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圧倒的敗北を前に、笑え part2

◇◇◇

「あれ、翔桜君だー」


 水曜日になった。翔桜が廊下で叫んでから、二日が経つ。


「よう」


 八時半。朝のホームルームが始まる少し前の時間。教員室から出てきた紗英に、軽く挨拶をする。


「保健室の方から来たみたいだけど……怪我でもした?」

「いや、美羽を送ってきたんだ」


 美羽はあの日から、保健室登校をしてもらっている。本人はものすごく嫌がったが、翔桜が理由を話すと、納得した。

 沙耶にはその理由を話していないが、例のごとく、何も言わずに受け入れてくれた。


「あー、美羽ちゃん。最近見ないと思ってたら保健室に行ってたんだ。まぁ……来にくいよね」

「あいつは行きたがってたけどな」

「きっと、翔桜君だけ教室に行くからだよ」

「どうかな」


 教室は正直、かなり居づらかった。

 机がなくなるとか、靴に画びょうが入っているとか、そんなあからさまな事はなかったが、やはり視線が鬱陶しいし、翔桜に積極的に話しかけに来る生徒もいなかった。

 例外は「昼飯を食う友達はお前しかいない」と訳の分からない理由で絡み続けてくる大樹だけだったのだが――――


「笹佐さんは、俺に話しかけてくれるんだな」


 紗英は、かぼちゃパーティの打ち合わせをした時と同じように、声をかけてくれた。

「とーぜんっ。だって私、美羽ちゃんが犯人だなんてこれっぽっちも思ってないしー」

 手に持っていたシャーペンの芯を少しだけ出して、翔桜に見せる。言いたいことはよく伝わってくるが、その例えは必要だったのだろうか。


「なんでだ?」


 紗英は今はクラスだが、一年の時は別のクラスだった。しかし美羽と喋っているところはあまり見たことがない。部も違うし、接点はあまりないはずだ。


「んー。私、かぼちゃパーティーの展示内容を聞きに、色んな部にお邪魔してたんだけどさ。その時、美羽ちゃんが花壇で植えた花の葉っぱを取ってたの」

「あぁ、枯れたり食われたりしたやつを取る作業か」

 

 何度か手伝わされたから知っている。

 枯れたりして傷んだ葉は、放っておくと病気の原因となるから早く取らなければならないらしい。


「そうそうそれそれ。で、なんとなーく見てたら、美羽ちゃん、力入れすぎて根っこごと引き抜いちゃったの」

 

 片手で作業をしていると、葉っぱを引っ張った時に、植えていた花が抜けてしまうことがある。翔桜も何度もそれをやって、美羽にばれないようによく植え戻していた。


「その時ね、美羽ちゃん『あ、ご、ごめん!』って言ったの」

「ははっ、あいつらしいな」

 

 焦った様子で、慌てて植え戻す美羽の姿が目に浮かぶようだ。


「あれ以来美羽ちゃんのこと好きになっちゃってさー。まだあんまり喋ったことないんだけど、絶対今度、友達になるの!」

「美羽も喜ぶよ」

「だといいなー! でさ……誰も見てないのに植物に声出して謝っちゃうような、ちょっと天然で、優しい子が……殺人なんて、するはずないよ」


 ぎゅっと手に持ったプリントを握りしめて、紗英が言った。プリントには「かぼちゃパーティ延期のお知らせ」と書いてあった。


「だから、伝えといて。私はいつでも待ってるよって!」

「あぁ、必ず」

 

 美羽の居場所は、ある。俺の隣以外にも、ちゃんと美羽のことを見て、美羽の人格にひかれて、しっかりと真実を見据えられる人の傍に。


「かぼちゃパーティ、残念だったな」

「あ、あぁ、これ? 仕方ないよ、殺人事件続いてるし。部活動も、しばらく中止にするらしいし……。ほら、昨晩もあったらしね、三つ目の事件」

「あぁ」


 朝刊の一面を飾っていたから、嫌でも目に入った。第二の事件の時は、前の晩に事件があっても、次の日の朝刊には取り上げられていなかった。それだけ、世間の注目が集まってきているということだろう。


