不条理な真実の中で、戦え part2
◇◇◇
本日二度目の保健室の来訪にも関わらず、沙耶は変な顔一つせずに招き入れてくれた。
それどころか、目の前には落ち着くからと入れてくれたハーブティがある。まさに至れり尽くせりだった。
「大丈夫ですか、九条君」
沙耶の声はとても優しく、その一言であらゆる気持ちが伝わってくるようだった。
大丈夫とはとても言えないが、それでもさっきよりは幾分かましだった。ここに連れて来てくれた大樹には感謝しなくてはならない。
「何があったんだよ翔桜。昼飯一緒に食うやつ探すの、苦労したんだぜー」
「木村君、今は九条君のペースで、話させてあげてくれるかしら」
「あ、すいません……」
やんわりとたしなめられ、大樹は口をつぐんだ。
こういった気遣いは正直ありがたい。黙っている事を受け入れてくれる姿勢というのは、とても居心地がよかった。確か沙耶は、学校の生徒以外の相談にも乗ることがあると、誰が言っていた。色々な人に人気があっても全く不思議ではない。
「ごめんな大樹、今から話すから、ちょっと待ってくれ」
さて、どこから話そうか。朝の死体を見たところを打ち明けるのは、問題がある気がする。事態をややこしくするし、今問題なのはそこではない。
「……公園で、事件がありましたよね」
「みたいだなー。授業中抜け出して色々首突っ込んだ生徒が超怒られてたけど」
「殺人事件、らしいわね。学校にも警察が来て、色々と話しをしていたみたい」
やはり二人の耳にも事件の噂は入っているようだ。
「その、殺人事件の犯人が」
口に出すのも嫌だが、無理やりひねり出す。
「美羽だって、涼子先輩が……」
「は? んなわけないじゃん」
驚くほど速く、大樹が否定の言葉を発した。
「え?」
「ん? 何驚いてんの? まさか翔桜、それ本気にしてんのか?」
「い、いや、そうじゃないけど……」
そうだ、これが普通の反応だ。
友達が、クラスメイトが、殺人事件を起こすはずがない。自分もこれくらいバッサリと切り捨てられれば、どれほどよいだろうか。
「色々と、証拠を持ってこられてさ……」
「証拠?」
「あぁ」
そこで翔桜は涼子が提示した二つの証拠、アリバイと、DNA鑑定の話をした。
大樹と沙耶の顔は、先ほどよりも深刻なものになるが、それでもやはり美羽が犯人であるという可能性は薄いと考えているようだった。とてもありがたい。
「アリバイに関しては穴だらけな気がするけど、DNAってのが厄介だよなー」
穴だらけ。本当にそうなのだろうか。昨日返信のなかったメールが気にかかっていた。美羽は昨日の夜、いったい何をしていたのか。翔桜がそれを知らないのは間違いなくイレギュラーな事だった。
「どうすんだよ、翔桜。明日先輩に美羽の無実を証明するんだろ?」
「今考えてる」
さっきよりも思考はクリアだ。二人が話を聞いてくれたのも大きいし、大樹が一つ一つ確認してくれている事が、情報を改めてまとめなおすきっかけにもなった。
「九条君」
「はい」
今まで黙っていた沙耶が、九条に声をかける。その顔は、今まで見た中で一番真剣だった。
「美羽さんの無実を証明するため、思考を働かせる。その選択は間違ってないわ。でも、今あなたが一番しなければならないのは多分――」
沙耶が目を伏せる。長いまつげが、瞳を隠す。
「――美羽さんのそばに、いること」
あっ、と情けない声が漏れた。
「そして今の状況を、正しく伝えてあげて。九条君が味方だと、教えてあげて。じゃないと彼女、つぶれてしまうわ」
「……大樹ごめん、先行くな」
誰かの口から、歪曲した噂を耳にする前に。
訳も分からないまま、不条理な真実の中に放り込まれる前に。
今の状況を正しく認識している自分が、美羽に伝えなくてはならない。一番、何よりも大切なことだ。
「急いでるところごめんなさい。最後にもう一つだけ」
「なんでしょう」
ドアに手をかけた状態で立ち止まる。情けない話だが、早く美羽の近くに行きたくてたまらなかった。
「私も、春日井さんが犯人だとは思わない。職業柄、色んな生徒、学生と話をしてきたけれど、人の命を奪うことのできる子なんて、ほとんどいないわ」
