緋碑王の碑石
エレオノールの描いた地、水、火、風の魔法陣は、四方にある壁を覆いつくし、部屋を包み込む結界と化す。
<四属結界封>の内側では、魔族はその力を封じられ、弱体化する。しかしザブロは動じなかった。
「無駄じゃ、無駄じゃ。ほれ」
ザブロの足元に魔法陣が浮かぶ。
それは彼を覆うような、黒い光を立ち上らせ、円形の結界を作り出した。
「<暗黒領域>」
ザブロの生み出したその闇の領域は、<四属結界封>の効果を相殺し、更に彼の魔力を底上げしている。
「人間が開発した魔法などたかがしれておるわい。こんなものは、聖水がなければ役には立たん」
そう言い捨て、ザブロが両手を前に突き出す。
その先に多重魔法陣が浮かび上がる。その数、凡そ四〇。
魔法陣を重ねれば、魔法効果が上がるとはいえ、一瞬にしてそれだけの数の多重魔法陣を展開するとは、さすがは二千年前の魔族、さすが、緋碑王の副官といったところか。やはり、並の術者ではない。
「ほれ」
ザブロが両手を頭上に掲げると、多重魔法陣がみるみる広がり、そして上方へ昇っていく。それが天井に達しても、なおも止まらず、魔法陣はガラガラと天井を破壊しながら、遙か上空へ到達した。
「食らうがいいわい」
上空の魔法陣からぬっと姿を現したのは、緋色の碑石である。ざっと数えただけでも、数百はくだらない。
それが雨あられのように、ミッドヘイズ城へ降り注いだ。
ドッ、ガガガガガガガガガッとけたたましい音が鳴り響く。
外壁が、窓が、天井が、床が、城にあった物という物が、みるみる内に落下してきた碑石に破壊されていく。
ものの数秒間の出来事だった。
城は見るも無惨に半壊していた。
「こんなことしたら、みんな死んじゃうぞ」
<四属結界封>を七つ重ねがけし、エレオノールは降り注ぐ碑石から、ゼシアやレドリアーノたちを守っていた。
「ひっひ。馬鹿な小娘よのぉ。このわしが、殺すなどという魔力効率の悪いことをすると思うてか?」
ザブロは広げた両手を地に下ろす。
「碑石というのはのぉ、魔力を貯蔵し、魔法を封じ込めておくことのできる魔法具じゃ。たった今、この城に降り注いだのは、緋碑王様の魔力が込められた緋色の碑石。そこに刻まれた魔法文字をよう見てみるがいいわい」
エレオノールが床に突き刺さった碑石を横目で見る。
魔法陣と同様の魔法術式が刻まれた碑石には、<腐死鬼兵隊>という魔法文字が浮かんでいた。
「魔族の末裔よ。生きたまま腐り、緋碑王様の忠実な僕と化すのじゃ」
碑石がぽおっと紫の色の光を発し、魔法線を伸ばす。それらは城に降り注いだ碑石同士を結びつけ、巨大な魔法陣を描き出した。
のそ、のそ、となにか引きずるような足音が聞こえる。
辺りには腐臭が漂い、呻くような声がそこかしこから響いた。
「ほれ、来たようじゃぞ」
ドガァンッとドアをぶち破って現れたのは先程ここへエレオノールを案内した執事だ。
その肌は腐り、目は赤く染まって、頭には不気味な二本の角が生えている。
なにより、先程の彼とは思えぬほど強い魔力を発していた。
「……ぐぅぅぅ……」
執事の口から呻き声が漏れる。エレオノールに敵意を向けてくる彼は、明らかに正気をなくしている様子だ。
ガシャンッとガラスが割れる音が響いた。
エレオノールが振り向くと、窓ガラスを割って入ってきたのは、この城の兵士たちだ。
数は五人か六人。
やはり、執事同様に肌が腐り、赤い目と二本の角を持っていた。
「……腐死者に似てるけど、違う……?」
エレオノールが自問するように呟く。
「ひっひ、初めて見るじゃろう。それは、腐死鬼兵じゃ。アノスめの作りおったぬるい<腐死>を改良してのぉ。更に強く、なによりも命令に忠実な兵士を生み出す魔法を作ったのじゃ。おかげで、根源まで腐り果ててしまうがのぉ」
腐死鬼兵と成り果てた兵士たちに、エレオノールは哀れみの目を向けた。
「……こんな魔法、ひどいぞ……」
「なんのなんの、<根源母胎>の魔法に比べれば、まだまだ根源への研究が足りんわい。いったい、どんな術式を組めば根源クローンなどを作れるのか。それがわかれば、我らはますます魔法の深淵へ迫ることができる」
まるで魔法研究の成果を語るようにザブロは言う。
「魔法の研究なんて、誰かを犠牲にしてまでやることじゃないぞっ」