「あと一人、やっぱり殺されるのかな」

「どうだろうな」


 不謹慎だが、翔桜は第三の事件が起こるのを、待っていた。仕込みはすんでいる。


「じゃぁ、私こっちに用があるから。美羽ちゃんによろしくね!」

「あぁ、またな」

「また? 次の授業で一緒じゃん? 変な翔桜くーん」

 

 笑いながら廊下を歩いていく紗英の背中を見ながら。


 翔桜は声がかかるのを待っていた。


「おはようございます、九条君」

「おはようございます、涼子先輩」


 今日は、いつ教室に戻れるのかわからない。


「もうすぐホームルームですが、どうしますか?」

「さぼります」

「私にもさぼれと?」

「当たり前です」


 楽しそうに頷くと、涼子が歩き出す。いつもの場所へ。空いているのか、などと聞くのは、野暮なことだろう。


「今日は素敵な日になりそうですね」

「えぇ本当に」 


 心からそう答えて、翔桜は涼子の後を追った。

 最後の戦いが始まる。


◇◇◇

 死亡したのは、佐藤涼さとうりょうそしてその妹の佐藤彩さとうあや。佐藤涼の年齢は二十一歳、X大学に通う大学三年生。彩は十七歳。高校二年生で、K高等学校に通っていた。


 二人はX公園の見晴台みはらしだいで、死体で発見された。死因は刺殺。

 見晴台への道は一本しかない。今回も死体の上に、ラミネート加工したマザーグースの詩が置いてあった。

 

 My brother and sisters sit under the table,


「さて、今回の事件の事は、大方新聞で知っていると思いますが……」

「涼子先輩」

「何でしょう」

「今回の事件の死亡推定時刻は何時ですか?」


 涼子が眉をひそめる。

 翔桜からいきなり質問するのは、初めてだからだろう。

 新聞の朝刊には、死亡推定時刻までは記述されていなかった。おそらく、そこまでの内容がまだわかっていなかったのだろう。だが、警察にパイプのある涼子ならば、知っているはずだ。


「昨日の二十二時から二十七時ですが……何故ですか?」

「先に言っておこうと、思いまして」

「何をでしょう」

「美羽にはその時間、アリバイがあります」


 涼子の目が険しくなる。手ごたえを感じ、翔桜は続けた。


「春日井美羽は、昨日のその時間……いや、月曜日から今日にかけて、学校にいる時間を除いて、ずっと俺と一緒に居ましたから」

「あなたと?」

「そうです、俺と」


 美羽の無実を百パーセント示す証拠。それは今まで散々涼子に言われ続けていた、アリバイに他ならない。


 しかし、事件がいつ起きるか分からない以上、アリバイを作るのは難しい。ならば、誰かがずっと監視していればいい。


「因みに今回は関係ないようですが、学校に居る間は森部先生がずっと一緒にいてくれています」


 今まではなかったが、次の事件が学校のある時間に起きないとは限らない。だが、学校というのは意外と移動することが多い。

 万が一、翔桜が美羽を見失ってしまう可能性もある。

 その時クラスの誰かが美羽の無実を証明してくれるとは限らない。

 今の状況下では、美羽も翔桜も、クラスメイトが味方であるとは言い難い。だから、美羽には保健室に居てもらうことにした。あそこならば移動することもなく、ずっと沙耶が一緒に居てくれる。


「つまり、月曜日から今日にいたるまで、美羽が殺人を犯すことは、できないんですよ」


 翔桜と沙耶がそれを証明できる。

 

 今回は、証拠がないとは言わせない。

 

 だが、翔桜が喋り終えて数秒後。

 

