表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

無言のトリラ

作者: 辻端耕太郎

 ある日私は、私生活の中で色々あったせいで、言葉を話すのが面倒になったので、今後一切誰とも喋らない決意をした。

 始めのうちは、周囲の人々に驚かれた。

 ふざけていると思われて怒られたり(私はあくまで“真剣に”喋らないことを決めたのだが)、精神病を疑われ病院に行くように勧められたりもした。

 でも、じきに皆私が声を発しなくなったことに慣れてしまった。

 それに、ボディランゲージやアイコンタクト、メールや手紙などの、話すこと以外の意思伝達手段は、これまで通りに使用していたから、日常生活にそれ程支障はなかった。

 買い物に出掛けた時はレジの店員のマニュアル通りの台詞に合わせて、ただ首を縦か横に振るだけでよかったし、道ですれ違った知人には笑顔で会釈をすればそれで十分だった。

 仕事においては、もともと口よりも手を動かす職場にいたので、これまでよりも寧ろはかどるようになった。(会議等ではもともと発言しない性質だったので全く影響がなかった)

 友人達とはこれまで通り、メールで約束をして、遊びにいったりもした。大勢いる中でなら、聞き役に徹して頷いたり、周りに表情を合わせてさえいれば、喋らなくても間は十分にもった。

 

 さらに夫はもともと言葉が通じないひとだったので、関係に影響はなかった。


 そんなこんなでかれこれ三年ほどの間、一切発声しないで過ごしていたのだが、ある日、妙なことに巻き込まれてしまった。

「おい、止まれ」

 近所のスーパーからの帰り道で、ふいに後ろから呼び止められたのだ。

 振り向くと、そこには見知らぬ男が立っていた。

「……」

 私はいつもの通り無言のまま、少し首を傾げて“何ですか?”というジェスチャーをした。

 すると男は、私の顔をまじまじと見つめながら、

「お前は、折方篠目だな?」

と言った。

「……」

 私は黙って頷いた。

 男はどういうわけか、初対面である筈の私の名を知っていた。一体何故?

