情報屋の少女
真っ白になった風景が色を取り戻すと、目の前には赤土色の家が建ち並んでいるのが見えた。レンガの家である。風土なのか、文化なのか、この都では、建物はレンガで建てる慣習があるのだろう。
「あれ? 草原じゃないぞ?」
不思議そうにエレオノールが辺りを見渡す。
「どこ……ですか……?」
ゼシアが上目遣いで訊いてくる。
「ゼーヘンブルグの都だ」
「アハルトヘルンの入り口はリシャリス草原にあるんじゃなかったかしら?」
この街には初めて来たのか、物珍しそうに周囲を眺めながら、サーシャが言う。
「ノウスガリアが口にした噂を覚えているか?」
「えーと、ゼーヘンブルグの都を囲む広大なリシャリス草原に、不可思議な霧が立ちこめるとき、そこには悪戯好きな精霊が潜んでいる。彼女たちを笑わせれば、たちまち姿を現し、アハルトヘルンへ道案内してくれる、よね?」
俺はうなずき、言った。
「この情報だけでは、アハルトヘルンには行けぬ」
「霧が立ちこめる条件がない?」
無機質な目でミーシャがこちらを見た。
「ああ。すべて教えては試験にならぬから、あえて省いたのだろう」
「霧が立ちこめる噂を探す?」
「そうだな。リシャリス草原に不可思議な霧が立ちこめるという噂なら、そこにもっとも近いこのゼーヘンブルグの都で広まっていると考えるのが自然だ。訊いて回れば、知っている者に出くわすだろう」
神の幸運とやらもあることだしな。
そう苦労はしないはずだ。
「じゃ、手分けして訊いて回った方がいいわよね?」
別行動はあまり望ましくないが、この街の中ならば問題あるまい。
魔眼で見たところ、ノウスガリアはリシャリス草原にじっとしている。それ以外の敵が現れても、対処は容易い。
「四組に分かれるか。レイとミサは街の北側を。エレオノールとゼシアは東、ファンユニオンは西を当たれ。まあ、あまり区域にこだわる必要はないがな。ミーシャとサーシャは俺と来い」
<魔王軍>の魔法を使い、全員の視界を見られるようにした。
「じゃ、行ってくるよ」
レイとミサは手を振って、去っていく。
「ゼシア、聞き込みするぞ。不思議な霧のことを訊くんだぞ。わかるかな?」
「……訊いて……みます。不思議な霧、知ってますか?」
「うんうん、そう。偉いぞ」
ゼシアに質問の練習をさせながら、エレオノールも歩いていった。
「アノス様、あたしたちも行ってきますっ!」
「確か、この街にも統一派の支部があったはずだから、そこに行ってみよ」
「前に通信会合で、アノス様のお写真が欲しいって言ってたから、交換条件にすれば、どんな情報でも仕入れてくるはずっ」
「それでも、だめなら、このアノス様の武勇伝を綴った本で……」
「それ、脚色入りすぎてるやつじゃないっ? 大丈夫?」
「こっちは初級者用だから、誰に見せても恥ずかしくないやつだもんっ」
「じゃ、ちょっと見せてみなさいよ?」
「きゃーっ、えっちっ!」
「なにがえっちよ、ちょっとあんた、なに書いてるのっ? どこが初級者用なのよっ。もっと見せなさいっ!」
きゃーきゃーとじゃれあいながら、ファンユニオンたちは去っていく。
「アノスの本?」
ミーシャが小首をかしげる。
「ミーシャは一生知らなくてもいいやつだわ」
そんなことを言いながら、サーシャとミーシャは俺の横に並んだ。
「ねえ。一緒に来いってことは、わたしたちが一番、神の子の可能性が高いってこと?」
「大した差ではないがな。ミーシャは擬似的な神の力を創造した。お前の破滅の魔眼も、今以上に深淵を覗く可能性を秘めている」
歩きながら、俺は言う。
サーシャはなにか言いたげだったが、けれども口を閉ざした。
「わたしが神の子だったら」
俯き、ぼんやりと地面を見つめながら、ミーシャは呟く。
「アノスを滅ぼす秩序だったら」
当たり前のように、彼女は言った。
「覚悟はできてる」
すると、サーシャもこちらを向き、俺に言った。
「ミーシャもわたしも、すぐ諦めるってわけじゃないわよ。でも、もしも、どうにもならないってわかったら、あなたにもらった命は、そこで返すわ」
くはは、と俺は笑った。
「言っとくけど、本気よ?」
「わかっている。だから、笑ったのだ」