 涼子が悲しそうに笑った。


「そう、だったんですか……」

「何がですか」

「今回の事件、実はマスコミにまだ知らせていない情報があるんです」


 翔桜はひるまない。これくらいで、涼子が屈するとは思っていない。


「どんな、情報ですか?」

「ふふ、とぼけないでくださいよ。分かっているんでしょう?」


 涼子の人差し指が、翔桜を指す。


「被害者のうちの一人は、あなたに殺されたということを」

「……何を言っているんですか」

「今回は二人が殺されました。妙なことに、その二人の殺し方が明らかに異なっているんですよ。佐藤涼は何回も何回も、刺し直された跡がありました。それなのに、彩は一突きで命を絶たれている。これが何を意味するか、分かりますよね」

「……今回の犯人は、二人いる」

「その通り。しかも片方は人を殺しなれていて、もう片方はまるで初めて人を殺したかのような稚拙な殺傷跡。さながらそれは……春日井美羽と、九条翔桜の様に」


 涼子は翔桜が口をはさむ間もなく、喋り続けた。


「私の推理はこうです。春日井美羽は自分が殺人の嫌疑をかけられていることを知った。このままではばれてしまうかもしれない。だから今回、アリバイを作る事を思いついた。自分の言うことならなんでも聞く、九条翔桜を使って」

「俺はいくらあいつに言われたからって、人を殺したりなんかしません」

「感情論では説明したことになりませんよ九条翔桜。最初に言ったはずです」


 翔桜は今、問い詰められているのだ。

 当事者として、殺人の片部を担いだ、共犯者として。


「そして昨日の晩。二人は一緒にいたと嘘のアリバイを作り、佐藤兄妹を刺殺。朝、何食わぬ顔をして登校してきた。違いますか?」

「……涼子先輩」


 だが、翔桜は分かっていた。


「それはあり得ません」


 涼子が、翔桜を美羽の共犯者として扱ってくるであろうことは、予測していた。


「これを見てください」


 涼子は何故か、美羽に関する情報を多く所持していた。

 それは第二の事件の時に確認済みだ。自分の足で集めているのか、あるいは誰かを使っているのか、どちらかは分からないが。

 

 と、なれば。

 

