FoursEpisode.天使ミカエル
ユシュリア大陸南西部に広がるFD、〝死の滝〟に、わたしはいた。
目的は、森最奥に流れる巨大な滝の裏。
そこから更に続くダンジョン、〝回廊〟。
入る度に形を変える不定形ダンジョンであり、魔物の強さも手に入るアイテムも変わる。唯一変わらないのは、入り口が滝の裏にあることだけ。と、情報屋ギルドが言っていた。
リリカちゃんを置いていって、それから三ヶ月。ユシュリア大陸に渡ったわたしは、久し振りにおねえちゃんと会おうかなと思ったけど、やっぱり我慢してクリアしていないダンジョンを巡ることにした。
そうして一つずつ順に巡り、今日はここ死の滝と、行けたら回廊まで一気に行く。回復のスキルも、DSの中にはあるから、それとアイテムを使えば早々死ぬことは無い。何より、DS・龍神の加護によって、一回だけなら死んでも復活出来る。
よし、行こう。
――と、気合いを入れたにも関わらず。
なんか、入って五分位進んだ所に、大量のプレイヤーがいた。
疑問に思い、一番後ろにいた女性プレイヤーに事情を聞くと、この先におかしな魔物が現れたらしい。その魔物の特徴は、まず見た目。人間の女性と遜色が無いことなんだとか……けれど言葉は話せないらしい。聞くと鼻で笑われた。
何故魔物なのかと言うと、尻尾と翼が生えているから、らしい。
そして強さが半端無いそうだ。
それなりに有名な五人組のギルドが戦ったらしいけど、お話にならない程あっさり全滅させられたとのこと。それで、今は誰がその魔物を倒せるか順に戦っているらしい。
迷惑な話だ。
順番を待つのは良いけど、通行の邪魔はしないで欲しい。
待っている人は軽く見積もっても五十人はいる。五人組ギルドが直ぐにやられたなら、この数でも終わるのは早いだろうけど、足止めは御免被る。迂回して進むことにした。
スキルの音やら叫び声やらを聞き流しながら大きく回り、そろそろ大丈夫かと思って普通の道に出ると――翼と尻尾を生やした女性と目が合った。
〝……!〟
途端、太陽に負けない程の笑顔を見せる彼女。向こう側に大量のプレイヤーがいる所を見ると、彼女が件の魔物なんだろう。
ふわふわと浮遊している彼女は、まぶしい金髪に蒼い瞳を持っていた。服は真っ白な、ミニスカタイプのワンピース一枚で、自己主張の激しい丘を二つ携えている。いや、ほぼ更地なわたしと比べると、アレは山だ。エベレストの如く、高く聳える山。
その山をまじまじ見ていると、いつの間にか目前にソレがあった。顔を上げると、どっちからかは分からないけど近付いていたらしく、女性の顔は目と鼻の先だった。
そして、この世界に閉じこめられたことを知らされた時以上の衝撃が、わたしを襲った。
〝――っ!?〟
女性に唇を塞がれたのだ。
脳内に響いたアナウンスも、全く分からなかった。
やがて唇が離される。と、視界の隅に自分のとは別のHPバーが存在していた。そのバーの上に表示されているのは、バーの持ち主、つまりプレイヤーの名前。
書かれている名前は、〝Micael・T〟と言う物。
多分、〝ミカエル〟と読むのだろうけど、後のTは何だろう? 本来、名前の横にコレが着くのは、テイミングと呼ばれる、魔物が仲間になった際表示されるモノの筈だけど……もしかして、わたしがこの女性をテイミングした、と言うことなのかな? それなら、ミカエルはこの女性の名前? でも、だとしたら、どうしてテイミングに成功したんだろう?
