表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
真滅の光焔  作者: 黒羽 スイ
6/12

第5章 : 月影の森の囁き

寺に来てから――ちょうど一年が過ぎた。

綾澤師匠の指導は、さらに厳しさを増していた。

彼女は武器術に関して誰よりも秀でており、俺の剣の稽古を直接監督するようになった。

それでも、彼女が最も重視していたのは体術だった。


幸い、じいちゃんに教わった剣術の基礎はまだ身体に染みついていた。

そのおかげで、修練は少しずつ形になり――そして、精神を技として投射する術も上達していった。


その夜。

遅くまで続けていた稽古の最中――寺の鐘が鳴り響いた。

俺たちは顔を見合わせる。

この鐘が鳴ったら、すぐに中庭へ集まるように言われていた。


慌てて駆けつけると、そこには光刃の戦士たち全員が集結していた。

見慣れぬ顔ぶれに、思わず息を呑む。

炎の灯る松明の下、一人の男が静かに歩み出た。


「今宵ここに集う我ら光刃は、一つの志で結ばれる。ツキカゲの森――ハルイシ村近郊で、子どもたちの失踪が報告された。些細な出来事かもしれぬ。だが、小さな波紋が嵐を呼ぶこともある。この任務を、最も新しい三人の初伝弟子に任せる。これが光刃としての第一歩だ。炎を絶やさぬ者となれ」