少し不服そうに、サーシャは唇を尖らせた。
「なんでよ?」
「お前たちがあの日、口にした願い、この俺が忘れるとでも思ったか」
その言葉で、ミーシャもサーシャも黙り込んだ。
「俺を滅ぼすために、ミーシャが神の思惑で生まれ、お前たちが理不尽に巻き込まれたのだとしよう。ミーシャが存在しない子供として育ち、サーシャはそれに心を痛め続けた。そして今、ようやくだ。この三ヶ月間、お前たちはようやく笑っている。まだたったの三ヶ月だ」
足を止め、はっきりと二人に告げる。
「それで滅ぶだと? 笑わせるな。滅ぶべきが誰なのかは考えるまでもあるまい」
俺は両手を広げ、二人に差し出す。
「言ったはずだ。お前たちの前に立ちはだかる理不尽は、俺が滅ぼすと。神がお前たちに悲劇をもたらすなら、その神を滅ぼしてやろう。この世の秩序が悲劇の元凶なのだとすれば、その秩序を滅ぼしてやる」
ミーシャとサーシャは差し出された手をじっと見つめている。
「神よりも俺を信じるなら、この手をとれ」
迷わず二人は俺の手をとった。
「決して自ら放すな。お前たちがこの手を握っている限り、俺はなにが起ころうと必ずお前たちを救う」
ミーシャがこくりとうなずく。
「絶対に放さない」
サーシャがまっすぐ俺を見つめた。
「わたしも、約束するわ」
俺は笑った。
「よい返事だ。忘れるな」
静かに手を放し、俺たちはまた歩き出す。
しばらく歩いていると、怒声が響いた。
「小娘の分際でぇっ! 情報屋だかなんだか知らねえが、うちの悪評バラまいて商売の邪魔してんじゃねえっ!!」
見れば、商人らしき小男が厳つい男数人を引き連れて、少女を足蹴にしていた。
彼女が被ったフードからは、透き通るような水色の髪が覗いていた。
「……悪い噂が広がるのは自業自得だよ。詐欺みたいな商売で、旅人を騙してばかりいるからいけないんだ……」
少女は地面に手をつきながらも、毅然と言葉を返す。
それを聞き、商人は怒りをあらわにするかの如く、目を剥いた。
「んだとぉっ、てめぇ!? おい、痛い目に合わせてやれっ! 二度と表を歩けない面にしてやんなっ」
行き交う人々が、なんの騒ぎかと一瞬彼らを見るも、かかわり合いになりたくないとばかりに視線をそらし、そそくさとこの場を立ち去っていく。
どうやら、この街では評判の悪い連中のようだな。
まあ、それはともかく、情報屋か。
「早速、幸運が舞い込んだのかもしれぬぞ」
「え……?」
サーシャがぽかんとした表情を浮かべるのをよそに、俺は商人たちのもとへ歩いていった。
「そのぐらいにしておくのだな。商人ならば商売で競え。戦う意志のない者を足蹴にしても金にはなるまい」
少女との間に割って入ると、商人が不機嫌そうに俺を見た。
「なんだぁ、てめえ。その情報屋の知り合いかよ?」
「いいや。お前の行為が見るに堪えぬのでな」
「ははあ。俺を知らねえとは、さてはお前よそもんだな。言っておくがよ、嘘つきはそっちの小娘の方だぜぇ。なんたって、そいつぁ、存在しない森があると言い張るとんでもねえ詐欺師なんだからよ。アハルトヘルンだかなんだか知らねえが、そんなもん見た奴ぁいねえってのにな」
すると、少女はキッと商人を睨んだ。
「アハルトヘルンはあるよっ。あなたが信じないだけっ」
ふむ。アハルトヘルンか。
どうやら当たりのようだ。
「なあ、聞いたかよ? こんなホラ吹き女の味方になったって良いこたぁねえだろ。悪いことは言わねえ。とっとと帰んな」
「悪いが、その女に用がある。お前が消えるがいい」
その言葉に、商人は一瞬呆気にとられた。
「どうした? すぐに立ち去れば、見逃してやるぞ」
「……ちっ、これだからよそもんは……。しち面倒くせえ。おい、この街のしきたりを教えてやんなっ」
「「「へえ」」」
と、厳つい男たちが俺を取り囲む。
「わりいが、骨の二、三本は覚悟してもらうぜ」
「この街じゃ、この街のしきたりってもんがあるからよ」
「なあに、殺しはしねえ。抵抗しなければ、なぁっ!!」
厳つい男が声を張り上げる。
「く……」
くく、くくくく、くはははは。
なんだ、こいつらは、転生してこれまで戦った誰よりも弱いぞ。
この塵ほどの魔力でなにを粋がっているのだ?