…………ダメだ、分からない。
テイミングは、リリカちゃんの例を除くと、対象の魔物が好きなアイテム(食べ物)等を与え続ける、又はある行動をすること以外の方法は存在しない、筈。
わたしだって、テイミングでは無いけどおじさんとは仲良くなった。
加えてリリカちゃんとヘルブラッディ。
どうも可笑しい気がしてならない。
三ヶ月前は深く考えなかったけど、コレはやっぱり異常でしか無いと思う。
他にもこんな事が起こったら、直ぐにその情報が出回るのは、現状を考えると当たり前だし。……もし隠していたとしても、もう三年が経ってる。
と、思考の海に沈んでいるわたしの前に、誰かが立った。
顔を上げるとそこに女性はおらず、いるのは頭から脚の先まで甲冑に身を包んだ大柄な人物。手にハンマーを持っている事から、多分戦士系統の職業だと思う。
女性が何処に行ったのか探すと、直ぐ横にいた。と言うか右腕にくっついていた。満面の笑顔を浮かべながら、すりすりと顔を擦りつけてる。
顔を正面に戻し、甲冑の人を見る。
目は見えないけど、何処無く怒っているような、そんな感じの雰囲気を醸し出している。後ろを見れば、プレイヤー集団も似た感じだ。獲物を横取りされた様な……ってそうか、いきなり出て来てコレだもの。
とりあえず頭を下げてこの場を去ろうとすると、肩を掴まれた。でも大した力じゃないから、簡単に振り払うことができる。
一応振り返り、何なのか問うと、少しの間があった後案の定横取りするなと言われた。
そんな事を言われても困る。確かに順番待ちをしていたこの状況で、わたしがこの娘とくっついていることは、横取り以外の何でも無いし、マナー違反だろう。
でも、コレはあくまでこの娘が自らの意思でこうなっただけ。わたしにある責任と言えば、今日ここに来た事だけだろう。ソレ以外で責められる謂われは無い。……なんて言っても無駄なことは、この雰囲気から察することが出来る。
話しを聞いてもらえる雰囲気じゃ無いことも。
なら、方法は一つ。
〝俺とデュエルだ〟
それしか無い。
勝てばこのまま先へ、負ければこの娘を差し出す。と言うことだ。
そんな訳で、わたしと甲冑の人、〝クルセイダ〟はデュエルをすることになった。デュエル形式は、完全決着モード。先にHPが無くなった方の負け。AS・SS・アイテムの使用制限は無し。
五㍍の距離を空けて立ち拳を構える。
念の為、ミカエルであろう魔物には手を出さない様に言っておいた。素直に頷いてくれたから、手は出さない筈。
クルセイダもハンマーを構え、中央に少し大きなウィンドウが現れる。10から始まったカウントが、9、8と減っていく。
相手のLvは83。わたしのLvを見たクルセイダは、もしかしたら笑っているかも知れない。そうだとしても、当然だ。わたしのLvは、未だ50を突破していないんだから。まあ、それでも、Lv80相当のステータスなんだけど。
LvUPで得たポイントを、リリカちゃんが全てAGIに振っていた様に、わたしは全てをSTRに振っている。自分で言うのはどうかと思うけど、その威力は推して量るべし。
ダンジョンを砕くだけの力があることは証明されている訳だから、プレイヤーが相手なら殆どにダメージを与えられる。
カウントが0になり、デュエルが始まる。
お決まりのスキル。
気功・衝拳・衝脚を発動。手脚が光に包まれる。
クルセイダは、AGIにあまり振っていないのか、その動きは速いとは言えない。けど遅くも無い。速い方ではあるかも知れないけど、リリカちゃんには劣る。
それなら。
三つのSS・体力変換・魔力変換・闘気集中を発動。
向かってくるクルセイダへ駆けだし、中央で拳とハンマーが衝突した。
見た目とは裏腹にクルセイダの攻撃は軽く、容易に弾けた。その衝撃によって仰け反るクルセイダから、驚きの声が漏れる。
構わず鳩尾へ蹴りを打ち込み、体が少しばかり浮く。DEFが高いのか、鎧の性能が良いのか、そのどちらもか。HPをはほんの少し削っただけだった。
ならばと、両手を地に着き逆立ちの勢いを加えた両脚蹴り上げで、数十㌢浮かせる。
続けて拳撃系AS・十破を発動。
十発の衝撃により、一㍍弱の高さまで吹っ飛ぶクルセイダ。
