熾死王の参謀
ノウスガリアの魔力を追ったところ、奴はデルゾゲードにいる。
教員室だ。他の教師たちの魔力もあり、特に怪しい点は見られない。
魔力の動向に気を配りながらも、俺はユニオン塔へ向かった。
その途中、外で発声練習をしているファンユニオンの少女たちを見かける。
ちょうど発声が終わったようで、彼女らは円になり、話し始めた。
「新曲についてなんだけど、なにか思いついた人いる?」
「……うーん……」
「……難しいよね……」
珍しく彼女らの口は重い。
「ただの新曲だったらいいんだけど、次のは魔王再臨の式典で使うかもって、アノス様がおっしゃってたよね?」
魔王再臨の式典は、暴虐の魔王が転生したことを、ひいては俺が暴虐の魔王であるということを、ディルヘイド全土に周知するためのものだ。今更、暴虐の魔王としての立場が必要なわけではないが、皇族派と統一派、皇族と混血の垣根をなくすために、その肩書きには最後の一仕事をしてもらわねばならぬ。
堅苦しいことこの上ないが、民にものを伝えるには、相応に格式張ることも必要だ。言葉は変わらずとも、これまで祭り上げられてきた暴虐の魔王として登場した方が、受け入れやすいだろう。
その式典で魔族には血統による隔てなどないことを伝える。混血だろうと、半霊半魔だろうと、皇族だろうと、このディルヘイドで生活し、法を守る限り、皆平等だ。
すぐにすべてがうまく回り始めるとも限らぬだろうが、それを境にディルヘイドは本来の姿へ戻っていき、そしてより豊かに、本当の意味での平和を取り戻す。否、そうなるように努力をするのだ。
正直、神だの、秩序だのを相手にするより、よほど骨が折れそうな仕事だがな。ただ滅ぼせば、それで済む話ではないのだ。
「式典の歌……なんてそんな立派な歌が、あたしたちに歌えるのかな……?」
「アノス様に恥をかかせちゃったらどうしよう……?」
「だよね……ディルヘイドの人たちが、みんな聴くことになるんだし……」
「……でも、がんばらなきゃっ。アノス様の晴れ舞台なのに、あたしたちが足を引っぱるわけにはいかないよっ……!」
「……だけど、あたしたちなんかより、ちゃんとした合唱団とか、吟遊詩人がやった方がいいんじゃ……」
「……大事な式典でしょ。これが成功したら、ディルヘイドがもっとよくなって、あたしたちみたいな混血が、家族と離ればなれになることもなくなる……」
「うん……」
「それに、なによりもアノス様のためだもん。できないことをできないって言うのも大事だよ」
ふむ。どうやら、行き詰まっているようだな。
「式典の歌をお前たち以外に歌わせるつもりはないぞ」
声をかけると、少女たちは驚いたようにこちらを振り向いた。
「あっ、アノス様っ」
「え、えとっ……」
すぐに少女たちは跪こうとする。
「そのままでよい」
「はっ、はい!」
彼女たちはぴっと気をつけの姿勢になった。
「難航しているようだな」
「……はい。アノス様の式典で歌う歌なんて、あたしたちには荷が重いって思ってしまって……」
エレンはそう不安を吐露する。
「なにを言う」
ファンユニオンの少女、一人一人に視線を合わせてから、俺は言った。
「魔王再臨の式典は、皇族と混血が互いに手を取り合う、新しいディルヘイドの始まりを意味する。その場で必要なのは、古くさい伝統や、格式張った歌ではない」
問いかけるような少女たちの視線に対して、俺ははっきりと答えた。
「このディルヘイドの凝り固まった血統至上主義をぶち壊すような新しい風だ」
一言一句を胸に留めるように、真剣な表情で少女たちは聞いている。
「そんな歌はお前たちにしか歌えぬ。つまらぬ風習、くだらぬ慣習、病巣のようにこの国に巣くった固定観念を、その歌で笑い飛ばしてやれ」
言葉はなく、しかし、少女たちは確かにうなずく。
「ディルヘイドの民のことなど考えなくともよい。その歌は俺に捧げよ。俺が聴きたいのだ。平和の式典で、呆れるぐらいに平和なお前たちの調べをな」
心に刻みつけるかのようにして、少女たちは声を揃える。
「「「はい、アノス様」」」
「周囲の雑音など恐れるな。お前たちは俺が認めた歌姫だ。その調べは、天にも届き、神々さえ撃ち落とすだろう」
言葉にすれば、自然と笑みがこぼれる。
気がつけば、少女たちの瞳からは、完全に迷いが消え失せていた。
彼女たちは強い。
魔力に乏しく、人並みの悩みも抱える。
そんな普通の弱さを持つ彼女たちだからこそ、その歌はなにより心に響くだろう。
「邪魔をしたな」
俺はその場を後にする。
