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碌でもない推測の中で、藻掻け part1

◇◇◇

 一限から六限の授業を潔いほどの勢いで全て寝た翔桜は、図書館へと足を向けた。一生懸命教えてくれていた先生方には悪いが、徹夜明けでふらふらの頭で涼子と話すのは自殺行為でしかない。

 

 学校に来てから今までの間で記憶に残っている出来事といえば、大樹が昨日の事件が朝刊で取り上げられていたと教えてくれたことと、美羽がクラスの女子としゃべっていたことくらいのものだ。

 前者に関しては翔桜も知っていたし、驚くほどのものでもなかった。「私を殺したのはだぁれ?」になぞらえた連続殺人事件になるのではないかと、ネットもその話題で持ちきりだった。

 新聞やウェブにまとめられていた情報をまとめると、以下のようになる。


 被害者の名前は藤原有香ふじわらゆか。年は二十一。X県立大学に所属する大学生三年生。

 発見されたのは昨日の午前九時頃。匿名の電話から。

 死因は喉を切られたことによる出血死。凶器は見つかっていない。

 現場の状況から、被害者はその場で殺されたようである。

 垣根を乱暴に通り抜けた跡があり、被害者と殺人犯はここを通ったと思われる。

 死体の上にはマザーグースの詩の一説が書いてあった。

 その詩はどうやら「My mother has killed me」の一説のようで、映画と同じく、連続殺人につながる可能性があるのではないか。


 新聞では直接的な表現や、細部はごまかされていたが、どこから漏れたのか、ウェブ上では様々な情報が飛び交っていた。

 中には「自分が犯人である」という書き込みをする者もおり、翔桜をいらだたせた。嘘八百を書いたものは他にも沢山あったが、現場を見た翔桜には、真偽を選別することができた。

 今日の涼子との戦いで必要そうなものは全てピックアップし、頭に入っている。


 一方、後者に関しては少し驚いた。


『おはよー、美羽』

『お、おはよ』

『ねぇねぇ変なこと聞くけどさ、昨日の殺人事件に美羽が関係してるって噂、ほんと?』

『なにそれ、そんなわけ、ないじゃん』

『だよねー! なんか隣のクラスのやつが喋ってんの聞いてさー。馬鹿じゃねってかんじ』

『言い出した人誰なんだろうね。正直あり得ない。美羽かわいそすぎ』

『二人ともありがと……たかが噂だし、あんまり気にしないことにするよ』

『ま、ほとんど誰も信じちゃいないから大丈夫だよ! 噂なんてすぐ消えるって!』

『そーそー! それよりさー、今日の放課後あそこいかない? 新しくできた――――』


 このあたりから翔桜の記憶は途切れている。

 噂は確かに広まっているようだ。しかし、発生源が涼子であることを、二人は知らなかったようだし、殺人事件の犯人であるという内容で広まっているわけでもなさそうだ。

 やはり学校の生徒が殺しをした等という突飛な噂は、いくらなんでも浸透しにくいのだろうか。

 美羽の居場所がなくなるかもしれないという予測は早とちりだったのかもしれない。


 今日、涼子に美羽の無実を証明して見せればそれで解決するにしても、美羽が苦しい思いをする時間が無くなったのはうれしかった。

 引き戸を滑らせ、図書館の中に入る。本独特のにおいが、閉鎖された空間の中でこもった匂いがする。


「来ましたね」

「えぇ」 


 読んでいた本を閉じると、涼子は立ち上がり言った。


「無駄話をするような気分でもないでしょうし、さっそくはじめましょうか

「助かります」


 図書館の一角は放課後、文芸部が借り切っている。衝立ついたてができるので大きな声を出さない限り話し声は周囲に漏れないし、そもそも放課後に図書室に来るような生徒はほとんどいなかった。