「てめぇっ! なに笑ってやが――」
「くははっ」
「ぐっあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁっっっ!!」
魔力の込められた笑い声が大気に響いて、渦を巻き、三人の男を一〇〇メートルほど先までぶっ飛ばしていた。
「う、ぉ……う、げえぇぇぇぇぇっ!?」
目を見開き、鼻の穴を大きく広げ、顎が外れるほど口をあんぐりと開けて、商人はまさに驚愕といった表情でそれを見た。
「ああ、すまぬ。あまりにおかしなことを言うのでな。つい笑い飛ばしてしまった」
「……笑い……飛ばし、たっ……いや、だって、体ごと…………」
商人は、驚きのあまり言葉もままならぬ様子だ。
「……お、お、おおおおおお、お前らっ、なにやってやがんだ……!? 立てっ……こいつをやっつけるんだよぉぉっ……!!」
商人が震えながらも声を上げるも、地面に倒れた彼らはピクリとも動かない。
あの様子では二、三日は目覚めぬだろうな。
「さて。この街のしきたりを教えてくれるという話だったが?」
俺がそう口にすると、ぶるぶると縮み上がり、商人は後ずさった。
「……ど、どうか……今日のところは、これで一つ……」
圧倒的な変わり身の早さで、商人は懐から金貨数十枚を取り出した。
「ほう。いいだろう」
すると、商人は媚びへつらうような笑みを浮かべた。
「へっへ、地獄の沙汰も金次第ってなもんでさぁ。この世は金さえありゃ、なんでもできまっせ。よ、よかったら旦那、あっしの用心棒をやりませんか? 旦那の腕なら、これぐらいの金、いくらでも用意しますぜ」
「なにを勘違いしている」
「へ?」
マヌケ面を浮かべる商人に魔法陣を描いた。
すうっと、それはそいつの体内に吸い込まれていく。
途端、商人が手にした金貨がボロボロと腐り出した。
「……げ……げぇっ!! なんじゃあ、こりゃぁっ……!!?」
「呪いだ。お前はもう二度と貨幣には触れぬ」
「……な、なにをそんな……そんな、そんな馬鹿な話はあんめえぇっ……!!」
商人が血相を変えて、懐から金貨を取り出していく。
だが、男が金貨を手にする度に、それはボロボロと崩れてしまうのだ。
「……く、腐るっ……俺の金がぁぁ……嘘だぁぁ……嘘だ、俺の金がぁぁっ、腐っちまう……!」
すべての金貨を腐らせた後、男は青ざめた。
今後の人生がどうなるのか、勘定してしまったのだろう。
「なに、そう落ち込むな。一つ、お前に良いことを教えてやろう」
僅かな希望を覗かせ、商人は俺を見た。
「世の中、金ではないぞ」
さすが魔王さま。悪徳商人にさえ、なんてためになる言葉を教えてくださるんでしょうか。