魔物と港町
“魔物”は軽い衝撃を受け、喉から溢れる血に大きく咽せた。
首を回して背中を見ると、炭化した背に大きな銛が深々と刺さっていた。辺りを見れば物陰から様子を伺っていた人々が、手に手に武器を持ち、“魔物”に近づいてくる。
目には警戒の色と、隠れもしない殺意が見えた。
街の人から見れば“魔物”も二枚貝の魔物も、『魔物』である事に違いはない。
十全の状態であれば人の振るう武器など鱗を貫く事はないが、今は背中に酷い火傷を負っている。星の欠片から作った武器でなくとも、傷になら容易に刺さり“魔物”を殺しえる。
誰かが投げた石が頭に当たったのを皮切りに、そこかしこから物が投げつけられる。“魔物”は血を触媒に背の傷を治そうとするが、治りきらない所にまた銛が突き刺さった。
背中に手を回し、一つでも銛を抜こうとしたところでまた一本の銛が刺さり、今度は背中から抉れたままの脇腹にまで切っ先が抜けた。
“魔物”は周囲に心を飛ばして制止する。そして続けて傷ついた人々を自分の血で治したいこと、両親を失った赤子が無事か確かめたい事を伝えた。
しかしそれも火に油を注ぐ事にしかならなかった。
何十人もの声が重なって聞き取りにくいが、“魔物”を殺してその血を使おうとしているようだった。“魔物”が魔法の触媒としなければ、血で傷を癒す事は出来ないのを心を飛ばして伝えても、人々の怒りは一度火が付いたまま止まらない。
這いずってでも歩を進めようにも、取り囲んだ人の輪はどんどん狭まっていき、物を投げつけるのをやめて手にした武器で“魔物”を打ち据えはじめた。
炭化した背中が治りつつある端から打たれ、切られ、刺される。
“魔物”が心を飛ばして止めようにも、街を壊され家族や友人を殺された人々には届かない。
ふと、昏い思いが“魔物”の頭をよぎり、口から溢れる血と混じって炎となる。だが“魔物”はかぶりを振って一瞬でもそんな事を考えた自分を恥じた。
街の人々は理不尽に見舞われた怒りの向け先として、この街に来た二匹の魔物のうち、生き残っている一匹を選んだだけだ。
“魔物”は自分の姿が人を食う魔物と変わらない事をよく知っていた。二枚貝の魔物は殺したが、人から見ればどちらも魔物だ。それに港町にとって大事な船着き場を壊したのは間違いない。
港町の人々にとって、“魔物”は討つべき魔物の一匹に過ぎなかった。
“魔物”は炎を飲み込むと、大きく、街中に響き渡るほどの雄叫びを上げる。武器を持った手が一瞬止まった隙に、血を触媒として一息に翼を生やして空へと広げた。
刺さったままの銛や短剣をそのままに、炭と化した足が砕けるのも構わずに地面を蹴って真上へと飛び立つ。
雄叫びをあげて空へと舞い上がった“魔物”に、人々は悲鳴を上げながら散り散りとなって家や瓦礫の影へと逃げていく。
溶岩を操るような魔物からは離れたいのだろう。
人としてごく当たり前の行動だ。
翼を強引に生やしたせいでかなり血を使ってしまったが、“魔物”は腹を強く押さえて無理矢理に傷から血を絞り出すと、石畳へと流れ落ちる血にありったけの魔力を込めた。はらわたと共に溢れる血を触媒とし、血そのものを傷を癒す薬に変える。
そして周囲に心を飛ばして、滴った血を傷に擦りつければ治る事と、急がないと治らなくなる事を伝える。魔法で薬へと変わった血は、一夜ももたずにただの血となってしまう。
最後に両親を失った赤子の事を頼むと心で伝えて、“魔物”は海へと飛んでいく。
血も魔力も大きく失い、目がかすむ中で“魔物”は少し振り返る。血が滴った辺りに人だかりが出来ているのを見て、少しだけ安堵した。
やむを得なかった、と言う気持ちはある。だが、本当に手を尽くせていたのかと言う疑念もある。
“魔物”は顔を押さえ、小さく呻く。
顔を押さえる手は目から流れる水で濡れ、指の間からこぼれ落ちた水は、水面で揺れる月に吸い込まれて波間に消えていく。
背中に突き刺さった銛よりも、心が届かなかった事が痛かった。
“魔物”はまた、あてのない旅へと戻っていった。