのことではないが、厄介なのは人格が変わると完全に記憶も根源も切り替わるということだな。ジステの人格のときに、カイヒラムの記憶を探ろうとしても、なにも見つからぬ」
「不思議」
ミーシャが呟く。
「根源は確かに一つのはずなのだがな。カイヒラム自身でさえ、人格の切り替えを自由にはできぬようだ」
詛王に事情を尋ねるには、奴が出てくるまで待つしかあるまい。
「くくく」
笑い声を発したのは、ノウスガリアである。
「なんとも滑稽な光景だね。二千年前、ディルヘイドを支配していた暴虐の魔王、そしてそれに次ぐ四邪王族が一堂に会し、授業を受けようというのだから」
「貴様こそ、人のことは言えた立場ではあるまい」
「はは」
と、ノウスガリアは笑い、切り株の椅子へ歩いていく。
「神の計画は絶対だよ。私の行動は今も秩序とともにある。暴虐の魔王。君はまんまと神である私をここへ連れ出したつもりかもしれないが、世界の秩序にはなんら齟齬は起きていないよ。たとえ、ここで授業を受けようともね」
余裕綽々に言い、ノウスガリアは着席する。
そのとき、再び鐘と鈴の音が鳴った。
「本令っ」
「本令が鳴ったよー」
「来るよっ」
「先生が来るー」
ティティたちが教室中を騒がしく飛び回る。
「えーと、どうしよっか?」
エレオノールが尋ねる。
「授業を受けるしかないんじゃないかな」
と、レイが答えた。
「まあ、とりあえずはそうしてみるか。精霊王が何者なのかも気になるところだしな。奴に会い、シンたちを神隠しから解放してもらうのが一番手っ取り早そうだ」
言って、俺は近くにあった切り株に着席する。
ミーシャたちも、それぞれ席についた。
――授業の時間であるな――
どこからともなく、声が響いた。
――今日は、新たな生徒もいるから、自己紹介をしてしんぜよう――
教室の教壇にあたる位置、そこに生えていた大木に、目と鼻と口が現れた。
「わしの名は、エニユニエンの大樹。この精霊の学舎じゃて」
声は教室中に響いていた。
名前だけ出ていた四邪王族が続々現れておりますが、人型スライム、眼帯、二重人格と覚えていただくと記憶に残りやすいかもしれません。