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魔物の旅路  作者: 椚屋
魔物と少女
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目覚め

 ここ数日降り続いていた雨が、朝日の昇るのにあわせてやっと上がった。湿った深緑の青臭さが、森の中に満ちている。

 一匹の“魔物”はそんな匂いと、ねぐらの入り口を覆った毒蔦の隙間から差し込む朝日に眠りを破られた。

 身を屈めて入れる程度の小さなねぐらから顔を突き出す。

 煩わしい虫や物を知らぬ人間を退ける為の、触れただけで酷くかぶれる毒蔦すら“魔物”は意に介さない。人間の大人十人を殺せる果実でさえ“魔物”は平然と食べられる。かぶれる程度の毒など、鱗混じりの肌に効きはしない。

 “魔物”は、おおよそにおいて人に似た姿をしていた。しかしそれは立って歩ける体格をしていて、手と足が二本ずつ、頭が一つあると言う点においての事だ。

 その体は矢弾をも弾く灰色をした鱗に覆われ、手足の指先には鋼の刃を思わせる長く鋭い爪。長く太く鋭利な鱗に飾られた尾を持ち、二対の鳥のような黒い翼がその背から生えている。

 頭はと言えば、こめかみから伸びる短い一対の角はねじくれていて、牙が剥き出しになった口は蝙蝠じみた耳の辺りまで裂けていた。硬くごわついた髪に隠れがちな目や鼻の辺りだけが人に似ているが為に、余計に人で無い事実を強めていた。

 “魔物”は前髪をかき上げて辺りを見回す。

 視界一面に広がる深緑の中から、細い煙が幾筋もたなびいているのが見えた。“魔物”の翼ならすぐそこの距離にある、人間達の小さな村のものだ。


 “魔物”は歩くこともできない幼子が少女と言える歳になるくらいの間、この森の奥にある小さな山に住んでいる。その間、村の人間達と諍いを起こしたことなど一度もない。

 それどころか、冬眠しそこねた灰色熊や戦人くずれの山賊が村を襲ったときなど、ちょっと姿を見せて――時には戦って――追い返してあったこともある。

 “魔物”が今まで遭遇した他の魔物に比べれば、人間を襲った挙げ句に《魔物狩人》達に退治されることもなく、実り多い森の中で平穏無事に過ごしていた。

 中途半端に人間に似ている“魔物”なら、時間をかけていけば村人達とうち解ける事すら出来るかも知れない。

 今のところ、彼等は“魔物”を退治しようとは思っていないだろう。その証拠に、村から少し離れた場所に小さな祠を建て、時々は捧げ物などをしてくれている。最初は生きた牛や果実などを捧げられたのだが、生き物の肉をほとんど食べない“魔物”は、夜のうちに牛だけを村外れの農地に戻してやり、果実だけをありがたく戴いた。何度かそうしていると、村人達も果実やパンだけ捧げるようになった。

 “魔物”は我慢すれば季節一巡りくらいは何も食べずに済むので、この数巡りの間は、村人達からの捧げ物を食べて生きてきた。

 今までは下手に実りの季節に果実など探していると、森へ遊びに出掛けた子供達と遭遇したり、鹿などが“魔物”の気配から逃げ出してしまい、村の猟師達に迷惑をかけることもあったので、これはよいことだった。

 自分の姿が恐ろしいものだと、“魔物”は十分に承知している。頭だけが人間に似ているから、余計に人間達にとって醜く見える事も。戦慣れした山賊の中にさえ、“魔物”の姿を見て子供のように泣きながら逃げていった奴すらいた。

 “魔物”に時の流れは関係ない。少しずつ、ゆっくりと村人達とうち解けていければいい。


 ふと“魔物”はここ数日の眠りの中で見た夢を思い出した。

 昔の夢だ。年経た別の魔物――あれは白虎の変化だったか――と出会ったとき、彼女は“魔物”にこう言った。

『鋭き牙、巨木を打ち折る太き尾、我の毛皮をも引き裂く爪を持ちながら、何故、お前は人の肉を喰らわぬ? 我等は人の肉から力を得る。人を喰らわぬお前が、どうやってそこまでの力を得た?』

 魔物は人を喰うものが多い。肉を喰わぬにせよ、命を奪って己の力にするものもいる。それらは総じて、人をあまり喰わぬ魔物より力が強い。

 “魔物”が知る限り、人を餌食にせずに強い力を持っているものは、遙か北の山脈に住む“銀なる竜”と自分だけだ。

 “銀なる竜”は人や獣を襲うくらいなら、空に満ちる精や魔力を取り込んだ方がよほど力をつけられると言っていた。彼が言うには、生き物を喰らわねばならないなら、それはその者が『存在の階梯』を登り切っていない証らしい。そして自分以外を必要とする者もまた、『存在の階梯』を登り切っていないとも言っていた。

 “魔物”はまだ彼の領域には達していない。それに彼の言う『存在の階梯』を登り切ろうとも思わない。

 たぶんそれは、時々見る夢が原因だ。

 濃い霧の中の様な夢で、“魔物”は沢山の人が自分に笑いかけているのを見る。歯も生え揃わぬ幼子を自分に誇らしげに見せてくれる女がいた。焼きたてのパンを差し出してくれた男がいた。穴の開いた硝子玉を連ねた首飾りをくれた子供達がいた。


 すべて夢だ。


 しかし時間をかけていけば、それは叶うかも知れない。

 “魔物”が今まで住んできたどんな場所でも叶わなかったが、ここでなら叶うかも知れない。

 “魔物”がこの森に来た季節に生まれた少女は、ちょうど灰色熊に襲われかけていたところを助けたせいか、ほかの村人に比べて“魔物”を恐れていない。祠に果実を届けに来るのもほとんどその子だった。

 少女に妹が生まれたときなど『あの子が健やかに暮らせますよう、どうか村を守ってください。おねがいします』と、祠の前で祈っているのを見た。やっと機織りの手伝いが出来るくらいの年なのに、健気に妹の身を案じる少女に、“魔物”は滅多にしないこと――唸り声しか上げられぬ喉を介さず、心を直接相手に飛ばして意志を伝えた。

 心を飛ばすのは魔力を用いて行うので、魔法を嗜んだ人間以外には慣れない感覚だ。案の定少女はとても驚いたが、逃げ出すようなことはなかった。

 震える声だったが『ありがとうございます』と言っていたのを、“魔物”はよく覚えている。

 それから少女の妹が姉の機織りを手伝うくらい成長した今まで、“魔物”は少女に飛ばした言葉を守っている。

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