対峙
大きな屋敷だった。
今は使われていないのか、人気はなく、庭の草木は伸び放題だ。
鉄柵は錆びており、外壁の一部は剥がれ落ちている。窓ガラスが割れている箇所もあった。
レイたちは埃っぽい屋敷の中を歩いていた。
大広間に出たところで、前を行くゲラドが足を止めた。
そこには台座があり、半分だけの魔剣が刺さっていた。
「おわかりになりますか?」
ミサがその魔剣を見つめる。
「……父がくれた魔剣ですか……?」
ゲラドがうなずく。
「初めに、私が父君の使いであることを証明しておこうと思いまして」
彼はレイに視線をやった。
「警戒されているようですし」
「どうやらその心配もなくなったようだけどね」
涼しげにレイは微笑んだ。
ゲラドは半分の魔剣を手にし、それを抜く。
「念のため、直接確かめておくといいでしょう」
剣を携え、ゲラドはミサのもとへ歩いてくる。
そして、ゆっくりとその半分の魔剣を彼女へ差し出す。
「ありがとうござ――」
ミサが魔剣を受け取ろうとした瞬間だ。
ゲラドは流れるような所作で、その半分の魔剣の切っ先を彼女に向け、そして突きだしていた。
「申し訳ございません。あなたを殺せと命を受けております」
「へえ」
動じた風もなく、レイが声を発する。
つい数瞬前までなにも持っていなかったはずの彼の手に、いつのまにか一意剣シグシェスタが握られていた。
「……これは……?」
違和感を覚えたような素振りを見せ、ゲラドは半分の魔剣を引いた。
ミサに突き刺したかのように見えた剣先が、綺麗に消えてなくなっていた。
文字通り、目にも映らぬ速度で、レイが切り刻み、消し去ったのだ。
「レイさん……」
不安そうにミサが言う。
「大丈夫だよ。下がっていて」
「……はい……」
レイがミサを庇うように前に出る。
「一つ、訊いてもいいかな?」
ゲラドは悪びれることなく、堂々と言葉を返した。
「なんでしょうか?」
「君の主君が本当に彼女の父親なら、どうして彼女を殺そうとするのかな?」
ゲラドは魔法陣を描き、そこから小さな盾を取りだした。
盾の四隅には青い宝石が埋め込まれている。
「残念ですが、あれは口実です。我が主、詛王カイヒラム・ジステの目的は一つ。大精霊レノの血を引くミサ・イリオローグの根源を奪うことです」
ミサが驚いたように目を丸くする。
「……大精霊……レノ……?」
「ええ。あなたは、あらゆる精霊の母である大精霊レノの実子。普通の精霊とは違い、彼女が直接その身に宿した子でございます。その根源は、すべての精霊を従える力を宿しております」
驚きのあまり、ミサはすぐに言葉を返せなかった。
「それが事実だとして」
冷静にレイは言った。
「それなら、なぜそのカイヒラム・ジステという魔族は、彼女の父親が贈った魔剣の片割れを持っているのかな?」
「偽物ですよ」
「嘘をつく理由はなんだい?」
ゲラドは言葉を返さない。
続けてレイは言った。
「魔眼はあまり良い方じゃないけど、剣のことだけはよくわかるんだ。その魔剣は間違いなく、ユニオン塔にあった魔剣の半身だよ」
レイは一意剣をまっすぐ構える。
「本当のことを話してもらうよ」
***
ミッドヘイズを治める魔皇エリオの城、ミッドヘイズ城にエレオノールは訪れていた。
彼女の横をとことことゼシアが歩いている。
「勇者学院の方々は、こちらでお待ちいただいています」
執事の一人が、城の離れにある宿舎の中を案内していく。
ジェルガが遺した魔法具を見つけたということで、レドリアーノたちは先の戦争の戦後処理に積極的に関わった魔皇エリオを頼ってきたのだろう。
「こちらの部屋です」
豪奢な扉の前で執事は立ち止まる。
彼は扉をノックした。
「レドリアーノ様。エレオノール様をお連れしました」
