妖精の笑わせ方
リシャリス草原に転移すると、辺りには霧が漂っていた。
太陽が隠れているため視界が悪いが、広大な草原の殆どを霧が覆い尽くしている。
情報屋の少女はその光景を、どこか懐かしそうに見つめた。
「たぶん、この霧の向こうにアハルトヘルンがあるんだと思う」
妙に確信めいた風に彼女は言う。
「……驚かないのね」
サーシャの言葉に少女は首を捻った。
「驚く? なんのこと?」
「<転移>は失われた魔法よ。街から、ここまで一瞬で転移したら、普通驚くのにって思ったんだけど……?」
「あ、そっか。そうだよね。今の魔法、すごいよ」
言いながら、少女は考え込むような表情を浮かべる。
なにかを思い出しているようでもあった。
「だけど、なんだか知ってる気がして。こんな魔法があっても、不思議じゃないなって、思った」
「……ねえ。そういえば、訊いてなかったけど、あなたの名前は?」
「リィナだよ。たぶん、だけどね」
「それも覚えてないの?」
「うーん。はっきりとはね。名前がないと不便だから、とりあえずリィナってことにしたんだよ。そんな感じだった気はしてるんだけど……?」
「……そう。ごめんね。悪いこと訊いたわ」
「うぅん、しょうがないよ。たぶん、そのうち思い出すから」
呆れ半分、感心半分といった表情でサーシャはリィナに言った。
「記憶喪失なのに明るいわね」
「落ち込んでたってなにも変わらないよ。それより、やれることをやらなきゃね」
などとサーシャとリィナが話をしているのをよそに、ミーシャは辺りに漂う霧の深淵を覗いている。
「わかるか?」
「沢山いる」
ふむ。さすがはミーシャだな。
確かに、この霧はアハルトヘルンへの入り口に違いない。魔眼を凝らしてみれば、この奧に数多の精霊が潜んでいるのがわかる。
「みんなには連絡した」
ならば、じきに来るだろう。
「では、試すか。サーシャ」
「なに?」
「やってみるといい」
一瞬、サーシャはきょとんとした。
「なにが?」
「妖精ティティを笑わせなければ、アハルトヘルンには行けぬ」
「ああ、そうよね。って……なんでわたしなの?」
「かねてから考えていたのだがな」
うん、とサーシャは相槌を打つ。
「お前にはなかなか道化の才能がある」
「なに考えてるのよっ!」
サーシャは舌鋒鋭く声を上げた。
俺はそんな彼女の顔を指さす。
「それだ」
「なにがよ?」
「その一気に点火する打ち上げ花火のような性格は、余人にはなかなかどうして真似できぬ」
「ちょっ、誰が打ち上げ花火よっ!?」
「いいぞ、サーシャ、その調子だ。さあ、行け。あの空に大輪の花を咲かせてみよ」
「……あのね……そんなこと急に言われても……」
サーシャは尻込みしている様子だ。
「仕方のない。ミーシャ、手伝ってやれ」
こくりとミーシャがうなずく。
「やってみる」
「やってみるって、どうするのよ?」
ミーシャとサーシャが向かい合う。
「作戦がある」
真面目な顔で、淡々とミーシャは言う。
それなりに自信があるようだ。
「どんな作戦?」
「わたしが面白いことを言う」
「うん」
サーシャは真剣に聞いている。
「サーシャがつっこむ」
うんうん、とサーシャはうなずいている。
「それで?」
「大爆笑」
「無策にもほどがあるわっ!!」
サーシャがこれでもかというぐらいの勢いで突っ込んだ。
「うまくいった?」
ミーシャが辺りを見回す。
だが、霧に変化はない。
妖精ティティはこちらを覗いているはずだが、これといった反応も感じられぬ。
「ふむ。どうやらティティのツボを外したようだ。なかなかどうして、今の笑いに耐えるとはな」
「……当たり前よね……」
と、サーシャがぼやく。
「皆さーんっ!」
と、手を振って、ミサとレイがやってくる。
「なんか、もう霧出てますねー。いきなり日食が起きてびっくりしましたよー」
「アハルトヘルンへはもう行けそうなのかな?」
レイが訊いてくる。
「それが妖精を笑わせるのに難儀していてな。だが、ちょうどいい。レイ、ミサ、とっておきの芸を披露するときがきたぞ。奴らの腹筋を破壊してみせよ」
そう口にすると、レイとミサが顔を見合わせる。
「あ、あはは……そう言われましても、どうします?」
「まあ、やってみるだけやってみようか」
「……ですね。さっき、ミーシャさんから聞いたお話ですと、斬新なことをすれば、笑ってくれるんでしたっけ?」
