老婆の事情
聞けば、老婆は近隣では名の知られた占い師で、この辺りを治めている皇帝に仕えていたとの事だ。
だが年老い、後を継ぐ弟子も育てたので自分の死期を占い、【生まれた地で死ぬ】事が分かると、暇を貰ってこの棄てられた街へと旅してきたのだと言う。
気色ばむ老婆が言うには、熊に殺されたとしてもそれは自分の占いが最後の最後まで当たったのであり、“魔物”に助けられる言われは無い、と。
“魔物”が人と話した記憶はそう多くないが、このような事を言い出す人間に出会ったのは初めてであった。
“魔物”は鼻先を掻きながら心を飛ばし、雪の季節が近づくこの場所では危険が多い事を伝えて、近くの街まで送り届けようとするが、老婆は言下に拒否した。
「十の誕生日にこの街を出て、この歳になってやっと戻って来られたんだ! あんたが何であろうと、あたしはここからでない! 連れだそうってのなら、ここで舌噛んだっていい!」
戦い慣れた《魔物狩人》でも怖じ気づく“魔物”を相手に全く物怖じしないのは年の功か、地面に座り込んだままの老婆は小さな体から驚くほど大きな声で言った。
「あんたに殺されたって、あたしは生まれたこの街に帰ってこられたんだから後悔なんざないのさ。ほれ、殺すならさっさと殺しな!」
“魔物”は首を横に振り、改めて心を飛ばして老婆に危害を加えるつもりがない事を伝えた。
真っ白になった太い眉を顰め、老婆は“魔物”の顔を覗き込んだ。
「じゃあなんだい。あんたは何でここにいて、何であたしを助けたのさ?」
“魔物”は心を飛ばし、自分が旅の最中にこの街を見つけたこと、野晒しになったままの人々を弔う墓を作る事を考えていた時に声が聞こえ、考える間もなく助けていた事を伝えた。心を飛ばす魔法は受け取る側も慣れていないと意図が伝わりにくい事もあるが、“魔物”の鼻に感じられる老婆の匂いには魔法の匂いが混じっているのもあって、思う所は伝わったようだった。
今度は老婆が目を丸くして唖然とする。
「あんた……魔物にしちゃ珍しいね。“銀なる竜”だって、そんなこたぁしないよ。人を襲わないってんならちょっとはいるが、人の墓を作ろうって魔物は初めて見たよ」
世の魔物は人を食う物が多い。
食わずとも人を殺す魔物もいる。
だが“魔物”は、人を殺す事を避けてきた。ほんの少しの果実と水があれば生きていける“魔物”にとっては、何かを守るためでなければその爪を振るう理由もない。
野に生きる魔物なら墓など無くても土に還れば良いが、“魔物”の中で人は特別であった。
人は死して何かを残す。
それが名であれ墓であれ、人のあり方の一つであるなら“魔物”はそれを尊重したかった。
老婆の言葉に混じった聞き慣れない名に“魔物”は心を飛ばして尋ねる。
「ああ、ここから遙か北の、とんでもなく険しい山に棲む竜さ。むかぁし、そこまで行って占いの修行をしたことがあってねぇ。かなり偏屈だけど、色んな事を教えて貰ったよ」
そう言いながら立ち上がろうとする老婆を、そっと持ち上げて立ち上がらせると、皺だらけの顔を少し綻ばせた。
「ありがとうよ。礼と言っちゃなんだけど、もしあんたがほんとに墓を作るんならあたしも手伝うよ。ここに住むってのに、そこらに誰とも知れない骨が転がってるってのもねぇ」
老婆は肩を落とすように深く息をついて、街の奥を見やった。
「……知り合いや、親兄弟の骨がどこかにあるだろうからねぇ。墓くらいは作ってやらんとね」
元より小柄な老婆は更に小さく見えた。
“魔物”は老婆の荷物を馬から下ろして肩に担ぐと、自宅へ戻ると言う老婆の後について歩き出した。
道すがら老婆はこの街の事を、ぽつぽつと思い出すように“魔物”に向けて話して聞かせた。
「この街は小さいけれど、いっつも活気があって……領主様がとてもとても良い方でね、あたしの占いの才を知って、高名な占い師に師事するようにと帝都へ行かせてくれたのも領主様なのさ。おかげでこの街が無くなっても、あたしは生き延びられたのさ」
老婆の話から街の過去に思いを馳せていたからか、“魔物”の頭に僅かな痛みがあった。“魔物”はかぶりを振ると、その小さな痛みを忘れる事にした。