 こちらの困惑をよそに、男は話を続けた。

「お前は俺の○○を殺した」

「……?」

 ○○の部分は、聞き覚えのない名前だった。

『知らない』

 そう伝えようとして、私は首を振った。

 しかし男は私の無言の訴えを無視した。

「とぼけるなよ?殺したんだろう?その薄汚れた手で!よくも、よくも〇〇を!」

 男は興奮した口調で、こちらが全く身に覚えのない罪状を、一方的に突きつけてくる。

 だが私は本当に何も知らない。何かの間違いだろう。

 私は声には出さなかったが、身ぶり手振りで必死にそう訴えた。だが、男にはその無言の訴えを全く聞きいれる(?)気が無いようだった。

 この分だと、例えこちらが声に出してはっきり『そんなことは知りません』と主張したとしても、結果は同じだろうと、私は思った。

 だから私は、その場から逃げることにした。

 男に背をむけると私は、この時間帯に人通りが多い、駅前通りを目指して走りだした。

「待て!」

 そう怒鳴りながら男が追ってくる気配を背中で感じ、私は夢中で駆けた。

 町中で全力で疾走したのは子供の時以来だろうか。

 五分ほど疾走し、ようやく人の行き来が盛んな大通りに辿り着いた所で、私は息を切らせながら立ち止まって、男の方に向き直った。

 それを見て、男も足を止めた。

「さあ観念しろよ、この人殺しめ!」

 相変わらず訳のわからないことを喚く男を見て、私はうんざりした気分になった。

 だが、通行人の多いこの場所で、男がこれ以上の危害を加えてくることはないだろうと、いくらか安堵した。

 ところが、男には人目をはばかった行動をとる様子は一切なかった。

 それどころか、むしろ男は先程までよりも声高に、私を罵倒した。

「この薄汚い○×△め!貴様なんぞ○して△めて畑の×料にしてやる!」

 ○×△の部分は、聞いたこともないような酷い雑言だった。

 この男のただならない様子に、たちまち通行人らの注目が集まった。

 次いで、その男が罵声を浴びせている相手であるところの私にも、好奇の目が向けられた。

『やめろ』

『みんなこっちを見るな』

『私に非はない』

『この男がおかしいだけなんだ』

 今ここでそう叫べば、或いはこの状況はどうにか好転するかも知れない。私はそう思った。

 しかし或いは、どうにもならないかも知れない。私にはそうとも思えたのだった。

 結局私はこの期に及んで、自己を主張したい気持ちよりも、声を出すのが億劫という気持ちを優先したのだった。

 だから、ただひたすら無言でそこに立っていた。

 すると男はポケットから刃物(一昔前に流行ったバタフライナイフみたいなやつ)を取りだして、私に迫ってきた。

 周りの通行人達が悲鳴をあげたり、息を呑んだりしているのを尻目に、私は尚も沈黙のまま直立していた。

 男はナイフを振りかぶると、私の胸元目掛けてそれを降り下ろした。

 これは死ぬかな。

 そう思った時、ふいに男の手が止まった。

 ナイフを持った男の手を、何者かが掴んで止めたのだ。

 私はその、ふいに現れた何者かが、人混み中から飛び出してきて、男の腕をがっしりと掴んで捻りあげた事実を認識して理解するために、僅ながらも時間を要した。それが余りにも一瞬の出来事だったからだ。

 やがて私は、眼前で対峙する二人の男の顔を見比べた。

 私を刺そうとして腕を掴まれた男は、相当腕に力込めているとみえ、額には青筋が浮いていた。

 一方で、突如現れた救世主は、涼しい顔で男の腕をひねり上げていた。

 しかもよくみると、暴漢の腕を掴んでいるその人物は顔見知りの人間だった。

 それはもともと言葉の通じない私の夫であった。


「なんだお前!邪魔をしやがって……さてはお前も人殺しで、〇〇を殺した犯罪者連中の仲間なんだな、この×××め!」

 

腕を掴まれた男は逆上して、相変わらず意味のわからないことを叫んだ。

 するとそれに対し、夫はさらに誰にも通じない言葉で、穏やかにこう言った。

「いいえ私は彼女と同じくトリラトファンプロロロプスなのでその可能性は非情にも棄却されますが」

 すると暴漢は、急に血相をかえた。

「あ、それはまさか、〇〇を他の切片へ送り込んだと……?まさかそんな」

 態度も口調も先程までとはまるで違う。

 さらに夫は、男に言い含めるような口調で、こう話した。

「ええ、そうなんです。そのことも含めて、こちらにも謝罪する必要のある点がございます。それはつまり、我々はトリであり、トリラでありながら、その事実の周知努力を怠ってしまったということです。よってあなたが先程彼女に対して働いた行為は、それ自体非合法ではあれど、全く理解しがたい行動とは言い切れません」

 これを聞くと暴漢は急に毒を抜かれたように、大人しい態度になった。

「……なるほど、これはあやうく対象を不可逆なる状態変容たらしめることと……」

何か悔恨を示すような態度で男がそう言うと、夫は頷きながら、

「わかればよいのです。あなたはすぐに境界領域に帰ることをおすすめしますよ。われわれ夫婦がそこに至るために

は領域固有の単位で1.0753の時間がかかるのでおかまいなく」

 といってその場を収めたのだった。

 やがて男は、肩をすぼめてとぼとぼとその場を後にした。

 それを見て、私達を囲んでいた群衆も次第にその場から解散していった。

 私と夫だけが、そこに取り残されていた。

 私は何かを言おうか迷ったが、結局無言のまま彼の目を見た。

 すると夫も私を見て、こういった。

「君は本来トリラではなかったのに、0・00025時点でそうなってしまった。だから領域を通してあのような男に君の名前を知らされるようなことになったんだ。でもだからって僕は君を責められないよ。君がこうなったのは僕のせいでもあるのだからさ」

 それを聞いて私は、無言のまま頷いた。

 彼の言うことは、私には相変わらずさっぱりわからなかった。しかし言葉を話さないことにした私にとって、それは微々たる問題でしかなかった。

 この関係の為に、おそらく私は今後も喋ることをやめ続けるだろう。私は無言のまま夫に、このことを伝え、さらに身振り手振りで“もう行こう”と伝えた。

 すると夫は、

 「わかってくれて良かった。こんどは走らなくてもよさそうだ」

といって笑ったのだった。
















評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] てっきり話さない事を決めた理由が関係してくると思っていたので少々肩透かしでした
2013/05/10 00:27 退会済み
管理
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