魔物と少女
「やっぱり、ここにいてくれたんだ」
女の声に“魔物”は薄目を開けた。じわじわとはっきりしていく視界には、一面の草花で覆われている。
「ずっと、ここにいたんだね……」
漆喰を塗られたように固い首を動かして見上げた。
苔むした墓石の隣に立っていた女は、白っぽい麻の服を着て、頭には草の茎で編まれたつばの大きい帽子をかぶっている。その顔を見て、“魔物”は息を飲んだ。
リート。
心を飛ばすことも忘れた“魔物”の前で、女は帽子を取って胸の前に持った。帽子を飾った青いリボンと大きな漆黒の羽根飾り。
その羽根は――心を飛ばすより先んじて女はうなずく。
「あれから季節が九つも巡ったのよ。今になっても村に帰ってきてる人はいないみたいだけど、私は帰ってきたわ。絶対に待っててくれる人がいるんだもの」
少女は遠くを見やって続ける。
「……本当はもっと早く帰ってきたかったのに、父さんと母さんが許してくれなくて。だから、十八の誕生日まで待ったの。お姉ちゃんが街に行くのを許してもらった年までね。今では私も、お姉ちゃんがやりたかったのと同じ事をしてるのよ」
“魔物”はそれを訊いて微笑みたかったが、耳まで裂けた口ではそれもできない。せめて心を飛ばして彼女を祝福した。
「ありがとう。――あの時の約束、守ってくれて嬉しかった。おかげで誰も怪我一つ無く街まで行けたわ。みんな、あの時のことを感謝していたの。私がみんなを代表して、お礼を言わせてもらうわ。……本当にありがとうございました」
深々と頭を下げられると気恥ずかしい。
だがそれを訊けただけで十分だった。
そして“魔物”は生え揃った四つの翼を大きく広げ、身体中の骨を軋ませながら立ち上がる。
「行ってしまうのね?」
悲しげな声にうなずく。自分のような人でないものが近くにいたら、ここに来る人間も居ないだろう。
そもそもこの森には長く居すぎた。
「いつか私、あなたの出てくる物語を書くつもりなの。どこかで耳にしたら、ちゃんと全部訊いてね。私の書く、最高の物語にするつもりなんだから」
“魔物”は最後に、泣き笑いを浮かべる彼女に心を飛ばして別れを告げる。そして振り返ることなく、長く住んだ森から飛び去っていった。
新しいねぐらは風の向くままに、辿り着いた場所で決めるとしよう。