 翔桜が美羽と共に行動するようになったことも、もちろん涼子の耳に入る。そうなれば賢い彼女はすぐに気づくだろう。

 翔桜が、美羽のアリバイを作ろうとしていることに。


 ならば、それを崩すために、涼子はどうするか。

 翔桜を共犯者に仕立て上げ、監視していた事実そのものを無効化する。


 だから翔桜は、対策を講じた。


「ビデオカメラ……?」

「えぇ。GPS、電波時計内臓のやつですよ」


 録画リストの中から、昨日の夜二十二の部分を再生する。翔桜と美羽が雑談している姿が写っていた。


「この記録は俺と美羽が母親のいる居間から出て五分以内に開始して、そこから次の朝、登校するまでの間続けています」


 第三の目による記録。

 これを用いることで、翔桜と美羽のアリバイは完璧なものになる。


 翔桜は美羽のことを監視していた。

 美羽は翔桜のことを監視していた。

 そして、翔桜と美羽のことはビデオカメラが監視していた。


「これが、俺と美羽の無実を証明する何よりの証拠です」


 GPS、電波時計が内蔵されている為、時刻や場所をいじることはできない。どう時間をずらしても、すぐに正しい時間に戻ってしまうことは確認済みだ。


「どうですか、涼子先輩。これでもあなたは、俺と美羽が今回の事件の犯人だと、そう言うんですか」


 涼子は、喋らない。



 じっとビデオカメラの映像を見つめたまま、動かない。



 不気味なほど静かな沈黙がしんしんと積もる。



 しばらくして。



 彼女は小さくつぶやいた。



「この再生ボタンと停止ボタンを押したのは、あなたですか?」



 質問の意図が分からず、翔桜は頷く。


「えぇ、美羽ではなく、俺です」

「他の誰でもない、あなたですね」

「そうです」

「なるほど。そういうことならこのビデオカメラ」


 そして彼女の顔に、笑みが戻る。


「全く証拠にはなりませんね」

「……どういうことですか」


 そんなはずはない。ここに映っているのは間違いなく美羽と翔桜で、そしてその時刻は第三の事件の死亡推定時刻と合致している。


「あなたはこのビデオカメラを、監視カメラと同じような証拠能力をもっていると思っているようですが……それは間違いです」


 人差し指と中指を立てて。彼女は続ける。


「監視カメラの証拠能力は二つ。一つ、第三者の記録であるということ。これはつまり、監視された人物が、その映像の処理に携わることができないということです。このビデオカメラはあなたによって操作された。つまりこれは、あなたが監視しているということと同じなんですよ」


 ビデオカメラによる翔桜と美羽の監視。これは、翔桜がビデオカメラを操作したことにより、翔桜が美羽を監視していたことと、ほぼ同義になってしまった。


「二つ目。映像による記録。これは確かに強力です。GPS、電波時計の情報は疑いようもない。ですがこれは、あなたがこのビデオカメラに触れられなければの話しです」


 呼吸が、乱れる。


「可能性がいくつも生じます。ビデオカメラを解体、内臓された電波時計を取り出して、普通の時をセットし、時刻をいじった。もしくは、別のカメラでとった映像のデータを、この中にいれた。映像の中に、日時を示す情報が何一つありませんし、後者の確立が高そうですね」


 翔桜にビデオカメラを解体したり、データを移行したりする技術はない。しかし、それを主張したところで、このビデオカメラに、証拠としての能力は戻ってこない。


「つまり、あなた方二人のアリバイは、互いが互いを見張っていたことのみ。ですが、あなたたちは共犯です。アリバイなんて、いくらでもねつ造できる」


 崩された。


 用意していた策は、打ち砕かれた。


「他の根拠は、あるんですか」

「と、いいますと?」

「確かにこれに証拠能力はないかもしれない。アリバイはないかもしれない。でも、そんな人、この町にいくらでもいるじゃないですか」

 

 それでも、翔桜はあきらめるわけにはいかない。


「そうですね。今回はこれといった決め手があるわけではありません」

「ならっ……」

「でも、これが決め手になりそうです」


 ぽん、と。力を失ったビデオカメラに、涼子が手を置く。


「九条君、あなたは何故……」


 この瞬間、翔桜は悟った。


「こんな映像を撮ったのですか?」


 自分たちを守っていたビデオカメラの映像が、敵に回ったことを。


「それは、アリバイを証明するために」

「どうしてですか?」

「犯人だと、思われないために」

「どうしてですか?」

「それは」


 だめだ。

 この言葉は、言ってはいけない。


「涼子先輩が、美羽を犯人だと、ずっと言ってきたから」

「え、、そうなんですか?」


 首筋に、ナイフが突きつけられた気分だった。

 体中から血の気が引いて、足が震える。


「そうですよ」

「えーっと……私には身に覚えがないんですけど、証拠はありますか? ボイスレコーダーとか」


 そんなものは、ない。そんな余裕はなかった。考えもしなかった。


「森部先生と、大樹が知っています」

「それは、私が喋っているのを直接聞いたのですか? それとも、あなたから聞いたのですか?」

「俺から……です」

「なら、簡単な話です。それは九条君が作った妄想の話しです」


 あぁ、これは消化試合だ。

 滑稽な劇だ。

 既に勝敗は決していて、それでもなお、確認しなければならないことがあるから、お互いにセリフを口にする。これは最早、対等な勝負ではない。


「私には分からないんです。どうして、アリバイを証明するための映像のようなものを、わざわざ撮っていたのか。不可解ですよね。それも丁度、事件が起こる週の頭から。まるで」


