第一話
ここは周りに何もない荒野。時刻は日付変更五分前。
そこには一人の少年と、一人の少女がいる。正確にはもう一組、少年の後方に一人の(眠っている)少女を背負い、この二人から離れようと走っている少女もいる。
彼女が二人から離れてようとしている理由は明確。この荒野がが戦場になることを理解しているからだ。そして、今抱えている少女を戦場から話すことが、少年の望みだと、強く理解しているからだ。
そして一人の少年は、黒いフードと黒い装束を身に纏った一人の少女と対峙する。
少年の身長は百六十七センチ、平均よりもやや筋肉質の体躯を持ち、黒いパーカーにオレンジのシャツ、ジーンズを身に纏い、ツンツンした黒髪を持ち、冴えない顔立ちをした少年だ。
少年の名前は新央透助。
彼が何者なのか、先に明かしてしまうと、俗にいう新央透助は魔法使いだ。
しかし彼は絵本に出てくるようなお姫様をサポートしてくれる「なんでもあり」な老魔術師ではない。後衛で味方の回復を行い、攻撃魔法を繰り出す頼れるお助け魔女っ子でもない。古文書に出てくるような天地を揺るがし、世界を崩壊させる悪の大魔道士でもない。
どこまでいっても新央透助という少年は、この魔法が当たり前に氾濫する世界において、頼りがいのない魔法を振りかざすだけの、ただの最弱レベルの魔法使いでしかなかった。
これはそんな頼りない魔法使いが目の前の困難に、不屈の闘志と優しさと勇気で立ち向かっていく物語。
透助は地を蹴って走り、目の前の黒い少女に突き進む。
少女は両手を開き、地に向けてかざす。
すると、そこかしこにある、野球ボールほどの岩が、ふわりと浮かぶ。
その岩の一つが右からカーブして少年へ、一つが左からカーブして少年へ、一つが右上から山なりに少年へ、一つが大きく弧を描き背後に飛んだと思ったらそのまま少年の背へ、一つが一つが一つが!
やがて岩の群れは少年を八方から囲い、透助に襲い掛かる!
だが、新央透助の表情に真剣さや集中力は見えても、焦りは見られない。戦場でパニックに陥らないことが極めて重要な意味を持つことよく分かっているのだろう。岩は無数に飛んでくるが、
いくつかヒットにダメージを負うが、目や頭部や股間等、致命傷を受けるであろう部位に飛んできた岩だけは三の腕や手でガードして突き進んでいく。
まるで相手の動きを先読みしてるかの如く、多少の岩のダメージは受けつつも。致命傷だけは撃ち落とす。
(・・・?)
少女は目の前の現象を訝しむ。答えを出す前に少年の口が動く。
「お前がここまでやる理由は何だ。お前のやってる行為は明らかに異常だ!」
少年の問いに、少女は一秒ほどの間を置いた。ほんの一秒。
その一秒に、自分の抱えるものに真正面から向き合おうとする少年に。少女は何を思ったのだろうか。
彼女は返す。
「誰かが誰かを傷つけようとする芽、それを摘んでいるだけだ」
目の前の小さな黒い少女、デルビレッソ・デリーザが行った所業。
それは少年を襲っていた通り魔に対して、魔法を放ち、再起不能にした後に、その通り魔の家族まで襲い、再起不能にしたことだ。
目の前の通り魔を倒すだけでは、止まらなかった。
否、止まれなかったのか。
その人間の周囲の関係者まで、牙は剥かれた。
文字通り、再起不能になるまで。
つまり、彼女の中には、見ず知らずの人を守りたい、という想いがあった。
だが少年は少女の断腸の叫びを聞いても、一秒も躊躇わなかった。躊躇わずに、返答した。
「その想いが『暴走』しちまってることにも、気付けないほど追い詰められたのかテメェは!?」
確かに一理あるかもしれない。人を傷つける人間、それに近しい人間も同じ人格をしているのかもしれない。悪意に満ちた人間の隣にいたらその人間も邪悪になるのかもれしない。であればその可能性がある人間をとっちめるのは、即ち正義とも呼べるかもしれない。
だが。
「人間の本性は悪意の伝播だけじゃない」
透助は言葉を止めない。簡単に紡がれる。
「善意だって伝播するはずだ。人を思いやれるヤツの隣には優しいヤツがいるように、不幸を悲しめる人間の横に人の幸せを祈れるヤツがいるように。本当に悪意の伝播を危惧するんだったら、その通り魔一人を全力で改心させてやるだけでよかったんだ。相手の気持ちを感じ取って、自分の気持ちを伝えれば良かったんだ。お前の歪みを指摘してやる。お前は全部自分でやろうとして、人を信頼することを忘れちまってんだよ!」
「っ」
デリーザの顔が歪む。彼の言葉には、ほんの少しだけ、彼女に刺さる何かがあったのだろうか。
だが攻撃は止まない。戦闘中なのだ。正真正銘デリーザはこちらを殺そうとしているのだ。頭に血が上っていて当然。彼女が少年の意見を咀嚼し、どう受け止めるかは、この戦闘が終わらないことにはわからない。
故に彼の言葉を少女の心に届けるには、頼りない少年は絶大な魔法を使役する少女を倒さなくてはならない。
岩は止まらず新央透助に四方八方から襲い掛かる。
この岩をぶつけることで、これまでに多くの悪党を倒してきた。勝利してきた。
それはこれからも変わらないはずだ。
目の前の少年が少々筋肉質な体をしていたとしても、この岩の連投を避けることも耐え切ることも不可能のはずだ。
でも。だったら。
どうして少年は止まらない。どうしてこうも致命傷だけはことごとく防がれる!?
