鮮やかな惨状の元で、踊れ part1
◇◇◇
「いや、やっぱり勘違いだわ」
夕日に照らされて赤く染まる廊下を歩きながら、翔桜は独り言ちた。
目指すは実行委員の拠点となっている教室。
目的は涼子のぱしりだ。
『文芸部の展示の件、笹佐さんに報告して来てください』
『いや、でも涼子先輩が行く方がいいんじゃ……』
『私の家の夕飯。今日はハンバーグらしいんです』
『は、はぁ……』
『しかも、私の大好きなデミグラスソース添えなんです』
『良かったですね。でも、それとこれと何の関係が』
『早く食べたいじゃないですか』
『あー』
『早く、帰りたいじゃないですか!』
『わかりました行きます』
こんな感じで、翔桜は見事にぱしられたのだった。
今日、あの謎を解かれたことでわずかに生じた先輩に対する不信感は、速攻で塵と消えた。
「失礼します」
少々立てつけの悪い扉をスライドさせ中に入ると、一人で机に向かって書類を整理する紗英の姿があった。
笹佐紗英。冗談みたいな名前だが、皆に一発で覚えてもらえるからと、本人は結構気に入っているようだった。
「お、翔桜君。もしかして展示内容の報告に来てくれたのかな?」
「話が早くて助かるよ。はい、これ」
先輩のまとめた資料を手渡し、手近な椅子に座る。
「はーいどーもー。あ、ねぇ翔桜君。この『ハロウィンってなんぞ? 日本人ならかぼちゃだろパーティ』なんだけどさ、あまりにも長すぎて鬱陶しいから、話すときは略してかぼちゃパーティーにしようと思うんだけどどうかな」
「もう好きにしたらいいと思うよ」
ハロウィンってなんぞ? 日本人ならかぼちゃだろパーティ、略してかぼちゃパーティーは、仮装文化祭のようなもので、生徒みんなが何かしらの仮装をして校内の展示物を見て回る。
文化祭と違うところはこの仮装と、出し物をクラス毎ではなく部活毎に、ハロゥインをテーマに行うというところ。そして何より、開始が夜六時からという点だろう。夜の学校という少し変わったシチュエーションの元、実行委員による様々なイベントが催されるこの行事は、去年発足したばかりであったが、絶大な人気を誇っていた。
因みにイベント名の由来は、発案者である涼子曰く、『日本人だってハロゥインしてもいいじゃないですか。あ、あれですか、和名じゃないから皆あんまり馴染みがないんですか? じゃぁいっそのこと和訳しちゃいましょう! えーと、ハロゥインだから……かぼちゃで!』ということらしい。色々突っ込みどころは満載だが、とりあえず仮装は日本由来のもの、ということになっている。
「なるほど、文芸部はかぼちゃの紙芝居をするんだねー面白そう!」
「そうか?」
正直どんな内容になるのか全く想像ができない。栽培から出荷、そして人々の口の中に入るまでのハートフルドキュメンタリーにすればいいのだろうか。
「うん、絶対ウケるよ!今年も盛り上がりそうだなぁ楽しみだなぁ」
鼻歌でも歌い出しそうなほど上機嫌に、紗江は資料をクリアファイルにいれた。
「やっぱり涼子先輩の作ったイベントは秀逸だよねっ。二度目のバレンタインも先には控えてるし、本命の文化祭も残ってるし」
「ちょっと遊びすぎな気もするけどな」
「それくらいが、ちょーどいいんだよー。勉強ばっかりしてちゃ頭ぱーんってなっちゃうでしょ?」
大袈裟なジェスチャーで頭が破裂する様を表現した紗江の意見に、心の中で少し同意する。
実際、うちの学校の平均的な学力は涼子が生徒会長だった時が最高らしい。それが涼子のお陰なのかどうかは分からないが。
「そーいえば翔桜君、美羽ちゃんはどうしたの?いつも一緒なのに」
「あぁ、今日は俺が部活に出てたから別行動なんだ。あいつも、俺には見られたくない買い物があるらしくて」
ほら、っと携帯を見せる。
今日は一緒に帰れない、ごめん、という翔桜のメールに対する返信「大丈夫。わたしも翔桜に見られたくない買い物があるから丁度いい」という文章を見て、紗江が笑う。
「わー、ときめきだねー、どきどきだねー! 一体なに買ってるのかな?」
