呪いの盾
廃れた屋敷にて、二人の男が対峙していた。
レイ・グランズドリィとゲラド・アズレマである。
逡巡もなくレイはゲラドへ向かって、まっすぐ一歩を刻む。
次の瞬間、ゲラドは彼の姿を見失った。
「後ろだよ」
「残念ながら、見えております」
くるりと回転し、ゲラドは振り下ろされた一意剣に盾を向ける。
だがその瞬間、彼は背中を斬り裂かれていた。
「ぐっ……!」
「後ろだって言ったはずだよ」
ゲラドが反応した一瞬の隙をつき、レイは再び彼の背後に回り込み、背中を斬りつけていたのだ。
並の者であれば、その一撃で絶命しているだろうが、さすがは二千年前の魔族。体が頑丈だ。
「……さすが、混沌の世代と呼ばれるだけのことはありますか。この時代の魔族にしては、なかなかやりますね。しかし――」
ゲラドの盾が暗い青の光を発する。
すると、攻撃を受けていないはずのレイの背中が斬り裂かれ、鮮血が散った。
先程ゲラドを斬り裂いたのと同じ箇所だが、傷はレイの方が明らかに深かった。
「レイさんっ!」
「大丈夫だよ」
そう言って、レイは彼の盾に目を向けた。
「呪いの類のようだね、それは」
ゲラドはうなずいた。
「魔盾ゲニアズ。主を傷つけた者を呪い、倍の痛みを返す魔法具でございます。この盾が私の手にある限り、あなたは私よりも多くの傷を負うことになるでしょう」
「へえ」
真正面からレイが踏み込み、シグシェスタを振り下ろす。
「ふっ……!」
ゲラドは身を引き、魔盾ゲニアズで一意剣を阻む。
しかし、その刃は途中でくるりと変化した。
「先にそれをもらうよ」
ゲラドの右腕が手首から切断され、ボトリと落ちる。一緒に落ちたゲニアズが床を転がった。
「はぁっ!」
返す刀で、レイがゲラドの首筋へシグシェスタを走らせる。
鮮血が散った――
だが、ゲラドの首は、落ちていない。
代わりに地面に落ちたのは、レイの右手と一意剣だった。
「この盾が私の手にある限り、と申しましたがあれは嘘です。剣の腕はなかなかのようですが、あなたは少々正直すぎるきらいがございますね。この盾が壊れない限り、たとえ手を放しても呪いは解けません」
「そう。あいにく、駆け引きは苦手な性分なんだよね」
涼しげに微笑み、レイは<総魔完全治癒>を自らの手首に使った。しかし、傷は一向に癒える気配はない。
「無駄でございます。ゲニアズの呪いの前には、回復魔法は効果がありません」
「それは残念」
レイは左手で一意剣を拾う。
「そういう君こそ、どうしてその手と背中を治さないんだい?」
「さて、どうしてでしょうね?」
「ゲニアズの呪いは、相手に自らの傷を増幅して返す。その呪いのせいで、君も自分の傷を癒せないんじゃないかな?」
「さあて、あるいは、そういうフリをしているだけかもしれません。もしかしたら、私だけ回復魔法が使える可能性もございます」
そうだとすれば、自分が圧倒的に有利だと言いたげだ。
「試される勇気はおありですか?」
「勿論、そうしてみるよ」
迷いなくレイはゲラドに肉薄し、その左足を斬り裂いた。
魔盾ゲニアズの纏った光が増し、呪いが発動する。レイの太ももがゲラドよりも深く斬り裂かれていた。
それでも構わず、レイは一意剣を振るった。
「ふっ!!」
渾身の力で肩口に刃を振り下ろすと、その刃を魔盾ゲニアズが受けとめた。
ギシィィッと奇妙な音が鳴る。
「ようやく捕まえました」
ゲラドがそう口にした瞬間、レイの肩口が呪いにより斬り裂かれた。
「……くっ……!」
たたらを踏み、レイが膝をつく。
「盾で防いだ場合に呪いが発動しないとは申しておりません」
ゲラドは慇懃な態度を崩さずに言う。
「これで、おわかりになったでしょう。魔法の苦手なあなたには、どう考えても、勝ち目はございません」
「……不思議に思うんだけどね……」
ゆっくりとレイが立ち上がる。
「君は僕のことを知っているのかな?」
「ええ、よく存じておりますよ。練魔の剣聖、レイ・グランズドリィ。魔法こそ不得手なものの、その剣の腕前と、戦闘中にさえ成長するほどの才能は、二千年前の魔族にさえ劣るものではございません。しかし」
ゲラドは魔法陣を描き、そこから魔剣を取り出した。
魔盾ゲニアズと同じ青い宝石がついている。恐らくは呪いの魔剣だろう。
「あなたがどれだけ成長しようと、私に与えた傷はすべてあなたに返る。残念ながら、私ども詛王軍と戦うにはまだまだ経験不足だったようでございます」
ゲラドが一足飛びに間合いに入り、呪いの魔剣を渾身の力で振り下ろす。
まっすぐ脳天を狙ったそれを、レイがシグシェスタで受けとめると、呪いの魔剣の刃先がいとも容易く欠けた。
あまりに脆い。レイが不可解に思ったか視線を険しくする。