「今日は他の文芸部の生徒はこないんですか」

「週一の集まり以外は、ほとんど誰も来ませんよ。たまに来る子もいますがおそらく今日は大丈夫なのではないかと」


 最悪誰か人が来れば中断すればよい。今から話す内容は、できるだけ他人に聞かれたくなかった。


「じゃぁ心配ないですね、始めましょう」


 鞄を机の上に置き、涼子を見据える。大丈夫だ、涼子の言い分には、沢山の穴がある。そう自分に言い聞かせ、口火を切る。


「いくつか質問があります。まずアリバイに関してですが、涼子先輩が示した死亡推定時刻は、信じるに足る情報なのですか?」


 どうやって涼子が知ったのかはわからないが、死亡推定時刻の間、美羽にアリバイがないのは確かだ。しかしそれはあくまで、死亡推定時刻が正しければ、の話だ。


「なるほど、確かにそこは明らかにしておく必要がありそうですね」


 ノートに何かを書き込みながら、涼子が答える。


「私の父は、警察官です」


 そしてこの事件に少なからず関わっています、と続けて言った。翔桜にとってはあまりよくない情報だ。


「死亡推定時刻やその他様々な現場状況は父から直接聞いたものです」

「家族に殺人事件の内容を、そんなに簡単に話していいものなのですか?」

「私の助言で解決した事件がいくつかありますし、問題はないようですね」


 父親が警察官であることを証明してもらう必要はないだろう。

 少し調べればわかりそうなものだし、なんとなくではあるが、涼子はそういった関係の人物と、深くかかわっているような気がしていた。


「わかりました。その点に関しては信じます」

「ありがとうございます」

「ただ、その時間にアリバイがないから、という理由で美羽を犯人だとするのは、おかしいですよね」


 死亡推定時刻の時間帯にアリバイを証明できない人間など、探せばもっといるはずだ。にもかかわらず、美羽だけに焦点を当てた理由。それは


「えぇ、そうですね。ですが、春日井美羽の服に付着していた植物のたね。このDNA組成が、現場付近に生育していた植物の種子と一致しているのです」


 DNAの一致。やはりここが重要な鍵となる。


「服に付着していた、と言いましたが、それは制服ですか?」

「えぇ、制服です」

「事件が起こったのは、早くとも夜の十時。そんな時間に制服でうろついていては、不自然に目立ちそうなものですが」

「たまたま見つからなかったのでしょう。運のいいことに」


 確かに涼子はアリバイが無いとは言っても、現場付近での目撃情報があったとは言っていない。


「では美羽は、その時制服を着ていたと」

「そうなりますね」


 体の脇で、小さく拳を握る。いい流れだ。


「もう一つ。死体は、首筋を刃物か何かで切られていましたよね」

「えぇ」

「返り血が、つくと思うんです。制服に」


 暗くてよく見えなかったが、少なくとも死体の体には、べったりと血がこびりついていた。首筋を切るほど近づいたのに、制服に血が付かないなんてことが、あるのだろうか。


「知ってると思いますが、少量でも血は簡単には取れません。けれど昨日の美羽の服にはそんな跡はなかった。仮に美羽が殺人を犯していたとすれば、当然制服は着替えるでしょう。つまり」


 ここから考えられる結論は一つ。


「美羽の体に付着していた種子は、殺人現場付近に生えていたものと同一ではない」


 鞄から図鑑を取り出し、オナモミのページを開く。


「昨日見せてくださった植物のたね。オナモミですよね」

「……えぇ」

「オナモミは別に珍しい植物じゃない。あの公園では殺人現場以外の人が良く通る部分は手入れがされていて、全て刈り取られてしまっていますが……」


 さらに鞄からビニール袋を取り出し、オナモミの種子を机の上にばらまく。


「河川敷や学校の敷地内には、いてもおかしくない植物です」


 固い、緑色の種子には先の曲がった棘が無数についている。これがマジックテープのように衣服にくっつくことで色々なところに種子が運ばれ、分布を広げるらしい。

 オナモミの種子をつんつんとつつきながら、涼子が口を開く。


「確かにそうかもしれませんが……肝心のDNA組成について、九条君は言及していませんよ? あれが一致しているということは――――」

「一致していることが、本当に現場付近のものと同一の種子であると、断言できる証拠になるのですか?」


 涼子の示したDNA組成。これが最も堅牢な証拠であり、そして、最も脆い弱点だ。


「SSR解析、でしたよね」

「えぇ」

「調べましたよ、一晩かけて」


 正直、暗号を読んでいる気分だった。一晩かけた今でも全く原理を理解できた気はしない。けれど、確かに分かったことがある。


「この解析は、DNA配列の一致をしめすものじゃない。タイプで決めているんだ」


 DNAの全配列が一致したのであれば、それは疑いようもなく現場付近に生育していたオナモミの種子だ。しかし、涼子の口にした解析は、全く違う種類のものだった。


 例えば国産牛が三匹並んでいたとしよう。その中で一匹だけ輸入牛だという情報が入った。しかし見た目には判別がつかない。

 そんな時SSR解析を行えば、ある部分のDNA配列が、国産牛はⅠタイプ、輸入牛はⅡタイプであるとわかり、仕分けをすることができる。


「九条君、解析に使えるSSR部位はたくさんあります。その幾つかが一致したということが重要なのです」

「えぇ、わかっています。ですがSSR部位は親子間で一致しやすい性質があるはずです」


 よくテレビドラマやニュースなどで聞く親子鑑定やDNA鑑定というのは、これと同じ原理の様だ。親と子の間には共通のタイプがある。植物においてもそれは同じで、親子間はタイプが一致することが多い。


