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不条理な真実の中で、戦え part1

 目を覚ますと、清潔な天井が目に入った。

 周りを囲むカーテンに雑音が吸収されている為か、やけに静かに感じる。

 頭が変に重い。病気とかではなく、ただ単に寝すぎただけな気がした。


 今は、何時だろうか。


「九条君、目が覚めましたか?」


 カーテン越しにくぐもった声が聞こえた。保険医の森部沙耶が顔をのぞかせる。


「おはようございます、森部先生。今って何限ですか?」

「おはよう、ですか」


 沙耶は何がおもしろいのかくすくすと笑うと、ベッドの周りのカーテンを開けた。


「もう三時ですよ」

「え!」


 あまりの驚きにベッドから飛び降りる。スプリングが痛そうな音を立てた。

 朝、あの衝撃的な事があってから、授業を受ける気も起らず保健室に入り込んだ。 保険医の沙耶は真っ青な翔桜の顔色を見ると、とりあえず寝なさいとベッドを空けてくれた。


 因みに沙耶は気分が悪いといえば大体寝かせてくれる。あまりにも優しすぎるため逆に生徒が遠慮し、不必要に保健室で寝る者がいなくなったともっぱらの噂だ。赴任当初は簡単にさぼらせてくれる為か「ちょろ部」などとあだ名がつけられていたが、今ではそのおおらかな性格と整った容姿から「天使」や「女神」と呼ぶ人がいる様だ。全くもってすさまじい手のひら返しだ。


