アハルトヘルン遠征試験
翌日――
魔王城デルゾゲード、第二教練場。
「さあ、授業を始めよう」
授業開始の鐘が鳴った後、ノウスガリアは言った。
「昨日の内にフクロウが通達したと思うが、本日からは急遽、アハルトヘルン遠征試験を行うことになった。試験監督は私が手ずから務めよう。神がこのような俗事に携わることなど滅多にないことでね。各々感謝し、崇め奉れ」
増長した表情を浮かべるノウスガリア。
生徒たちの反応は推して知るべしといったところだ。
「……ていうか、なんでこんな急に遠征試験なんだよ……杜撰すぎるだろ……」
不満を吐露するが如く、ぼそりと皇族派の生徒が呟いた。
昨日、痛い目にあったばかりだからか、正面切って文句を言う度胸もなく、誰にも聞こえないようなか細い声だ。
とはいえ、俺には聞こえている。どうにかそれでプライドを保ったつもりかもしれぬが、脇が甘すぎる。
「そこの男、なにか不満があるのか?」
独り言が聞こえていたことに驚き、生徒は萎縮する。
「……なっ……別になにも……」
「はは」
と、ノウスガリアは生徒を嘲笑う。
「神の耳は絶対だよ。私の前でそんな雑な嘘が通ると思うか?」
睨まれ、生徒は肝を冷やしたように縮み上がった。
「暴虐の魔王の庇護下にあるからといって、調子に乗るのは関心しない。君を一切傷つけずに、君を苦しめる方法などいくらでも存在するのだから」
脅えたような瞳で生徒はノウスガリアを見返す。
「神の名において宣言する。授業中の私語につき、君の成績を下げるぞ」
「……なっ……!?」
「進級したければ大人しく私を崇めるといいよ」
生徒はそれ以上迂闊なことも言えず、「わかりました」と呟いた。
「……ていうか、あいつ、神、神言ってる癖に、ずいぶん、スケールが小さくなってないかしら?」
サーシャが呟く。
くくく、と俺は思わず笑った。
「授業の範疇ならば、俺に邪魔をされないと判断したのだろうな。いやいや、なかなかどうして、真面目に教師をしているではないか」
「聞こえてなかったのか、暴虐の魔王。私語を話せば、君の成績だってただではすまないよ」
教壇から鋭い視線が飛んできた。
「ふむ。それは悪かった。気をつけるとしよう」
ノウスガリアは簡単に引き下がり、俺から視線を外した。
半端な神となった身ではなにができるわけではないからな。
「さあ、それでは蒙昧な君たちに知恵を授ける。君たちのレベルを考えれば、アハルトヘルン遠征試験が急すぎることなど、私はとっくに承知しているよ。しかし、これは上から提示された授業内容なんだよ。いわゆる、現場への無茶ぶりというやつだ。魔王学院の構造的欠陥を無視し、一教師に責任を被せようという君たちの浅はかさには、呆れ果てると言う他ないね」
さらりとノウスガリアは自分に責任がないことを口にした。
神の尊厳を守るには、そうするしかあるまい。
「君たちの力と知恵では、アノス班以外はアハルトヘルンに辿り着けない。このような試験は欠陥という他ないだろう。しかし、神は絶対なる存在。たとえ上が横暴な指示を放とうとも、その授業に破綻などない」
大仰に言い放ち、ノウスガリアは両手を広げた。
「君たちに神の祝福を授けよう」
キラキラと輝く光が教室中の生徒の体を覆い、そして、すうっと胸の中に消えた。
「アハルトヘルンに辿り着くために必要なのは、力と知恵、そして幸運だ。力と知恵に欠ける君たちに、まず神の幸運を授けた。それは君たちとアハルトヘルンを結ぶ、運命だ。これで蒙昧な君たちにも、大精霊の森へ行く資格が生まれた」
魔眼で確認してみるが、特に問題のある魔法ではない。