それに関しては大方目星がついている。携帯をポケットにしまいながら、翔桜は答えた。
「まぁ、下着じゃなんじゃないかな」
そんなもの、今更隠す必要ないのに、とは思う。勿論変な意味ではなく。
「翔桜君ってさ、基本的には害がないんだけど、どうしようもなく馬鹿だしデリカシーない時あるよねー。うちの犬みたい」
「コメントし辛い評価をありがとう」
肩に鞄をひっかけ、立ち上がる。日は大分傾き、教室は茜色に染まっていた。
「俺はそろそろ帰るけど、笹佐さんはどうする?」
「んー、もうちょっと仕事してからかえろっかな」
「待ってようか?」
夏も終わり、日の出ている時間は短くなりつつある。暗くなってから女の子が一人で帰るのは、何と無くさせたくなかった。
予想外の申し出だったのか、一緒こちらを見据え、少し大きな声で笑った。
「ありがと、翔桜君。でもいいよ、美羽ちゃんに怒られちゃいそうだもん」
「あいつはそんな事じゃ怒らないぞ?基本的に心は広いから」
この前街ですれ違った女性をべた褒めしたらむくれてしまったから全面的に推す訳にはいかないが。
「いーからいーから、ほれ、ハウス」
「わん」
反射的に答えた事を若干後悔しつつ教室を出る。
紗江の飼い犬は大層よくしつけられている事だろう。
◇◇◇
翔桜と美羽は付き合っているわけではない。
何と無く一線を越える機会を逸してしまった。そんな関係だった。
中学二年生から知り合ったので、幼馴染、というには少し語弊がある。
転校してきた美羽を見て、あー、この子いいなぁ、と翔桜は思ったし、多分美羽も同じ事を思ったのだと思う。
美羽はあまり喋る方ではないが、翔桜の前では普段よりも饒舌になっている気がした。
それが嬉しくて、沢山の時間を共に過ごした。にもかかわらず、何の一線も超えてない事を友達には大いに責められるが、どうやったら超えられるのかを逆に聞いてみたいくらいだ。手を繋いでみたことはあるが、あれは失敗だった気がする。
当然の様にメールも、おはようとおやすみはほとんどかかしたことがなかった。
それなのに
「なぜだ……」
新着メッセージ無し。
いつの間にか寝てしまったらしく、朝日がカーテン越しに差し込んでいる。照明はついたままで、何と無く罪悪感にかられた。
昨日の夜、美羽にメールを送った。いつもならすぐに返って来るはずの返信は待てども待てども返って来ず、布団の中で携帯と睨めっこをしていたのだ。
風呂に入るなら「お風呂」というメールがくるし、寝るなら「おやすみ」というメールがくる。
一体どうしたのだろうと少しモヤモヤとした気持ちを抱きつつ顔を洗う為に洗面所に向かう。
いつもなら当然のように知り得た情報が突然入ってこなくなると、こんなにも不安になるのかと、新鮮な気分でもあった。
「まぁ……いいけどな」
冷たい水が、眠気や不安を払い落としてくれるようだった。
どうせ通学路で一緒になる。その時にでも、何があったのか聞けばいい。
そう考え、翔桜は身支度を始めた。
「おはようございます、九条君」
何て変な日なのだろう。
いつもなら美羽に出会うその場所に、今日は全く違う人物が立っていた。
「おはようございます、涼子先輩」
高校生活二年生目もハーフタイムを超えた頃だが、一度だって涼子と通学路で鉢合わせることはなかった。そもそも、彼女の家はこちら側ではない気がする。
「珍しいですね。こんなとこで会うなんて」
「まぁ、そうでしょう。私の家は真逆の位置にありますから」
「なんでここにいるんですか」
まさかわざわざ自分に会いにきたわけではないだろう、そんな恋人みたいな――――
「それはもちろん、九条君にあいにきたんですよ?」
そういうの免疫がないのでやめて下さい。とは言えず、目を明後日の方向にやる。
「一緒に行きたいとこがあるんです」
そう言うと、涼子は至って自然に翔桜の手を取り、歩き出した。
「ちょっ、先輩?」