「一時は生き延びた事を悔やんだもんだけどね。それでも人間、生きてさえいりゃなんとかなるもんだ。ちょいと時間はかかったけど、こうやってまた生まれ故郷に帰ってこられたんだからねぇ……っと、ついたついた。雨露は凌げそうにないけど、形が残ってるだけマシってもんかね」
老婆の家は煉瓦造りのためか屋根や扉は腐り落ちていても、壁そのものはまだ家としての形を辛うじて残していた。しかし家の中から生えた樹が壁を一部崩してしまっている。
“魔物”は家に入ろうとする老婆を止めると、手を強く握りこんで滴った血を樹に塗りつけた。血を触媒に操られた樹は太い枝葉を伸ばして壁を押さえ、雨を凌ぐのに十分な程に成長した。
「あんた、珍しい魔法を使うねぇ。血を使う魔法使いなんてこれまで十人と見たこたぁないよ。それとも魔物にはよくある魔法なのかい?」
“魔物”は少し考えて首を横に振った。これまで百を超える魔物と戦ってきたが、同じ魔法を使う相手は記憶になかった。
「だがまあありがとうよ。これで風邪はひかんですみそうだねぇ。さあ、荷物を置いて一休みしたら皆のお墓を作らなきゃね」
老婆は腕まくりをすると歯を見せて笑った。
「そうそう、そこの角曲がって二件目と三件目。二件目に二人、三件目には一人いるから頼んだよ」
老婆が遺骨のある場所を探し、“魔物”が街外れに運んでは埋めていく。
“魔物”の鼻では時が経ちすぎた遺骨の匂いは、草木の匂いに紛れてしまって分からないが、老婆は文字を刻んだ骨を糸から垂らすだけで、どこの家に何人の遺骨があるかも当ててしまう。
名を知られた占い師との話も素直に頷ける。
しかし老婆に借りた布に包んで遺骨を抱えては運び、墓を掘っては埋めていくのは時間がかかる。日が中天を過ぎた辺りから始めた作業は、夕暮れ前にひとまず中止した。
「今日は幸先がいいね。六十も墓を建てられるなんて、あんたが居てくれたおかげだよ」
老婆は昼間の熊の肉を鍋で煮ながら嬉しそうに言う。
“魔物”は笑い返したかったが、唇のない牙の生えた口ではそれも出来ない。代わりに少し目を細めて心を飛ばした。
「謙遜するこたぁないよ。あんたみたいな珍しい魔物と会える事が分からないなんて、あたしの占いもまだまださ――おっと、こっちはいい頃合いだね。ちょいと〆るのが遅かったけど、匂いは悪かないね」
香ばしい匂いが漂ってきた熊肉の鍋を、老婆は木皿に盛り付けて“魔物”に勧めた。
生き物の肉を殆ど食べる事がない“魔物”は、それを辞退しようとしたが老婆の強い勧めを断りきれなかった。
具は熊肉と近くで採れた野菜、それに塩と少々の香辛料を入れたものだ。人の作る温かい食事をこうして間近に見るのは初めての事であった。
「ほら、食べるなら暖かいうちだよ。動いた分は食べないと、魔物だって動けなくなるさね」
木の匙を手に取り、一口食べる。
肉を食べたのがどれくらい前の事かは思い出せなかったが、人の食事というものがこんなに旨い物とは初めて知った。
続けて二口三口と食べるのを見て老婆は微笑んだ。
「口にあったようで何よりだよ。肉はまだまだあるんだ、たんと食べとくれ。あたし一人じゃ到底食べきれる量じゃないよ」
老婆の言うように、そう大きくはない鉄鍋には山のように具が入っている。“魔物”が沢山食べるだろうと思っての事だろう。
「明日からも頑張らないと、雪の季節になっちまうからねぇ……おや、どうしたい?」
問いかけられた“魔物”は手を止め、ぼやける視界に目の辺りを拭うと指先が濡れていた。
「無理はしなくていいんだよ? 人の食べ物はあんたが食べるには向かないのかねぇ」
“魔物”は首を横に振り、再び食べ始めた。そして笑顔を向ける代わりに心を飛ばす。
「お世辞まで言えるとは、ほんとあんたは珍しい魔物だねぇ。さて、あたしも食べるとするかね」
言いながら老婆も自分の分を木皿に取って食べ始める。
いつも一人で木の実や果物を食べていた“魔物”にとって、これが誰かと一緒に食べた初めての食事だった。