「馬鹿な小娘じゃのぉ。わしはなにも犠牲にはしておらん。そやつらの根源はちゃんと残っておる。むしろ、魔力が増えたのだから、感謝してもらってもいいぐらいじゃ」
「……君は、間違ってるぞ」
「間違っておる? このわしがか? ひっひ。やはり、頭の悪い小娘には、魔法研究のことなどわからんようじゃのぉ」
ザブロはエレオノールを指さす。
「やれ」
のっそりと腐死鬼兵たちが足を踏み出す。
「……ぐうぅぅぅ……」
と、不気味な呻き声を漏らしながら、魔剣を手に襲いかかってきた。
「……喧嘩は……だめです……」
ゼシアが光の聖剣エンハーレを振り下ろす。
その瞬間、エンハーレが光を放ち、聖剣の数が六本に増えた。
エンハーレは光の聖剣。その特性は、オリジナルの一本を光源として、それが光を放つように、聖剣を複製すること。一万人のゼシアがすべて同じ聖剣を持てたのは、この特性によるものだ。
宙に浮かんだ五本の聖剣はゼシアの意志に従うように、腐死鬼兵たちの持っていた魔剣に斬りかかり、弾き飛ばす。
「……うがぁぁぁぁっ……!!」
だが、怯みもせず、素手のまま腐死鬼兵たちが襲いかかってきた。
「ゼシア、広いところまで逃げるぞっ」
エレオノールは走り出す。
その途中、<四属結界封>をレドリアーノ、ハイネ、ラオスに重ねがけした。
「ごめんね、みんな。絶対、助けるから、がんばって!」
「ひっひ。無駄じゃよ。そやつらが腐死鬼兵になるのは時間の問題じゃ。緋碑王様の<腐死鬼兵隊>から逃れられはせん」
部屋を飛び出し、エレオノールとゼシアは通路を走る。
曲がり角を曲がった、その瞬間だ。
「「「……ぐぅぅぅ……!!」」」
「「「「……がぁぁぁ……!!」」」
目の前に数十人もの腐死鬼兵がいた。所狭しと通路に立ち塞がり、蟻の子一匹通る隙間はない。
「押し通るぞっ! 死なない程度にやっつけてっ!」
「……串刺し、です……」
<四属結界封>を盾にしながら、エレオノールとゼシアは腐死鬼兵の集団に突っ込んだ。
ゼシアがエンハーレを構えると、無数の光の聖剣が彼女の前に現れる。エンハーレを突き出されると同時に、宙に浮かんだ無数の剣が突き出され、腐死鬼兵の胸を串刺しにした。
集団が怯んだ隙に、<四属結界封>の盾で弾き飛ばしながら、エレオノールとゼシアは腐死鬼兵の壁を突破した。
「あっちだぞ」
迫りくる腐死鬼兵を避けながら、エレオノールはミッドヘイズ城の中心を目指した。
「……きっと、どこかにあるはず……」
視線を目まぐるしく移動させながら、広大な庭をくぐり抜けていくと、そこに彼女の目当てのものが見えてきた。
「……見つけた……」
一際大きな、緋色の碑石である。見上げるほどにでかく、貯蔵された魔力もまた莫大だ。その碑石が<腐死鬼兵隊>の魔法術式を生み出している核だろう。
「これを壊せば、これ以上腐死鬼兵は生まれないはず……」
エレオノールは<四属結界封>の魔法で、巨大な碑石を覆い、その魔力を減衰させた。
「……壊し、ます……」
ゼシアはエンハーレに魔力を注ぐ。
剣身が輝き、光が膨れあがるように、長大な聖剣と化した。
「……えいっ……!!」
バギィィィンッとけたたましい音が鳴り響く。
聖剣と碑石がしのぎを削り、弾けた魔力の粒子が周囲のものというものを吹き飛ばしていく。
だが、碑石はまったくの無傷だった。
「ひっひ、無駄じゃ無駄じゃ。緋碑王様が二千年もの間、魔力を注ぎ込んだ碑石じゃ。頭の悪い小娘二人に壊せるような代物じゃないわい」
空からザブロが降りてくる。
「ほれ。もう逃げ回るのも仕舞いじゃ」
呻き声とともに、腐死鬼兵の集団が姿を現す。
その数、五〇〇はくだらないだろう。
エレオノールたちは完全に取り囲まれていた。
その中にいた一人に、彼女は目を向けた。
「……ぐぅぅ……」
レドリアーノだ。
完全に正気を失い、腐死鬼兵と化している。
「……レドリアーノ君……」
彼だけではなかった。
集団の中から、ラオスとハイネが姿を現す。
同じく腐死鬼兵と化し、エレオノールに敵意を向けている。
「……ラオス君……ハイネ君……」
「残念じゃったのぉ。まあ、気にすることはないわい。すぐにバラして悲しみなど感じない体にしてやるからの」
ザブロが両手を掲げる。
「まずは、その邪魔な魔力を封じさせてもらうとするかのぉ」
付近にあった碑石に黒い光が灯る。それらが魔法線を発すると、城中の碑石とつながり、魔法陣を描いた。
まだ日があるにもかかわらず、城の敷地内が薄暗闇に包まれる。
