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真滅の光焔  作者: 黒羽 スイ
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第4章 : 試練に鍛えられた絆

鳥のさえずり。

頬をなでる淡い陽光。

ぽつり、ぽつりと落ちる雨のしずく。

――気づけば、俺は森の真ん中で目を覚ましていた。

「アカリ!? ケンジ!?」

叫んでも、返事はない。

胸が苦しくなり、息が荒くなる。

「なぜ慌てる。落ち着け。周囲を観察しろ。考えるんだ」

どこからか、声が聞こえた。

だが、今の状況で集中できるはずもない。

――パキッ。

枝の折れる音。

振り向いたが、そこには何もいなかった。

「落ち着け。息を整えろ。周囲のすべてを感じろ」

言われるままに、深呼吸をして辺りを見渡す。

すると――潰れた葉の跡に気づいた。

その先に続く細い道。

(……誰かが通った跡か?)

慎重に足を踏み出したその瞬間――

「うわっ!?」

足首に何かが絡みつき、次の瞬間、体が宙に浮いた。

ロープで逆さ吊りにされ、世界がぐるぐると回る。

バサッ、バサッと足をばたつかせていると、足音が近づいてきた。

そこに現れたのは――俺より一、二歳ほど年上の女だった。

腕を組み、ため息をつきながら俺を見下ろしている。

「これが今の光刃を象徴する姿だというの? 情けない。哀れね。本当に。光刃の道は、人を砕くのよ。それでも進む覚悟があるというのなら――耐えてみせなさい」

そう言うと、彼女は指をひと振りした。

――スパッ。

刃物など使っていないのに、ロープが切れ、俺は地面に落下した。

「いってぇ……!」

背中を押さえてうめく俺の目の前に、小さな短剣が突き刺さる。

「立て。拾え。――見せてもらおうじゃない」

促され、俺は短剣を両手で抜き取り、彼女に返そうと顔を上げた。

だが、もう姿はない。

「感覚を使え。肌を撫でる風を感じろ。匂いを捕まえろ。風の音を聴け。――集中しなさい」

彼女の声だけが、森の中に響いた。

俺は再び辺りを探る。

かすかな葉擦れ、遠くの水音、湿った土の匂い……そのすべてを頼りに、気配のある方へ短剣を投げた。

――ザクッ。

刃が木に刺さる。

「感心したわ。こんなにも生のまま、未熟だなんてね」

背後から声。

次の瞬間、足を払われ、顔面から地面に突っ込む。

「ぐはっ……!」

「これが無理? 本気で言ってるの? あなたの妹、アカリは起きて五十二秒で私を見つけたわ。すごいでしょ? まさか兄のあなたが、こんな簡単な課題もこなせないとはね」

「……アカリが? くそ、もう一回だ」

誇らしい気持ちと悔しさが混ざる。

でも今は、それどころじゃない。

彼女の姿が再び消える。

――空気が変わった。

さっきよりも冷たい。

地面の感触も柔らかく、足跡は残らない。

「考えすぎだ、ハヤト。任務なら今頃死んでいる。五感で世界を感じるのではない。五感は惑わされる。静けさで感じろ。魂で感じろ。精神で感じろ。――仕留めろ」

彼女の言葉の意味は分かる。だが、それを体現することができない自分がもどかしかった。

森のざわめきの下で、空気の流れがわずかに変わるのを感じた。確かな、意図をもった変化だ。

息をゆっくりと整え、音を立てないように一歩ずつ進む。

木の陰、幹の裏。――前方、彼女の気配を捉えた。

静寂が限界まで張り詰める。影が、そこにあった。

俺は短剣を振り抜き、仕留めるつもりで突いた。

だが、刃はそこで止められた。指先ひとつが、空気を制したのだ。

触れもしないのに、何かが斬撃を宙に留めていた。まるで空間自体が受けを作ったように。

「おめでとう。――一時間ほどかかったが、これで導入試練は合格だ。正直、もう少し期待したが、仕方ない。時間がすべてを整えるだろう。仲間たちは既に川辺で待っている。綾澤光里あやざわ みつりだ。光刃の奥伝であり、これからは私が君たちの教官だ」