「寝すぎた……」

「あまりにも気持ちよさそうに寝てたから起こさない方がいいかな、って。起こした方がよかったかしら?」


 本気で申し訳なさそうな顔をされ、翔桜は苦笑する。


「いえ、大丈夫です。長々と失礼しました」


 三時ということは、五限か……もう帰った方がいいかもな、なんてことを思いながら鞄を肩にかける。


「いつでもまたいらっしゃい。あ、そうだ九条君」


 そういえば、美羽に何の連絡も入れてなかったと思い、携帯を開く。返信できてなくてごめん、というタイトルのメールと、風邪? というタイトルのメールが来ていた。


「はい、なんでしょう」

「なんだか、近くに沢山パトカーが来てたみたいなの。物騒だし、今日は早く帰った方がよさそうよ?」


 びくりと、体が反応した。もしかして、公園にあったあの死体が発見されたのではないか。だとしたら、涼子が通報したのだろうか。

 自分は何も悪いことをしていないというのに、冷たい汗がするりと肩甲骨のあたりを滑り落ちる。


「九条君、大丈夫?」

「えぇ、平気です。教えてくださって、ありがとうございました」


 足早に保健室を去りメールを確認する。


『ちょっと色々あって返信できなかった。ごめんね。寝坊しちゃって一緒に行けないかも』

『教室にいないけど、風邪かな? それなら無理して返信しなくていいからね。今、学校の外にパトカーが沢山ととまってて、なんかすごいよ』


 一通目が八時半。二通目が九時頃に来ている。翔桜があの死体を見たのはおそらく一通目がきたあたりのはずだから、涼子はすぐに警察に通報した、ということなのだろうか。

 そもそも、何故涼子はあの死体を、あんな方法で自分に見せたのだろうか。


「……いや、もう考えるのはよそう」


 ハエのたかった死体やチョコレートの毒々しい味が蘇り、気分が悪くなる。当分チョコ系統の食品は喉を通らないかもしれない。

 美羽に、気分が悪くて保健室で寝ていたこと、昨日はいったい何をしていたのか、という内容のメールを送信し、携帯をしまう。

 おそらく沙耶から担任に連絡はいっているだろうが、一応今日は早退する旨を担任に伝えようと職員室に向かう。


「く、じょ、う、君」


 心臓が大きく脈打った。まるで鈴の音が聞こえると涎を垂らすパブロフの犬のように、今後この声が耳に入ると、自分はおびえてしまうのではないだろうか。


「……涼子先輩」

「今朝は置いて行ってしまってごめんなさい。急用ができてしまって……。あ、よく眠れましたか?」

「お陰様で」

「それはよかったです」


 最大級の皮肉を華麗にスルーされ、翔桜は大きく息を吐いた。


「なんの、用ですか」

「九条君に、話しておきたいことがありまして」


 とても楽しそうに言うと、廊下の壁に寄りかかった。窓からは、体育終わりの生徒が校内に入っている様が確認できた。もうすぐ五限が終わる。


「分かったんです。私」


 終了のベルが鳴る。


「今朝の事件の、犯人」

「え?」


 遠くから沢山の椅子が床をこする音が聞こえた。

 休み時間特有の喧騒が校内に溢れていく。


「なら、早く警察に言わないと」

「さっき分かったので。だから今から報告しようと思ってます。でもその前に、九条君に伝えておこうと思って」


 今朝のお詫びに。と付け加え、寂しそうに笑った。一応気を使ってくれているのだろうか。

 

 保健室のある廊下は、一般の教室からは少し離れている。

 二人の周りにはまだ生徒がちらほらとしかいなかった。



 だから



「隣の公園で起こった殺人事件の犯人は」



 涼子の声は大きくなくとも、とても聞き取りやすくて



「春日井、美羽さんです」



 きっと幾人かの生徒に、聞こえてしまったのではないかと、思った。



「はい?」

「理由はいくつかありますが、順を追って説明しますね」

「え、ちょっと……」


 急な展開に理解が追い付いていない。今日は朝からおかしな負担が脳にかかっているのだ。


「まず、死体の死亡推定時刻は昨日の夜二十二時から二十五時頃と推定されています。この間のアリバイが、春日井美羽にはありません」


 だからそんなに早く喋られても、反応できない。第一、美羽が犯人? そんなこと、あるはずがないではないか。


「次いで、決定的なのが春日井美羽の体に付着していたこの種子です」


 ポケットからジップロックを取り出し、翔桜に見せる。中には半分に切られた植物の種のようなものが入っていた。


「この種子は動物散布といって、動物や人の体にひっつくことで散布されます。今朝方、春日井美羽の服にこれがくっついていたのを確認し、回収しました」

「だから、あの……」

「DNA回収のためにサンプルを切り取り、研究所に送付。加えて死体周辺に生育していた同じしゅの種子を採取。これも送付しました。そして抽出したDNAを用いたSSR解析の結果――――」

「涼子先輩、ほんと、ちょっと待っ……」

「春日井美羽の体に付着していた種子と、死体近辺に生育していた植物の種子のDNA組成が一致していたことが分かりました」


 だから、と涼子は繰り返す。


「犯人は、春日井美羽である可能性が、非常に高い」


 自分の理解を置いて、勝手に美羽を犯人に仕立て上げている涼子が心の底から腹立たしくて、翔桜は声を荒げた。


「ちょっと待ってって、言ってるじゃないですか!」


 マラソンを走り終えた後のように、呼吸が荒い。髪の毛を乱雑にかき乱し、翔桜は言った。


「なんなんですか、いきなり! 美羽が犯人? そんなこと、あるわけがない!」

「どうしてですか?」


 涼やかな声。いや、これは冷ややかな声だろうか。


「美羽が殺人なんて、するわけがないからです」


 翔桜の返答に、涼子はわずかに口元を上げて答えた。


「理由になっていませんね。もっと的確に、私の挙げた証拠に対して、しっかりとした論理をぶつけてください。そんな返答、小学生でもできますよ?」

「なっ……」


 翔桜の中で苛立ちが指数関数的に増加していく。二、三拍の間をあけて、思考を整理しながら口を開く。


「……美羽には、動機がありません」

「動機? そんなもの、どうでもいいです」

「は?」

「私は今、彼女が犯人である物的証拠を提示しているんです。これに対しての否定要因は、証拠の誤り、もしくは無効化できる何らかの別の情報を持ってきてくる事に他なりません。第一、なんとなく人を殺した、という人が存在しているこの世の中で、動機なんて曖昧な理由を求められても、困ります」