直後、彼の胸に突き刺されたような傷口が浮かんだ。
呪いが発動したのだ。
「……ぐっ……」
「さあ、どう躱します?」
一瞬怯んだレイに、ゲラドは呪いの魔剣を横薙ぎに振るう。
それをシグシェスタで受けとめられると、ゲラドは勝利を確信したかのように、笑った。
「甘いよ」
「……なっ……」
呪いの魔剣の衝撃を完全に受け流し、刃を欠けさせることなく、レイはそれを弾き返した。
「……ふっ……!」
レイのシグシェスタが閃光のように走る。
首をはねるが如き勢いで向けられた刃を、ゲラドは寸前のところでしゃがんで躱す。
「一撃で仕留めれば、呪いが効かないとお思いでしょうか?」
「試してみる価値はあるよね」
立ち上がろうとしたゲラドに足払いをしかけ、転倒させる。ダメージがなければ、レイにもまたダメージは返らない。しかし、体勢は崩した。
彼を置き去りにするようにレイは走った。
目的はゲラドではなく、彼が落とした盾だ。
「くっ……!!」
ゲラドが追いすがるも、レイには到底追いつかない。
魔盾ゲニアズはもう彼の間合いの内だ。
「……はっ……!!」
渾身の力で、シグシェスタが突き出される。
その切っ先は確かに魔盾ゲニアズを貫通していた。
「残念だったね」
レイが口にすると、ゲラドは慇懃に笑った。
「ええ、残念ながら、あなたの負けでございます」
ゲニアズの宝石が一つ、砕け散った。
レイががくんと膝をつき、前のめりに倒れる。
「最初に申し上げたはずでございます。あなたは正直すぎるきらいがあると。ゲニアズを壊さない限り、呪いが解けないと申しましたが、それは罠です」
「……レイさんっ!」
ミサが彼の名を呼ぶ。
ゲラドは地面に転がっていた魔盾ゲニアズを拾った。
「無駄ですよ。ゲニアズに魔宝石が砕け散るほどのダメージを与えれば、その呪いで相手の根源は滅びます。体は無事ですが、その根源はすでに消え去りました。彼はもう二度と立ち上がることはございません」
ミサを振り向き、ゆっくりとゲラドは近づいていく。
「――つまり」
声が聞こえた。
ゲラドがもう二度と聞くことはないと思っていた声が。
「残り3個壊せば、その盾の効果はなくなるんだね」
「……なっ……!?」
ゲラドが振り向いた瞬間、三度、閃光が煌めく。
魔盾ゲニアズの魔宝石が刹那の間に三つとも砕け散った。
呪いが発動し、がくん、とレイは膝をつく。
ゲニアズの魔力が失われ、ぼんやりと纏っていた光が消えた。
「……傷が、治って……?」
驚愕の表情でゲラドはレイを見つめる。
呪いを受けたはずの彼の右手や背中の傷が治っているのだ。
「知らなかったかな? 大抵の呪いは相手の根源を対象とする。根源が滅びた瞬間に、その呪いは効果を失うんだよ」
何事もなかったかのようにレイは立ち上がる。
その手には、一意剣の代わりに、神々しく光り輝く聖剣が握られていた。
「根源を二つ以上持っている敵を相手にするときは気をつけた方がいい」
ゲラドが息を飲む。
「……ま……さか…………………………!?」
目の前の男に畏怖するように、ゲラドは後ずさった。
レイが根源の隠蔽をやめたため、彼の魔眼にもはっきりとその数が見えたことだろう。
「……七つの、根源…………霊神人剣、エヴァンスマナ……」
「詛王に最後に会ったのは二千年前だからね。彼は僕の計画が完全に成功したと思っているのかな?」
レイがエヴァンスマナを静かに構える。
先のディルヘイドとアゼシオンの戦争は、詛王もある程度は知っているはずだ。しかし、あまり近づきすぎれば勘づかれる恐れがあったため、その顛末を完全に把握してはいないのだろう。
「……勇者……カノン、生きて――」
言葉が発せられるより早く、レイはエヴァンスマナをゲラドの心臓に突き刺していた。
「ぐふっ……」
「正直すぎるきらいがあるなんて言われるのはこそばゆいよね。たぶん、君よりもずっと、僕は嘘をついて生きてきたから」
彼があとほんの少しでも力を込めれば、ゲラドの根源は滅びるだろう。
「もう一度訊くよ」
ゲラドは死を覚悟したような表情で、レイを見た。
「あの半分の魔剣はどこで手に入れた?」
ぐっと歯を食いしばり、ゲラドは言った。
「……お答えできかねます……」
瞬間、彼は自らの胸に魔剣を突き刺していた。
すぐさま、レイは霊神人剣を引き抜き、<蘇生>を使う。
だが、蘇生しなかった。
ミサが恐る恐るといったように倒れたゲラドに近づいていく。
起き上がる気配はまるでない。彼女はぽつりと呟いた。
「……根源が、滅びたんでしょうか……?」
レイは首を左右に振った。
「転生したみたいだよ」
嘘つき合戦はレイに軍配があがったようですねー。