ほとんど、という部分に、逆に信憑性があった。
「きっと、霧沢さんは間違っている。何か勘違いをしてしまっているの。春日井さんを救えるのは、あなたしかいない。けど、霧沢さんを救えるのも、あなただけ」
純粋に犯人を特定したい気持ちから、勘違いして、暴走して、今の状況が出来上がってしまっているのだとすれば、確かに涼子は今、危険な立ち位置にある。同じ学校の生徒を犯人呼ばわりするのは、自分の立場を喪失する行為だ。
「だからお願い。二人を、救って」
「……はい」
朝のあの一件さえなければ、素直に頷けていただろう。今の翔桜には、沙耶ほど純粋な気持ちで、涼子の行動をとらえることができなかった。
けれど、涼子の真意が分からない以上。前に進むしかない。彼女の真意を聞き出すためにも、翔桜は明日、美羽の無実を証明しなければならないのだ。
◇◇◇
メールはしょっちゅうやり取りしていたが、電話をするのは久しぶりだった。
「もしもし翔桜? どうしたの急に」
「美羽、今どこにいる?」
保健室で二人と喋っていた時間は思っていたよりも長かった。
気づけば既に課後に突入している。大樹には六限をさぼらせてしまったようだ。ごめんな、今度ポンデリング奢るからな。
「どこって、部室棟横の花壇だけどいったいどうして……」
「すぐ行く」
「は? 今日風邪ひいて休んでるんじ」
話の途中だが電話を切った。部室棟なら、すぐそこだ。
翔桜の通うX高等学校は昔全寮制だった。今はその制度もなくなり、普通の学校として機能しているが、その時の寮棟が改築され、今では部室棟として使われている。
滑り止めが鈍く光る階段を走って降り、目的の場所にたどり着く。
「美羽!」
「わ、ほんとにきた」
青いホースを手に、美羽が振り返る。園芸部の当番だろうか。足元には園芸用の土が入った袋が置かれていた。
「翔桜、風邪ひいてたんじゃなかったの? なんで学校来てるのよ」
「風邪は……ひいてない」
「じゃぁ何、今日来てなかったのはさぼり? いけないんだー」
息を整えながら、美羽の様子を伺う。ちょっと意地悪気に笑う、整った顔。土いじりをするためか、セミロングの髪は後ろに束ねてある。制服は綺麗に洗濯されているのか、シミひとつない。
蛇口の栓を回し、水を止めると、慣れた手つきでホースをしまっていく。
いつもの美羽だ。
「なによさっきからじろじろ見ちゃって。珍獣じゃないんだから」
「今日、何か変なことなかったか?」
ちらりとこちらに目を向けながら、土の入った袋を持ち上げる。重そうなので、代わりに持つことにする。
「ありがと。変なこと? メールに書かなかったっけ。パトカーが来てたって。あれ、殺人事件だったらしいよ。怖いよねー」
「それ以外では?」
立てつけの悪そうな倉庫の扉をあけて、スコップや植木鉢を中に入れた。その横に、土の袋を置く。
「たとえば?」
「えーと、なんだろう。じろじろ見られたりとか、すごい観察されたりとか、あとは……」
「無視されたりとか?」
電気ショックにあったように体が跳ねた。
「されたのか?」
「うん、されたされた」
「誰に?」
すごい剣幕で問い詰める翔桜をじっとりと見つめて、美羽は答えた。
「翔桜に」
「は?」
「さっきから人を深海から釣り上げたダイオウイカみたいにじろじろ見つめてくるし、元気なのにメールは無視するし」
ほら、と鼻をちょんと触られる。
「されてるでしょ?」
「そ、そういうことじゃなくて……いやまて、メール最初に無視したのは、美羽じゃないのか?」
この調子だと、まだ美羽が犯人だという噂は、本人の耳には入っていないようだ。間に合ったことにほっとしつつ、本題に入る。
「なんのこと?」
「昨日の夜、なんでメール返してくれなかったんだよ」
涼子の言ったアリバイがない、という言葉が頭の中で反芻する。翔桜の鼻から人差し指を離すと、美羽はくるりと逆を向いた。
「色々あったって書いたじゃん。それとも何? わたしからのメールが来なくてそんなに寂しかった?」
「あぁ、寂しかった」