奴の言う通り、正真正銘、俺たちの運を向上させるもののようだな。
しかし、ここまでして授業の体裁を整えるというのが、いかにも神族といった風だな。奴らは秩序を守る。神の威厳というものは、それに含まれるのだ。
「すでにフクロウより通達を受けているだろうが、アハルトヘルンは精霊である。大精霊が棲む不思議な森という噂と伝承で作られたそれは、絶えずこの世界のどこかを移動している。其は霧と共に現れ、霧と共にいずこかへ消える。今、それがどこにあるかは、アハルトヘルンに対する噂の総量で決まるのだ」
朗々とノウスガリアは説明する。
「しかし、その噂を君たちが突き止めるのは100年あっても足りはしない。ゆえに、私が更なる知恵を授けよう」
厳かな口調で彼は言う。
「ミッドヘイズより北西、ゼーヘンブルグの都を囲む広大なリシャリス草原。不可思議な霧が立ちこめるとき、そこには悪戯好きな精霊が潜んでいる。彼女たちを笑わせれば、たちまち姿を現し、アハルトヘルンへの道案内をしてくれるであろう」
悪戯好きな精霊か。
恐らく、妖精ティティのことだろう。
「では、私は先にリシャリス草原で待っていよう。制限期間は一〇日だ。間に合わなければ、遠征試験の後で行われる授業には参加できない。努力することだ」
ノウスガリアの足元に魔法陣が浮かぶ。
彼の姿がすうっと消えていった。
<転移>で転移したのだ。
「まさか、天父神がここまで教えてくれるとは思わなかったね」
レイがそう口にする。
「神族って、ほんとよくわからないわ。この学校でなにかするつもりだから、わざわざ教師になったのに、馬鹿正直に遠征試験をするんだもの」
サーシャは呆れたような表情だ。
「でも、これで試験の間中、ノウスガリアをデルゾゲードから離しておけるぞ」
エレオノールが人差し指を立てて言った。
「それに、アノス君のそばにいることになるしね」
彼女の言う通り、奴がなにか企んでいたとしても、アハルトヘルンにいる間は、俺の目の届く範囲だ。
「リシャリス草原に行く?」
ミーシャが訊いた、そのとき――
「――ちきしょうがぁぁっ!!」
ドガンッと机が蹴飛ばされた。
先程、ノウスガリアにやり込められた皇族派の生徒だ。
「なにがっ、なにがぁぁっ、暴虐の魔王の庇護下だよっ!! 別に守ってもらってなんてねえよっ。俺は認めねぇぞっ!! 誰があんな奴認めるってんだよぉっ!! 誰がぁぁっ!!」
暴れる男を、白服の生徒たちが引いたような様子で見ていた。
「可哀相な人……」
ぽつり、と誰かが呟いた。
「あぁぁっ!?」
皇族派の生徒は激昂したかのように声を上げた。
「おいっ! 誰だよ、今のっ? 俺に哀れみをかけてんのかっ? なんの尊さもないお前たちがっ! まだ信じてんのかよっ、あんなデマカセッ! 暴虐の魔王はアヴォス・ディルヘヴィア様だっ!! 戦争のときに、ちゃんと、いたじゃねえかよっ!!」
怒声を撒き散らす男から生徒たちは視線をそらす。
「……行こ」
「……うん」
白服の生徒たちは男を無視するように教室を出て、遠征試験へ向かった。
「……おい……なに見てんだよ、アノス……」
因縁をつけるように、その男は俺に詰め寄ってきた。
サーシャが間に入ろうとするも、「よい」と俺は告げる。
少し不服そうにサーシャは俺の後ろに下がった。
「なあっ? うまく七魔皇老に取り入ったのかもしれねえけど、お前なんかが魔王様気取りかっ? はぁ!? 不適合者の分際でよっ! 聞いて呆れるなっ!!」
「認めるも認めぬも、お前の自由だと言ったはずだ」
「それが気に食わねえって言ってんだよ。見下しやがってっ! お前が暴虐の魔王だって言うなら、殺してみろよっ! なあっ! ぶっ殺してみろって言ってんだっ!! できねえのかっ? あぁっ? あぁんっ!?」