「オナモミは動物散布でしたよね」

「……現場付近のオナモミの種がどこかへ運ばれて、成長していた。それが春日井美羽の体に付着していた。そういうことですか」

「学校内や近くの河川敷ならば、十分にあり得る話なのではないかと」


 美羽の体に付着していた種子は現場付近に生育しているオナモミのものではなく、別の場所でくっついたものである。

 そしてそれは、涼子の言ったSSR解析の結果をもとにしても、十分に可能性のある話である。


 この二つが、翔桜の立てた、美羽の無罪を証明する説だった。

 涼子の提示した証拠に、論理的に反論しているはずだ。


「この、オナモミの種子」

「はい」


 動揺を悟られないよう、気を付けて声を出す。


「どこで採取したんですか?」

「さっきも言ったように、学校とか河川敷とか、そのあたりです」

「詳しい位置情報は」

「いや、そこまではちょっと……あ、帰りに写真とか撮ってくればいいですか?」


 最後の発言をするのは、相当勇気が必要だった。


「……結構です」


 涼子の返答に内心ほっとしつつも、表情はそのままに保つ。心臓が恐ろしいくらい早く脈動している。


「……ぁ……ょう」

「……? すいません、もう一度言ってもらってもいいですか?」


 とても小さな声で、うまく聞き取れなかった。独り言だろうか。


「いえ、気にしないでください」

「そう、ですか」


 翔桜の心臓は、依然早鐘を打ち続けている。穴のない、完璧な筋書きを展開したつもりだった。それなのに、涼子の顔から、余裕が、笑顔が、消えていない。


「さて、では反論です。まず一つ目」


 すらりと長い人差し指を天井に向かって立てる。


「制服に血が付いているはずだ、という話でしたが、おそらく九条君の言う通り、昨日着ていたものは事件当日に着ていたものとは別物でしょう」


 涼子の発言に、翔桜は眉をひそめる。


「ですから、それだと種子のDNAは証拠にならないということに……」

「鞄についていたんじゃないでしょうか」


 血の気が引くのが分かった。その可能性は、全く考えなかった。


「学校指定の鞄、布製ですよね。あれにだってオナモミの種子はくっつきます。事件当日は、そちらにくっついていた。血の付いた制服は家で脱ぎ捨てて、ゴミとして処理したのでしょう。確か昨日はゴミの回収日ですし」


 美羽が制服を着ていた、という前提は翔桜が固定してしまった。制服を着ていたならば、学校指定の鞄を持っていることはなんら不思議ではない。


「そして新しい服で学校に登校。その時に、鞄にくっついていたオナモミの種子が、偶然制服にくっついてしまった」


 結果、涼子に反論を許す結果になった。衣服にばかり目を取られ、持ち物にまでは頭が回っていなかった。


「こういう可能性も、ありますよね?」

「ないとは……言えませんね」

「これに絡めて、二つ目」


 じりじりと後退している気持ちになる。精神的に少しずつ、追い詰められている。しかしまだ、翔桜には大きな後ろ盾が残っている。それだけが救いだった。


「事件翌日、春日井美羽の登校時間は予鈴ぎりぎりの八時四十五分。校門に入ったのは八時四四十三分です。この間、学校に生えているオナモミの実が付く暇はあるのでしょうか?」

