不適合者の烙印
数日後――
俺はフクロウが届けてきた制服に身を包み、デルゾゲード魔王学院へ足を向けた。
今日が初の登校日である。多くの生徒たちが正門をくぐり、ぞくぞくと校内へ向かっている。見れば、彼らが纏っている制服は二種類あった。
俺が着ているのは白い制服だが、それ以外に黒の制服を身につけている者もいるのだ。
ぱっと見では半々といったところか。学年でわけられているわけでもないようだ。
それから、校章に押された烙印も何種類かある。
俺の校章は十字だ。それ以外には三角形、四角形、五芒星、六芒星といったものがある。
しかし、見る限りでは俺以外に十字の烙印を押された者はいない。
しかし、なんだ? 妙に視線を感じるな。
俺に気がついた人間の殆どが、興味深そうにこちらを見ている気がする。
入学試験のときはこんなことはなかったのだが、まあ、深く考えても仕方あるまい。なにかあるのなら、じきにわかることだ。
校内へ入ると、そこに大きな掲示板が出されていた。新入生のクラス分けが載っている。
アノス・ヴォルディゴードの名前は2組の欄にあった。教室は第二教練場である。
勝手知ったる城の中、俺は階段を上がり、教室へ向かった。
扉を開け、第二教練場に入る。机と椅子がずらりと並んでいる。中にいる生徒たちが一斉に俺を見た。
ふむ。やはり、注目を浴びている気がするな。
しかし、まあ、これから同じクラスで共に過ごすのだ。
あまりこういうことは慣れていないが、最初の挨拶が肝心とも聞く。
ここは一つ、気さくな男を印象づけておくとしよう。
満面の笑みを浮かべ、可能な限りの爽やかな声で、俺は言った。
「みんな、おはよう! このクラスは俺が支配してやるからな! 逆らう奴は皆殺しだ!」
ふむ。こんなところか。
心なしか、ドン引きといった空気が伝わってくるような気もするが、声に爽やかさが足りなかったか?
俺としたことが、登校初日で少々緊張してしまったか。
相も変わらず、こそこそとこちらを見ている視線の中に混ざって、物怖じしない堂々とした視線があった。白い制服に身を包んだプラチナブロンドの少女、ミーシャだった。
俺は彼女の席まで歩いていく。
「よう」
挨拶すると、ミーシャは無機質な目を向けた。
「……おはよう……」
「隣いいか?」
「……ん……」
椅子を引き、ミーシャの隣に座る。ついでに聞いてみようと思った。
「今の冗談、どうだった?」
ミーシャは小首をかしげた。
「……冗談?」
「逆らう奴は皆殺しだってやつ」
まさか本気でそんなことを考えるわけがないからな。神話の時代では、これがけっこうウケたのだ。「ご、ご冗談を……」とよく配下の連中が口にしていたものだ。
「……誤解されると思う……」
く。やはり、そうか。これが時代の違いというやつだな。
入学試験のときに、ジョークは自重しようと心に決めたはずが、つい口走ってしまった。
「もう少しクラスに馴染んでからにした方がいいか?」
「……ん……」
しかし、まだ視線を感じるな。
「さっきからずっと見られている気がするんだが、なにか知ってるか?」
「……噂になってる……」
「俺がか? なんて?」
「……怒らない……?」
「こう見えて、怒ったことはない方なんだ」
「……その烙印……」
ミーシャが俺の校章を指す。
「魔力測定と適性検査の結果を表してる」
「ああ、そういうわけか。どういう仕組みなんだ?」
「多角形や、芒星の頂点が増えるほど、優良」
三角形よりも四角形、四角形よりも五芒星の方が魔力測定と適性検査を足した結果が良いってわけか。
「俺の校章は芒星すらなくて、十字だが?」
三角形でも四角形でもない。
「……魔王学院で初めての烙印……」
「どういう意味なんだ?」
「不適合者……」
淡々とした口調でミーシャは言う。
「魔王学院は次代の魔皇を育てる学院。魔王族だけが入学を許可される」
登校日まで暇だったので調べておいたが、魔王と書くのは始祖である俺一人で、それ以外は、魔皇という風に字を区別するらしい。また魔王族というのは始祖の血を引く魔族のことだ。
「これまで魔王族で魔王の適性がないと判断された者はいない。アノスは初めての不適合者」
一旦言葉を切り、改めて彼女は言った。
「だから、噂になった」
ふむ。魔王の適性をどう判断しているのかはわからないが、少なくとも正真正銘の始祖に不適合者の烙印を押すとは、検査方法が間違っているとしか言いようがないな。
学院に入ってやれば、向こうから勝手に俺を見つけるとばかり思っていたが、どうやら考えた以上にこの時代の魔族は退化してしまったようだ。
「魔力測定は俺の魔力が大きすぎて計れなかったからわかるが、適性検査は満点のはずなんだがな」
「……自信がある……?」
「ああ」
なにせ始祖の名前を言えだの、始祖の気持ちを答えよだの、俺についての質問ばかりだ。
万が一にも、間違えるはずがない。
いや、待てよ?