手は美羽とは一回繋いでるからセーフだよね、いや待って何がセーフなのセーフとかセーフじゃないとか意味わかんない。意味わかんないといえばこの状況だけど、あ、これ美羽に見られたらやばくないか?一週間は口聞いてくれなさそう、それは嫌だ。
混乱した頭の中は結局そんな下らないことばかりを考えていて、自分が今どこに向かっているのかを認識したのはかなり後になってからだった。
「なんで公園に?」
翔桜の学校の隣には大きな公園がある。犬の散歩やウォーキング、ちびっ子たちの遊び場、恋人との逢瀬など、様々な用途に用いられている。
学校に接している部分は防犯も兼ねてか、大きな木や生垣があり、一カ所を除いてアクセスできないようになっているのだが
「先輩、関係者以外立ち入りの方に向かってませんか?」
その、唯一アクセスできる場所に涼子は向かっているようだった。
小さな出入り口ではあるが、学校と公園をつなぐ通路があるのだ。しかしここは、鍵がなくては通れないはずだ。
「勘がいいですね」
「まぁ、なんとなくですけど…というか、あそこは鍵がないと入れないはずじゃ…」
翔桜の目に、銀色の鈍い光が入る。
「元生徒会長を舐めないで下さい」
いいのかそれは?と内心で突っ込みつつ、涼子に引っ張られる。
殆ど使われていないのか、道はとても歩きにくく、枝葉が服に絡まりそうになる。
加えてなぜか、ハエがとても多い。
「なんか、凄いハエにたかられてるんですけど…」
ブンブンという不愉快な音と、目の前を螺旋飛行する黒い塊を避けるように首を大きく振る。
「何の目標も立てず、ただ毎日をのうのうと生きているだけの人間を生きているとは言わない。そんなのは、死んでいるのと同じだ」
「はい?」
「ハエの気持ちを、代弁してみただけです」
にっこりと笑って一瞬振り返ると、そう涼子が言った。ひどく罵倒された気分だが、そんな事よりも、涼子の顔が気になった。
いつも通り綺麗な笑顔だったが、どこか、普通ではない気がした。鳥肌が立つ。
「先……輩?」
「さぁ、付きましたよ九条君」
ようやく到着した錆びかけた扉に鍵をいれる。かちゃりと冷たい音を立てて、扉が開いた。
「さぁ、中へ」
言われるがままに、ついて行く。
そこは学校の裏庭だった。
普段は殆ど人の出入りがない為か、あまり整備されてはいない。
「こっちです」
「え?」
裏庭を少し、公園と学校を隔てている柵沿いに歩いたかと思うと、あろうことか涼子は柵を登り始めた。柵はしっかりとした作りをしていて、人が一人二人乗ったくらいでは壊れそうになかった。
不思議なのは、わざわざ鍵を開けて学校の敷地に入ったのに、何故柵を超えて再び公園の敷地内に入ろうとしているのかというところだ。
「ほら、九条君も登って、公園側に来て下さい」
「あ、えと…」
下着が丸見えです、とは言えず素直に従う。スカートで柵を登れば、見えてしまうのは仕方がないのだが、そんな事も気にならないくらい、自分を連れて行きたい場所があるのだろうか。
「仕方ないか…」
鉄製の二メートルちょっとくらいの柵を一気に登り、着地する。
そこは、少しだけ開けた場所になっていた。といっても面積は三メートル四方ほどだろうか。
周りは幹の太い木々や、生垣に囲まれていて、とても暗い。
地面はよく見えないが、雑草などが生い茂っている感じではなかった。
着地した場所をよく観察しようだとか、涼子先輩はどこにいるのだろうかとか、色々な事が頭の中を巡りはした。
だけどそれは、目の前のある物を見た瞬間、全て流れ去ってしまった様だ。
人の死体。
本やテレビ等を見る事で、自分たちは何と無く、それに触れ慣れている気がしているのではないだろうか。現物を目の当たりにしても、取り乱さない様な気がしているのではないだろうか。
実際、には。
こんなにも、重々しくて。
こんなにも、惹きつけられて。
そしてこんなにも、本能に、訴えかけてくる。
「なん、で」
その疑問は、色々な意味合いがこもっていた。
何でこんなところに死体があって。何でそれを自分が目の当たりにしていて、何で涼子先輩がここに連れて来たのか。
何で
どうして
何が、何で、何故