声をかけるが、返事はない。
執事は訝しげに、もう一度扉をノックする。
「レドリアーノ様、失礼してもよろしいでしょうか?」
やはり、返事はない。
執事がドアノブに手をかける。
「待ってっ」
エレオノールが慌てたように言った。
「……中に、知らない人がいるぞ……」
「……知らない人、でございますか?」
「うん。下がってて。もしかしたら、危険かもしれないぞ」
エレオノールがノブに手をかけ、ドアを開く。
中にいたのは、三人の男。
レドリアーノ、ラオス、ハイネである。
彼らは皆、床に倒れ込んでいた。全身が青く染まっている。
「みんなっ!!」
「ひっひっ。ようやく来たようじゃの」
部屋の隅から不気味な声が響く。
エレオノールが振り向くと、そこにいたのは小柄な少年だ。
「……誰?」
「わしの名は、ザブロ・ゲーズ。緋碑王ギリシリス・デッロの副官じゃ。といっても、知らんかの」
幼い顔とは裏腹に、その口調にも、視線にも、老獪さが滲み出ている。
「みんなになにをしたの?」
「なに、少々毒を食ろうてもらってな。よく効いとるわい」
エレオノールは身構える。
ゼシアが光の聖剣エンハーレを抜いた。
「君は、二千年前の魔族?」
「そうじゃ」
「なにが目的でこんなことするの? せっかくアゼシオンとディルヘイドが手を取り合えるようになったのに。平和を台無しにしようとするなら、許さないぞっ」
「ひっひ、平和じゃとっ!」
ザブロが不快な笑みを浮かべる。
「そんなものは興味がないのぉ。緋碑王様の目的はただ魔法の研究じゃ。それを見るといい」
ザブロが指さした場所に、碑石があった。
人間二人分ぐらいのサイズで、一目で魔法具とわかるほどの魔力を秘めている。
「そやつらはジェルガの遺産などと言っておったが、なんのことはない。わしが<魔族断罪>と<聖域>の魔法を研究して作ったものじゃ」
その碑石の下に魔法陣が浮かび上がる。
「ほれ」
ザブロが魔力をこめた瞬間、声が聞こえた。
殺せ――
かつての<聖域>に似た不快な声だ。
エレオノールを殺せ――
青く染まった体のまま、のっそりとレドリアーノ、ラオス、ハイネが身を起こす。彼らはエレオノールに憎悪の視線を向けた。
「どうじゃ? <聖域>と<魔族断罪>によう似ておるじゃろう。なかなかの傑作じゃて」
「ボクはその魔法は嫌いだぞ」
エレオノールが四つの魔法陣を描くと、それが魔法の碑石を覆う。<四属結界封>が魔法具の力を封じこめ、レドリアーノたちは再びその場に倒れた。
それを見て、ザブロはおよそ少年らしからぬ、狂気に満ちた笑みを浮かべる。
「さすがは<根源母胎>の魔法じゃ。興味深いのぉ。お主、自分がなんのために生まれたか知っておるか?」
エレオノールがザブロを睨む。
「……魔族と戦うための兵士を生むためって言いたいの……?」
「いいや、違うのぉ。それはジェルガが考えたことじゃ。だが、<根源母胎>には神の手が入っておる。人間の力では根源を魔法化などできんから当然じゃの。そして、神々の目的は、優れた器を作ることじゃった」
「……どういうこと……?」
「わからぬか? 鈍い奴よのぉ。根源クローンとて、何万、何十万と作れば、そのうちに突然変異を起こす。より強い魔力を持った個体、より強靱な根源を持った個体が生まれてもおかしくないのじゃ」
エレオノールは警戒するように、魔眼を働かせた。
「それこそが神の狙いじゃ。神の力を宿せるほど、強靱な根源が生まれるのを、一五〇〇年以上もの間、神々は待っていたのじゃよ」
「待ってた?」
「左様。ほれ、よく考えてみるといい。他の個体とは明らかに違う根源が生まれたじゃろう」
はっと気がつき、エレオノールはゼシアを守るように前に出た。