跳躍しながら、こっちに来てから跳んでばかりだなと、今はどうでも良いことを考える。
上を取った所で、握り合わせた両手を背中に振り下ろし、離れる前に腹へ向けて膝蹴り。一瞬滞空状態となったクルセイダに、渾身の回し蹴りを見舞う。
僅か一㍍弱の高さから地面に叩きつけられたクルセイダのHPが、二割まで減った。
起き上がる前に着地し、少し距離を取り構える。
少ししてクルセイダが立ち上がり、近くに落ちていたハンマーを拾い上げた。
〝……調子に、乗るなガキがあああ!!〟
途端叫んだクルセイダが、何かのスキルを発動したのか光を纏ったハンマーを投げてきた。躱し、反撃する為前に出ようとしたその瞬間、クルセイダは良いのか、と叫んだ。
一瞬考え、ハッとなり後ろを見ると、ハンマーはあの娘に向かって飛んでいた。
フェイントを発動し、反転のタイムラグを無くし駆ける。
あの娘は振り返ったわたしに向かって、呑気に手を振っていた。
――どうでも良い。
テイミングしたのかとか、システムがどうとか、そんな下らないことはどうでも良い。
龍化を脚に部分発動し、一歩踏み込む。
ハンマーを追い越した所で反転。
――粉砕する。
パラパラとハンマーの破片が辺りを舞い、静寂が場を支配する中、後ろから抱きつかれた。
彼女に問いかける。
〝あなたの名前は、ミカエル?〟
きょとんとした表情を浮かべた後、満面の笑みを浮かべながら頷いた彼女。
そっか、と、一人納得し、腕をそっと解いて前に出る。着いてこようとするミカエルを制止、視線を愕然としているクルセイダへ向ければ、大きく肩を震わせた。周囲のプレイヤーも、幾人かが同じ様な反応を示す。
無視して一歩踏み出す。
すると、クルセイダは背を向け走り出した。
逃がさない。
徐々に速度を上げ、最大速で走り跳躍してクルセイダの前に出る。
目が合った瞬間小さな悲鳴を上げるクルセイダ。
その首へ向けて、DS・龍脚を発動。
気合と共に振り抜いた瞬間アバターは消し飛び、デュエルは決した。
着地し、ミカエルへ向かうと、彼女もこちらへ飛んできた。正面から抱きつかれ、顔が胸に包まれる。この娘は、抱きつくのが好きらしい。
ゲームの中だから窒息するなんてことは無いけど、このままだと進めないから離れる様に言うと、今度は左腕に抱きついた。まあ、戦闘の時以外なら邪魔になることなんて無いから良いか。
〝いこっか、ミカエル〟
頷いた彼女は、やはり満面の笑顔を浮かべていた。
エンジェルウィング。ソレが、ミカエルの種族名だそうだけど、今まで聞いた事が無い。特別な存在の魔物なのか、何かしらの条件が揃った上で現れるのか分からないけど、とりあえず珍しい魔物なのかも知れない。
滝の裏にある回廊に入って一時間。
結界が張られている場所を見つけたから、そこで休憩がてらミカエルのステータスを見てみた。
NAME:Micael・T
Master:Shion
Lv.90
HP:32000
STR:9000
DEF:2600
AGI:50000
DEX:3000
LUC:60000
ULUC:1000
PS:癒しの抱擁……抱きつかれている間、HP継続回復、状態異常回復。
断罪の雷……防御・回避不可の絶対広範囲殲滅魔法。
天の導き……良いことあるよ。
とりあえず、最後の説明は無視しておく。
けど、成る程そういうことだったんだ。結界が張られている部屋なんて、滅多に見つけられない。同じダンジョンを十回隅々まで探索して、やっと見つけられるかどうか位の部屋だ。
ソレが初めて入ったダンジョンで見つかるなんて、余程の幸運が無ければ無理だろう。つまり、ミカエルのお陰でこの部屋を見つけることが出来た。
ただ、やっぱりテイミングに成功した理由が分からない。
いや、まあ、あのキス以外無いんだろうけど、それで成功なんて……白雪姫じゃあるまいし。
ん? 白雪姫とは全然違うかな? まあ、いいや。
あぁ、ちなみにPSはパーソナルスキルの略。
休憩も終わったし、そろそろ先に進もう。
立ち上がると、ミカエルも続きふわふわと先に飛び、少し進んで振り返った。両手を後ろで組んで笑顔を向けてくる彼女に、わたしも笑みを返す。そうすると一層笑顔になり、その場でくるくると回って飛んでいく。
