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魔物の旅路  作者: 椚屋
魔物と港町
18/24

魔法使い

 視界の端には、魔法で研ぎ澄まされた水の帯が見えた。いきなり翼の半分を失った“魔物”は体勢を立て直しながらも、飛び続ける事は出来ずに回転しながら落ちていく。

 残った翼と尾を振り回すようにして石畳に着地した“魔物”は、隠そうともしない気配に目を向けた。

 半壊した船着き場に立っていたのは、杖を持った体格の良い壮年の男だった。金の刺繍が施された濃い灰色の服に黒い羽根をあしらった鍔広の帽子、腰には豪華な装飾がされた短剣を下げている。

 目を引くのは男の身の丈ほどもある杖だ。一本の木から作られたと思しき杖の頭には拳大の宝石が埋め込まれ、絡みついた木の根の間から脈打つような輝きを放っている。

 男は帽子の鍔をあげて“魔物”を見上げる。

 射るような視線には幻とは思えないほど冷たい殺意が籠もっていた。

 もし人であれば二枚貝の魔物が作り出す霧にまかれているはず。熟達した魔法使いであれば、魔法を用いて魔物を使役する事も可能であるが、その為には常に魔法によって動きを制御しなければならない。

 魔物は、しかもここまで巨大なものとなれば、人の手綱を容易に引きちぎるだろう。

 “魔物”は男に心を飛ばして誰何するが、相手は眉一つ動かさない。

 そこに海風とつむじ風の混ざった不規則な風が、風上にいる男の匂いを“魔物”に届けた。

 男からは人の匂いがしない。霧と同じ、濃い魔法の匂いがあるだけだ。

 人であるならば殺さぬよう加減しなければならないが、霧を触媒とした幻であるならば打つ手はある。

 半ばで斬られた翼を羽ばたかせ、振りまかれる血を触媒につむじ風を顕現させて男へと叩き込む。

 だが男は杖を持ち上げて軽く船着き場を突く。それだけの動作で何本もののたうつ石の槍が顕現し、つむじ風を打ち破って“魔物”へと殺到する。

 “魔物”は咄嗟に、顕現させた突風で自らを吹き飛ばして石の槍を避けたが、男は手を緩めない。

 構えた杖の先に脈打つ光が輝きを増すと、堰を切るように宝石から血が溢れ出す。男は杖を大きく振り回し、溢れる血を海に撒いた。そして血を触媒として海水が渦を巻き、鎌首をあげる蛇のように立ち上がると、大渦をそのまま巨大な水の槍として“魔物”へと撃ち込んだ。

 “魔物”は脇腹の傷から血を拭い、まだ無事な翼に塗りつけて新しいつむじ風を顕現させて迎え撃つ。

 霧を触媒にした幻なら強い風でかき消せる――そう考えてのつむじ風は大渦の槍に貫かれ、数軒の家やまだ生き残っていた人ごと、“魔物”を巻き込んで水圧で捻り切らんばかりにかき回す。

 “魔物”は大渦に巻き込まれながら血を触媒に大量の泡を顕現させて、街を蹂躙する大渦を内側からかき消す。

 爆ぜた大渦から弾き出された人々を、続けて顕現させた風で受け止めて石畳に叩きつけられる事を防いだが、“魔物”ですら骨が軋むような渦の中で人々が無事でいられたか確かめる余裕すらない。

 自分の勘違いに歯噛みした。

 杖を持った男そのものは幻であっても、血を触媒にした魔法で顕現させたものは現実だ。それも同じ血を触媒にした魔法でも、“魔物”と同等と言える力を持っている。

 血を触媒に使う魔法は人にも伝わっている技術であるが、男の繰り出した魔法は並大抵の魔法使いが顕現出来るものではなかった。

 少し視線を動かし二枚貝の魔物を見れば、赤い舌のような足を使って少しずつだが街中へとその巨体を進め、逃げ惑う人々の声が“魔物”を焦らせる。

 目を戻せば、男は頭上で杖を回転させて周囲に血を撒き、新たに何かを顕現させようとしていた。

 翼を治している間は無いと“魔物”は判断し、男を真似るように周囲に血を振りまき、魔物と男を倒す魔法の準備に入る。

「魔物は、殺さねばならない……それが私の、務めだ……」

 男が硬く結んでいた口を開き、唐突に言葉を紡ぐ。瞬き一つなく“魔物”を睨みつける目は血走っていた。

 男の周囲に撒かれた血が、陣図を描きながら蒸発していく。

 星喚びの魔法――それも撒かれた血の量からすれば、下手をすれば街が半分無くなりかねない大きさか、十や二十ではきかない星を呼べるだろう。星喚びは魔物や悪魔に致命的な傷を与えうる魔法の一つだが、空より落ちる星の欠片はある程度しか狙った場所へ導く事が出来ない。“魔物”が動けば、男は周りの事は考慮せず星の欠片を落とすだろう。

