第1話:その転生、有期雇用につき
「いってらっしゃいませ! 異世界での勤務に、光り輝く加護があらんことを!」
人事総務部・採用課の新人、中野の爽やかな声がフロアに響く。
特設の転生ゲートから溢れ出る七色の光に包まれ、契約社員の吉田が希望に満ちた表情で配属先である異世界に吸い込まれてゆく。
その華やかな光景からわずか10メートル。
パーテーションで区切られた『人事総務部・労務課』のデスクで、私は死んだ魚のような目でパソコンのディスプレイを見つめながらブツブツ呟いていた。
「…まあ、加護特典があるのはいいけど、雇用保険や社会保険、労災は誰が手続きすると思ってるのよ……」
私はこの会社――異世界転生サポートを生業とする、新進気鋭の株式会社ネクストライフ・キャリアの労務担当として勤務している。
うちのビジネスモデルは単純だ。異世界で働きたい求職者を契約社員として採用し、これまでの勤務経験に応じて王国やギルドへ斡旋というかたちで仮転生させる。契約期間は配属先の異世界に慣れるための試用期間として、1年間・週40時間のフルタイム勤務。その期間中はこちらの世界の法により守られる。勤務態度が良好であれば正規の転生が可能、という実力主義のスタイルだ。
『より安全な異世界転生を保証します!』を売り言葉に、異世界転生サポート業界の中でもホワイトという噂が広まっており、全国から応募がひっきりなし。そのため人事総務部はいつも多忙なのだ。
採用課は毎日山のように届く応募者の履歴書を確認し、各世界のギルドより提出されている求人票の内容にふさわしい人材を慎重に検討・面接をする。
そして、私が所属する労務課での主な仕事は、入退社手続きおよび試用期間中の異世界での待遇管理。なにせ異世界ごとに当然環境や待遇が違うため、現地で契約通り正しく給与が支払われているか、勤怠管理、福利厚生、労働災害などの細やかなフォローが必要なのである。
「高円寺課長! また採用担当抜きで勝手に雇用契約したんですか!?」
私は、感動で涙ぐんでいる人事部の上司の背中に、厚さ3センチの書類束を叩きつけた。
「ひえっ!あぁ君か。いやぁ、あの吉田君ね、前職はサービス残業続きでボロボロだったらしくて。でも、気持ち新たに異世界でバリバリ働いて、無期転生を目指したいって燃えてるんだよ。」
「そうですか。夢を語るのは自由ですが、まず現実を見てください。吉田さんの出向先のワグネリアン聖騎士団の求人票と労働条件通知書、ちゃんとチェックされましたか!?
見てください、これ。彼はその聖騎士団に正騎士として勤務することになってますけど、この内容ですと、実態は完全歩合制の業務委託に近いですよ。」
私は書類の一枚を指さした。そこには金文字で『魔王級の魔物の首ひとつにつき金貨百枚』と書かれている。
「最低賃金の概念がゼロ! しかも、この福利厚生欄の『宿舎完備』っていう項目。よく読むと『馬小屋の2階を自由に使用してよい(ただし馬の世話を条件とする)』って……これ、勤務外時間外も休憩時間じゃなくて、労働時間に含まれる宿直業務じゃないですか! 労働基準法を何だと思ってるんですか!」
「ま、まあまあ。異世界だし、ファンタジーだし。我々とは常識も違う訳で…」
「出向先が異世界だろうが、うちは日本の法人です! 労働者には『通貨で、直接、全額を、毎月一回以上、一定の期日に』支払わなきゃいけないんです! 成功報酬だけで基本給ゼロなんて、労基署が黙ってませんよ!」
さらに私は、契約書の別の箇所を指さした。
「それにこれ。『休日:聖戦につき原則なし。ただし祈りの時間は休憩とする』。こんな.まともに休みもない収入もない状況で、もし彼がプライベートで骨折でもして、向こうの教会で高額な治療費用を請求されたらどうするんですか!うちの付帯保険では、異世界の祝福もポーションも適用外だって先日も言ったはずです!」
私の剣幕に焦る課長にさらに告げる。
「…課長、これを通したら、試用期間中に彼は倒れて労働災害申請が飛んできますよ。そうなれば、うちの安全配慮義務違反です。」
その時、転生ゲートから「待ってくれ!」と叫び声が上がった。吉田が、半身を光に突っ込んだ状態で戻ってきたのだ。
「あの……やっぱり不安なんです! 1年契約ってことは、魔王を倒せなかったら雇い止めになるんですか!? 有給休暇は向こうでも取れるんですか!?」
中野が顔を引きつらせて駆け寄る。
「吉田さん、今はそんなことより早く行かないとゲートの使用費がかさんで……!」
吉田の行く行かないで収拾がつかなくなった現場に、私はスッと立ち上がった。手には予備の労働条件変更合意書とボールペン。
「吉田さん、失礼します。労務の者です。」
私の冷静な声に、吉田と中野が揃ってこちらを向く。
「安心してください。今回の契約は試用期間としての1年間ですが、更新や正規転生の判断基準には魔王討伐だけでなく日々の報告書の提出や健康管理も含まれます。そして有給休暇ですが……
女神様、そこにいらっしゃいますね?」
ゲートの奥、光の中に佇む美しい女神が『えっ、私?』と答えた。
「女神様。この契約書の第三条『滅私奉公の精神』を削除し、『週休2日制および年間休日120日』『月給2万ゴールド(固定給)の保証』を追記してください。
あと、聖戦中であっても、必ず週に一回は完全オフの公休日を設けること。
これができないなら、今回の人材提供は中止としますし、今後そちらの世界の騎士不足に弊社はもう関与できません。」
『えぇっ!? それは困るわよ! もう〜分かったわよ、書けばいいんでしょ!』
女神が慌てて魔法のペンを走らせる。
修正点を加えた契約書と労働条件通知書を確認し、私は吉田に頷いた。
「これでよし。向こうに着いたら、まずギルドの受付でこれらの書類を提出してください。有給休暇の希望もギルドで申請です。もし有給が認められないようなことがあれば、支給の会社携帯より私へメールを。さあ、行ってください。定時まであと10分しかないんです。」
吉田をゲートの中に押し込み、私はやれやれと席に戻った。
背後で「……怖っ、労務の人マジで怖っ」という誰かの呟きが聞こえたが、もちろん無視だ。
「ふう。さて、次はエルフの契約社員の社会保険手続きね。彼女、樹齢300歳って言ってるけど、マイナンバーカードは持ってるかしら……」
私は再び、パソコンに向かいキーボードを叩き始めた。
異世界の英雄譚の裏側には、今日も一通の雇用契約書と、法令を遵守する社員の執念がある。