粋がる男を、俺は冷めた目で見つめる。
ぐっとそいつは身構えるように全身を硬直させた。
「貴様に、俺自ら手をかける価値があると思ったか」
呆然と俺を見た後、皇族派の生徒は悔しそうに唇を噛んだ。
「いつまで駄々をこね、俺に甘えているのだ。誰もお前の面倒など見てはくれぬぞ。暴虐の魔王が、お前を特別扱いすることはない。お前を英雄にすることも、惨めに殺すこともない。お前はどこにでもいるただの魔族だ。歯牙にもかからぬほどのな」
絶望的な表情を浮かべる彼は、今にも泣き出しそうでさえあった。
「本当に死にたいのなら、自ら勝手に死ぬがいい。最期ぐらいは己の意志で決断してみせよ。それさえできず、自暴自棄に命を委ねられてはいい迷惑だ」
「……俺は…………」
すべて見透かされ、返す言葉をなくしたか、ただ男は俯くばかりだ。
「まもなく暴虐の魔王のことがディルヘイド中に伝えられる」
その言葉に、男はびくっと震えた。
「甘えるだけの子供を救ってやるほど、俺は優しくはない。せいぜい苦しめ。その苦しみが、かつてのお前がもたらしているものだと気がつくまでな」
項垂れる男を置き去りにし、俺は教室の隅へ向かう。
その最中――
「……ちゃんと……いたじゃねえかよ…………アヴォス・ディルヘヴィアは……ちゃんと……」
現実を受け入れきれぬ呟きが、背中から響いた。
気にせず、俺はファンユニオンの少女たちに視線をやった。
「うーん……どのルートから行くと近いんだろ……?」
「アゼシオンよりは遠くないし、あんまり危険な場所もないから、行くのはたぶん簡単だよね……?」
「でも、遠征試験にするってことは、なにかあるんじゃない?」
少女たちは、地図を広げていた。
リシャリス草原への行き方を調べているようだ。
「地図は不要だ。リシャリス草原までは共に行こう」
そう口にすると、びっくりしたように少女たちが振り返った。
「えっ、ええと……?」
「でも……」
「いいんですかっ!?」
期待と驚きの入り交じった瞳で、彼女たちは俺を見る。
「お前たちの力が必要になるかもしれぬからな」
手を差し出すと、少女たちは、はっとする。
そうして、互いに牽制するような視線を飛ばした。
なぜか一触即発といった空気がたちこめる。
「……いい? 八等分っ、八等分だからねっ?」
「わかってるよっ……!」
「でも、どの部位かぐらいは、選べるよね?」
わけのわからぬことを言う。
少女たちはじりじりとすり足で間合いを計りながら、互いの出方をうかがう。
数秒後、一人が思いきって前へ出た。
「はっ、はいっ! あたし親指っ!」
「じゃ、じゃあ、小指っ!」
「あたしは人差し指!」
「中指がいいっ!」
「薬指ーーーーっ!!!」
「て、手の平いただきますっ!」
「あたしは手の甲っ! こんなところ、あんまり誰も触らないから、絶対貴重だもんっ!」
「みんな、首ったけの、手首を忘れてるよーっ!」
わらわらと八人集まってきて、彼女たちは絶妙な位置取りを行い、見事、俺の片手に全員でつかまった。
「なにをしている?」
こちらの様子を口を開けてぽかんと見ているサーシャたちに声を飛ばした。
「なにをしているって、呆然としているのよ……」
言いながら、サーシャがやってきて、俺の手をとった。
反対の手をミーシャがつなぎ、ゼシア、エレオノール、ミサ、レイと順番に手をつなぐ。
「行くぞ」
<転移>を使い、全員で転移した。
業務命令に苦しむ神と、現実を受け入れられない皇族派の生徒。
悲喜こもごもの授業風景なのでした。