 風の音に混じって聞こえる人の声は、どんどん離れていっている。“魔物”が動かなければ、被害は抑えられるだろう。

 思い違いと深手が無ければ――人々が住む街がこれほど壊される事もなく、人死にももっと減らせていたかも知れない。自責の念が呼気に混じって炎となった。

 “魔物”は脇腹の傷に爪を立てて腹を裂き、準備をしていた魔法に更なる血を加える。

 大量の“魔物”の血を触媒として周囲の石畳や瓦礫が溶け、沸き立つ溶岩へと変わっていく。

 足下の石畳が溶岩となり、“魔物”の足が少し沈みながら燃え始める。生半な炎なら苦も無く耐える“魔物”も岩が溶けるほどの熱には耐えきれず、肉が燃える凄まじい苦痛に全身を強ばらせる。荒いやり方だが、これも自分の血を触媒にし続ける手段だ。

「星よ……魔物を打ち砕け!」

 男が杖で足下を強く突きながら叫ぶのと、“魔物”が顕現させた溶岩が蛇が鎌首をもたげるように膨れあがるのは同時だった。

 溶岩は三つ首の竜のように枝分かれし、一つは“魔物”に覆い被さるように盾となり、残り二つはそれぞれ幻の男と二枚貝の魔物へ向け、放たれた矢のように突き進む。

 しかしそこに男が喚び寄せた星の欠片が雨の如く降り注いだ。

 拳ほどの星の欠片が溶岩の盾を貫くが、勢いは大きく落ちて体を貫かれる威力ではない。それでも人の振るう戦鎚などとは比較にならず、魔物や悪魔を打ち砕く星の欠片は、“魔物”の体を溶かしながら打ち据える。

 空より落ちた星の欠片は魔物や悪魔だけでなく、墜ち来たる威力で溶岩の竜をも撃ち射貫き、血のように灼熱した飛沫を撒き散らす。だが“魔物”の血を大量に混ぜられ顕現した溶岩の竜は体を削られながらも、幻の男と二枚貝の魔物に迫っていく。

 幻の男も二枚貝の魔物も、ただ黙っている訳ではない。魔物は急ぎその巨大な殻を閉じ、男は再び杖で足下を強く突くと、血を触媒にして城壁のような壁がそびえ立つ。

 上下を溶岩に挟まれ陽炎で歪む視界の中で“魔物”はきつく歯を食いしばった。

 意を決し、自分に覆い被さった溶岩の竜に背中を押しつけると、骨を蝕むような痛みに苦悶の叫びをあげた。翼も鱗も燃え始めるが、押しつけた傷から流れる血を触媒に、溶岩の竜に更なる力を注ぎ込む。

 勢いを増した溶岩の竜は分厚い殻と壁にぶち当たり一瞬動きを止める――が、次の瞬間にはそれらを溶かし、突き破った。

 溶岩の竜はその牙で殻に隠れた魔物の肉を食い千切り燃やし尽く。殻を閉じていた筋肉もちぎれたのか、魔物は勢い良く殻を開いて、燃える中身をさらけ出した。

 幻の男はその触媒となっていた霧を吹き飛ばされて消え去っていく。男の目は消え去る最後の瞬間まで、“魔物”を睨みつけていた。

 意識が飛びそうな痛みの中、“魔物”は血を触媒にして溶岩に注いでいた魔力を止めると、溶岩の竜はすぐに熱を失って、ただの歪な石像と化して砕けていく。街中に撒いたつむじ風も込められた魔力を使い果たして消えている。

 熱を失った岩にへばりついたままの背中と足を無理矢理引き剥がし、“魔物”は膝を突いた。

 もう背中も足も殆ど痛みすら感じない。

 星の欠片が穿った傷は殆どが溶岩に押しつけて炭化したせいで、改めて肉を抉る必要もないようだった。

 血は少なく傷は深い。右腕は無くなり右脇腹は大きく抉れ、脛から下は両足ともに炭になっている。翼も尾も失ったが、まだやらねばならない事があった。

 まだ、“魔物”の血を触媒にすれば、傷ついた人を治せるかもしれない。それにさっきの赤子の安否も確かめなければ――

 石畳に手を突き、“魔物”は這うように街中へと向かおうとする。


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