発動した魔法は、<吸魔暗黒領域>。
ゼシアの手にしたエンハーレの光が弱まり、碑石を覆った<四属結界封>が消えた。
「……魔力が、とられます……」
「ひっひ、どうじゃ、<吸魔暗黒領域>は? 闇の領域内にいる敵の魔力を吸収する効果があるのじゃ。お主の魔力が空になるまで、そうじゃのぉ、まあ、一分といったところか」
「……い……」
エレオノールが呟く。
「ん? なんじゃ? 聞こえんかったのぉ。もう喋る力もなくしたか?」
エレオノールが顔を上げ、キッとザブロを睨んだ。
「君は謝っても、絶対に許してあげないって言ったぞっ!」
エレオノールとゼシアの体に<聖域>の光が纏う。
「ひっひ。お主は魔法のことをなんにもわかっておらんのぉ。よく深淵を覗いてみるがいい。<吸魔暗黒領域>の外には魔法の力は及ばん。いくら<聖域>の魔法を使おうと、肝心の想いを集めてこられなくてはどうしようもないからのぉ。大方、一万人のゼシアから力を借りようとしたんじゃろうが、残念じゃったの」
「想いなら、ここにあるぞ」
エレオノールの周囲に魔法文字が現れる。
それらは宙に浮遊したまま、彼女の周囲を漂った。
魔法文字から聖水が溢れ出し、球状と化して、彼女を覆っていく。
「<根源母胎>」
「なぁっ、うげぇっ…………!?」
ザブロが驚愕の表情を浮かべた。
「……なん……じゃと……? <根源母胎>の魔法が、自ら魔法行使を……? ありえん……いったい、どういう術式構造で……?」
だが、ザブロの疑問はすぐに消え、更なる驚愕が彼を襲った。
<聖域>の光が数十倍に膨れあがったのだ。
「……あ……<聖域>の魔法が……!? どういうことじゃ……!? お主、いったいどこから魔力を集めてきておるっ……!?」
「想いは根源に宿るんだぞ。ボクは<根源母胎>。根源を生み出す魔法」
「謀るなっ! 根源など、どこにも生み出されておらんじゃろうてっ! ここには、貴様らと、腐死鬼兵とわししかおらんっ!」
「根源を生み出したら、大変だぞ。だから、ボクが生み出したのは根源の中の想いだけ」
ザブロは一瞬絶句した。
「……そんな……馬鹿なっ……<根源母胎>の魔法で、想いだけを……生み出したじゃと……!? そんなことができるわけが……!?」
エレオノールが手をかざす。魔法陣が浮かび、それが砲門の如く変化した。
<聖域>の光が集う。
「おしおきだぞ」
光の砲弾、<聖域熾光砲>が発射される。流星の如く、目映い光の尾を引きながら、それは巨大な碑石を撃ち抜いた。
バシュンッと魔力が弾け飛ぶような音が響き、やがて光が収まっていく。
巨大な碑石は跡形もなく、粉々に砕け散っていた。
<吸魔暗黒領域>の効果が消え、暗闇がすうっと晴れていった。
「……ぐ……ば、馬鹿な……このわしの反魔法が……たった一撃の魔法で……こんなことが……あるわけが……」
<聖域熾光砲>の余波に巻き込まれ、ザブロは地面に這いつくばっていた。反魔法に魔力を使い果たし、もう起き上がることもできない様子である。
「結界が、消えました」
ゼシアの言葉にエレオノールがうなずく。
「それじゃ、みんなを治すぞ」
<聖域>の光が地面を伝い、城中に広がっていく。
それらは敷地内に巨大な魔法陣を描き出した。
「<聖域蘇生>」
柔らかく、温かい光が、城中を照らす。
すると、次第に腐死鬼兵たちの角が消え、腐った皮膚が元に戻り、根源を癒していく。
やがて元の姿を取り戻した彼らは皆、気を失ったかのようにその場に倒れた。
「……馬鹿な……馬鹿な馬鹿な……こんなことがっ? なぜじゃ……? 緋碑王様の碑石で作られた腐死鬼兵が……なぜ、人型魔法なんぞに…………?」
「君はもっと魔法の基礎から勉強した方がいいぞ」
「……なん……じゃとぉぉっ!? わしが魔法の基礎のなにをわかっていないと言うんじゃっ!?」
「術者によって、魔法の効果は同じなのかな?」
ザブロは眉根を寄せ、吐き捨てるように言った。
「そんなものは術者の魔力に依存するに決まっておる。だからこそ、お主如きが、なぜ緋碑王様の碑石を壊せたのかが――」
そこまで口にして、彼ははっと気がついたように息を飲んだ。
「んー、緋碑王様の碑石はすごいのかもしれないけど」
のほほんと微笑みながら、エレオノールは人差し指を立てた。
「ボクは魔王様の魔法だぞ」
一人<聖域>という暴挙……。