「なあ、ミーシャ。始祖の名前って言えるか?」
ミーシャは無表情のまま、目をぱちぱちと瞬かせた。
「……始祖の名前は、恐れ多くて呼んではならない……」
「俺の名前は?」
「……アノス……」
「フルネームは?」
「アノス・ヴォルディゴード」
なるほど。
「ちょっといいか?」
俺はミーシャの頭に手をやった。
彼女は特に嫌がるわけでもなく、不思議そうに視線を向けてくる。
「どうしたの?」
「始祖の名前を思い浮かべてくれ」
「……ん……」
次の瞬間、ミーシャの思念を読み取る。
名前が浮かび上がった。
――暴虐の魔王アヴォス・ディルヘヴィア――
「……誰だよ、それ……?」
「おかしい?」
「この名前は間違いだ」
ミーシャは首を左右に振った。
「……これが正解。魔王の名前を間違える魔王族はいない……」
「始祖の名前は恐れ多くて口にしたらいけないんだったな?」
ミーシャはうなずく。
「なるほど」
つまり、だ。みんながみんな、恐れ多くて口にしないようにしていたおかげで、二千年たった今、すっかり始祖の名前を忘れ、間違った名前が語り継がれたってわけか。
なんというアホな話だ。
よくよく考えてみれば、リオルグは起源魔法が命懸けだと言っていた。俺を起源にしているのに、俺の名前さえ間違えているのだから、それは命懸けにもなるだろう。
たかだか名前がこの調子では、適性検査の始祖の気持ちを答えよ、というのも正解自体が間違っていたとしか思えない。
俺が寝ぼけて<獄炎殲滅砲>をぶっ放したことも、魔族は誰一人死んでいなかったことも、恐らく伝わっていないに違いない。
「魔王の適性があるかどうかは、どうやって判断してるんだ?」
「暴虐の魔王の思考や感情に近い魔族ほど適性が高い」
なるほど。
「ちなみに暴虐の魔王は、どんな奴だと思われてるんだ?」
「冷酷さと博愛を併せ持つ、完璧なる存在。常に魔族のことだけを考え、己の身を省みず戦った。欲はなく、崇高な心を持ち、その暴虐な振る舞いも、余人には計り知れない尊き心からくるものだった」
誰だ、その完璧超人は。
そんな奴がいるわけがないだろうが、馬鹿め。
伝説や伝承として盛るのは一向に構わないが、それを本当だと思い込んでどうするのだ?