「こん・・・のっ!」
痺れを切らしたデリーザは次は自身の二倍の体積はある岩を浮かせ、ぶつけようとする。
それもフェイント付きだ。真正面からぶつけるとみせかけて、一瞬ストップさせて、それを躱そうと左右どちらからに飛んだところに、予測外の行動に少年の体が硬直したところに、巨石をぶつける算段である。
巨石が少年を襲う。そしてストップ! これで少年は右か左に躱し、岩の停止に驚き、体が固まる筈だ。
だが。
少年は巨石がストップしても、表情に焦り一つ見せず、そして巨石から目を離さず、尚且つデリーザに直進してくる。
デリーザが焦って少年に岩をぶつけようとしても、バックステップで躱される。
完全に読まれている。
少女はようやく問い質す。
「・・・・・・お前・・・何の魔法を使ってやがる!」
新央透助が行使している魔法。
それは『未来選択』。
透助の目に映る範囲のの二秒後を読み取ることができる魔法。
くどいようだが、その能力は決して洋モノの映画に出てくるような、頼りがいのある魔法ではない。
あくまで透助の視界の範囲の対象物を読み取る能力故、死角からの攻撃には対応できないし、一分後や一時間後などの未来を見通して、何らかの準備をすることもできない。少年の身体能力は平均的だし、他のどれを取っても、どこにでもいる平凡な十五歳なのだ。大したとりえのない平均的な少年。二秒先が分かったからと言って、準備をするような余裕はない。
だが、新央透助の本質は、どんな能力が彼の体の内側にあるのか、ではない。
どれだけショボい魔法しかなくとも、どんな危機に晒されても、諦めずに立ち向かい、そのショボい力を活躍させ、ズタボロになってでも、たとえその魔法がなくなっても、その危機を必ず切り抜けられる不屈の闘志と不断の勇気、それこそが、彼の持つ力なのだ。
相手の持つ岩は目の前からしか飛んでこない。
であれば、致命傷になりえない部位を狙う岩はごり押しで突き進む。二、三の岩が少年に当たる。痛む。出血する。
だが彼の心は折れない。怯まない。止まらない。
致命傷の可能性のある岩だけを両手で撃ち落とす!
「どうなってるんだ!? お前おかしいぞ!? いったい何をやって・・・!」
透助は返す。
「大したことはやってねえよ」
本当に、小さく。
「ただ、ちょっと動きを予測してるだけだ! 相手が何思ってんのか気持ちを傾けることなんざ、誰でもやってることだろうが!」
ドゴン!! と轟音が炸裂した。
岩のように握りしめられた新央透助の右手が、少女の左頬を捉えた音だった。
少女が胸に抱えていた数年もの憎悪は、出会った目の前のショボい男によって打ち砕かれた。
少女は強さが欲しかった。
目の前の人間が傷つくのが耐えられなかった。
最初は弟。次は親友。最後に故郷。
人生が進むたびに、大切な何かが壊されていった。
強さが欲しかった。大切な何かが守れるような力が。
その思いは、自分の大切な何かを壊そうとする相手まで、壊してしまうほど、暴走した。
目の前の人間の気持ちを汲み取るという、誰もが普通にやってることを、やらなくなってしまった。
優しい少女は、誰かに優しくなれなかった。
ただ、それだけのお話だった。
そして少女は目を覚ます。
左を向くと、そこには自分を殴り倒した少年が、緑髪ロングの女の子と二人で談笑している。
その横顔。強い少女と弱い少年が対等に、楽しそうに、会話をする様。
その姿だけで、弱い人間が私を倒せただけで、幼少の頃、叶わないと諦めてしまった夢が、目の前に再び現れた気がした。かつて諦めた夢を見た気がした。
私は弱かった。この少年も弱いはずだ。
だが、この少年のは「強い」と実感することができた。
こんなにも「強い」のに、こんなにも優しくあれる少年。
自分は少年と出会って、違う価値観に目覚めた。
彼の言葉を思い出す。一人を改心させればよかったんだ、と。
私の改心はどれだけの影響を与えるだろう。そして、私が一人を改心させれば、それはどれだけの人を改心させられるだろう。
その感情の波は、どれだけ多くの人を影響させるのだろう。
そこに、かつて諦めた夢を見た気がした。