狂気に満ちた脚本を、穿て part1
◇◇◇
親の目を盗んで自分の部屋の窓から、家を抜け出す。なんだか既視感溢れるシーンだが、自分がやるとなると話は別だ。
「え、これ普通に怖い」
「大丈夫。わたしとベッドの体重を信じて」
「信じていいのかそれは……」
二階というのは、見上げれば低いが降りるとなると意外と高い。ジャンプして降りればその後しばらく動くことができないだろう。一か月くらい。
クローゼットの中で眠っていた縄跳びセットを何重にも結び、それをベッドの端に括り付けて下にたらす。長さは全く足りていないが、半分ほど降りられれば後は何とかなる。
ベッドの上に重石代わりに乗ってもらった美羽が心配そうに声をかけてくる。
「本当に、わたしは行っちゃだめ?」
「さっき説明しただろ。流石に危ないし、もし母さんが気づいた時、事情を説明できる人がいないと困る」
「それはそうだけど……」
「大丈夫。すぐに帰ってくるから」
軽く頭をなでると、美羽は小さな声で「気を付けてね」と言った。とても不服そうだ。
「じゃ、行ってくる」
縄跳びを伝い、ゆっくりと降りる。残り二メートルくらいのところでジャンプし、着地。
「よし、脱出成功っと」
とっぷりとした闇があたりを覆っていた。
時刻は夜十時過ぎ。住宅街を歩く人の姿はなかった。
翔桜が向かっているのは、もちろんあの第一の事件があった場所だ。現場は警察が色々と見た後だとは思うが、それでもあの時の記憶を鮮明に想起するためには、もう一度あそこに言う必要があると思った。
走る事五分弱。学校の校門前にたどり着いた。
公園側から事件現場にアクセスしなかった理由は、あそこからでは生垣の中を通らなければならず、現場付近を必要以上に荒らしてしまうと思ったからだ。その点、学校側からならば、あの柵を登って顔を出すだけで、事件現場を見ることができる。
「警備員さんとかいるのかな……いたら見つからないようにしないとな……」
鍵のかかったスライド式の門を登り、敷地内に入り、再び走る。
夜の学校は不気味だというが、それはきっと日中があんなに騒々しいからだろう。遊園地然り、商店街然り、普段にぎやかなところが静かなのは非日常的で、不気味なものだ。
息が上がり始めたころ、ようやく学校の裏庭にたどり着いた。どの柵を登ればいいか、一瞬分からなくなったが、公園と学校をつなぐ扉を目印に数十歩歩き、登る。
「よし、ビンゴ……」
柵に体を密着させ、顔だけを公園側に出す。現場はあの時とあまり変わっていなかった。しいて言うならば、死体はなくなっていた。
「夜はこんな風になるのか」
驚いたことに、この前はあんなに薄暗かった事件現場は明々とライトで照らされていた。学校側の照明が当たって、日中よりも視界は良い。
「でもこれ、結構眩しそうだな」
学校に背中を向けてる翔桜は、ライトをバックにしている為視界がクリアだが、事件現場から見ればライトが直接当たっているので明るいというよりは、眩しいという方が適切なのではないだろうか。
「ん……? あれって……」
柵の下にいくつかの足跡がある。地面が柔らかいためか、くっきりと残っていた。
「俺の足跡……」
頬がひきつる。あそこは多分涼子に連れられた日に自分が降り立った場所だ。殺人現場に自分の足跡を残しているのは、まずい気がする。
「まぁでも今のところ警察とか来てないし……大丈夫だよな」
自分にそう言い聞かせ、改めて全体を俯瞰する。
あの日の視界と、リンクさせる。
【目の前の惨状から必死に目を反らし、木立を見据える。鬱蒼と隙間なく茂る木々の中で、一か所だけ、人がようやく通れそうな穴が開いているのがなんとなく目に入った】
木立と生垣が生い茂る中、一か所だけぽっかりと空いた穴。被害者と犯人はここを通ったとみて間違いないだろう。
【死体は、女性だった。
服のあちこちが破れ、強引に脱がされかけたような跡もある。
木の葉や枝、その他土埃が服にくっついていた】
その生垣から数歩離れたところで、女性、藤原有香は死んでいた。
【のど元に生々しい傷がある。ここを切られたことが、死因なのだろうか】
死因はそう、喉を切られたことによる出血死。
【暗くてよく見えないが、きっと大量の出血があったに違いない。地面にどれだけの血液がしみ込んでいるのだろうか】
今となっては、地面や植物に張り付いてしまって血はあまりわからない。
【よく見ると、女性の胸の上に一枚のカードの様なものが置いてあった。綺麗にラミネート加工されたそれは、かすかに入り込む太陽の光を反射して鈍く輝いていた】
そして、マザーグースの詩が藤原有香の胸の上に置いてあった。
これがあの時見た全て。
おそらく涼子もこれ以上の情報は得られていないはずだ。
ならば、自分にも同じ推理ができるはず。
「まず藤原有香は公園を通ってここに逃げてきた」
何故だろう。
逃げるならば住宅街の方に逃げればいい。
なのにわざわざこちらに逃げてきた理由。考えられるとするならば
「逃げたい方向に犯人がいた。だから逆の方向に逃げた」
だが、夜の公園は暗い。明るいところを本能的に欲するのではないだろうか。
もしかしたらただパニックになって、がむしゃらに逃げてきただけという可能性もあるが。
「藤原有香の衣服は強引に脱がされかけていた。犯人にやられたとすれば、その手から一時的に逃れてここにたどり着いた」
衣服に木の葉や枝が付着していたことからも、それは間違いないだろう。
