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魔物の旅路  作者: 椚屋
魔物と少女
2/24

リート

 しばらくして“魔物”は濡れた毒蔦をかき分けて、ねぐらの外に出た。夜闇よりなお黒い四つの翼を大きく広げ、両腕と尻尾を伸ばす。

 そろそろ少女が祠にやって来る頃合いだ。

 これから数日は祠の中で過ごさねばいけない。いつ会うと約束を交わした訳でもないので、来そうな時に“魔物”が待っているのだ。ただの勘なので長いときは二十日も待つときもある。しかし村人の作ってくれた祠は、小さいながらも“魔物”が爪で掘ったねぐらより住み心地がよい。

 心を飛ばしたときから、少女とは何度となく話をしている。と言っても、ほとんど少女の話を訊いているだけで、“魔物”が心を飛ばすことは少ない。

 妹のこと、家族のこと、気になる少年のこと、村のこと。少女が話してくれるのはそう言うことだったが、人に話しかけられたことが少ない“魔物”にとっては、どれも興味深い。

 少女はよく、自分で考えた話や旅人が話してくれた物語を、身振りなども交えながら聴かせてくれる。直に顔を見せたことはほとんどなくても、木陰や祠の中からそれを見ていた。

 彼女は十八の誕生日を迎えたら、街に出てみるつもりだと言っていた。街の劇団に入って、語り手として暮らしていくのが夢だと言っていた。その為に、街に用のある村人についていっては、物語の本を買ってきたり劇団を訊ねたりしているらしい。

 劇団を訊ねた時は、いい感触で応対された、街に来たときは顔を見せてくれと言われたと、誇らしげに語っていた。


 最近は少女の妹も姉にくっついて祠にやってくる。

 妹は姉に輪をかけて物怖じしないのか、何度も“魔物”の姿を見ようとする。その度に少女に止められるのだが、懲りることもなく一人で祠にやって来たり、森をうろついているのを幾度か見かけた。

 動物や流れの魔物に襲われはしないか、怪我などはしないかと“魔物”は隠れて見守った。

 少女の妹――名前はウィナと言った――だけが祠に来ると、“魔物”が居る祠の中に入ってこようとしたり、果ては祠の中で待ち伏せていたりする。

 その時は翼から特に綺麗な羽根を一本抜いて、それを渡して諦めてもらっている。


 ウィナはまだ“魔物”の姿を直視するには若すぎる。ウィナの姉――リートでさえ、初めて“魔物”の姿を見たときは気を失ってしまった。

 せめて自分の将来について考えるようになるまでは、ウィナの前に姿を曝すまいと“魔物”は心に決めていた。

 リートとウィナは朝方に祠を訊ねてくることが多い。彼女達より早く祠に着かねばと、“魔物”は翼を羽ばたかせて空へと舞い上がった。



 まず森全体を見下ろせる高さまで上昇すると、早い風の中にかすかな雨の匂いがした。風向きと強さから考えて、明日の夜くらいには再び降りだすだろう。

 彼女達に会ったら教えてやろうと思いつつ、羽ばたくのをやめて真っ逆様に森の中へ落ちていく。

 視界が木々で埋め尽くされる高さで、“魔物”は翼を広げて急停止した。ねぐらにいた時は感じなかった匂いが森の中から漂っている。


 流されたばかりの血の匂いと、自分と同類――他の魔物の匂い。


 ぐるりと見回してもそれらしい姿はない。闇を見通す“魔物”の眼も、茂った木立は見通せない。

 “魔物”が木々の枝葉を突っ切って森の中に降り立つと、より鮮明に匂いが感じられるようになった。ねぐらだと分からなかったのは、枝葉が匂いを遮っていたからだろう。

 森の中では“魔物“の大きな翼は満足に使えないので、両手両足の爪を木の幹に突き立てて猿のように跳び渡る。

 匂いが強くなるにつれ、“魔物”は牙をきつく食いしばった。血と魔物の匂いに混じって、人の匂いがする。場所に残っている匂いではない。そんなものは雨で流されているはずだ。