 蹂躙、されている。


「自分たちに嫌疑がかけられたときに言い逃れするために作ったみたいじゃないですか」


 やめろ、やめてくれ。


「もしかして、美羽さんと九条さんが、一連の事件に関わっていたんですか? そしたら今から調べないといけませんね。現場付近のオナモミとか、ラミネーターの種類とか。事件当日の春日井美羽のアリバイとか」


 ドローになっていた、真偽が定かではないグレーの内容が、仮にこのビデオカメラの映像で嫌疑をかけられた人物から発見されたとすれば。その色は、限りなく黒に近づく。少なくとも、警察の目が、向くくらいには。


「ねぇ、どう思いますか九条君」

「…………」

「ねぇ」

「…………」

「答えてくださいよ」

「…………」

「まだ何かあるんでしょう?」

「…………」

「そう」

「…………」

「終わりですか?」


 美しい彼女は、冷たい声音でそう言った。艶やかな光彩を放つ瞳が蔑むような視線を送る。


「ならこのゲーム、私の勝ちですね」


――ちくしょう


「可哀想に。あの子は貴方を信じていたのに」


――ちくしょう……


「まぁ、仕方がありませんね。彼女も今のその姿を見れば、きっと納得してくれるのではないですか……? 豚箱の中で、ね」


――ちくしょう……っ!


「くっ……ぁああっ……!」


 悔しくて、悔しくて。喉の奥から獣の様な声がひねり出される。

 一体いつ以来だろう。

 何かに負けて、奥歯を割れるほど食いしばり、視界がにじむほど涙を流すのは。


――ちくしょう……っ!


「あぁああああああ!」


――ちくしょう……っ!


「ああぁあああああ!」


――ちくしょう……っ!



「その程度?」



 彼女は、依然冷やかに言った。


「意志は殺がれ、剣は折られ、最早逆転の手立ても無い、ただ絶望だけが目の前に広がっていて。それで捻じり出された慟哭が」


 言葉はまるで冷や水で、心まで凍ってしまいそうだ。


「その程度、ですか」


 何一つ言い返す事が出来ず、ただ、心の中で叫ぶ。


「ならばあえて言いましょう」


――やめろ


九条翔桜くじょう しおん。貴方はこのゲームだけではなく、頭脳も、論理も、行動も、人脈も、運も、希望も、願望も、そして」


――やめてくれ


「慟哭すらも、私に負けている」


 この日、九条翔桜は、絶対的に、圧倒的に、完膚なきまでに――――敗北した。




 どれだけの時間が経っただろうか。項垂れ、何も考えられない翔桜に、涼子が声をかけた。


「一つだけ、美羽さんを助けてあげる方法があります」


 顔を上げると、涼子が微笑んでいた。まるで、女神ようではないか。


「ほんと、ですか……?」

「えぇ、一つ、だけ」

「教えてください……」


 何でもする。何でもする。

 だから、美羽だけは。

 美羽だけは日の当たる道を歩かせてやってほしい。


「九条君が、私のモノになることです」

「え……?」


 予想外の言葉に、頭が付いていかなかった。何となく、とても簡単な事のように思える。


「もの……?」

「そう、モノです。私が舐めろと言えば、全身のどこでも、嫌がることなく舐め、私が戦えと言えば、勇猛果敢に誰とでも戦う。私が誰かを嫌いになれと言えば、その人を嫌いになる。私が来いと言えば、いつだって駆けつけてくる。そんな忠実で、従順で、優秀な、私の奴隷ものになってください」

「そんな、こと……?」

「えぇ、たったそれだけでいいんです。それだけで、あなたの春日井美羽は救われるんです」


 なんて、素晴らしいんだ。たったそれだけで。自分の身を、誰かにささげるだけで、美羽が救われるというのか。


「きっと楽ですよ? 私の命令に、ただ従うだけでいい。何も考えなくていい。私に全てを捧げさえすれば、みんな、幸せに、なれるんです」


 一音一音、区切るようにして口に出した涼子の言葉は、翔桜の耳に心地よく滑り込む。


「それとも……春日井美羽が、暗い人生を歩く方が、お好みですか?」

「い、いやだ! それだけは、嫌だ!」

「ふふ、かわいい……なら、もう分かるでしょう?」

 