「っ……。ご、ごめん」
「分かりきったこと、聞くなよな」
少しこっぱずかしくなって、頬をかく。美羽はこちらに背を向けたまま、小さな声で言った。
「今日は、ちゃんと返すから……。だからその、昨日何があったかは聞かないでほしいの……」
「……そうか」
いつもなら、ここで引き下がる。
美羽が翔桜に隠し事をすることは基本的にない。あるとしても、いずれ教えてくれると経験的に分かっている。だが今回はそうもいかない。タイムリミットは明日なのだ。
「じゃぁ、昨日の夜、誰かと一緒にいたか?」
「一人だよ? お母さん、一昨日から実家帰ってるし」
かみしめた奥歯が嫌な音を立てる。美羽の父親は単身赴任をしている。昨日の夜の美羽の行動を示してくれる人間は、いない。
「し、翔桜? わたし別に、誰か他の……お、男の人といたとかじゃ、ないよ?」
「分かってるよ」
「じ、じゃぁさっきからなんで昨日の夜のことそんなに……なんか、事情聴取みたいだよ」
あながち間違っていないセリフに、翔桜は苦笑する。
「ごめんな……ちょっと色々あってさ」
「……それは、わたしが聞いてもいい事?」
美羽の基本スタンスはこれだ。無理に立ち入ってこようとしない。一歩下がって、相手の意見をまずは聞く。なんとなく沙耶に近いものを感じる。
「むしろ、それを話すために来た」
「そっか、じゃぁ聞く」
長い話になると予測したのだろう。壁際のベンチに腰掛け、自分の横をぽんぽんと叩いた。
翔桜はそこに腰掛け、そして話した。
今朝、涼子に連れられ、死体を見た事。
そして殺人事件の犯人が美羽だと、涼子が言ったこと。
美羽の無実を晴らすために、明日涼子と戦うこと。
すべてを話し終えた後、少し間をあけて、美羽が口を開いた。
「そっか、だから翔桜、来てくれたんだね」
「まぁ、な」
沙耶に言われて気づいたというのは、この際伏せておいていいだろう。
「ありがと」
美羽の頭が、肩にこつんと乗った。
「翔桜は、どう思う?」
「何が」
「わたしが、犯人だと思う?」
「地球が爆発しても、ない」
「そっか」
美羽は頭がいい。
自分が犯人だと涼子に公言されたことで、いったいどの様な状況になるのか、すぐに分かったのだろう。涼子の立場、自分の立場、学校での位置関係を性格に把握しているからこそ、おそらく翔桜よりもリアルに想像できてしまう。
怖々と肩に手を回す。今回は、成功した。
「昨日の夜のこと話したら、翔桜は戦いやすくなる?」
呟くように美羽が言った。
きっと彼女ならそういうと、わかっていた。
「いや、いい」
だからちゃんと準備しておいたとおり、翔桜はさらりと断る。
「美羽が隠したいことを、無理やり聞きたくない」
聞けば、涼子に打ち勝てるかもしれない。けれど、勝てないかもしれない。
そんな不確実な未来のために、美羽の秘密をこじ開けるのは翔桜の本望ではなかった。それほどに、自分たちの間での隠し事には重みがある。
翔桜がその内容を察することができればいいのかもしれないが、生憎翔桜には見当もつかなかった。
「ごめんね」
「そこは礼を言うところだ」
「……ばか」
「何故罵倒なんだ」
日が暮れてきていた。橙色のカーテンが柔らかく一帯を包む。
「ねぇ、翔桜」
「なんだよ」
「わたし、平気だよ」
肩にかかる重みが少し増す。ぬくもりも、大きくなる。
「翔桜は味方なんだよね」
「当たり前すぎて言葉も出ない」
「なら、大丈夫」
きっと大丈夫なんかじゃない。それでも彼女は、しっかりと言った。
「大丈夫、なんだよ」
「美羽……」
「だから翔桜。無理はしないで」
この期に及んで人の心配をするなんて、とんでもない大馬鹿者だ。そんな美羽の為だからこそ、翔桜は迷わず戦える。
「……さ、かえろっか。もうすぐ、強制下校時間だしさ」
ベンチから立ち上がり、いつものような声で美羽は言った。
「あぁ、そうだな」
彼女を家に送り届けてから、まずは本屋に行こう。明日涼子と対面するまでは、まだ二十四時間近くある。
いくつか頭の中に浮かび上がった案を練り上げるため、翔桜はその日、栄養ドリンクを五本飲んだ。