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碌でもない推測の中で、藻掻け part2

◇◇◇

 涼子との話が終わったことを美羽にメールで連絡し、翔桜は保健室に寄ることにした。

 はったりや駆け引き、だまくらかし合いで、翔桜の脳は疲弊しきっていた。美羽からの返信があるまで、少しでも横になりたかった。


「失礼します」

「よう翔桜、おつかれさん」

「……なんでお前がここにいるんだ」


 この一夏でこんがり焼けた顔に歯並びの良い白い歯を輝かせて、大樹は笑った。


「沙耶ちゃんのお悩み相談室に来てたのさ」

「悩み? 大樹みたいな能天気野郎でも、悩みとかあるんだな」

「人並みの青春を送りたいという希望を抱く、哀れな男ですから」

「なんだそれ」


 よく分からないが、深く聞く気もない。もし大事な事なら、あとで個人的に翔桜に話しに来るだろう。ふかふかとは言えないが、十分魅力的なベッドの脇に鞄を置く。


「先生、ちょっとベッドお借りしてもいいですか?」

「遠慮なくどうぞ、カーテンは閉める?」

「いえ、それすると本格的に寝てしまいそうなので」


 授業を全部寝ていたとはいえ、完徹の疲労は抜けきっていはいなかった。


「あ、でも大樹の話し続けるなら閉めたほうがいいですかね」

「いや、それはいーよ翔桜。どうせ人が来るまでのつもりだったし」

「……なんか、ごめんな」


 いーっていーって、と軽く流しながら、大樹はベッドの端に腰を下ろした。


「で、どうだったよ」

「ドロー、だってさ」


 重力に任せてベッドに横たわる。体にたまっていた悪いものがじわじわと抜けていっているような感じがする。

 ドロー。ドロー、か。

 自分の不甲斐無さに胸が苦しくなる。何度も何度も、心の中で美羽に謝り続ける。


「なんだそれ、どういうことだよ」

「ほんと、ふざけてるよ……」


 ため息を一つつき、翔桜は大樹と沙耶に事の顛末を話した。

 簡単に一言でまとめるならば、翔桜は美羽の無罪を証明しきれず、涼子は美羽の有罪を証明しきれなかった。春日井美羽が殺人を犯したかどうかは、グレーである。といったところだろうか。


「思ったよりもすごいやり取りをしていて、ちょっとびっくりしちゃった」


 手を口元にあて、驚いたように沙耶が言った。


「それ全部、一晩で考え付いたの?」

「えぇ、まぁ。本とかかなり買いましたし」


 オナモミを調べるのに買った図鑑三千円、SSR解析について勉強するのに買った参考書および教科書のような分厚い本、一万五千円。合わせて二万円近い出費だ。今月はしばらく母さんにお弁当を頼まなくてはなるまい。


「それにあれ、鬼揉みだっけ?」

「オナモミな」


 そこはかとなく卑猥な名前にするな。


「それそれ。そのたねだって、よく見つけたよな」

「あぁ。あれは、はったりだよ」


 早朝、ランニングをするおじさんや犬散歩をする若い男性たちに混じって、河川敷でオナモミを探した。夜図鑑を血眼で読んだ為か、そのあたりに生えている植物の名前が大体わかるのが何とも言えない気分だった。


 しかし、そう都合よくお目当ての物が見つかるはずもなかった。環境的には生えていてもおかしくなかったが、いかんせん時間が足りない。だから


「殺人現場の近くから摘んできたたねなんだよ、あれは」


 翔桜はオナモミの種子を見せる時こう言った。


『河川敷や学校に生育していても、なんらおかしくない植物です』


「俺は別に、見せたたねを殺人現場付近から採取してないなんて一言も言ってない」

「いいのかよ、それ」

「いいも悪いもあるかよ」


 善悪ではない。正しいか、間違っているかでもない。相手を納得させられるか、そうでないか。ただそれだけが明確なルールだった。


「美羽を助けられるなら、なんだってするさ」

「まぁ、それはそうだけど……」

「あの」


 それまで静かに話を聞いていた沙耶がおずおずと口を開く。


「九条君が採ってきたたね、涼子さんが持って行ってしまったのよね? そしたら、ばれてしまわないのかしら」


 沙耶の言い分は最もだ。今回は何故か、決定的な証拠になる解析を行わなかったが、実際にはDNAの全配列を解読されてしまえば、翔桜の持っていた種子がどこから採ってきた物なのかなど、簡単に推測されてしまうだろう。