 それに場所もまずい。

 匂いを追っていくと、次第に祠に近づいていく。

 見据える先に木漏れ日より明るい光が見えた。

 まだ若い木々をへし折りながら光の中に飛び出した“魔物”に細い何かが飛んできた。厚い胸板に弾かれたそれは、“魔物”の顔に鉄臭い飛沫をはねとばして茂みに落ちた。


 一番見たくなかった光景があった。


 湿った土に転がる幾つもの果実と一つの篭。雨水とは違う赤黒い染みの中に横たわる細い身体と、それに覆い被さるような大きく黒い魔物。

 “魔物”はあらん限りの雄叫びを上げながら、黒い魔物に突っ込んだ。

 横殴りの爪を、黒い魔物は軽やかに避けた。“魔物”はすぐさま避けられた爪を掌が破れるほど握りこみ、返して振るう。“魔物”の血を媒介に雷が顕現した。

 が、投網の如き雷は黒い魔物を捕らえながらも弾かれる。

 “魔物”は翼を広げて威嚇の声を張り上げた。

 黒い魔物は人間の掌を灰色熊ほども大きくした姿をしていた。親指と小指の先は太く鋭い爪が生え、残りの指先には人の頭ほどの目玉が収まっている。手首の断面から多くの触手が伸び、掌の中央が人の頭蓋骨のような形に白く盛り上がっている。

 頭蓋骨の顎が激しく開け閉めされた。

 “魔物”はそれを『笑い』だと受け止めた。

 振り返らずとも、後ろに誰が倒れているか匂いで分かる。


 リートだ。

 次の実り多い季節に十八の誕生日を迎えるはずだったリート。この森に来て初めて話しかけてくれたリート。いつも祠に果実を届けてくれたリート。

 “魔物”は怒りの心を黒い魔物に飛ばした。黒い魔物からは何の言葉も心も返ってこなかった代わりに、一層激しく顎が開け閉めされる。

 やはり『笑い』なのだと“魔物”は確信した。

 同類は姿形がどうであろうと、総じて“魔物”の邪魔をしたがるものらしい。腹の底で燃えさかる怒りが呼気に混じり、牙の間から炎の筋となって漏れる。

 “魔物”は牙の先で左の手首を切った。腕に入っていた力を抜くと血が勢いよく吹き出す。地面にほとばしった血を触媒に顕現した何本もの石の槍が、蛇の如くのたうちながら黒い魔物を追っていく。

 三つの眼から伸びる赤い光の槍が、のたうつ石の槍を迎え撃つ。

 石の槍で殺せる相手ではない。それは分かっていた。それにそれだけで済ますつもりもなかった。

 “魔物”は塞がりかけていた傷を開いて、更に石の槍を顕現させると空に舞い上がった。両手を後ろに回して翼の根本を傷つける。血を触媒に羽根の一つ一つが鋼の強さを宿す。地の魔物に向けて羽ばたくと、羽根は突風に乗って雨のように降り注いだ。

 振り回した指や触手を裂いて羽根が突き立つ。黒い魔物は声も上げずに身をよじった。

 幾本もの赤い光の槍が祠を貫く。

 “魔物”はこれで終いだとばかりに黒い魔物に突撃する。

 鉄鎧さえ引き裂く爪が、巨大な掌の中央を抉った。とたんに黒い魔物は身体全体で“魔物”を握りこんだ。

 太い爪が“魔物”の背中にもぐりこんでいく。火筒(ひづつ)の弾でも防ぐ“魔物”の身体は、久しく味わってなかった痛みに震えた。

 食い込んだ親指と小指を、血を触媒に生やした第三第四の腕で引き剥がす。翼が自由になると、黒い魔物に握りしめられたまま再び空に舞い上がる。

 すぐ近くの河の上まで飛んでくると、大きく息を吸い込んだ。

 巨木を一瞬で炭の塊に変える炎の息。

 “魔物”は目を閉じて、抉ったばかりの傷口にそれを吐きかけた。

 閉じた(まぶた)の上からでも視界が白く染まる。

 四散した黒い魔物の破片は、河に落ちる前にすべて燃えかすになった。“魔物”の髪や皮膚も焼けたが、すぐに血を触媒に元に戻り、新しく増やした腕ももげ落ちていった。

 腹の底で燃え残っていた怒りを叫び声と共に吐き出す。

 炎は太陽のように明るく川面を照らした。


 祠にとって返した“魔物”はリートの惨状を目の当たりにした。

 艶やかだった金髪は血にまみれて赤黒く固まっている。瑞々しい肌も至る所が裂けていた。胸から下腹にかけては目を逸らしたくなる有様だ。足りなかった左足は、茂みの中で見つかった。