 翔桜は小さくうなずいた。

 涼子の顔が近い。

 整った顔立ちはまるで現実味が無くて、翔桜を夢見心地にさせる。


「さぁ、自分の口で、答えて?」


 これでいいんだ。


 勝負には負けた。完膚なきまでに叩きのめされた。

 もう、美羽を助ける術は残っていない。


「私のモノに、なりますか?」


 最後に美羽の姿を思い浮かべた。


 皮肉にも、この一週間で、今までよりももっと好きになった、尊さを感じた、彼女の姿を思い描く。

 

 可愛らしい顔をころころと変えて、思い出の中の彼女は口を開く。




「翔桜は味方なんだよね」


「わたし、翔桜がいればいいから」


「翔桜がいてくれれば、それでいいから」




 ――あれ




「翔桜の隣にいられればそれでいいって、言った」




 ――待て




「翔桜」

「好き」

「今以上の関係に、なってください」




 ――待て




 例えば自分が涼子先輩のモノになったら、美羽はどうなるのだろう。

 全ての呪縛から解放されて、自由の身になって、友達が戻ってきて。

 

 それで。



――あいつは、幸せなのか?



 思考がクリアになる。



――あぁ



 今まで何もとらえていなかった瞳が、しっかりとした像を結ぶ。



――だめだ



 回り始めた思考は今の状況を的確に判断し始めて



――それじゃぁ、だめなんだ



 勝ち目のない勝負に尚、勝機を探す。

 自分を、叱咤する。



――不格好でもいい



 しっかりと顔を上げて。



――辛くても、苦しくても。



 拳を握りしめて。



――怖くても前が見えなくても。どうしようもなく絶望的な状況下でも。



 ひきつる頬を無理やり動かして、こわばる口角を必死で吊り上げた。



――渾身の力で。ありったっけの勇気を振り絞って。前だけを見据えて、美羽の幸せを、心で描いて、それで




 そして。翔桜は、笑った。



――戦い続けるんだ



「お断り、します」



 涼子の表情は、変わらない。


「俺がいなきゃ、ダメなんです。俺が隣にいないと、あいつは、美羽は」


 いつの間にか跪いていた自分の体を立たせ、かがみこんでいた涼子を見下ろす。


「幸せになれない」


 膝を優雅に払い、涼子も立ち上がる。


「そんな未来に、意味なんてない。あいつが幸せじゃない未来なんて、いらない」

「なら、どうするというのですか」

「戦う」

「あなたは、既に負けたのですよ?」

「涼子先輩には負けたかもしれない。でも、まだ道は残ってます」


 翔桜に残された唯一の活路。


「一週間」


 美羽との未来を照らす、唯一の細い細い道。


「一週間以内に、俺が、犯人を捕まえる」


 今までは、ずっと防戦だった。

 美羽の無実を証明するために、ただ必死だった。

 けれど、それでは足りない。

 本当に必要なのは、本当の犯人を、捕まえる事だったのだ。

 そうすれば、美羽に嫌疑がかけらることはない。とてもとても、シンプルな話。


「三日」


 冷たく、涼子が告げる。


「今日を含めて、猶予をあげます。その後は、容赦なく春日井美羽を犯人にします」

「三日、ですか」

「できないのですか?」

「できます、やってみせます」


 今日は水曜日。つまり、金曜日までにこの事件を解き明かし、犯人を捕まえなければならない。

 あまりにも短い。だが、首の皮一枚つながった。


「俺が必ず、真実を暴きます」


 涼子は答えない。


 ただ黙って、翔桜の姿を見つめていた。

 その眼は冷酷にも、残酷にも、憐れみにも、見えた。




 タイムリミットまで、後三日。


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