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魔物の旅路  作者: 椚屋
魔物と少年
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少年と羊

 少年は先の曲がった杖を羊の首にかけると、まずは軽く腕の力だけで引っ張った。

「もう、そっちはダメだよ、離れないでー」

 頼み込むように言っても、まだ若い羊は気の向くままに体重の軽い少年などまるでいないかのように引き摺っていこうとする。

 羊飼いの見習いとして、村の男手の1人として手伝いを出来るようになっても、経験はまだまだ少ない。群れから離れようとする羊を連れ戻そうにも、力の入れ具合を掴み損ねてつい手加減をしてしまい、今のように羊に引き摺られてしまう。

「おーい、セッド! ちゃんと教えてやらんとそいつがまた迷子になっちまうぞー!」

 遠くから聞こえる父親の声に、今度は脇を締めて足を踏ん張り、前に教えてもらったように腰に力を入れて杖と自分が動かないようにした。

 若い羊は杖を首にかけられたまま動こうとするが、セッドと呼ばれた少年が動かないので諦めたのか、近くに見える仲間の所へと歩き出した。

 セッドは羊の首にかけていた杖を外すと、腰にぶら下げていた水筒から一口水を含んで、口の中で転がしてから飲み込んだ。

 この若い羊は、初めて出産に最初から最後まで立ち会い手伝った羊で、村で飼っている羊たちの群れに馴染むよう、全ての世話を任された最初の羊でもあった。以前はすぐに珍しい物があると走って行ってしまっていたが、最近はやっと言う事を聞いてくれるようになった。

 セッドの村は共同で羊を飼い、森に入ってはその恵みを戴き、羊からとれる物と一緒に街に売りに出て暮らしていた。村の男は羊飼いや狩人として働けて一人前。これはセッドの祖父の祖父、そのまた祖父の前から続く暮らしだった。

 髪も髭も真っ白になり、揺り椅子から立ち上がる事も少なくなった祖父が、生きていた頃に何度も聞かせてくれた話だ。

 歯が生えそろう歳になり、母親の手伝いから父親の手伝いに回され、次に羊の毛を刈る季節になったら、また街に連れて行ってもらえる約束だった。実の兄のように育った隣家の少年は、もう1人で街に行く事も許されているし、大人達の狩りの旅にも同行している。それに比べればまだまだ自分が手伝いでしかないのを、セッドはよく分かっていた。

 はやく自分も、大人になりたい。

 1人で街にも出たいし、狩りにも同行したい。パンを焼くのは村の中でもかなり上手くなったと思うが、村の男達に求められているものではない。

 自分の体が恨めしく思う。

 歳からすれば体も小さく手足も細い。一つ年下の少女と力比べをしても負けそうになるくらいの力しかない。父親は村でも一番の腕っ節で、先の戦で兵士として戦場へ行った時も無事に戻って来られたのに、セッドはこれまで誰と喧嘩をして一度も勝った事がない。

 争い事は嫌いだが周りと比べてしまうと気が滅入る。

「強くなりたいなあ……」

 小さな呟きに、傍らの羊がセッドの顔を見上げた。

「ああ、独り言独り言。ほら、みんなと一緒にご飯食べといで」

 軽く羊の頭を撫でると、促されるままにその羊は群れに戻って牧草を食べ始めた。




 日が暮れ、村の羊が小屋の中に戻り、雲間から覗く月明かりが草原を照らす頃、“魔物”は地面に這いつくばるようにして村に近づいていった。

 村の近くには身を隠せるような木々も少なく、昼間は羊たちが放し飼いにされていて、とてもではないが近寄る事が出来ない。闇に紛れ気配を消して、ようやっと村に近づける。それでも羊小屋に近づき過ぎれば、“魔物”の匂いや気配に羊たちが騒ぎ始めるだろう。

 崖からずっと魔物の匂いを追ってきたが、匂いの強さからするとこの匂いの元は昼間、草原や村の中をうろついている。あまつさえ羊たちの匂いに紛れるくらいに近寄ってすらいる。

 動物は魔物の気配や匂いに敏感だ。特に犬ともなれば、《魔物狩人》が魔物を追い立てる時に使う程だが、家畜であってもここまで近寄っていれば大騒ぎになるだろう。

 耳を澄ませば“魔物”の気配を感じたのか家の中から犬の唸り声が小さく聞こえるが、まだ家人は騒いではいないようだ。

 牧羊犬の匂いを出来るだけ避けて匂いの元を辿ると、一件の家で匂いは途切れている。

 運良くこの家は犬を飼ってはいないようだ。足音を忍ばせて窓に近寄って耳を澄ませると、蝙蝠のように尖った“魔物”の耳には、家族の団らんが聞こえてきた。

 今日何があったのかを話す子供。相づちをうつ母親。手放しにではないが、子供を褒める父親。

 “魔物”からすれば、ずっと眺めていたくなるくらいに、普通の人間の暮らしが壁の向こうにはあった。

 ふと目を落とせば、指の先には灰色熊を思わせる爪を持ち、小さな鱗に覆われた両の手があった。生き物を傷つける為の手だ。半端に人に似ているが人とは全く違う。人の中に混ざりたくても、自分の体がそれを許さないのは分かっている。

 だからこそ、漂ってくる夕食の匂いに混ざる、かすかな魔物の匂いが気に掛かる。

 この家の中に魔物がいる――それは疑うまでもなかった。


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