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魔物の旅路  作者: 椚屋
魔物と少年
10/24

セッド

 “魔物”は濃い朝靄越しに木立の上から遠目に村を見つめた。

 羊飼いの朝は早く、もう村の男達が小屋から羊を出しては、牧草豊かな草原へと群れを誘導している。しかし昨夜“魔物”が残した匂いのせいか、群れの誘導に少し手間取っているようだった。一雨降ればもう動物に嗅げるほど匂いは残らないだろうが、空の具合や匂いからすると、しばらく雨の降りそうな気配はない。

 当分は村に近づく事はやめた方が良さそうだ。

 そう考えながら日が中天に登る頃合いになるまで、魔物は身動ぎ一つせずに気配を消したまま村や草原を見続けた。

 羊飼いの男達もそれぞれに昼食を食べ始めているのが見える。

 そんな中、一人の子供が先の曲がった杖を片手に小走りで羊の群れから離れていく。フードのついたなめし革のベストには見覚えがあった。昨夜、魔物の匂いのあった家から出てきた子供だ。

 目だけで少年を追う“魔物”は、これからの事を考えあぐねていた。

 “魔物”の姿は子供が見るには恐怖を煽りすぎる。これまでの経験で良く知っていた。しかし魔物が同じ家にいるという事実は、あの家族のこれからを思えば、見過ごす訳にもいかない。

 “魔物”の喉は人の言葉を発せないが、その代わりに身に蓄えた魔力を用いて心を飛ばす事は出来る。

 姿を見せず、人を騙って少年と話が出来れば――

 “魔物“は音も無く木々を飛び渡り、少年を見失わないように後を追った。

 少年は“魔物”が追ってきている事には気付いていない。背丈よりも長い杖を肩に担ぐようにして、慣れた調子で駆けていく。

 ふと足を止めた少年は、足下の花を摘まみ上げて、腰に下げた袋に入れるとまた駆けだした。

 それを見た“魔物”は軋む程に牙を強く食いしばる。

 少年は何度も足を止め、その度に花を集めては崖の方へと向かっていく。

 身を隠す木立が途切れたが、ここで追うのを諦める訳にはいかない。“魔物”は四つの翼を広げると、高く高く空へと舞い上がった。

 少年は空から見下ろす“魔物”に気付く事なく、崖へと近寄っていった。

 その手には作りたての拙い花束。

 少年は杖を地面に置き、少し頭を下げると花束を崖下へと投げ落とす。しばらくそれを見ていた少年は、杖を拾い上げて踵を返すと近くの岩に座り、鞄から包みを出して食事を摂り始めた。

 “魔物”は翼をはためかせ、少年に見つからぬよう大きく遠回りをして花束が投げ落とされた崖に身を隠す。そのまま“魔物”は手足の爪を岩に食い込ませて、蜥蜴のように絶壁を這って少年へと近寄った。

 “魔物”は崖に身を潜めたまま爪を立てて手を握り込むと、流れ出る血を触媒に掌に目と耳を顕現させ、その手だけを崖から突きだして少年の様子を伺う。

 食事を摂り終わったのか、布包みを丸めて鞄にしまいこみ、水筒から水を飲んでいるようだった。

 “魔物”は意を決して少年へと心を飛ばす。

 いきなりの事に少年は驚いたのか、水筒を取り落とし辺りをしきりに見回した。

 “魔物”は続けて心を飛ばし、少年を宥めようとする。

 しかし、やはり飛ばした心を受ける体験は、魔法とは縁遠そうな少年にとっては混乱を招くようだ。まだ幼さの残る顔に怯えの色を浮かべながら慌てて水筒を拾い上げ、今にも走って逃げ出しそうであった。

