眠れない夜
セッドは鎧戸の隙間から差し込む薄明かりの中、じっと天井を見つめていた。人の姿を取っていても魔物であるセッドの目には、昼間と変わらず部屋の中を見渡せる。
寝返りを打つと、椅子の背にかけられたベルトにつり下がったナイフが見えた。あれは本当のセッドが大切にしていた物だ。
昼間、一つだけ言わなかった真実が頭の中をかき回し、目を瞑る事が出来ないでいた。
本当のセッドに止めを刺してしまったのは自分だ。
今セッドと名乗っている魔物は、生き物の肉を奪い記憶も外見も取り込む。生きていなければ真似る事は出来ない。だから事切れる寸前のセッドに覆い被さり、骨を残して全てを奪った。
鳥が木の実を啄むように、羊が牧草を食べるように、魔物として生きていく為に当然の事をしただけだ。
それは自分でも分かっている。
だが取り込んだ記憶や想いに引き摺られて、後悔が頭をもたげる。
――あの時自分が取り込まなければ、本当のセッドは村の共同墓地の中で眠れていたのではないか。セッドの父親と母親は嘆き悲しむだろうが、自分のような魔物がなりすましているよりは良かったのではないか――
本当のセッドの癖まで取り込んでいた魔物は、その事を考えるとすぐ顔に出て両親に心配をかけてしまう事もあって、勉めて人前では思い返さないようにしていた。
思い返すのは、手向けの花束を投げる時だけ。あの場所でなら、誰にも見られる事はなかった。
この姿になるまでは、一人ずつ一人ずつ身近な人間を取り込んでは姿を変えて暮らしてきた。親兄弟が、隣家の住人が、一人ずつ消えていき、最後は骨を残して誰もいなくなる。それがセッドと名乗っている魔物の生き方だ。
何の罪悪感も無かった。人になりすまして食事をする時と同じだった。
それがセッドになってからは、思い返す度に胸が痛くなる。とてもではないが、この姿で同じ事を繰り返すつもりは起きなかった。
昼間は言えば殺されると思ったのもあるが、何より自分が卑しくて恥ずかしくて口にする事が出来なかった。
今日出会ったあの“魔物”は姿こそ恐ろしいものだったが、魔法で伝わってくる気持ちはまるで人のようだった。セッドの亡骸を埋めてくれたと教えてもらった時、嬉しかったし驚きもした。
確かにあの時伝わってきた気持ちの中には、本当のセッドを悼む気持ちが入っていた。
セッドはあの“魔物”が羨ましかった。
しばらく、セッドは崖に向かう事が出来なかった。
忙しかったのもあれば、お昼にどこかへ行ってしまう事を怒られたのもあって、羊の群れから離れる事が出来なかった。
体を動かし、羊の群れを誘導して危ない場所に近づかないようにする仕事は、大変だが楽しかった。これがセッドの想いを取り込んだからなのか、それとも初めての事だからかは分からないが性に合っていると感じた。
「おーい、セッド!。もう戻るぞー!。俺が先導するから後ろから追い込んでくれー」
遠くから響く父親の声に大きく頷き、手を振って答える。
「よーし、みんな戻るよー。ご飯おしまい、家に帰るよー」
と言った所で、実際に羊たちが動くのは牧羊犬が居てこそだ。大人達なら牧羊犬に頼り切らなくても羊たちを追い立てられるが、セッドはそこまで慣れてはいない。
遅れた羊がいないかと首を巡らせると、山間の街道に幾つもの人影らしきものが見えた。羊の毛を刈る季節ともなれば、街に行った村人が帰ってくる姿を見られるが、今はその時期では無く、街道の先にはこの村しか集落が無い。
行商人の来る季節でもないはずと思い返していたセッドは、自分を呼ぶ父親の声に羊の群れを小屋に追い込む作業に戻った。