俺はうなずく。
「そのようだ」
「じゃ、レイさん。あたし、やってみます」
「なにか思いついた?」
「はい。あの……でも、一つだけお願いがあるんですけど……?」
「なんだい?」
恥ずかしげに俯き、ミサは言う。
「へ、変なことしますから、見ないでくれますか? その、は、恥ずかしいところを見せるかもしれませんし、嫌われたらって……あはは……」
「大丈夫だよ」
真顔でレイは優しく言った。
「君がどんなおかしなことをしても、僕はきっと可愛いとしか思えないだろうからね」
「レイさん……」
あっという間に構築された二人の世界で、レイとミサは見つめ合う。
「じゃ、いってきます。骨は拾ってください……!」
レイが苦笑気味にうなずく。
ミサは数歩歩いて、霧に向かった。
彼女は足を止めると、覚悟を決めたような表情をした。
それから、すーっと息を吸い込む。
「も、問題ですっ! いつもいつもレイさんのことばかり考えているあたしの、大好きな数字はなんでしょうっ!?」
「……なんで、クイズなのよ……?」
サーシャがぼやくようにつっこむ。
「ふむ。答えはなんなのだ?」
ミーシャが小首をかしげつつも、言った。
「0と3?」
「なるほど。零三というわけだ」
「……どうでもいいわ……」
サーシャが呆れたように呟く。
霧にはなんの変化もなく、妖精の笑い声は聞こえない。
「……あ、あはは……やっぱりだめでしたか……」
「そうでもないみたいだよ」
と、レイが言う。
「えーと、でも……?」
にっこりと彼は微笑んだ。
「僕は3と3が大好きになったからね」
「あ……あはは……」
見つめ合う二人は、やはり他を隔絶した世界を生み出している。
「ふむ。三三というわけか」
「ていうか、あの二人、イチャイチャしてるだけじゃない……」
しかし、レイとミサでもだめか。
さて、どうしたものか?
と、そのとき、エレオノールとゼシアが走ってくるのが見えた。
「お待たせっ。思ったより遅くなったぞ」
「……ごめん……なさい……」
ぺこり、とゼシアが頭を下げる。
「なに、こちらも少々苦戦していたところだ。霧は出たが、妖精を笑わせるのがなかなか難しくてな。なにか良い案はないか?」
「えーと、面白いことをすればいいんだ?」
「斬新なことが良いそうだ」
エレオノールはうーん、と頭を悩ませる。
「とりあえず、やってみるぞ」
エレオノールとゼシアは霧へ体を向ける。
「じゃ、ゼシア。いつも遊んでるあれやってみよっか?」
「……わかり……ました……」
エレオノールは人差し指を立て、のほほんと言った。
「アノス君の真似っ」
「……ふ、む……魔王だからと言って……優しくないと思ったか……」
舌っ足らずな口調でゼシアが言う。
「レイ君の真似っ」
「……フッ……僕はミサが……好きさ……ミサも僕を好きさ……」
なにやらレイとミサが、隣で強烈なダメージを受けていた。
「サーシャちゃんの真似っ」
「……わたしの魔王さま……愛してます……」
「馬鹿なのっ!?」
サーシャが打ち上げ花火のような勢いで声を上げた。
「ミーシャちゃんの真似っ」
「……ミーシャがんばるもんっ……」
「誰なのっ!?」
サーシャが再びつっこむ。
ミーシャが小首をかしげ、自らを指差した。
「わたし?」
「うーん、もうネタ切れだぞ」
困ったようにエレオノールが言う。
やはり霧にはなんの変化もなく、妖精たちが姿を表す気配すらない。
「……力不足……です……」
「ていうか、エレオノールとゼシア、普段なにして遊んでるのよ?」
サーシャが言うと、エレオノールが笑顔を浮かべた。
「なにって、みんなの真似だぞ。ゼシアが沢山喋られるように練習してるんだ」
「訓練はいいけど、変なこと教えないでよね」
「ボクは教えてないんだけど、ゼシアにはサーシャちゃんがああいう風に見えるみたいだぞ?」
言われて、サーシャは絶句する。
ぷいっと背を向け、彼女はすごすごと引き下がった。
「でも、困りましたね。笑わせるって言われても、いざやってみると、なかなか思いつきませんし」
ミサが思案するように言う。
「ふむ。誰か他に挑む者はいるか?」
そう問いかけるも、皆良い案が思い浮かばぬようだ。
妖精ティティを笑わせぬことには、アハルトヘルンには行けぬ。
とはいえ、その方法が皆目見当がつかぬのではな。
ここは一つ、爆笑魔法の術式でも作ってみるか?
