過ぎ去る季節
“魔物”が老婆と出会ってから七日が過ぎる頃には、作られた墓の数は五百を超えていた。始めは十分かと思われた街外れの広場は、墓地とするには手狭なくらいになっていた。
「街が襲われた後に帝国の兵士が入れたら良かったんだけれどねぇ。魔物の死体から出る毒で、とてもじゃないけれど人が入れる有様じゃなかったらしいからね……」
崩れた石壁に腰を下ろした老婆は溜息をついた。
“魔物”に物怖じしない老婆であっても、墓の数が増えるにつれて気が滅入っていくのが分かった。
老婆が言うには、この街から生きて逃げられた者は千に満たないらしい。この街の大きさからすれば半分にも届かないであろう。
老婆のように街から離れていた者や生き延びた者達は、街の復興を訴えていたが近づく事も許されず、復興は叶う事がなかったと老婆は少し悔しげに呟く。
「この街の事を占うのまで禁じるなんて、皇帝陛下はよっぽどこの街に手を出したくなかったんだろうね。交易路ではあったけれど、もっと栄えた街やらがあるんだから、そっちに注力するのは仕方ないんだろうけど……街の人達がすんなり他の街へ住めるように手は打ってくれたんだから、恨み言を言うのもお門違いなのは分かっちゃいるけど、そう割り切れないのよねぇ」
合間合間に老婆の話を聞きながら、“魔物”は一人、また一人と街に残されていた遺骨を墓へと納めていった。
その晩、老婆は食事を終えると思いだしたように口を開いた。
「明日でいいんだけど、一つ頼まれちゃくれないかい? 大した事じゃないんだけど、あたしじゃどうにもならなそうでね」
“魔物”はその場で頷き、心を飛ばした。
「ほんとに大した事じゃあないんだけど、あんたにも見せたい物があるのさ」
翌朝、“魔物”は老婆を抱えると、腐り落ちた橋を飛び越えて領主の館へと踏み入った。昨夜の頼み事は老婆を領主の館へと連れて行く事だった。
近くの川から引いてある濠の水は枯れておらず緩やかに流れ、これを橋も船も無しに老婆が渡るのは難しいであろう。
“魔物”は老婆を降ろすと、この街に来た時に辺りを見回すのに使った見張り塔を見上げてから視線を巡らす。街中の家々に比べれば造りが良いのかまだ元の形を留めているが、魔物達は防ぎきれなかったのか濠の縁に立つ石壁も、館の一部も大きく壊れていた。
見知った場所故か、老婆は迷いなく朽ちて倒れた扉を超えて中へと入っていく。続けて館の中へと入った“魔物”は、大広間の中央で立ち止まっている老婆の横に並んで、ぐるりと辺りを見回した。
「やっぱり、絵はもう駄目になっちまってるね。あたしが子供の頃に描かれたものだから仕方ない……当時一番の画家が来て描いたんだけど、ほったらかしにされたままじゃ誰の描いた絵だってこうなっちまうねぇ」
大広間に飾ってある絵はどれも年の流れには逆らえず、人の手が入らないまま朽ちるに任せていた。人物画も風景画もそこかしこで絵の具が剥がれ、埃がつき黴まで生えてしまって、かつて老婆が見たであろう絵とは変わり果てた物になっている。
「いつも旅してる画家の先生でねぇ。ふらっとこの街に来て、何枚も何枚も絵を描いてまた旅立ってったのをよぉく覚えてるよ。あたしが子供の頃の街の姿やら、祭りの絵やら色んな絵を描いてったよ」
埃の積もった大広間をゆっくりと巡りながら、飾られた絵を目を細めて眺めながら言葉を継ぐ。
「この街の領主様は変わりものでね、絵を買う金貨があるなら街に使うって人だったから、その画家の先生が来て絵を押しつけるまではこの館には絵なんて全然無かったのさ。画家の先生も領主様も変わりもの同士だったけど、領主様が根負けした話なんて初めて聞いたよ」
老婆の視線は一枚の絵で止まっている。
その絵は話に出た領主と思われる男性が、妻や娘と思われる女性と並んでいる姿だった。
「あたしの恩人さ。この人の目に留まらなかったら、あたしゃこうやって生きちゃいない。そこに描かれている娘さんより小さかったあたしを、費用は全部出すからと帝都に送り出してくれたのさ」
一抱えもある大きな人物画を見上げながら、老婆は懐かしそうに目を細めた。
「ほんとに変わりものの領主様だったよ。街の子供達の為に私財で学び舎を作るわ、そこに入った靴屋の末娘の占いがよく当たるからって、親を説得して帝都にまで送り出しちまうんだからね。おかげでこの通り、占い師にはなれたけれど――ついぞ、立派になった姿をお見せしてお礼をを言う事は出来なかったねぇ」