師匠は一呼吸おき、炎の揺らめきが夜気を照らす。

「初伝の者たちよ。お前たちは火種だ。精神の息吹を胸に宿した最初の存在。その炎を守り、不安の中で道を照らせ」


瑞原師匠が手を掲げると、中央の火鉢の炎が一瞬にして燃え上がった。

金色の光が全員の顔を照らす。

「今夜、我らは世界の危険から逃げぬ。今夜こそ――何のために戦うのかを、思い出すのだ」


再び鐘が鳴り響き、集会は終わりを告げた。

他の光刃たちは一斉に頭を下げ、霧の中へと消えていった。

俺たちは、ただその場に立ち尽くしていた。


「……本当に、私たちが行くの?」

アカリが小さく震える声で尋ねる。

「師匠が任せたんだ。なら、これは試験じゃなく信頼だ」

ケンジが腕を組み、強がるように言う。

だが、彼の顎がわずかに震えているのを俺は見逃さなかった。


「そうだな。俺たちはもう弟子じゃない。光刃だ。どんな任務でも、絶対にお前たちを守る。この剣にかけて、二度と誰も死なせはしない」

二人は静かに頷いた。

俺たちは中庭を後にし、自分たちの部屋へ向かった。


そこには――綾澤師匠が待っていた。

「師匠? どうしてここに?」

アカリが尋ねる。

「初任務の知らせを聞いてな。ようやくこの時が来たようだ」

師匠は淡々と言葉を続けた。


「もう私から教えることはほとんどない。だが、一つだけ渡しておきたいものがある」

師匠は三つの小箱を取り出し、それぞれ俺たちに手渡した。

蓋を開けると、そこには衣が入っていた。

「お前たちの戦い方に合わせて仕立てた。この布は高熱にも耐える。――まあ、溶岩の中にでも飛び込まない限りは無事だろう」

ケンジが思わず吹き出す。

「さすがにそこまでは行かねぇけどな……」


「軽くて動きやすいはずだ。存分に使え。……そして、必ず帰ってこい」

そう言い残し、師匠は背を向けて去っていった。

「……あの人、もうちょっと感情見せてもいいと思わねぇ?」

ケンジがぼそっと呟いた。

俺たちは笑った。

緊張と不安の中に、ほんの少しだけ温かさが灯った。


「――少なくとも、ファッションのセンスは悪くないな。これ、派手でカッコいいじゃん!」

ケンジの一言に、思わず笑ってしまった。

確かに、その衣装はどれも身体にぴたりと合い、まるで仕立てられたようだった。


装備を整え、短い休息を取った俺たちは――夜明け前、東門へ向かった。

「霧が晴れ始めてる。でも完全に消えるまで一時間はかかる。離れずに行こう」

アカリが先頭に立つ。


――その時。

「おい、新入り、ちょっと待ちな!」


誰かの声。

振り返ったが、誰もいない。

「下だ、間抜けども!」


声の主は――猫だった。

服を着た、不思議な猫が、空間の中からふっと現れた。

「……アカリ、猫が喋ったぞ……。しかも今、出てきた」

ケンジが固まる。

「当たり前でしょ!」


猫――いや、ユネコ《ユネコ》は胸を張って言った。

「お前らは水を操り、火を放ち、地を揺らせるくせに、喋る猫に驚くとはどういう了見だ! 子どもか!」


「え、えっと……任務でツキカゲの森に――」

アカリが恐る恐る答える。

「ツキカゲ、ね。……で、どうやって行くつもり?」

ユネコの目がきらりと光る。

「まさか、寺を囲む森を抜けるルートを知らないとか言わないよな?」


「……多分、スキップしたかも」

アカリが苦笑する。

「スキップ? まったく、信じられない。光刃チームには必ずユネコが同行するのが決まりなんだぞ!」

猫は尻尾をバシッと振り、続けた。

「俺たちは道案内をして、現地に着いたら霊体化する。戦闘には向かねぇが、導くのが役目だ」


「ユネコ……? 初耳なんだけど」

「今知ったんなら、それでいい! おい、チビども、ついてこい! 一人で行ってたら森で迷って一生出られなかったぞ!」


「……正直、その方がマシかも」

ケンジが小声で呟く。

「なんか言ったか、カボチャ頭!」