何故に何故にそれだからつまるところ何でどうしてこんな事になっていてダメだ目を逸らしたいそらさないとあぁでもあんなにも存在感があってそこにあってそんなところに横たわっていておかしいだろうこんなのはおかしい何でどうして何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故
「あぁあああ――――」
「しーっ、静かに、九条君」
叫び出しそうになった翔桜の口を、柔らかで滑らかな手が塞ぐ。
次いで、布の様な物が口の中に滑り込んで来た。
叫び声は布に吸い込まれ、くぐもった音となって放出される。
「――――――――――――っ!」
「ダメですよー、大きな声あげたら。大丈夫、私がついてますから。深呼吸をしましょう? 吸ってー、吐いてー、吸ってー吐いてー、はい、上手です。いい子いい子―」
まともな思考が働かず、ただ言われるがままに深呼吸を繰り返す。
頭を優しくなでられると心地が良い。
柔らかな体で包まれると心が落ち着く。
気が付けば翔桜は両手を涼子の背に回し、きつく抱きしめていた。そうでもしなければ、気が狂ってしまいそうだった。
「落ち着きましたか、九条君」
口の中から、布が抜き取られる。
「は……い」
「そしたら、これを食べてください」
再び、口の中に何かが入れられる。
この場にそぐわないほど甘く、口内の熱で緩やかに溶けたそれを、嚥下する。
「チョコレート……?」
「えぇ」
優しい声音と共に、白い両手が翔桜の顔を包む。
そして
思いっきり、死体の方向に顔を向けられる。
「このチョコレート、あの死体のポケットの中に入っていたんです」
途端。
柔らかな甘みは毒々しく変化し、胃の中を蹂躙する。
内臓が激しく痙攣し、異物を出そうと捻じり捩れる。
「吐いちゃだめですよー。これ以上現場を荒らしたら、それこそ問題ですし」
その通りだ。殺人現場の横に嘔吐なんてしようものなら、厄介毎に巻き込まれかねない。
逆流する吐瀉物を必死に嚥下する。食道が焼け付くように熱い。涙がこぼれ、鼻水が垂れ、気持ちの悪い汗で制服はべっとりと体に張り付いている。
「がっ……げほっ、げほっ……あっ、げっ……ぐぅ……」
「ちゃんと飲み込むなんて、とっても偉い子です。ご褒美のなでなでですよー」
「……めて……さい」
「どうしたんですか?」
「やめて、ください……」
どうにか口にした、荒れた喉から絞り出した声は掠れていて、自分の声とは思えなかった。
目の前の惨状から必死に目を反らし、木立を見据える。鬱蒼と隙間なく茂る木々の中で、一か所だけ、人がようやく通れそうな穴が開いているのがなんとなく目に入った。
「だーめー、ですっ」
頭の上下を固定され、死体を直視させられる。
「ちゃぁんと見とかないと、あとで後悔しますよ?」
「い、いやだ」
死体は、女性だった。
服のあちこちが破れ、強引に脱がされかけたような跡もある。
木の葉や枝、その他土埃が服にくっついていた。
「ねぇ九条君。これはお願いじゃないんです。命令、なんです」
「命……令?」
のど元に生々しい傷がある。ここを切られたことが、死因なのだろうか。
「そうです、ただ、従うだけでいいんです。楽でしょう? 何も考えずに、ただ私の言うとおりにしていればいいんです。そうすれば、学校に一緒に戻ってあげますから」
「戻して……」
「そう、ちゃんとこの光景を、目に焼き付けたらいいだけなんです。簡単でしょう?」
「は、い……」
暗くてよく見えないが、きっと大量の出血があったに違いない。地面にどれだけの血液がしみ込んでいるのだろうか。
よく見ると、女性の胸の上に一枚のカードの様なものが置いてあった。綺麗にラミネート加工されたそれは、かすかに入り込む太陽の光を反射して鈍く輝いていた。
「あそこのカード、なんて書いてありますか?」
カードには汚れがなく、字は簡単に読み取れた。
この一か月で散々目にした、聞き飽きた言葉が、ゆらり踊る。
My mother has killed me,