老婆は腰から吊した占いに使う骨を手に取った。そのまま手をかざし、探るように周囲に向けた後、深く溜息をついた。
「魔物達から街の人を守って亡くなっちまったんだろうし、せめても墓をと思ったけど、あたしが占っても骨すら見当たらないとはね」
“魔物”は心を飛ばして尋ねた。血を触媒に幾多の魔法を使える“魔物”だが、占いというものは勝手が違いすぎて知らない事も多い。
「いいや、距離なんて関係ないよ。失せ物探しならこの街どころか国中どこにあったってまず当てられるよ」
自慢げな響きも無く言ってのけながら、老婆は文字を彫った骨を腰に吊し直した。
「今占ったのはもしかしてと思ってやっただけさ。ここに来たのは、あんたにこの絵を見せたかったのさ……残ってただけめっけもんだね」
“魔物”は指先に小さく傷をつけると、滴る血を爪の先で近くに飾られていた風景画の額縁に塗りつけた。
血を触媒とした魔法が積もった埃を吹き飛ばし黴を消し去っていく。剥がれた絵の具はそのままだが褪せていた色も少しだけだが鮮やかさを取り戻す。
老婆に目を向けると、多少ながらも在りし日の形に近づいた絵を呆然と見つめていた。体を震わせながら祭りの最中を描いた絵に近づくと、声を詰まらせる。
「ああ……そうだよ。こんなだったよ。この街の祭りは、ほんと華やかでねぇ……」
“魔物”は絵など見た事は殆ど無いが、まだ色が少し褪せていても祭りの華やかさや活気はありありと伝わってきた。
走り回る子供達や人集りの出来る道化師、楽器の音色にあわせて踊る何組もの男女や客を呼び込もうとする店の数々。画家によって描かれた人の営みは、“魔物”の目には輝いて見えた。
“魔物”は大広間を回って一つ一つ、血を触媒として朽ちた絵に魔法をかけていく。見張り塔から見た朝焼けの街、見回りをする衛視と夜の街、かつてこの街にあったものが絵の中で甦る。
最後に残った領主の絵に魔法をかけた。潮が引くように黴や埃が消え、褪せた色が戻っていく。
領主の絵を見上げる老婆の目から、一つ二つと涙がこぼれ落ちる。
「歳をくっても、世話になった人の顔ってのは忘れないもんだねぇ。あたしの覚えてる領主様はこの姿のまんまだよ……」
これまで使った事のない魔法を使ったせいか、“魔物”は頭に少し痛みを感じた。だが、老婆の思い出を少しでも取り戻す手伝いが出来たのなら、そんな痛みはどうという事もない。
“魔物”と老婆は領主の館を後にすると、また遺骨を墓に納め始めた。昨日とは打って変わって、老婆からは気落ちした気配は消えている。
次から次へと遺骨を探し当て、“魔物”の手が追いつかない分は羊皮紙に書き留めていく。
「領主様にみっともない姿は見せられないからねぇ。あたしを帝都にやって良かったと思って貰わにゃ手向けにならないよ」
老婆は皺だらけの顔をほころばせて言いながらも、筆を持つ手は止まらずに遺骨のある場所を印していく。
日が暮れる頃になっても老婆の手は止まらず、何枚もの羊皮紙は表も裏も遺骨のある場所が書き加えられていき、その手がやっと止まったのは月が昇りきる頃だった。
「よし……これで終いさ。この街にある遺骨の場所は全部書き留められたよ」
焚き火の明かりに照らされた老婆の顔は誇らしげであった。
その夜、夕食の時の老婆はこれまでになく快活に、この街の歴史や変わりものの領主の逸話を“魔物”に伝え聞かせた。
“魔物”はその話に頷き、時には心を飛ばして問いかける。そうすると老婆は嬉しそうに話を続けた。
これまで自分で見てきた人の営みは知っていても、誰かに教えて貰うのは“魔物”にとって初めての事であった。
話し疲れて眠ってしまった老婆を寝床に横たえて毛布を掛けると、“魔物”は羊皮紙を手に再び遺骨を墓へと納め始める。
“魔物”の目は闇を見通せ、眠らずにいようと思えば季節が一巡りするくらいは起きて動き続けられる。
遺骨のある場所が分かっていれば、昼夜を問わず墓を作り続ける事は出来る。
雲間から僅かに差し込む月明かりの下で、“魔物”は羊皮紙に目を通す。一目でこの街に不慣れな“魔物”でも理解出来るように書かれているのが分かる。
老婆の思いの為に、墓もなく野晒しになったままの人々の為に、“魔物”は夜を徹して墓を掘り、遺骨を納めていく。
遠くに鳥のさえずりが聞こえ始め、日が山の向こうから登り始めると、“魔物”は早起きの老婆が起きる頃合いだと気付き、家へと戻った。
しかし“魔物”が帰った時、いつも日の出と共に起きていた老婆は、寝床の中で荒い息をつき、苦しげに呻いていた。