「それはおそらく、問題ありません」


 だが翔桜は、そこに関しては危惧していなかった。今回のやり取りを経て一つ、翔桜には思うところがあった。


「それは、どうして?」

「これはあくまで憶測にすぎないのですが、おそらく涼子先輩は今回―――ちょっとすいません、メール見てもいいですか?」

「美羽さんからでしょう? 早く返事をしてあげてください」

「ありがとうございます」


 美羽からのメールでパンパンになった受信ボックスを開き、未読メッセージを開く。


『翔桜おつかれー! また話聞かせてね。今日は早く帰って、ゆっくり休みなよ!』

 

エクスクラメーションマークが二つに、犬だか猫だかの絵文字が一つ。やけにハイテンションなメールだ。


「なんだって?」

「おつかれって」

「よかったじゃん」


 全くよくない。そう言いたい気持ちを胸にしまい込んで、翔桜は携帯をしまう。


「先生、すいませんが話の続きはまた今度ということに」

「えぇ、行ってあげて下さい」


 この人の察しの良さは本当に天下一品だ。

 沙耶の理解に感謝を示しながら、翔桜は保健室を後にした。


◇◇◇

 あの日も確か、熱いくらいにあたりが橙色に染まっていた。

 この高校では、屋上は特別な時以外は解禁されない。だが、屋上へ続く階段を少しそれると小さな空間があり、壁にはくすんだ窓がはまっている。


「やっぱり、ここにいたのか」


 そんな誰も来ないような場所に、予想通り春日井美羽は座っていた。


「なんでばれたの」

「お前のことなら何でも分かる」


 メールを見れば、美羽の気持ちが沈んでいることはすぐに分かった。美羽は普段、絵文字を使わない。エクスクラメーションマークだって、使用頻度は低い。これらを使うときは総じて、何か嫌なことがあった時だと翔桜は知っていた。美羽自身に自覚は、多分ないのだろう。


「あの日俺が美羽を怒らせた時も、ここにいただろ。だから今回もそうかなって思って」

「別に今日は怒ってない」

「知ってる。だけど、いる気がしたんだ」


 翔桜の返答が納得いかないのか、頬を軽く膨らませた。


「何か、あったのか」

「何もない……けど」

「けど?」


 数拍の間をおいて美羽が吐露する。


「視線が鬱陶しかった」


 直接的に何か言われるようなことはなかったとしても、やはり好機の目線は集まってくるようだ。じわり、じわりと、噂は進行している。


「どこ行っても誰かに見られてる感じがしたから、どんどん人気のない場所に逃げたくなって、気が付いたら……ここにいた」

「そうか」


 きっとこの場所は美羽にとって、翔桜と初めて大ゲンカした後に着た場所で、そして仲直りができた場所だから、無意識に引き寄せられてしまったのだろう。


「美羽、ごめん。今日、無実証明しきる事、できなかった」


 自分にできる限りの精一杯の努力はしたつもりだった。もちろん勝つつもりで挑んだし、途中までは手ごたえもあった。

 けれど、そんなのは言い訳だ。いくら頑張っても、努力しても、結果が伴わなければ何の意味もない。極めて一般的で、常識的な概念。

 うなだれる翔桜の横で、美羽はくすりと笑った。


「ここにくると翔桜、謝ってばっかりだね」

「そう、かもな」


 高校一年生の時のことだ。


 ちょっとしたミスで、翔桜は美羽の持っていたある写真を破いてしまった。もちろんわざとやったわけではない。だからこそ翔桜は、いつまでも機嫌の悪い美羽に対し、素直に謝る気がなくなっていった。


 写真を破ってから三日後。いい加減謝りつかれてきた翔桜は思わずこう言った。『写真なんてまたとればいいだろ』。

 途端本気で怒られた。あまりに驚いてしまって、美羽がその場を去ってからも呆然と立ち尽くしていた翔桜の姿は、今でもクラスメイトの笑いの種である。

 消えた美羽を学校中探し回り、やっとこさ見つけた場所が、ここだ。


「結局あれ、なんの写真だったんだよ」


 破いたときは裏面だったので、翔桜は最後まで、あの写真に何が写っていたのか、知る機会がなかった。


「おしえませーん」


 意地悪くそういうと、目線を窓ガラスの向こうに向ける。下校する生徒たちの影が、ぼんやりと水の中にいるように映る。

 あの時は、謝れば許してもらえた。

 けど、今回は?

