表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR

「君がいなくても困らない」と言われたので、本当に何もしないことにしました

作者: 入多麗夜
掲載日:2026/07/17

実験作です。

「もう!何を言っているのよ、アルフォンス!」


 屋敷にヴィオラの声が響き渡った。


 朝食を終えたばかりの食堂で、アルフォンスは手にしていた新聞を静かに畳んだ。廊下にいた使用人たちは一瞬だけ足を止めたものの、すぐに何事もなかったかのように仕事へ戻っていく。レイヴァン侯爵夫妻の言い合いは、今に始まったことではない。


「落ち着いてくれ、ヴィオラ。私が君との結婚を後悔していると言ったわけではない。そういう噂が広まっているらしいと教えただけだ。君はどうして最後まで話を聞かずに怒り出すんだ」


 アルフォンスは困ったように息を吐き、今朝届いた手紙を妻へ差し出した。


 ヴィオラは夫の手からそれを奪うように受け取ると、立ったまま内容に目を通した。差出人はアルフォンスの古い友人だった。昨夜の夜会で、マリエル・オルブライト伯爵令嬢が妙な話をしていたという。


 アルフォンスは妻に束縛され、屋敷へ帰ることさえ苦痛に感じている。近頃は結婚を後悔しており、その悩みをマリエルにだけ打ち明けた――そんな内容だった。


 最後まで読み終えたヴィオラは、手紙を食卓へ置いた。


「それなら最初から、マリエル嬢が勝手な噂を流していると言ってちょうだい。いきなり『私は君との結婚を後悔しているらしい』なんて言われたら、妻として腹を立てるに決まっているでしょう。それに、何もないところから、ここまで具体的な話が出てくるものなの?」


 ヴィオラは夫の向かいへ腰を下ろし、疑うように目を細めた。


 夫婦仲は良好である。結婚して三年になるが、別れを考えるほど深刻な喧嘩をしたことはない。アルフォンスは言葉こそ足りないものの、妻を大切にしていた。ヴィオラもそのことは分かっている。


 だからこそ、今回の噂には何かしらの原因があるはずだった。


「マリエル嬢に悩みを打ち明けたことは一度もない。ただ、先日の夜会で友人たちに、君が少々私に構いすぎると話したことはある。毎朝外套を持ったか確認され、食事を抜けば執務室まで迎えに来られ、夕食前に菓子を食べれば取り上げられるとな」


 悪びれることなく説明した夫を前に、ヴィオラはしばらく言葉を失った。


 確かに、どれも身に覚えがある。しかし、それにはすべて理由があった。アルフォンスは放っておけば薄着で出かけ、仕事に夢中になれば平気で食事を抜く。夕食前に菓子を食べすぎて、料理を残したことも一度や二度ではなかった。


「私が構いすぎるのではありません。あなたが自分のことを何も気にしなさすぎるのよ。先週だって、外套はいらないと言い張って出かけた挙げ句、風邪を引いたでしょう。それなのに、まるで私が口うるさい妻であるかのように話すなんて、あんまりだわ」


 ヴィオラが頬を膨らませると、アルフォンスはわずかに視線を逸らした。外套を持たずに出かけた翌日、熱を出して寝込んだことは、さすがに言い逃れができなかったらしい。


 それでも彼は、自分の身の回りのことくらいは一人でできると主張した。


 その言葉で、ヴィオラの我慢は尽きた。


「分かりました。それほど私に構われるのが嫌なら、今日から何も言いません。外套を忘れても、食事を抜いても、必要な書類を置いたまま出かけても、ご自分で何とかなさってください。あとから助けてくれと言っても、知りませんからね」

「私も子どもではない。君の手を借りなくても、自分のことくらい問題なくできる。今日一日と言わず、好きなだけ見ているといい」


 アルフォンスはそう答えると、何事もなかったかのように新聞を広げた。


 彼女自身も、アルフォンスが忙しいことは分かっていたつもりだった。


 侯爵家の当主として領地を治めながら、王宮では議会にも出席している。朝早くに屋敷を出て、日が暮れてから帰ってくることも珍しくない。領地から問題を知らせる手紙が届けば、食事の時間さえ惜しんで執務室へ籠もることもあった。


 だからこそ、ヴィオラは自分にできることで彼を支えようとしていたのだ。


 朝にはその日の予定に合わせた衣服を用意し、必要な書類が揃っているかを確かめる。帰りが遅くなる日は厨房へ頼んで温かな食事を残してもらい、疲れている様子なら翌朝の予定を少し遅らせられないか執事と相談する。