 ここに飛び出したときにぶつけられたのはこれだった。

 “魔物”はリートの身体を一ヶ所に集め、三度手首を切って溢れる血をかけた。

 血を触媒にすれば、切り落とされた腕さえ繋ぐことが出来る。

 どれほどの血を使えば、リートは生き返ってくれるのだろうか。亡骸へ心を飛ばして呼びかけながら、“魔物”はすぐに塞がる傷を抉り続け血をかけた。

 自分の血臭でむせ返りそうな中、背後に軋むような物音を訊いた。

 半ば崩れた祠の扉が開き、わずかな隙間から白い小さな手が覗いた。

 急ぎ駆け寄った“魔物”は祠の床にうつぶせに倒れているウィナを見つけた。赤い光で脇腹を抉られているが、かろうじて生きてはいる。

 おそらく祠の中で“魔物”を待ち伏せていたから、掌のような魔物に見つからずに済んだのだ。

 “魔物”は手首から流れる血をウィナの傷にかけた。血を触媒に傷は塞がっていくが、量が足りない。

 血の出しすぎで目が霞むが気にする暇はない。今にも永遠に瞑ってしまいそうな眼が、“魔物”を見上げている。

 一気に大量の血をかければ、ウィナは治るはずだ。

 “魔物”はウィナを抱きかかえ、意を決して爪で腹を大きく裂いた。臓物と一緒に溢れ出た血がウィナの身体を染めていく。

 心を飛ばしながらも“魔物”は夢みたいな既視感を覚えた。

 濃い霧の中の景色で同じ様なことをした。その時抱えていたのは、ウィナよりも幼い子供だった気がする。

 気が遠くなっていたのはどの位の間だろうか。

 腹の傷が塞がるころには、ウィナの傷も塞がっていた。まだ意識は戻っていないが、小さな胸は規則正しく動いている。

 事が事だけに今しばらくは寝かせておいた方がよいだろう。

 “魔物”はウィナを祠の床に横たえて外に出る。

 日の高さから見て、ほとんど時は経っていない。

 今度はリートの亡骸の前で腹を裂こうとした矢先、森の中から沢山の匂いと気配――おそらく村人だろう――が近づいてきた。

 十人以上の村人達が弓や(いしゆみ)長火筒(ながひづつ)を携えて森の中から現れた。

 彼等は“魔物”が心を飛ばすより早く、口々に大声を上げた。

 最初は驚きで、次に怒りだ。

 その中の誰かが叫んだ拍子に火筒の銃爪(ひきがね)を引いてしまった。その銃声を銃爪に村人達は罵り声を上げながら携えた武器を“魔物”に向けた。

 必死に心を飛ばして制止するが、それすら彼等の怒りを煽るだけだ。

 一斉に放たれた数本の矢、数個の弾を“魔物”はその身で受け止めた。一つとして“魔物”を傷つけはしない。

 村人達は一瞬怯むも、すぐに新たな矢や弾を準備し始める。

 “魔物”はリートの亡骸に目を落とした。

 生き返るどころか傷すら塞がっていない。

 遅かったのだ。

 瀕死でも、生きてさえいれば、血を触媒に傷は塞がり治すことが出来る。

 生き返らない事は分かっていたのだ。

 遅すぎたのだ。死んでしまってからでは遅すぎたのだ――


 ふと、再び既視感が心を満たす。

『血を触媒にする能力は、ただ魔力を使うより多くの事が出来るが、時を逆しまに流したり失われた命を取り戻すことは出来ない』

 誰かから飛ばされた心だ。

 “銀なる竜”ではない。

 彼はそんな事を教えてくれるほど、他者を気にかけていない。

 思い出せぬ程の昔。そのように教えられた気がする。

 誰に教えられたかは覚えていない。


 ――“魔物”を既視感から引き戻したのは、頭に当たった長火筒の弾だった。

 村人達は半ば自棄になって得物を撃ち続ける。黙って撃たれるに任せていた“魔物”は、四つの翼を広げて村人の前から飛び去った。

 高く高く高く。

 森が黒い塊にしか見えなくなるほどの高みまで上がっていく。

 視界がぼやけていることに気づいて顔を拭うと、透き通った水でしとどに濡れていた。拭っても拭っても濡れていた。

 それが自分の目から流れているのに気づいた。

 “魔物”は吠えた。

 何度も、何度も、吠えた。

 喉が破れても吠え続けた。

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