「そして後ろから追いかけてきた犯人に殺された」
犯人も生垣をかき分けて来たのだろう。
逃げ道を失った藤原有香を殺し、そして、カードを置いた。
「……なんか、気持ち悪いな」
一見間違っていないように思えるが、どこか引っかかる。
襲う、逃げられる、追いかける、殺す、カードを置く。
一連の流れを思い返し、そして気づく。
「そうか。突発的な行動と、計画的な行動が混じってるからか」
カードの真意はどうあれ、わざわざラミネート加工してまで用意した周到さと、殺すときの行き当たりばったり感がどうもちぐはぐなのだ。
さらに気になるのは、カードが綺麗な状態で置かれていたという事実だ。
首を切った後置いたのであれば、当然手に返り血が付いているだろう。
それなのに、カードには一切そんな跡がなかったのは、何故なのか。
手袋をはめた、手を拭いたという可能性はもちろん捨てきれない。しかし今、翔桜の中に一つの仮説が立ちつつある。
「何か、もう一つ手がかりがあれば……」
眩しいほどに照らされた事件現場を穴が開くほど見据える。何か取りこぼしがあるはずだ。この仮説を証明する、もう一つの証拠が。
「ん……?」
翔桜の目が、自分の残してしまった足跡にとまる。
「そういえば、犯人の足跡はどこにあるんだ?」
出入りした生垣付近には、それらしきものは見当たらない。それどころか、藤原有香の足跡すら見当たらなかった。
「消したのか。けど……」
何故藤原有香の足跡まで消しているのかは分からないが、そうとしか考えられない。
だが、それはおそらく不可能だ。
「あそこからは、自分の足跡は確認できないんじゃないか?」
強い照明のせいで、あそこに立つ人間の視力は大きく奪われている。例え自分の足跡が見えたとしても、完璧に消すことはできないのではないだろうか
翔桜の中の疑念は、確信に変わる。
「犯人は、二人いる」
一人は藤原有香を殺した人物。
もう一人は、カードを置き、足跡を消した人物。
前者は突発的で、後者は計画的。そして恐らく、犯行時に二人の間で意思疎通はなかった。そうでなければ、カードをわざわざ別の人間が置く理由が説明できない。
つまり、犯行当日の流れはこうだ。
殺した犯人をA、カードを置いた犯人をBとしよう。
Aは公園で藤原有香を殺そうとした。
Bはそれを違うところから見ていた。
逃げた藤原有香を追い、Aが生垣の方へ入る。
Bも追いかける。しかし、同じ生垣から入るわけにはいかない。だから
「……あの扉から、入った」
学校にいる一部の関係者しか通る事のできない、あの扉から。
校門から回るという手もあるが、それでは時間がかかりすぎるし、何より場所の特定が難しい。
藤原有香が殺され、Aがいなくなったのを見計らって、Bは柵を越えてカードを置いた。
その後、柵から自分の足跡が残っていることに気付き、学校から何かの道具を持ってきて、足跡を消しながら再び柵を越える。この時、Aと藤原有香の足跡も、一緒に消えてしまった。
犯人が二人いるという可能性は、十分に考えられる気がする。そして何より、結果論にすぎないが、この後第三の事件で、佐藤涼と佐藤彩は違う手口で殺されているではないか。
柵から降り、もたれかかる。
この推測が正しければ、犯人の内一人は、学校の関係者ということになるが、まだ犯人の特定には至らない。
残る謎は三つある。
一つ、何故AとBは別行動をしているのか
二つ、何故Bはカードを現場に残しているのか
三つ、何故涼子はこの段階で犯人を特定できたのか
頭の中で、亜紀の声を反芻させた。
『やっぱり一番は――――本当に連続殺人事件なのか、疑うことかな』
この一連の事件を連続殺人にしている要素はなんだろうか。
それは何故起こりえたのだろうか。
マザーグースの詩。
二人組の犯人。
学校関係者。
ミス研。
涼子の意図。
それらを重ね合わせ、整理し、組み立てたとき。
「はは、なんだよ」
全てが一つにつながった。
「そういうことかよ」
あまりにも滑稽なストーリーに、思わず笑いがこぼれる。
美羽を助けられるという安堵感。真実を知った充実感。三日以内に推理を成し遂げた達成感。色々な感情が渦巻き、ぐるりと回り、心の底から吐き出され続ける。
深夜を回ろうとする校内で、ひっそりと翔桜は笑い続けた。
◇◇◇
翌日。
早朝から登校していた翔桜は、涼子を見つけるなり、呼び止めた。
「おはようございます、涼子先輩」
「おはようございます、九条君」
涼子も何かを予感していたのだろうか、まだ時間は七時を少し回ったところで、校内には人がほとんどいない。校庭から朝練をやっている生徒の声がガラス越しに響いてくるだけだ。
「分かりましたよ、全て」
「あら、意外と早かったですね」
「何言ってるんですか。ぎりぎりですよ」
今日は指定された三日間の中で、唯一丸一日行動できる日だ。だからこそ、ぎりぎりだった。
「ふふ、なんだか自信満々ですね」
「これ以外に、考えられませんから」
「そう……じゃぁ、まず聞かせてください」
長い黒髪をかきあげて、綺麗な瞳で翔桜を見つめて、いたずらっぽく笑って、涼子は問いかける。
「今、全ての鍵を握っているのは、だぁれ?」
返答一つで、翔桜が真実にたどり着けたかが分かる、素晴らしい質問だ。
だから翔桜は恐れることなく、堂々と、涼子の眼を見据えて、答えた。
「今、全ての鍵を握っているのは」
大好きな、彼女の名を。
「春日井美羽です」