少年の想い
少年は木漏れ日に目を細めながら空を見上げた。
鳥の声も羽音も聞こえないが、ひゅうひゅうと鳴る自分の吐息が、頭の中に響くごうごうと言う川の流れにも似た音と混ざって、どこか遠くに聞こえる。
体が痺れたように動かない。少しだけ動く瞳で、さっきまで自分がいた崖の上を見上げる。大人達に危険だから近づくなと言われていた崖の上は、少年が知っている限りで一番景色の良い場所だった。
遠くに見える山々の緑。その中で一番高い山の頂に、緑の濃い季節になっても今だ残る白い雪。少年はそれらを見ながら、母親が焼いてくれたパンを食べるのが好きだった。
上から見たときは背筋の冷える高さだったが、落ちる時は一瞬にしか思えなかった。
鼻の奥に詰まるねっとりとした感触に、酷く鼻血が出ているのが自分でも分かるが、痺れきった両の手はぴくりとも動かない。
もう半袖でも過ごせる季節なのに痺れた体が震えているのに気がついた。
祭りの前の日に親にとがめられるまで夜更かしをした時のように、目の前も頭の中も、まるで朝靄がかかっていくように揺らいでいく。
激しかった震えが収まっていく中、少年はやっと、自分が死にかけている事に思い当たった。
あの崖は危ないと何度も言われていたのは、こうなるからだったのかと、少年は手遅れになってやっと納得した。
父親も母親も、こうなる事を避ける為に繰り返していた。
「し、に……たく、ないよお……」
会いたい、また怒られてもいいから、父親と母親に会いたい――もう二度と崖に近寄ったりしないから、怒られる事はもうしないから、今度こそ心の底から誓うから――もう一度、会いたい。
誕生日祝いに貰ったナイフの重さ。新しい年を迎える時に家族みんなで食べた、丸ごと一羽を暖炉で焼いた鳥の味。初めて母親と一人で焼いて、真っ黒になったパンの固さ。屋根の上で父親に肩車してもらって見渡した村の景色。戦が始まる少し前に、初めて連れて行ってもらった市場で買って貰った、掌より大きな飴の味。怖い夢を見た時に眠るまでずっと手を包んでいてくれた温もり。
色々な思い出が甦っては止まる事なく消えていく。
濃い靄がかかったように、もう殆ど見えなくなっている視界が涙で更に歪む。自分の手足の感触も、さっきまで聞こえていた音ももう聞こえない。自分の頬を伝う涙の感触さえ分からない。ただ自分が泣いている事だけが分かった。
だから少年は、倒れた自分を覗き込んでいるものがいるのに気がつかなかった。