綾澤師匠は、圧のある気配を放って立っていた。

表情に乏しく、だが目の奥には揺るがぬ決意が宿っている。

黒を基調に、銀と赤の差し色が入った法衣がよく似合っていた。

綾澤師匠に導かれて川辺に出ると、ケンジとアカリが水際に座っているのが見えた。

俺を見つけると二人は駆け寄ってきた。

「ハヤト! 無事でよかった。綾澤師匠とはどうだった?」とアカリ。

「えっと……あんたとはだいぶ違ったな、五十二秒の女王殿下」と俺はふくれ顔で言うと、アカリは吹き出して俺の頭をぽんと叩いた。

「ほらほら、兄ちゃん。すぐに上手くなるよ!」

綾澤師匠は表情を崩さず、俺たちを直列に並ばせた。腕を組み、冷たい声で言う。

「先ほども言った通り、お前たちは未熟だ。私に教わるという幸運はあるが、同時に不運でもある。私は完璧を追求する。完璧に満たないものは受け入れない。これから数か月、我が門で修練を積むがよい」

「数か月って!?」とケンジが叫ぶ。

「師匠、我々を殺す気ですか!?」

「真の光刃になるための修練には年単位がかかる。これは始まりに過ぎない」と綾澤。

「だが綾澤師匠、通常なら師匠は現地任務や重要業務に出ていらっしゃるのでは?」とケンジが尋ねる。

綾澤師匠は無表情のまま俺たちを見下ろした。

「これは水原師匠からの直々の指示だ。光刃の組織は己を守る人数を確保している。もし我々が一人欠けることを恐れ、訓練を怠るのであれば、この世界に居場所はない」

彼女は率直だった。遠慮という言葉を知らない。

……正直、少し怖かった。

(もうちょっと笑ってもいいと思うんだけどな……)

「これから三人一組で訓練を行う。任務では単独行動になることもあるが、他の光刃と共に動くこともある。仲間を信じられない者は――死ぬ。今回の課題は単純だ。先ほどと同じように、森の中で私を見つけ出せ。ただし、五十二秒で見つかるような甘い相手ではないと覚悟しなさい」

そう言うやいなや、綾澤師匠の姿がふっと消えた。

落ち葉が舞い上がり、風が一陣、俺たちの頬をかすめる。

「……この寺の人たち、全員どこか怖くない? たまには面白い人に会ってみたいよ」

ケンジがぼやく。

俺たちは森へ足を踏み入れた。

木々はどれも似たような形をしていて、すぐに方向感覚を失う。

霧が濃くなり、視界が白く霞む。

次第に、アカリとケンジの息づかいが聞こえなくなった。

「アカリ? ケンジ?」

振り返ったが――誰もいない。

返事もない。

森に響くのは、自分の声だけだった。

周囲が歪む。

さっきまであった道が、行き止まりに変わっていく。

(……これも綾澤師匠の仕業か)

離れ離れになっても、判断し動く力が求められている。

俺は息を整えながら、木々の迷路を抜けようとした。

だが焦りが募る。

一歩ごとに足が重くなる。

「焦るな」

耳元で声が囁いた。振り返る――誰もいない。

(くそっ、絶対に遊ばれてる……!)

俺は地面に腰を下ろし、目を閉じた。

経験はない。けれど、精神を意識してみようと思った。

感じたことのない何かを探るように。

自分の内側へ――沈むように。

一方その頃、アカリは冷静だった。

狩りで鍛えた追跡の感覚が冴えている。

(ハヤトとケンジを見つけないと……このままじゃ危険)

心を静め、一歩ずつ確かめるように進む。

葉と苔をかき分けると、浅くて広い足跡がいくつか残っていた。

それを辿りながら、慎重に森を進む。

反対方向で、枝の折れる音がした。

アカリは足を止める。

(違う……あれはわざと。師匠が仕掛けてる)

再び前を向き、足跡の先へ。

風に混じる、かすかな匂いを追う。

やがて――前方に人影。

俺が地面に座り、目を閉じているのが見えた。

アカリは静かに近づき、俺の肩に手を置いた。

「うわっ!?」

あまりの驚きに飛び上がった俺を見て、アカリは堪えきれず笑った。

「ったくアカリ! 今は冗談を仕掛けるタイミングじゃないだろ!」

俺が怒鳴ると、アカリは舌を出して笑った。

「へへ、ごめんごめんハヤト。驚かせるつもりはなかったの。でもさ、息が荒すぎるよ。あんなにