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狂気に満ちた脚本を、穿て part2

◇◇◇


 橙色のベールに包まれたような夕方。時間が水あめの様に流れる放課後。人の影はまばらで、笑い声が遠くから聞こえる。

 廊下を歩く自分の足音がいつもより大きく感じた。

 

 鼓動もいつもより早く、力強い。

 緊張しているのだろうか。

 

 少し考えて、違うな、と思った。

 今自分は興奮しているのだ。

 何度も何度も目にした光景。けれど、実際に自分が手をかけるのは、これが初めてだ。

 

 人を殺すのはどんな感覚なのだろう。

 今回の凶器にはナイフを選んだ。

 

 これを腹に刺し、そして捻じる。

 心臓付近はダメだ。意外と骨が邪魔をして、上手く刺せないと聞く。

 

 捻じる時はやはり抵抗があるのだろうか。

 体の内部は内臓がたっぷり詰まっていて、いわば肉の塊だ。

 

 そこの中でナイフを一回転させるとなると、結構な力が必要かもしれない。

 準備体操をしておくべきだっただろうか。


「ふふっ……」


 思わず笑いがこぼれた。

 いけない、最後まで気を張っていなければ。


 気づけば、待ち合わせ場所のすぐ近くまで来ていた。

 この角を曲がれば、あの子に会える。

 こっそりと顔だけをのぞかせ、様子を伺う。


 件の場所には既に彼女がいた。

 すべての元凶である、春日井美羽がいた。

 こちら側に背を向け、無防備に立っている。


「あなたが悪い」


 そう、全てこいつのせいだ。

 こいつが死ぬのは自業自得だ。だから殺しても、何も悪くない。


 それ以上自分に言い聞かせる必要はなかった。

 体はごく自然に動き、ごく自然に命を刈る為の動作に入る。

 ゆっくりと近づくと、春日井美羽が振り返った。


 最初は顔がこちらを向く。その次に、自分と喋るために、体が向く。


 その時。


 腹部がさらされたその瞬間。

 隠し持っていたナイフを最低限の動作でとりだし、振り絞り、そして。


「さよなら」


 突き出す。


 突き出す。


 突き出そうとした。


 突き出したはずだった。


 けれど手が動かない。腕が固定されている。

 誰かに腕を掴まれている。

 振り返ると、そこには一人の男の子がいた。


 複雑な想いのこもった少年の眼は、微動だにせずこちらを見ている。

 数秒間沈黙があった。

 誰もその間、動かなかった。

 やがて、少年が口を開く。


「あなたじゃなければいいと、思っていたのに」


 こういう時は、もっと違うセリフがあるのではないだろうか。

 場違いにもそんな事を考えている自分が、なんだかおかしい。


「森部先生」




 犯人を捕まえたとき、人は何というのだろう。「やはりあなたでしたか」「全てお見通しです」「犯人はあなたです」どれもあり得そうで、それでいて今、翔桜が発したい言葉とは違っていた。


 だから翔桜はこう言った。


「あなたじゃなければいいと、思っていたのに」


 自分たちを陰ながら支えてくれていた。

 支えてくれていると思っていた相手は今、凶器を握っていた。


「森部先生」


 その瞬間、物陰から複数の影が飛び出した。

 がたいの良い男たちは瞬く間に沙耶を取り囲み、武器を取り上げ、身柄を拘束する。


 そして後ろで組まされた手に、手錠がかけられた。


「どうして気づいたの?」


 警察に引き起こされながら、沙耶が翔桜に問いかけた。その顔はとても朗らかで、優しくて、だからこそ狂気を感じた。

 何故、沙耶が犯人だと気付いたのか。

 今朝交わした涼子との会話が脳裏をよぎる。



『さぁ、あなたの答えを聞かせてください』


 人気のない図書館に移動した翔桜と涼子は、いつもの場所で向かい合って座っていた。


『涼子先輩、あなたは第一の事件現場を見たとき、既に犯人が絞り込めていたんでしょう?』


 翔桜の問いかけに、涼子は答えない。ただ目を細め柔らかく微笑んでいる。肯定の意ととらえ、翔桜は続ける。


『犯人が二人いる事、そのうちの一人が学校の関係者であること。そして、このままでは事件が決して解決しないとあなたは察した』

『どういう意味ですか?』


 あくまで涼子は、言葉ではしらを切り続けた。そう、これはあの勝負の続きなのだ。自分には全てを説明しきる義務がある。


『殺人を犯した人間と、カードを置いた人間が違う。この事実から、一つの疑問が生じます。それは何故カードを置いただろうという事です』


 わざわざ事件現場にカード、しかもマザーグースの詩を置く意味はなんだろうか。

 この詩は映画にも使われていた。

 映画では詩に沿った死に方をしていた。ゆえに、詩と死のかかわりは明確だった。


 しかしこの事件はどうだろう。


 カードが無ければただの殺人事件。それを、続きのある詩がかかれたカードがあることで、あたかも連続殺人がこれから起こることを暗示している。


『あのカードは、異なる殺人事件をつなぐただのフェイクだったんですよ』

『それだけですか?』

『いえ』


 あのカードにはもう一つ意味がある。

 連続殺人に見せかけるためだけならば、何もマザーグースの詩を選ぶ必要はない。それをあえて犯人が選択する理由。


『自己顕示です』


 それは恐らく、あの詩ならば世間を騒がせることができるから。

 映画のお陰であまりにも有名になった詩を用いれば、否応なくマスコミメディアは騒ぎ立てるだろう。それをただ、楽しみたかった。


『なるほど。そうだとすると、少しおかしな点がありますね』

『なんでしょう』

『事件現場はとてもアクセスしにくい、見つかりにくい場所にあった。それなのにどうして、カードを置く場所としてあそこを選んだのでしょうか』


 その通りだ。

 また、第二の事件の場所も一般人には見つかりにくい場所だった。カードを置くだけならば、もっと違う場所で起こった殺人現場を用いればいい。


『それはカードを置いた犯人が、黒幕だからではないでしょうか』


 ホワイトボードを手繰り寄せ、AとBの文字を書く。


『Aが殺人犯。Bがカード置いた犯人とすると、BがAを唆し、Aに殺人を起こさせたんです』


 だからこそBは、殺人事件の起こる場所を知ることができた。

 逆に言えば、その殺人現場以外にはカードを置く気が無かったのだ。だから第一の事件で、わざわざ学校側から柵を登るような行動に出た。


 恐らく最初は公園で殺人が起こると予期していたのだろう。だが、Aが殺す前に藤原有香が逃げ出した。だからAもBも、追うしかなかった。


『例えばそれが合っていたとして、何故この事件が解決できない理由になるのですか? Bが黒幕なのだとしても、Aを捕まえればBが捕まるのは時間の問題のはずです』

『そう、そこです』


 計画的に練りこまれたBの策に比べ、Aはあまりにも乱雑すぎる。犯罪を重ねれば重ねるほど、警察に捕まる可能性は高くなるだろう。Bがこの事に気付いていないとは思えない。


『Bは直接手を下していない。だから捕まらない。けれど、それはAが捕まらなかったらの話しです』


 だからBは考えた。Aが確実に捕まらない方法を。


『簡単な事です。Aが死ねばいいんです』


 Aが死んでしまえば、Bが黒幕であると知る者はいなくなる。B自身をのぞいて。


『つまり藤原有香を殺した犯人は、第二の事件の被害者、加藤圭吾です』

『それなら、加藤圭吾を殺したのは誰ですか?』

『新しいAを工面すればいい』


 つまるところ、この一連の事件は連続殺人ではなく、リレー殺人だったのだ。

 一つ一つの事件の犯人は次に殺されていて、真実を知る者は消えている。


『佐藤涼、もしくは佐藤彩が犯人でしょう』


 だが個人的には佐藤涼が犯人であろうと思っていた。このリレー殺人を説明するには、それが一番しっくりくる。


『その二人は第三の事件で異なる手口で殺されていたはずですが、そこはどう説明しますか?』


 ここで考えられる可能性は二つある。

 一つは佐藤涼を彩が殺し、彩をBが殺した可能性。

 しかしこれは恐らくない。ここまで頑なに直接手を出してこなかったBが、突然出てくる理由が考えられない。


『佐藤涼を殺したのは、佐藤彩でしょう。そして彩は……恐らく自殺した』


 この点に関しては、ただの推測だ。

 Bが黒幕だとして、人を自殺に追いやるような、他人の人生を弄ぶようなことができるのかは分からない。


『確証はなさそうですね』

『その通りです、ですが』


 だが、一つだけ言えることは


『Bは最終的に余った一人を自殺させる予定だった』

『余った一人というのは、最後に殺人を行った人、という事ですか?』

『はい』


 リレー殺人を行っていけば、必然的に最後の一人は生き残ってしまう。

 事件の真相を知っている人間が自分以外に残っている状況を良しとしないBは、この最後の一人をどう処理するだろうか。


『B自身が最後の一人を処理するという可能性もあります。ですが、Bの目的はあくまで自分の手は汚さず、世間を騒がせること。だとするならば、Bは殺しを行わない。最後の一人は、必ず自殺させる』

『そうなれば、Bは永遠に捕まらない。ということですか』

『えぇ――――Bのシナリオ通りだったなら』


 これがBの描いたストーリー。自分は汚れず、堂々と胸を張って生きていける。それでいて、世間を混乱に陥れることができる。そんな歪んだ欲望を満たす脚本。


『そこで涼子先輩、あなたは考えた。Bを捕まえる方法を』


 第一の事件現場を発見し、事件の迷宮入りを予測した彼女は思考した。

 Bに関する情報はある。


 一つは学校の関係者であるという事。

 もう一つはBが自己顕示欲の強い人間であるという事。Bの目的が、世間を騒がせる事であろうという事実。


『Bが誰かは分からない。加えて、Bを捕まえる術はない』


 Bは決して表に出ない。自分の手で人を殺さない。


『だから引きずり出すことにした。春日井美羽を偽りの犯人に仕立て上げて』


 そしてその虚構の真実をばらまいた。

 噂を巧みに用いて、ネットにばらまいて、ありとあらゆる手段で春日井美羽が犯人であるという事実を、さも本当の事であるかのように刷り込んだ。


『そうすれば、注目は全て春日井美羽に向く』

『私がわざわざ九条君に推理勝負を仕掛けた理由になりませんが』

『あなたは確認したかっただけでしょう。自分の作り上げた虚構のシナリオに、信憑性があるかどうか。その作業に俺を選んだ、ただそれだけだ』


 翔桜の言葉に、涼子は何も言わずくすくすと笑った。そして、目で続きを促してくる。


『知ってますか、ネットでは今、この連続事件の犯人が女子高生かもしれないという噂が広まっているんですよ』

『一部では神の様に神聖視する人もいるようですね』

『えぇ、とんだ有名人ですよ』


 だがこれが涼子の狙いだった。

 自分の手で作り上げた脚本がつぶされ、何の関係もない女子高生が世間を賑わせている。そんな状況に、Bは耐えられない。


『Bは計画を変更した。だから佐藤涼と佐藤彩を両方殺すことで、いったんリレーを終了させたんだ』


 このまま当初の予定通りリレーを続行したとしても、それは全て春日井美羽の犯行になってしまう。


『リレーを終了させて、そして次に犯人はどうするんしょう』


 ここまでくれば、答えは一つしかない。


『美羽を、殺しに来る』


 おそらく次は、自分の手で。

 今話題になっている美羽が死ねば、また犯人は分からなくなる。そうなればまた混沌とした情報が流れ始める。メディアやマスコミが騒ぎ立てる。

 仮に今までと同じように他の者を使ったとしても、その対象は必ず春日井美羽だ。今までの様に、誰が誰を殺すのか分からない状態ではない。


『それで、これからあなたはどう行動しますか?』


 正解とも、不正解とも言わず、涼子はあくまで何も知らないスタンスで、翔桜に言った。

 この推理が合っているのかどうかは、これから分かる。


『少し、力を貸してください』



「ねぇ、どうして気づいたの? 九条君」


 優しい声。柔らかい物腰。包み込まれそうな母性。こんな状況でも失わない沙耶の全てに、翔桜は鳥肌が立つ。


「森部先生が犯人だと分かっていたわけではありません。ただ、候補の一人だっただけです」


 学校の関係者、その中でも公園につながる扉の鍵を持っている人間。

 さらにミス研の学生とかかわりを持つ機会があり、かつ自己顕示欲の強い人間。

 その三つの情報から犯人である可能性が高い人間を絞り込み、順番に呼び出した。周りに警察を控えさせて。


「ふふ、なるほどね。でもよくそこまでたどり着いたわね。ちゃんと邪魔してたはずなのに」

「……ミス研の情報をくれたのはやっぱり」

「えぇ、あそこに行っても、得られる情報は何もないと思ったから」


 少しだけ、期待していた。

 実は沙耶は犯行を止めて欲しくて、それで自分たちにヒントをあたえようとしたのだと。けれど違った。やはり真実は汚れていた。


「ミス研に行っても、自分の事はばれないと」

「私は個人的に彼らの悩みを聞いてただけだったから。証拠になりそうな情報は、何一つないの」


 拳を強く握りしめる。

 だったら。

 

 あの時流してくれた涙も、嘘だったんですね。

 美羽の為に流したのではなくて、ただ、自分の為に、自分が注目されないその事実に打ちひしがれていただけなんですね。

 

 そう口にしようとして、やめる。今言ったところで、どうしようもない事だ。


「ねぇ、聞かないの? 何でこんなことをしたのか」

「聞きませんよ」


 動機に意味はない。


 最初に涼子が言っていたことだ。

 動機を知ったからと言って、何が変わるでもない。

 きっとこれも生徒の間で、世間の間で勝手に捏造されて、脚色されて、そしていずれ消えていくのだから。


「あら残念。語らせてもくれないのね」

「それに――――あなたの今のあだ名と、机周り。それから勤務態度を見てれば、大体予測はできますから」


 翔桜の言葉に、沙耶は笑った。


「なんでもお見通しなのね」

「たまたまですよ」


 本当に偶然だ。雑多な情報の散らばる日常という名の空間で、涼子の示してくれた道が、全てを教えてくれた。必要な情報だけを持ってきてくれた。ただ、それだけだ。


「じゃぁね九条君、春日井さん。それから、涼子さんにも伝えておいて」


 警察に連れていかれながら、沙耶は言った。


「またね、って」


 そして、事件は、幕を下ろした。


 そう、思っていた。

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