背中から元気を取り戻した少女たちの声が響いた。
「よーしぃっ! それじゃ、今日もはりきって練習始めるよぉっ。アノス様応援歌合唱曲五番、いってみよぉーっ!」
青空の下、少女たちの清らかで楽しげな歌が、どこまでも遠く響き渡る。
それを聞きながら、俺はユニオン塔のドアを開けた。
中には誰もいない。
階段を上り、メルヘイスが待つ最上階へ上っていく。
ふむ。妙だな。
魔力が二つある。
一つはメルヘイスのものだが、普段よりもかなり弱い。
もう一つの魔力の波長には覚えがない。
だが、かなりの強さだ。
「お気づきになられたか、魔王アノス」
聞き覚えのない声が響く。
最上階まで上り終えると、そこに一人の男がいた。
褐色の肌と金の瞳。
オールバックにまとめた髪を、後ろで結んでいる。
なんとも精悍な顔つきをした男だ。
「だが、遅かったようだ」
彼の目の前にはメルヘイスがいる。
途端、その体は無数の風の刃に切り刻まれ、霧散した。
「ふむ。<風滅斬烈尽>か」
俺は指先を切って、血の雫を飛ばし、メルヘイスに<蘇生>をかける。
すると、男も同じく指先を切って、血を垂らし、メルヘイスに<反蘇生>を使った。蘇生を妨げる魔法だ。その効果が働く限り、魔力差があっても、<蘇生>は効かない。
「ほう」
<時間操作>を使い、メルヘイスの時間を死後1秒の時点で止めた。
「選べ。名乗って死ぬか、無言で死ぬかだ」
男は堂々と言った。
「熾死王エールドメードが配下。熾死王軍参謀ジーク・オズマ」
なるほど。
「あいつが、神族に体を奪われているのを知ってのことか?」
「無論、それは我が主の意志だ」
ふむ。やはりそうか。
「我が主はあなたを倒すために、あえて体を神に委ねたのだ」
「二千年経ったが、相も変わらず子供のようだな、熾死王は。お前も子守は大変だろう。俺に仕えたらどうだ?」
ジークは生真面目な顔で俺を見返す。
「偉大なる暴虐の魔王からの申し出、もしも我が主君よりも先に賜っていたなら、謹んでお受けしただろう」
奴は腰に提げた鞘から魔剣を抜いた。
「だが、二君に仕えるなど恥知らずな真似はできん。我が主君は生涯に一人のみだ」
奴は魔剣を、俺が展開する<時間操作>の魔法陣に突き刺す。
魔法術式が破壊され、メルヘイスの時間が動き出した。
以前にレイが持っていた魔剣イニーティオと同じく、術式破壊の特性を持った魔剣か。
魔眼を凝らせば、その剣が自ら俺に銘を伝える。
反魔剣ガブレイド。イニーティオよりも、遙かに強力な魔力を秘めている。
「それで、メルヘイスを殺せたつもりか?」
再びメルヘイスに<時間操作>をかける。
魔剣ガブレイドによって術式が破壊されるが、それよりも早く、絶え間なく<時間操作>を行使し続けることにより、メルヘイスの時間を死後3秒で止めた。
「いいのか? メルヘイスに構っていれば、お前は死ぬぞ」
「いかにも。だが、魔王アノス。あなたが俺を殺そうとするなら、その瞬間、ごく僅かに<時間操作>の魔法行使が疎かになる。この命と引き換えに、あなたの配下の時間を0.1秒進めることが可能だ」
ふむ。ハッタリではあるまい。
二千年前の魔族だ。魔力にも秀でている。奴の命と、この俺から0.1秒の時間を奪うこと、残念ながら釣り合いがとれている。
なかなかどうして、強者ではないか。
「死後3秒を過ぎれば、蘇生できない可能性が生じる」
「0.1秒程度では万に一つの可能性もない。1億回繰り返せば、1回ぐらいは蘇生に失敗するかもしれぬが」
「だが、その僅かな可能性すら、あなたは妥協しないはずだ」
ほう。
さすがは参謀というだけのことはある。
俺のことを十分に下調べしていたか。
確かに1億回に1回が、今ここで来ないとも限らない。
自らの命と引き換えに、俺の配下を滅ぼす1億分の1の可能性を手に入れる。
頭の回る奴だ。それがもっとも勝算の高い方法だというのをよく理解している。
驕りはないというわけか。
こういう奴が、一番油断できぬ。
「面白い。それでどうするつもりだ? まさか敵地で睨めっこを続ければ、お前が有利だという結論ではあるまい」
「力では到底あなたには敵わない。ゆえに知恵比べを挑みたい」
ジークは<遠隔透視>の魔法を使う。
そこに映ったのは、レイとミサ、エレオノールとゼシア、そしてミーシャとサーシャだった。
その知謀でもってアノスを追い詰めようとする熾死王の参謀。まさか自らの命と引き換えに、あの魔王から一億分の一の確率でメルヘイスを完全に殺す可能性を手に入れるとは……。油断ならぬ相手のようですねぇ……。