この体たらくでは、不適合者の烙印を押されるのも無理のない話だな。
なにせ俺は、魔王の名前すら知らない、と判断されたのだからな。
「ところで、烙印の意味はわかったが制服が二種類あるのはどうしてだ?」
この教室にも黒と白の制服を着た生徒は半々だ。
「黒服は特待生。純血の魔王族」
「というと、リオルグのようにか?」
ミーシャはうなずく。
「特待生は入学試験を免除される」
「じゃ、あいつが試験を受けてたのはなんでだ?」
「受けたい人は受けてもいい」
なるほど。大方、自分の力を誇示したい人間が入学試験に出るのだろう。
どうりで雑魚ばかりしかいなかったわけだ。本当の強者であれば、わざわざ力を誇示するまでもないからな。
と、そのとき、遠くで鐘が鳴った。
「皆さん、席についてください」
顔を上げる。教室に入ってきたのは黒い法衣を纏った女性だった。
彼女は黒板に魔法で文字を書く。
――エミリア・ルードウェル――
「2組の担任を務めます、エミリアです。1年間よろしくお願いします」
ふむ。教員というだけあって、魔力はまあまあだな。
少なくとも、リオルグなどではまるで歯が立たないだろう。
「早速ではありますが、まず初めに班分けをします。班リーダーになりたい人は立候補してください。ただし、これから教える魔法を使えることが条件になります」
いきなり授業が始まったのか、エミリアは黒板に魔法陣を描いていく。
あれは<魔王軍>の魔法か。
「初めて見たと思いますが、これは<魔王軍>という魔法です。簡単に言えば、術者を王として、配下の軍勢に特別な力を与えるものです。実践は授業で行います。今日は魔法陣を描き、魔法行使ができるかどうかのみ判定します。魔法行使ができた人には班リーダーの資格があります」
<魔王軍>の魔法特性から言えば、ここで班リーダーになった者とそうでない者とで、魔皇を目指す資格があるかどうかが振り分けられるのだろう。
「それでは、立候補したい方は手を挙げてください」
迷いなく俺は手を挙げた。
俺が魔王だとわからない無能どもばかりだが、まあ、責めはしない。なにせ、俺の子孫たちなのだからな。責任の半分は俺にあるようなものだ。
たとえすぐにはわからずとも、要は実力で証明すればいいだけの話だ。
しかし、案の定というべきか、クラスメイトたちの反応は芳しくない。
ぎょっとしたようにこっちを見ているのだ。
やれやれ。いくら不適合者だからといって、立候補したぐらいでこの反応か。
「白服は立候補できない」
ミーシャが小声で教えてくれた。
確かに手を挙げているのは、俺以外はみんな黒服だな。
つまり、純血でなければならないというわけか。馬鹿馬鹿しい話だ。
「アノス君でしたか。残念ですが、あなたには資格がありません」
「なぜだ?」
「あなたが混血だからです」
「混血だからといって、純血に劣る理由にはならないな」
そう言うと、エミリアはムッとしたように言った。
「それは皇族批判ですか?」
やれやれ。どいつもこいつも、馬鹿の一つ覚えだな。
「くだらんことを言ってないで、純血が混血に勝ることを証明してみるんだな。できなければ、立候補させてもらうぞ」
ふう、とエミリアはため息をつく。
「それはまったく逆です。証明は我らが魔王の始祖が行いました。もしも、混血が優れているというのでしたら、あなたが皇族に勝ることを証明することですね」
「ふむ。ではそれができれば、立候補しても構わないということだな?」
「できれば、の話です」
ふっと俺は笑う。
「その言葉、<契約>させてもらったぞ」
「え、そんな……いつの間に……魔法行使を……?」
口約束を<契約>の魔法で行うのは神話の時代じゃ常識だったのだが、これに気がつかないとは教師失格だな。
ともかく、俺は立ち上がり、黒板まで歩いていく。
「この<魔王軍>を開発したのは皇族か?」
「ええ」
「術式の欠陥を見つけた」
「まさか。ありえませんね。<魔王軍>の魔法術式は二千年もの間、この形で伝えられています。誰も欠陥など見つけたことがありません」
「ちょうど二千年前に見つけたんでな。転生している間は修正できなかった」
俺は黒板に描かれた魔法陣の三箇所を書き換えた。
「これが完璧な形だ。教員だと言うのなら見ればわかるだろう?」
エミリアは信じられないといった表情で魔法陣を見つめている。
「そんな……たった三箇所書き換えただけで、これは、魔力効率が一割も良くなって……魔法効果が一.五倍……? こんなことって……」
教室中からどよめきが漏れる。
「……あいつ……何者なんだよ……?」
「初めて見た魔法陣の欠陥を指摘して、書き換えるなんて……そんな話、聞いたこともないよ……大体、学生は魔法研究の基礎にだって触れてないのに……」
「しかも、魔力効率が一割増しで、魔法効果が一.五倍って……」
「世紀の大発見だろ、これ……」
ふむ。これぐらいのことに驚いているとは、なんとも低レベルな話だ。
しかも……
「惜しいな」
エミリアが俺を振り向く。
「魔法効果は二倍だ。この魔力門が、三つの魔法文字と干渉を起こし、根源へ二度働きかける韻を踏む」
「あ……」
ようやく気がついたか、エミリアは恥ずかしそうに身を小さくした。
「なんなら、俺が代わりに教師をやってもいいぞ」
「……り……」
「ん?」
「立候補を許可します……席に戻ってください」
エミリアは小さな声でそう言うのがやっとの様子だった。