後を追い掛け、宝箱や時々魔物と戦いながら進み、二時間程進んだ所でまた結界を見つけた。
幾ら何でも、と思いながら、いつの間にかさっきの場所に戻ってきてしまったんじゃないかとマップを見るけど、さっきの部屋からここまでは一本の道で繋がっていた。
ミカエルって、名前の通り天使なのかも。
休む程消耗していなかったから、このまま通過しようと思い進んだけど、ミカエルに引き止められた。その表情は険しく、この先に行っては行けないと言っている様で……部屋に入り、顔だけ出して十字路になっている交差点を注視する。
二分、三分と時が過ぎ、十分が経過する頃、ソレは姿を現した。
〝――っ!?〟
視界に入った瞬間奥に駆け込んだ。
息が乱れる筈の無いゲームの世界で、激しく呼吸を繰り返す。コレがアバターでなく本来の体だったならきっと、心臓は今までで一番激しく動いていただろう。
関わっちゃいけない。アレには何があっても、絶対に関わっちゃいけない。
カタカタと何かが音を立てている。
ソレは、震えによって生じるガントレットの音だった。気付けば、全身がガクガクと震えている。
ダメだ。怖い。止められない。
一瞬だけ見えてしまった、あの目が蘇る。
死の底へと突き落とされそうな、言い様の無い恐怖を感じたあの目が。
〝――おねえちゃん〟
どうしようも無く、ただ震えることしか出来ない。
こわい。
目を閉じたら、あの目に飲み込まれそうで。
たすけて、おねえちゃん……。
――ふわりと、温かく優しいモノに包まれた。
知らず泣いてしまっていたみたいで視界がぼやけているから、はっきり分からないけど、ミカエルとわたししかいないこの場所で、この優しさを持つのはミカエルだけだ。
あたたかい。
張り付いていた恐怖が少しずつ、けれど確かに溶けていく。
じんわりと、あたたかさが全身を巡っていく。
あたたかい。
〝あり……がとう…………ミカエル……〟
安心してしまったのか、涙が止まらないまま、わたしは眠ってしまった。
声が聞こえたのは、きっと気の所為だろう。
ミカエルは、言葉は話せないんだから……。
目を覚ますと、目の前にミカエルの寝顔があった。
わたしが眠った後、一緒に寝てしまったんだろうけど、しっかり抱き締めてくれたままで、今も温もりを感じる。
幾らか高い位置にある頭に手を伸ばし、起こさない様そっと撫でると、少し身動ぎした。
〝…………〟
心が安らぐ。
おねえちゃんに抱きつかれている時と、似た感覚。
ずっとこうしていたいと、そう思う。
約三十分後、目を覚ましたミカエルは寝惚けていたけど、意識が目覚めた途端目を見開き、わたしの体をあちこちまさぐり始めた。最後に顔をホールドされ、真っ直ぐ目を見てくる。
その瞳に浮かんでいるのは、ただただ、わたしの身を案じる、心配の色。
手を掴んでゆっくり離し、見つめ返す。
大丈夫だよ、と。
何も心配ないよ、と。
ありがとう、と。
その気持ちが伝わったと、そう想いたい。
ミカエルは、ふにゃりと破顔すると同時、わたしに倒れ込んできてその肩を震わせた。今度はわたしが抱き締める。背中に手を回し、距離を零に。
ありがとう。ごめんね? 心配かけて。弱いわたしで……ごめんね? もう大丈夫だから。強くなるから。だからね、ミカエル。
〝一緒に強くなろう〟
顔を上げたミカエルは、大粒の涙を流しながら何度も頷き、けれど、輝く様な笑顔を浮かべていて……まるで、太陽の様だった。
――ミカエルのお陰で難無く最奥まで辿り着いたわたしは今、ボスと相対している。
五㍍を越える巨体、巨大な鎌を持ち、眼は虚ろとしていて何処を見ているのか分からないけど、ソレが恐怖を助長させる。
握りしめた拳を、ミカエルが包んでくれた。
隣には、柔らかい笑みを浮かべている彼女。
瞳を閉じた彼女の体を優しい光が包み込み、わたしも包まれる。この光に、何の効果も無いのだろう。
それで良い。
隣に彼女がいる。
それだけで、恐怖は溶けていく。
――さあ、戦おう。
〝いくよ、ミカエル〟
決意の火を灯した瞳を携え、白衣の天使は頷いた。
直後、死神が鬨の声を上げた。