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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

蛍光~けいこう~

作者: 一六(阿国)

ぱた…



何かがめくれる音にも似ていた


ぱたた…



ただ、違うのは、乾いた音ではないということ。

己の着物を色濃く染めるのは「 」ではなく。それは…


「…お…っ…か、ぁ…」


母親譲りの緑色にも見える黒髪は乱れ、ほつれた髪が肩や背中を覆っていた。

また其れも水分を含み、己の冷えた身体から体温を奪うだけに過ぎない。

とはいえ、寒さを感じることはなく暑さを感じることもない。


「か、え……た、よぅ」


か細い声は届くことはないけれど、その瞳は温かい母親の面影を追って虚空を彷徨った。

「見目の良い娘は高く売れる。」

そう言っていたのはこのあたり一体を治める領主に媚を売る御徒おかちの男。


領地で見目の良い女を奉公に行かせ領主の目を盗んでは、郭に売っていた。しかし、其れは表に出ることはなく、主人思いの家来であると周囲に振る舞い、また周りも思い込んでいた。


そう、それは偶然だったのだ、ただ、不運が重なっただけの。


齢も十で地主の元へ奉公に上がったおりょうは、近所でも評判の孝行娘で。

けして器量よしとは言えずとも、なんとも愛らしいと評判であった。


それも年頃になれば花が綻ぶ様に、女の色気も出てくるというもの。畑仕事で汚れた足を近くの小川で洗っている所を運悪く、件の男が通りかかった。

清い水の流れに、普段は隠された白い脹脛が晒されれば、自ずと男の視線はそこへ向かう。

其れがもっと幼い子であればともかく、人よりも体格の良かったお梁は齢は幼くとも身体つきは成熟した女の其れと変わりがなかった。

女を道具にしか思わない男の獲物になるのは目に見えていた。


言葉巧みに誘う男に、お梁の父親も首を縦に振ってしまい、行儀見習いという名目で一帯を治める領主の所へ奉公に向かう途中、不運がまた重なった。途中で男が欲情に負け、お梁に襲い掛かったのだ。


いくら体は成熟したそれと同等といえど、子供であり、生娘のお梁からすれば豹変した男は恐怖でしかない。馴れない山道を慌てて逃げ出せば泥濘に足を取られそのまま沢へと滑り落ちた。