 そこに草原を渡る風が、少年の匂いを“魔物”に届けた。外れて欲しいと願っていた事は、残念ながら的中してしまった。

 少年からは、人の匂いがしない。

 “魔物”が探していた匂いが、少年の形をしたものから漂っている。

 辺りを見回す少年が、震える声で叫んだ。

「だ、誰? どっ、どこから何してるの!?」

 誰何の声に“魔物”は同類だと心で答えて続けざまに問いかけた。

 君は何か――と。

「……セッド。セダト・ユールで、セッド」

 自分以外の魔物に心を飛ばされるのは初めての事なのか、それとも怯えている演技なのか“魔物”には分からなかった。

 “魔物”は大きく翼を広げると、弓から放たれる矢のように飛び上がり、勢いのままに少年の形をしたものの背後へと降り立つ。

 相手は振り向いたと同時に“魔物”を見て腰を抜かしてへたり込んだ。持っていた杖を取り落とし、這うように距離を取ろうとする。

 “魔物”は爪を立てて掌を強く握り込み、いつでも血を触媒に雷を顕現出来るようにして、また少年の形をしたものに心を飛ばす。

 お前は何だ、と。

 しかし少年は震えるばかりで答えない。

 その瞳にはうっすらと涙すら溜まっている。

 まるで本当にただの少年のようだが、牧羊犬や羊たちが騒がないのが不思議な程に匂いは違っている。。

 血を流す手を大きく振り上げ、“魔物”は再び何かと問う。

「こ、ころさないで……」

 セッドと名乗った魔物は詰まりながら言った。

 しばらくして、“魔物”はゆっくりと手を下ろし、広げたままの翼を畳んだ。そして両手を肩の高さに上げて掌を開いて見せ、心で敵意が無い事を伝えた。

 人の中に潜り込み操る魔物は数居るが、目の前の魔物がそうした類でないのは匂いで明らかだ。となれば人に姿を変える魔物が思いつくが、人目もなく、自分が今にも殺されそうな時ですら実体を表して抵抗するそぶりも見えない。

 その理由が“魔物”には思いつかなかった。

 “魔物”は心を飛ばしてセッドを宥めながら問いかける。セッドは鼻を啜り、詰まりながらも答えた。

 自分が人間ではない事。何かの姿を真似、その同族に近づく魔物である事。崖の下に棲んでいた時に少年が落ちてきた事。

 死にゆく少年の心を読み、姿を真似ていくうちに、自分が本当にセッドと呼ばれた少年になったかのように思えてきた事。

 それならば、少年がしたかった事をしたいと思うようになった事。

 セッドの前に座った“魔物”は静かにそれを聞いていた。

 姿を真似る魔物の中には、記憶や匂い、気配すら真似て生半な手段では看破出来ない能力を持つ物がいる事は昔“銀なる竜”に聞いて知っていた。

 だがそれが人の心すら真似てしまうのは年経た“魔物”も初めて聞く事であった。

 瞳に浮かぶ怯えの色や汗の匂いから、セッドと名乗った魔物が嘘をついているようには到底思えない。

 崖下に投げ落としていた花束は、本当のセッドへの手向けだった。

 かつては半ば水のような姿であった為に、本当のセッドから服を脱がせた後に崖を這い上がる事は出来た。だが今の姿になってしばらくしてからは、本来のセッドが死に際に持っていた気持ちが強くなり、崖を下りるどころか下を覗き込む事も怖くなっていた。

「ほんとはお墓、作りたいんだけど……」

 俯きながら言うセッドに、“魔物”は自分が本当のセッドを埋めた事を伝える。すると、まだ涙を浮かべる顔を“魔物”に向けて言った。

「ありがとう」

 誰かに礼を言われるなど、久しく無かった。しかも人の姿を取っていても、魔物に言われたのは初めての事ではないか。

 くすぐったくなるような気持ちに“魔物”は笑みを返したかったが、牙が生え耳まで裂けた口ではそれも出来ない。

 と、“魔物”の耳に遠くからセッドを呼ぶ声が聞こえてくる。少し長く話過ぎたようだ。心を飛ばすのは一瞬で意図が伝わるが、セッドからの返答は言葉に頼るしか無い。

 “魔物”は立ち上がると、そっとセッドの頭に手を置いた。心を飛ばすのは、触れていた方が正確な意図が伝わりやすい。

 “魔物”が伝えたのは二つ。今日の事を黙っていてくれたら、セッドには何もしない事と、今度二人で本当のセッドの墓を作ろう、と。

 セッドは破顔し、大きく頷く。

 匂いさえ無ければ魔物だと言う事を忘れてしまいそうだ。“魔物”は、笑い返すと言う事が出来ない顔をしているが、その代わりにセッドの頭を撫でて、彼を探す父親達の方へと促した。

 セッドが座っていた岩にもたれかかるようにして“魔物”は空を仰ぐ。セッドと成った魔物が羨ましく思った。

 その夜、“魔物”が見た夢は自分も人間と触れあう夢であった。

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