 謝って許してもらえるのだろうか。

 保健室を出際に、大樹が教えてくれた情報も、気がかりだ。


『今はSNSとかアプリとか掲示板とか、色々流行ってる時代だからさ』

『あんまり好きじゃないんだよな……』

『ちょっとは見たほうがいいと思うぜ。この殺人事件、映画と同じ詩を使ってるからかどうか分かんないけど、話題の伸びがすごい。この中に、いつ春日井美羽の話しが入ってきても、おかしくないくらいに、盛り上がってる』

『…………』

『最近の高校生なんて暇さえあれば携帯いじってるからさ。いったん広まると、やばいかもな』


 じゃぁお前は最近の高校生じゃないのか、という場違いな突っ込みを飲み込んで、翔桜は同意した。口頭での拡散以外の方法がある今、噂の広まる速度は尋常ではない。

 

 だが、翔桜にはどうすることもできない。

 例えば涼子の言う通り、これがゲームだとして、二回戦がいつ勃発するのか、見当もつかない。二回戦の開始はつまり、第二の殺人事件が起こった時。それがいつになるかなど、それこそ犯人しか知りえない。ならば翔桜にできることは、ただ挑まれるのを待っていることのみだ。


「わたし、何か涼子先輩に嫌われることしたのかなぁ……」


 美羽がぽつり呟く。


「どう、なんだろうな」


 涼子の行動には気がかりな点がある。

 本当に美羽のことを犯人だと思って追い詰めるにしては、今回の証拠の提示はあまりにも穴があった。たかが一介の高校生である翔桜に見つけられるほどに。


 例えばDNAの解析に関していえば、調べれば調べるほど、何故この手法を用いたのか、全く分からなくなった。SSR解析が方法として間違っているというのではなく、ただ、翔桜に付け入る隙をあえて与えるために選んだように思えた。


 だとするならば、おそらく涼子はSSR解析など行っていない。

 たとえ解析を本当に行っていなくても、それを翔桜が実証する手立てはない。検証結果を見せろと言ったところで、そのデータが本物かどうか判断するには一朝一夕の勉強では足りない。涼子が話し合いの場を一日後に設けたのは、これが原因なのではないかと思う。


 そして結果として、翔桜は「DNA解析を行った」という虚構の仮定の元、推理を行わなくてはならない。

 だから翔桜も、虚偽の証拠を提示した。オナモミの実は実際に学校や河川敷で採取したものではなかったが、それを涼子が確認するすべはない。


 さっきの対決はつまるところ、ドローの形を取るべくしてとったということだ。 それはさながら、涼子の描いた筋書き通りに、翔桜が動き、考え、滑稽に踊る、一寸の劇のようであった。

 上辺だけの、机上の空論を振りかざし合う推理対決だ。

 

 翔桜の推測でしかないが、これらのことを踏まえて、涼子の狙いは、犯人を本当に捕まえたい、というわけではなさそうだ。

 美羽と翔桜をこの状況に陥れ、虚構の推理劇を続けさせること。それが涼子の狙いなのだろう。

 

 ただ、それは何故なのかは分からない。本当に美羽に個人的な恨みがあるのか、はたまた翔桜に嫌がらせがしたいのか、全く見当もつかない。だが同じ学校の生徒を犯人呼ばわりするという自分の立場をも危うくするような行動をとっている以上、涼子も必死なのではないかと思う。

 

 ならば、踊ろう。

 涼子の書いた筋書きに懸命についていきながら、その裏で、彼女の真意を解き明かそう。

 美羽を助けるためには、それしかない。


 どれくらいの間沈黙があったのだろうか。自分の決意を口にするため、翔桜が口を開くと


「美羽、俺――――」

「翔桜、わたし――――」


 同時に、美羽も口を開いた。まるで示し合わせたかのように、声が重なる。


「「頑張るから」」


 それぞれの思いを込めて二人は言った。

 茜色に染まった空気だけが、その様子を静かに見守っていた。



◇◇◇

 現実はいつだって唐突で、決して思い通りには動かない。

 そんなことは、分かっていたけれど


「さぁ九条君」


 分かってはいたけれど


「推理劇を、始めましょうか」


 きっとそんな経験をしたことがなかったから。

 心の底から、理解していたわけではなかったのだ。

 

 二回戦が、始まる。

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