 どれもアルフォンスに頼まれて始めたことではない。


 ただ、夫が少しでも楽に過ごせればよいと思って続けてきた。それを構いすぎだと言われてしまえば、腹が立つのも当然だった。


 しかし、本当に一人で何でもできるというのなら、それはそれで喜ばしいことでもある。


 彼女が手を貸さなくても忘れ物をせず、食事を抜かず、自分の体調まできちんと管理できるのであれば、彼女が口うるさく言う必要もなくなる。


 ヴィオラは席を立つと、食堂を出る前に夫を振り返った。アルフォンスは再び新聞へ目を向けており、早くも一人で何でもできるつもりになっているようだった。


 それならば、実際に任せてみればよい。


 今日からしばらく、アルフォンスの世話を一切焼かない。


 そう決めた彼女は、今度こそ何も言わずに食堂を後にした。




 ◇




 しかし、アルフォンスの見栄を張った宣言は、一週間も持たなかった。


 初日には王宮へ持っていくはずの書類を屋敷に置き忘れ、二日目には昼食を取る時間を逃した。三日目には同じ時間に二つの予定を入れていたことに直前まで気づかず、先方へ謝罪の手紙を書くことになった。それでもアルフォンスは、自分一人で問題なくできていると言い張った。


 これまでヴィオラが確認していた予定や書類にまで自分で目を通そうとすれば、当然ながら仕事を終える時間は遅くなる。夜更けまで執務室へ籠もり、翌朝はいつもと変わらない時間に起きる。食事もろくに取らず、疲れを誤魔化すために濃い茶ばかりを飲んでいた。


 四日目には目の下に隈ができ、五日目には何度も同じ書類を読み返すようになった。それでも休もうとしなかった結果、六日目の朝、とうとう寝台から起き上がれなくなった。


 挙げ句の果てに、過労で寝込んでしまったのである。


 ヴィオラが寝室を訪れた時、アルフォンスは熱に浮かされながら天井を見つめていた。医師の診察によれば、数日間きちんと休めば回復するという。しかし、無理を続ければ長引くとも厳しく言い渡されていた。


「悪かった、ヴィオラ。君の言った通りだったよ。浅はかだった」


 弱々しく謝るアルフォンスを前に、ヴィオラはふんと鼻を鳴らした。


「だから言ったでしょう。無理をしてはいけないって。あなたは仕事を始めると、食事も休むことも忘れてしまうんだから、誰かが止めなければ駄目なのよ」


 言いたいことはまだ残っていた。ヴィオラは寝台のそばに置かれた椅子へ腰を下ろし、アルフォンスの目を真っ直ぐに見つめた。


「私、あなたが何もできない足手まといだなんて、少しも思っていないからね。あなたにはあなたのするべきことがあって、私には私のするべきことがあるの。だから、私が手を貸すことを厄介だなんて思わないこと。分かった?」


 アルフォンスは素直に頷きかけたが、何かを思い出したように掛け布へ手をついた。


「待ってくれ。今日中に確認しなければならない書類があるんだ。このまま寝ているわけには――」


 無理に起き上がろうとするアルフォンスの肩を、ヴィオラは両手で押し戻した。力の入らないアルフォンスの身体は、あっさりと寝台へ沈んでいく。


「今日は安静にしていなさい。あなたの机にあった仕事は、重要書類に関わるもの以外、全部片づけておいたから。残ったものも、今日中に確認する必要はないと執事に聞いています。元気になってから、確認して頂戴」

「そこまで済ませたのか。まったく……君には敵わないな」

「本当よ、もう!少しくらい私の言うことを聞いて、早く寝てください」


 ヴィオラはアルフォンスの掛け布を整えると、熱の残る額へそっと口づけた。


 そのまま寝室を出ていこうとすると、背後から小さな声で礼を言われた。ヴィオラは足を止めたものの、振り返りはしなかった。


 今さら素直に返事をするのは、少しだけ癪だった。


 それでも彼女の口元には、わずかな笑みが浮かんでいた。

もし良ければポチッと評価をお願いします。

((꜆꜄ ˙꒳˙)꜆꜄꜆ポチポチ

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
反省足りんな。周りにも色々言ってたんだから自分が間違えてたとはよ皆に言え。
夫婦は協力しあってこそ、ですね。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