しかし、魔法で強制的に笑わせて、果たしてティティが姿を現すものか?
「――あっ、アノス様っ、すみません、遅れましたっ!」
エレンの声に振り向けば、そこにファンユニオンの少女たちがいた。
なぜか、八人とも棍棒を手にしている。
「……それは、どうした?」
「あ、こ、これは……その、ゼーヘンブルグの都で見つけたんです。ねっ?」
「は、はい。その、え、縁起の良い名前だったので、噂を探している途中に、誘惑に負けて買ってしまいました」
縁起の良い名前?
「ほう。なんという名だ?」
少々気まずそうな表情を浮かべた後、エレンは言った。
「……あ、アノッス棒……です……」
「きゃっ、きゃーっ! エレンのえっち、なにアノス様の前でアノッス棒なんて言ってるのっ。えいっ!」
と、ジェシカがアノッス棒でエレンを叩く。
「あっ、アノッス棒を卑猥なことに使っちゃだめだよぉっ」
「そんなこと言って、嬉しそうな顔してっ。ほらほらっ、妊娠妊娠っ!」
ぺしぺしっとアノッス棒でジェシカがエレンを叩く。
「ちょ、ちょっと、アノス様が見てるんだからやめてっ」
ジェシカの攻撃を、エレンは手にした武器で受けとめる。
アノッス棒とアノッス棒が、ガシッと交差した。
はっとファンユニオンの全員が息を飲む。
まるで天啓が下りてきたかの如く、きゃーっと黄色い悲鳴を上げながら、彼女たちは互いのアノッス棒同士でガシン、ガシンとチャンバラを始めた。
どう見ても棍棒同士を叩き合わせているというに、なぜか「兜、兜っ!」と彼女たちは胡乱なことを口走っている。
「サーシャ、あれが兜に見えるか?」
「しっ、知らないわよっ、馬鹿なのっ!!」
「なにを興奮している?」
「べ、別に興奮なんてっ……!」
と、そのとき、鍔迫り合いに負けてよろめいてきたエレンが、サーシャにぶつかった。
「ご、ごめんなさい。大丈夫ですか、サーシャ様」
「大丈夫よ。あなたこそ――」
身を起こすはずみで、エレンの持っていたアノッス棒がサーシャの額にコツンと触れた。
「きゃっ、きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁっっっ!!」
サーシャがものすごい勢いでいずこかへ走っていく。
びっくりしてエレンがアノッス棒を地面に落とした。
「あ……」
それを俺は拾い上げ、エレンに返してやる。
「縁起の良い品なら、そうそう落とさぬことだ」
「は、はいっ……」
アノッス棒を固く握りしめ、なぜかエレンは猛ダッシュでファンユニオンの少女たちのもとへ走っていく。
彼女は大声で言った。
「本物だよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
きゃーっと黄色い悲鳴が上がり、「間接兜で八本八本!」という謎の単語を連呼しながら、彼女たちは次々と棍棒を打ち合わせていく。
そのときだった。
――クスクス。
霧の向こうから笑い声が聞こえた。
幼女のような、高い声だ。
――クスクス、クスクス。
――間接兜だって、間接兜。
――アノッス棒アノッス棒、八本八本。
――クスクス、クスクス。
そうして、うっすらと姿を現したのは、羽を生やした小人のような少女たち。
妖精ティティであった。
ある意味、皆様の予想通りの笑わせ方だったかもしれませんっ。
それにしても、妖精に間接兜の意味がわかったとなると、そういうことなんでしょうねぇ。