途中の枝や石であちらこちらの皮膚が裂け、大きな岩の上へと転がり落ち、その拍子に頭を打ち付けて意識を失う。

男は、お梁が死んだと思いそのまま屋敷へ逃げ帰ってしまった。


薄暗い山の中、ここ最近続いていた雨のせいか沢には濁った水が流れていた。沢の傍にある岩にうつ伏せに倒れ伏したお梁の体を、だんだん増水した水が濡らしてゆく。


そしてそれは起こった。



地に響くような重低音とともに川上から土砂を含んだ濁流が、彼女ごと岩をも飲み込み流れ落ちてゆく。

幼い体は、激しい流れに翻弄されながら轟音と共に消えてしまった。

鉄砲水も収まり、水の流れも清らなものへと落ち着いたころ土砂に押し流されたのであろう倒木の上に、お梁の体が覆いかぶさるように倒れていた。


絹糸が擦れるような軽やかな水の流れ、幼い体は先ほどの自然の猛攻に耐えられるはずもなく。愛らしい笑顔が浮かぶこともなく、小さな骸を水にさらすのみであった。



場面は変わり半年後、男が逃げ込んだ屋敷にて騒動が起こっていた。

屋敷の奥座敷、いうなれば座敷牢ともいえる隔離された部屋に、件の男が荒縄で縛り上げられたうえに張り出した梁に吊り上げられていた。

それを冷やかに眺め見やる女が一人。

座敷牢の外から、左手に持った細引きを時折引いては弛める。


その度に男から苦し気な悲鳴が上がる。重く、澱んだ空気は鉄錆びのような臭いを漂わせていた。


「よくも、まあ……お館様を謀ったね……」


女の双眸が細められ、澱んだ沼のように仄暗い光を宿す。女の名は『お(りょう)』と言い、普段は領主の奥付きの女中頭であった。

年の頃は三十歳ほどか……黒々とした髪は光の加減により鴉の濡れ羽のように輝く。


「気が付かないとでも、思ってたのかい?……とんだ輩が殿にお仕えしてたもんだ。」


男のか細い悲鳴が響く。

気に入った女中を廓に売り飛ばしていた男のは、あまりにも辞めてゆく女中に不審を抱いた彼女は殿へ進言し、男の動向を見張っていた。

そんな折、手紙が届いたのだ。


奉公に行ってから一切の連絡が途絶えた娘の安否を気遣う、父親からの文。

その父親の名前に聞き覚えがあるどころではなかった。

己が唯一その身を許し子を孕んだ男の名。すなわち、奉公にあがったという娘は己の腹を痛めて産んだ娘。

その事実に血の気が下がり、お稜の眼前が文字通り真っ暗になった。心ノ臓がいやに耳につくほどの鼓動を鳴らす。


奉公に上がるならば必ず、己が顔を合わせるはずなのだ。それだというのに半年も連絡がないという。

これの意味すること、それはすなわち。


「よくも、娘をかどわかしてくれたね。簡単に黄泉へ行けると思うな…」


舌を縛り付けられた男に、抗える筈もなく。

半刻程の後身なりを整えた女は、先程の鉄錆の臭いを纏わせる事なく屋敷を抜け出した。


件の男は未だに座敷牢に捨て置いてある。今始末をしてしまえば行方知れずになった女中達の居場所がわからなくなるからだ。

お稜が向かったのは、男が白状した娘の居場所。既に生きているとは思っていないが、骨の欠片だけでも手元へ、そして夫の元へと。

せめてもの親心と、守る事の出来なかった自責の念だけが足を動かしていた。


とうに日は落ち、暗い山道を手探りで進む。


「お梁、お梁……何処だい?……おっ母が迎えにきたぞ、何処にいるんだい……?」


子を探し求める母親の声が辺りに響き渡る。夜ともなれば、いくら雪が降っていないとはいえ、麓に比べ山は冷え込みを増す。

己の子も半年前とはいえ、山特有の寒さの中で朽ちたのかと思えば、今感じる寒さなど気にもならぬ。ただただ、狂ったように娘の名を呼び続けた。


―― むぅはぁ むかごぉ、ななはぁ……――


不意に耳に届いたのは人の声。

しかし山に反響しているのか、何処からのものなのかはわからない。


―― ひのふのみぃ かかさまのぉ…――


「……数え歌?」


我知らずに、声に導かれるように、痛む足を引きずりながら近づいてゆく。


繁る熊笹を掻き分けながら進めば視界が急に拓ける。

見れば沢に突き当たったのか、月明かりを反射して川面がボンヤリと浮かんで見えた。


――かぁかさま、こさえぇたてぇまりはどこへぇ――


先程よりも声が近い。


視線を転らせれば、沢の中程にある岩に人影。目を凝らせば、辺り一面を飛び交う季節外れの蛍の中に、幼子が鞠放り投げては遊ぶ姿。


「あ……あ……」


ぼんやりとした薄明かりの中に浮かび上がるのは、昔、ねだる娘に己のお下がりで縫ってやったよそ行き用の着物。

幼い娘には早いと諭しても、母親とお揃いが良いのだと言って聞かなかったから、お稜はよく覚えていた。


「お梁ぉおっ!」


生きていた!娘が目の前にいる!


心身ともに疲労困憊のお稜は、娘の姿を目にするなり駆け寄った。

沢の冷たい水がお稜の身体を濡らしてゆく。水を吸った着物が動きを鈍らせる。

ふいに、お梁がお稜へ首を向けると、小さく微笑んだ。


――おっ母……――


お稜が愛娘へ腕を伸ばす。


もう少し。


あと少しで、あの子をこの腕に抱きしめてやれる。


お梁も、腕を母親の方へ伸ばす。


もう少しで指が触れる。――おっ母、やっと逢えた――


娘の声と共に風が吹けば、一斉に蛍が飛び立ち、目も開けられないほど。


一瞬の事だった。


「お、梁……?」


先程までの蛍は風と共に消え、沢の水音だけが聞こえる。ただ、冬の山景色があるだけ。


「お梁っ?!何処だい?返事をしておくれっ」


腰まで浸かる水をかき分けて、娘の姿を捜す。さっきまでの事が、幻のはずがない。さっきまで、確かにこの岩にお梁が座っていたのだ。

慌てて岩に近づけば、そこには倒木が一つ。よく見れば岩と倒木の間に何かが挟まれているようで、それを手繰り寄せれば着物が現れた。


「……そんな、お梁……」


こらえていた涙が溢れてくる。きっと、あの蛍達は、娘の魂だったのだ。

この岩陰で、母親の迎えを待っていたのだ。


「…寒かったろう?寂しかったろう?迎えが遅くなってごめんよ。……さあ、おっ母と帰ろうねぇ……」


着物と共に現れた娘の骨を、愛し気に抱き締める。

月明かりの元、集められるだけの骨を集めて、着物に包み込む。

そして、娘はやっと母親の元へ帰る事が出来た。

その後、母親とその夫は、娘の亡くなった沢の近くにある小屋に移り住み、蛍を守り育てながら、娘の供養をし続けたという。



蛍とは、幼虫の際、肉食であるということはご存知でしょうか。

また地域によっては蛍は死者の魂を運ぶと考えられているようです。

悲しい思いを持ったまま消えた少女

彼女の意思ごと蛍がくみとっていたらと考えました。

そんな悲しい世界を感じていただければ幸いです。

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