 涼子の言葉を咀嚼しながら、翔桜は爪を噛んだ。

 彼女の言いたいことは分かる。分かりたくもないが、美羽が殺人を犯す動機を示す必要は、今のところは確かにない。


「春日井美羽の体に付着していた種子と、現場周辺の種子のDNA組成、これが一致したのは紛れもない事実です。これをどう、説明するのですか?」


 くだらない。実にくだらない。

 よく考えれば、本当にそのなんとやらという解析をやったのかどうかすら、涼子は自分に示していない。こんな馬鹿げた話に取り合う必要なんて、本来ならば、ない。


「くそっ……」


 馬鹿馬鹿しいと一蹴し、この場を去ればいい。

 だがそれは、許されなかった。その逃げ道は既に防がれていた。


 「犯人は春日井美羽である」という涼子の言葉は、間違いなく何人かの生徒に聞かれていた。殺人事件の噂は既に、学校に広まっているはずだ。それと同様に、この情報が広まるまでに三日とかからないことは容易に想像できる。


 さらに問題は、この発言をしたのが元生徒会長の涼子ということだ。

 圧倒的存在感と発言力を持っていた彼女は、それ故にこの学校において間違った発言をしたことがない。そんな彼女が、犯人は春日井美羽であると公言した。真実がどうであれ、これはただの噂の様なふわふわとしたものではなく、ある意味一つの真実のように生徒の中に浸透してしまう。


 そうなれば、美羽の立場はどうなる? 

 大人しく自己主張の少ない彼女の居場所は、いったいどこにある?


 美羽の平和な日常を守るためには、この馬鹿げた涼子の推理を否定しなくてはならない。

 自分が涼子を、言い負かさなければならない。

 だが――――


「すこし、時間を……ください。だから、その……警察には、まだ……」


 今は、ダメだ。

 涼子の提示した二つの推論に対し、まともな反論をできるほど、翔桜の頭は正常に動いてなかった。焦燥と不安だけが脳を支配していて、ただただ思考は空転する。


「わかりました」


 こうなるとわかっていたかのように、涼子はさらりと答えた。


「明日の放課後、図書室に来てください。そこであなたの反証を聞きましょう。それまで警察には報告しないでおきます」

「ありがとう……ございます」


 涼子の顔を、見ることができない。なぜか、自分がとても悪いことをしてしまっていて、それを弁明する機会を与えてもらった、そんな気分になる。


 涼子に挨拶もせず、ふらふらとその場を離れ、当てもなく歩く。


 どうすればいい。どうすれば美羽を救える。こんな風にしている間にも、噂はあっという間に広がってしまって、染まってしまって、美羽の立場を危うくしてしまう。

 だめだ、そんなのはだめだ。けれどどうすればいい。何からはじめればいい。


「翔桜?」


 同じところでくるくると回る思考を止めたのは、大樹の声だった。


「なにしてんだ、こんなとこで……お前、すげぇ顔してるぞ?」

「大樹……俺、どうしたら……」

「うぉ、びっくりしたいきなり掴むなよ。なんだどうした。そういえばお前、今日朝から保健室にいたらしいじゃん。もう一回戻って休めよ。なんか汗もすごいし、こんなんじゃ家にも帰れねぇだろ」

「そんな場合じゃないんだ。早く、早く何とかしないと……」

「んー? よくわかんねぇけど、肩貸してやるから、一緒に行こうぜ。話があるなら、そこで聞くから、さ」


 大樹の腕が背中に回り、体が半分持ちあがる。こいつめちゃくちゃ力強いんだな、なんて呑気な事を、頭の片隅で思った。


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