ユネコがケンジの足をパシンと叩いた。

「い、言ってねぇ! ところで、名前とかあるのか?」


「もちろんだ! 俺の名はリノ。お前らの名前なんざ、とっくに知ってる」

ケンジが深いため息をつく。

「……長い旅になりそうだな」

「確実にな」

アカリが苦笑する。


霧が濃くなり、背後の寺が完全に見えなくなった。

リノの尻尾がゆらりと揺れ、俺たちはその後を追った。

最初こそ、そのおしゃべりに辟易したが――

すぐに気づいた。彼の言う通り、リノから離れれば、たちまち方角がわからなくなる。


森を抜けると、空気が一変した。

一年ぶりの外の世界。

頬に当たる風が、こんなにも自由に感じたのは初めてだった。


「ほらほら、さっさと進め! 観光は任務が終わってからにしろ!」

先頭を歩くリノが、尻尾を揺らしながら声を張り上げた。

「おいリノ! お前はしょっちゅう外出してるだろ!」

ケンジがうんざりしたように叫ぶ。

「俺たちは一年も山籠もりだぞ! 少しくらい息抜きさせろっての!」


「知るか、カボチャ頭」

リノが鼻を鳴らした。

「任務を早く終わらせれば、帰る前に好きなだけ見物できるだろ」


「……あの二人、全然噛み合ってないよね」

アカリが小声で俺に囁く。


「だな……ははっ」


俺たちは半日ほど歩き続け、ようやくハルイシ村の近くまで来ていた。

太陽は容赦なく照りつけ、喉が焼けるように乾く。


やがて見えてきた村は、小ぢんまりとしていて、どこか懐かしい雰囲気を持っていた。

木造の家々の軒先には赤や白の提灯がぶら下がり、風に揺れている。


村の門をくぐると、人々はちらりともこちらを見ず、黙々と作業を続けていた。

その表情はどこか無感情で――生気が薄い。


数軒先から、ほのかに茶とラーメンの香りが漂ってきた。


「文明っ……ついに文明だぁ!」

ケンジが両手を広げ、叫ぶように喜んだ。

「歩きすぎて足が死ぬかと思った! この猫に振り回されるし、腹は減るし!」


アカリが叱るより早く、ケンジは店へ駆け出していた。

俺は苦笑いしながら後を追う。


木のカウンターに腰を下ろすと、店主が温かい緑茶を出してくれた。

湯気がほっとする香りを運んでくる。


「なあ、リノ」

俺は隣の小さな猫をちらりと見る。

「そんな格好した猫が喋ってたら、普通は驚かれると思うけど……大丈夫なのか?」


「ご心配なく、ハヤト殿」

リノが尻尾を揺らし、得意げに言った。

「我々ユネコ《ユネコ》族は、精神感知に長けた者にしか見えぬよう訓練されております。姿を隠す幻衣の術や、地形把握の写図法も習得済みですゆえ」


「なるほど……便利だな」

アカリが感心したように頷く。

「ユネコって全部で何匹いるの?」


「九匹です」

リノが即答する。

「本来は十一匹のはずでしたが――瑞原殿は犬派でしてね。まったく、理解できませんよ」

そう言って、ふてくされたように鼻を鳴らした。


「さて」

リノは前足で顎を整えながら続けた。

「森まではここから歩いて数分。道も単純です。私の役目はここまで。解除の際は月猫のムーンキャットシールを結んでください」


その言葉を最後に、リノは尾をひと振りし、陽炎のように姿をかすませた。


「……え? ムーン……何?」

俺が首を傾げると、リノの耳がピクンと動いた。


「まさか――月猫の印も教わっていないと?」

リノが前足で額を押さえ、ため息をつく。

「まったく、最近の弟子はこれだから……。仕方ありませんね、教えましょう」


彼は真剣な口調に変わった。

「月猫の印は単なる召喚術ではありません。光刃とユネコを繋ぐ、意志の契約でもあります。右手で虎の印を結び、そのまま胸――心臓の上に当ててください。この形は、心と心が純粋に結ばれることを象徴しています。召喚の際はユネコの名、もしくは結の言葉を唱える。解除の際は逆の動作で解と唱えるのです」


