序章
ちょっと読者を選ぶ、哲学ラノベです。
賛歌
序章
存在とは空である。
空とはブラフマンである。
ブラフマンとはアッラーである。
畢竟、アッラーとは空である。
そう悟った。
*
雨期であった。
恵みの雨が降り注ぎ、大地を潤し、生類の渇きを癒した。土の中で眠っていた種が膨らみ、鮮やかな藍色に芽吹いた。籠もっていた虫たちも、息を吹き返し、夥しい数が地表に這いだし、飛び跳ねた。雷が閃き、滝のような雨が降る。短時間降った後には、嘘のような青空が広がる。そんな日が、一週間ばかり続いた。
だが、ここ三日ほどは雨の気配もなく、爽やかな晴天が続いた。昼には、幾片かの雲を散らした青空が広がり、夜には、黒い天に、輝く幾千もの星が鏤められた。
月が出ていた。細い月である。その月の光の下で、三人の修行者と一人の乙女が足を蓮華座に組みながら瞑想していた。四人は、この三日間深い三昧の境地にいたのである。
デリーの近郊にある、ナーガプル村の側に立つ巨大な菩提樹の下である。いつもは、うだるような暑さに喘ぐのだが、今日は、涼しい風さえ吹いている。
デリーに拠を構える、アルバリー朝・通称奴隷王朝の第四代、インドでは最初で最後の女性スルターンとして名高いラズィーヤ・ベグムの御代である。
ニザームッディーン・チシュティーは、しばらくその悟りの境地を楽しんだ。スーフィーの神秘体験の極致であるファナーの境地よりも、確かに高い境地に今、自分はいる。
白い、というよりは薄汚れてしまって、むしろ灰色に見える粗末なスーフの粗布を身に纏い、頭には、これも白というより、ほとんど灰色に見えるターバンを巻いている。顎には、これは白く長い髭が生えている。どこから見ても、立派なスーフィーの行者である。それが、悟りの境地に遊んでいる。
悟りは澄明だった。それは神秘体験ではなかった。少なくとも、神に酔うスーフィーの神秘体験とは違うものだった。体の底がぽんと抜け、肉体が、汚れた精神と共に虚空の底に落ちていく。軽くなった魂は、天空に向かって上昇する。しかし、落ちていったと思われた肉体の本質も、魂同様上昇していくのだ。そして、知るのである。己は空であると。肉体も魂も、共に空として解脱する。肉体も魂も、本質的には〝ない〟のだと知ること。それなのに、それらはまた共に〝ある〟ものでもある。そう知ること。
覚醒。
それは、神に寄り添って眠る天国の甘い眠りとは違うものだ。それこそは、正しく悟りとしか呼びようのない体験だった。
さて、悟りの境地から下降して、いささか困ったことになっていることに気がついた。自分が悟ったことは、明らかに異端の説だったからである。アッラーは空である。これはいい。空とは虚無ではない。空とはゼロである。ゼロは充溢している。溢れ出ずるものであり、絶え間なく湧き出ずるものである。一〇にゼロを一つ付け足せば一〇〇になる。一〇〇〇にゼロを付け足せば、一〇〇〇〇になる。それは無限を孕んでいる。アッラーは無限である。それは神の本質にふさわしい。
しかし、空とはブラフマンでもある。ということは、アッラーはブラフマンでもあるということになってしまう。ヒンドゥー教徒の奥義書であるウパニシャッドはいう。タット トヴァム アシ、汝はそれなりと。〝汝〟とは、個我であるアートマンである。〝それ〟とは宇宙原理であるブラフマンをいう。つまり、ウパニシャッドはこう告げているのである。アートマンはブラフマンである。人間と神の本質は同一である、と。ブラフマンを神的存在とすれば、ブラフマンはアッラーであるという命題はいいだろう。しかし、ブラフマンはアートマンでもある。これでは、アッラーがアートマンになってしまう。
こう突き詰めてみると、ニザームッディーンが悟った境地とは人間とアッラーとが同一である、という境地になってしまう。
それは困る。
スーフィズムの根幹を形成したフサイン・マンスール・ハッラージュが、アナル ハック、我は真理なり、と叫んで処刑されたのは、今から三百年ほど前のことである。真理とは、アッラーの九十九の名の一つであり、神一人の属性である。大天使ジブリールでさえも、なにがしかの虚偽に汚染されている。
すなわち、我は真理なりとは、我は神なりと言ったに等しい。これはとんでもない、神、アッラーへの冒涜である。イスラム教では、造物主たるアッラーと、被造物との間には無限の懸隔がある。神と被造物が同じなどということは許されることではない。
それなのに、自分は悟ってしまった。アッラーとは空であると。そして、ニザームッディーン・チシュティー自身も空であると。
左を振り返ると、道叡がこちらを向いた。道叡も悟っている。そのことがニザームッディーンには分かる。右を見る。チャイタニヤ・デーヴァの顔が見える。チャイタニヤもまた悟っている。それが明らかに分かる。三人はお互いを見つめ合い、深くうなずき合った。いま一人、乙女ムムターズは、まだ瞑想したままである。
ニザームッディーンは、うなずきながら思った。
異端など、知ったことではない。
自分は、大いなる悟りの境地に達した。この境地にいれば、首をくくられ、火刑に処されることなどいかほどのことでもない。
ふと気が付いた。白い月が出ている。月の光が、鱗粉のようにさらさらと四人の剥き出しの手の上を滑る。細い月が、幽く照っている。その白さに、インド人としては肌の白いナーラーヤナの顔を重ね合わせた。
菩提樹の花が香ったような気がした。