「神が作った魔法術式とその器。興味深いのぉ。バラバラに解剖して、よーく中身を見させてもらわんとのぉ」
「……よくわかったぞ」
エレオノールは手をかざし、魔法陣を描く。
「君は許しちゃいけない人だ」
***
<飛行>の魔法で、ミーシャとサーシャは遠ざかる魔族を追いかけていた。
至近距離に転移しようとすると、<転移>を反魔法で邪魔されてしまうため、一定以上離れた場所へ転移した後に追跡しているのだ。
二人は次第に逃げる魔族に追いついていく。
「見られてる」
ミーシャが言った。
「<遠隔透視>」
さすがはミーシャといったところか。
自分たちが監視されていることに気がついたようだ。
「……いいわ。どこの誰だか知らないけど、見たい奴には見せつけてやるわよ。それより、もうすぐよ」
「ん」
彼女たちの視界に、その魔族の姿が映った。
混沌の世代の一人、剛剣リンカ・セオウルネス。
黒髪をポニーテールにしたその少女は、メノウの体を軽々と片手で持ち、空を飛んでいる。
徐々に彼女との距離が詰まっていくと、リンカは地上へと急降下した。
着地したのは、森の中だ。
それを追い、サーシャとミーシャも地上へ降りる。
「鬼ごっこはもうおしまい? それとも、もう逃げられないと悟ったのかしら?」
そう挑発するサーシャに、リンカは鋭い視線を向けた。
「メノウ先生をどうするつもり?」
「ああ。これはお前たちを誘き寄せるための道具だ。もう用はない」
リンカはメノウをその場に放り捨てた。気を失っているのだろう。彼女が目覚める気配はない。
「どういうことかしら?」
「わたしは冥王イージェス・コードが配下、レドアネ・イオン。今生の名をリンカ・セオウルネスという。我が君の命に従い、神の意にて生み出されしそなたらを抹殺する」
リンカは魔法陣を描く。
その中心に手を入れ、大剣を引き抜いた。
奇妙な剣だ。剣身は後ろがはっきりと見えるほど、透き通っている。
「ねえ。訊いてもいいかしら?」
「なんだ?」
「神の意にてって、どういう意味かしら? わたしもミーシャも七魔皇老アイヴィス・ネクロンの直系よ」
透明の大剣を地面に突き刺し、リンカは言った。
「アイヴィス・ネクロンは魔王アノスが蘇るまで、勇者カノンの根源の一つと融合していた」
「知ってるわ」
「ならば、なぜあの甘い男が、お前たちのような悲劇の子を生み出した?」
サーシャは言葉に詰まる。
代わりに、ミーシャが言った。
「<分離融合転生>は、本来根源を二つに分けるだけで、人格はどちらか片方にしかない予定だった」
ディルヘイドとアゼシオンの戦争の後、レイに直接尋ねたのだろう。
「自然魔法陣の不備で、偶然、分かれたもう一つの根源に人格が宿った」
新しい魔法を開発する場合、当然のことながら、初めは構築した魔法術式通りの結果が生じないケースがある。自らの理論を信じて、実験するしかないのだが、<分離融合転生>の場合には、かなり予想外の結果が出てしまったということだ。
「それが、わたし」
「半分は合っているが、半分は間違っている」
リンカは事実を突きつけるように言った。
「自然魔法陣の不備は、神族の介入によるものだ。奴らが月の光を変化させ、魔法発動の瞬間に、魔法陣を書き換えた。それによって誕生したのがお前だ」
ミーシャは無表情を崩さず、じっとリンカを見つめている。
「神の干渉は魔族の世には不要だ。目覚める前に始末させてもらう」
「そ。ふーん」
サーシャが微笑する。
「教えてくれてありがとう。でも、それ間違ってるわよ」
こくり、とミーシャがうなずく。
サーシャの瞳に魔法陣が浮かび、破滅の魔眼と化した。
「わたしたちに命をくれたのは神様なんかじゃなかったわ」
神の子の可能性がある魔族(人間)が、三人見つかりましたねぇ。