俺は頷き、リノが足元をくるりと回るのを見ながら動作を確認した。

右手を胸に当て――


「解!」


リノの身体が柔らかな光となって溶けていく。


「うむ、上出来です」

リノの声がゆらめく光の中で響く。

「覚えておきなさい。精神を通じて我らが繋がる限り――いつでも、どこでも、私はお前の呼びかけに応える」


そう言い残し、光はふっと消えた。


「……やれやれ、やっと静かになったな」

ケンジがにやりと笑う。


「ちょっと、ケンジ! そんな言い方ないでしょ!」

「冗談だって、アカリ。冗談」


俺たちは笑い合い、束の間の穏やかな時間を過ごした。

任務のことも、緊張も、その瞬間だけは忘れられた。


――その時、耳に届いたのは小さな囁きだった。


隣の卓で、二人の村人がひそひそと話している。

声は低いが、断片的な言葉が耳に届く。


「……また、いなくなったらしい」

「今月で三人目だ」


アカリが湯呑を持つ手を止める。

目が一瞬で鋭くなった。


「……夜の森がざわめくんだと。まるで森そのものが息をしているみたいに」


背筋に冷たいものが走る。


「……子どもたちは、その音を追って――戻ってこない」


俺たちは目を合わせた。

それだけで、次に何をすべきかが分かった。


――光刃の存在を明かすことなく、原因を突き止める。


「散開しよう」

アカリが低い声で言う。

「日暮れまでに村の中心で合流。どんな些細な情報でもいい、必ず掴んで」


「了解」


俺とケンジは頷き、それぞれ別方向へ歩き出した。


だが――

どこへ行っても、村人たちは無言だった。

声をかけても、返ってくるのは空虚な視線ばかり。


まるで、この村から感情そのものが失われたかのようだった。


やがて夜が訪れ、俺たちは約束の場所――村の中心へ戻った。

風が冷たく、遠くで虫の声が響く。


「……で、どうだ? 何か掴めたか?」

ケンジが腕を組み、沈黙を破った。


「……駄目だ。誰も話そうとしない」

俺は首を振った。

「まるで、この村全体が恐れに囚われてるみたいだ」


「ここで立ち止まってても仕方ないわ」

アカリが前に出る。

「ツキカゲの森はすぐ近くよ。行こう」


森の奥には――何かがいる。

その気配を感じながらも、俺たちは足を踏み入れた。


アカリが先頭に立ち、森の入り口で立ち止まる。

彼女は膝をつき、掌を土に当て、目を閉じた。


「――水の精技・熱声ッ!!」


温かな蒸気が地面を這い、周囲に広がっていく。

微細な温度差を読み取り、生命の熱を可視化する術だ。

目を閉じたままでも、彼女には全ての輪郭が見えていた。


「……熱反応はない。でも、それが逆に……嫌な予感がする」


アカリが立ち上がる。

俺たちは互いに頷き合い、森の中へ進んだ。


風が流れるたび、木々の影がざわめく。

まるで森そのものが息をしているようだった。


空気が重くなり、胸が圧迫される。

眠気にも似た眩暈。頭の奥で、何かが囁いている気がした。


やがて――地面に赤い線を見つけた。

木の根を伝うように伸びる、細い血の跡。


ケンジが膝をつき、跡をなぞる。

「……子どもの足跡だな」

「何人分?」

「六……いや、七人か」


俺は巨大な杉の幹に掌を当て、目を閉じた。

その瞬間、背筋を冷たいものが走る。


「この木……生きてる!」


月光が翳り、地面を這う影が蠢き出す。

ミミズのように伸び、アカリの足元へと絡みついた。


「くっ……動けない!」


地面が裂け、無数の根が飛び出す。


「散開しろ!」

ケンジの声が響いた。


根が鞭のように唸り、アカリの脚を包み込む。

膝まで達し、動きを封じる。


俺は身を転がしてかわし、剣を抜いた。

影が足元に伸びてくる――その前に、飛び込む。


「――火の精技・炎鎌ッ!!」


刃が炎を纏い、軌跡を描く。

燃え盛る刃が根を断ち切り、黒煙が立ち上がった。


アカリの足は感覚を失っていた。

俺は彼女を抱き上げ、木の高枝へ跳び上がる。


「大丈夫か!? 影を媒介にして、根で捕らえてる!」

「平気……でも、立ち止まるのは危険よ!」


地上では、ケンジが拳を構えた。

「――地の精技・剛撃ッ!!」


衝撃波が走り、根を砕く。

だが反動でケンジの身体が押し戻され、膝をついた。


「くそっ……! 簡単な任務のはずだったろ!」


俺たちは枝の上を駆け、襲い来る影を切り払った。

影は息をつく暇も与えず、何度も這い寄ってくる。


「もううんざりよ、こいつら!」

アカリの怒声が森に響く。


「ずいぶん賑やかな森だな!」

ケンジの軽口にも、誰も返さなかった。


ケンジが両腕で太い根を掴み、渾身の力で引きちぎる。

精神の光が迸り、地面が震えた。


「おおおッ!!」

根を叩きつけ、粉砕する。


だが、すぐに別の根が腕に絡みついた。


「ケンジ!」

俺は剣を振り抜き、巻きついた蔓を断つ。


その瞬間――森の動きが止まった。

風も、音も、消える。


「……何だ? どういうことだ?」

ケンジが息を整えながら呟く。


「わからない……でも、警戒は解くな。引く理由がない……これは――おかしい」


霧の向こうで、影が形を取り始めた。

短い手足、細い体。首を傾げ、こちらを見ている。


やがて、その背後から――

いくつもの人影が現れた。


アカリの息が止まる。

「……人間、なの?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