「…………」


 美羽から来たメールは確か八時半。あれはおそらく起きた直後に送ってきたものだ。美羽の家から学校までは走って十分弱。おそらく涼子の言っていることは正しい。


「加えて河川敷は春日井美羽の家とは逆方向です。わざわざ朝からそんなところに行く必要が、あるのでしょうか」

「……その理由を説明する必要は、今はないはずです」


 涼子が同期の説明を渋った時と同じ文句を、そのまま返す。


「そうですね。では、時間的にそちらに寄る余裕はなかったであろう、という推測にとどめておきます」


 涼子が知っているのかは分からないが、美羽から来たメールの履歴からもそれは間違いなかった。


「そして最後に」


 三本目の、薬指が指が立つ。生ぬるい汗が脇を伝う。


「SSR解析の結果は、現場のオナモミの種子と、春日井美羽に付着していた種子を同一とみなすのに不十分な証拠である、と言いましたが」


 翔桜に残された最後の砦。そこに今、涼子の手がかかった。


「同じ論理でお返しします。その理屈は全く逆でも同じことが言えます」

「…………あ」

「『現場のオナモミの種子と同一でない』という事象の説明にはならない。要するに」


 完全に一致しているわけではなく、他の場所に生育しているオナモミの種子である可能性を見つけて、翔桜は浮かれていた。これで美羽の冤罪を晴らせると思っていた。


「完璧な無実の証明としては、不十分です」


 だが一歩足りなかった。

 美羽を開放することが、できなかった。

 あっさりと、いとも簡単に、翔桜の反論はかわされてしまった。


「……美羽を犯人とする完璧な証拠でも、ないはずです」

「えぇ、それは認めましょう」


 悪あがきのような翔桜の言葉に、しかし意外なほど簡単に、涼子が身を引いた。


「今回はドローですね」

「ドロー?」


 涼子言葉に、引っかかりを覚えた。不愉快ですらあった。そんな、まるでこれが


「ゲームみたいな言い草、やめましょうよ」

「なにいってるんですか」


 そんな翔桜の気持ちも知らないかのように、いやもしかしたら、知っていてあえて、涼子は言う。


「ゲームですよ? 春日井美羽という女性の人生を賭けた」


 瞬間、体の中をどす黒いものが駆け巡る。体内に蓄積させておくにはあまりにも醜悪でおぞましいそれを、涼子の胸倉をつかみ上げることで発散する。


「ふざけるなよ。今すぐ、取り消せ」

「何を怒っているんですか?」

「美羽の人生を弄んで何が楽しい」

「ゲーム、したことないんですか?」

「質問に答えろ。なんでこんな馬鹿げた芝居に付き合わないといけないんだ」

「ゲームって何かを賭けてるじゃないですか。時間とかお金とか、もしかしたら、プライドとか」

「美羽に何の恨みがある」

「それが人生に変わったから、一体なんだっていうんですか」

「答えろ!」

「うるさいですねぇ……」 


 その時、翔桜の口はとても無防備だった。するりと、とても簡単に涼子の指が滑り込む。


「ちょっと黙っててくれますか」


 甘い。


 あまい。


 アマイ。


 この、味は


「ぐっ……うぅう……っ!」

「吐かないでくださいね。掃除面倒くさいですから」

「あっ――――はっ……おっぇ……」


 まさかチョコレートで拷問される日が来るとは思わなかった。それほどまでに、体があの時のことを記憶しているのか。


「えーっとどこまで喋りましたっけ。あ、ゲームの話しですね。さっきも言ったように、ゲームって何かを賭けてるじゃないですか。ゲームって言っても、テレビゲームとかだけの話しじゃないですよ? 競争だって派閥争いだって、いわばゲームです。友達作りだって勝ち負けがありますし、ゲームですね。九条君は考えたことがありますか? 自分がなんとなく過ごしているうちに、誰かを負かしてしまっていて、それでの人の人生を変えてしまっているかもしれないって。ないですよね、なさそうです。でも、あるんですよたった一つのゲームが、たった一回の出来事が」


 涼子の声は、話が進むにつれてだんだんと声量が上がってきていて、そして次のセリフは


「人生を一変させるってことが」


 とても静かだった。


「だからね九条君、あんまり深く考えないでおきましょう? 今まで賭けていた見えなかったものが、見えるようになっただけなんですよ」


 涼子の話している内容は半分も理解できなかった。一つだけ分かったことは、翔桜は、この人からは逃れられないという絶望的な状況だけだった。


「今日は楽しかったです。あ、このオナモミの実はもらっておきますね」


 がさがさとビニール袋の擦れる音がする。翔桜はまだ、立ち上がれない。


「それじゃぁ、九条君」


 すらりと長い足が、机越しに立ち去っていくのが見えた。


「また、今度」


 何一つ解決せずに。状況を好転させることもできずに。翔桜はしばらく、床にうずくまる事しかできなかった。


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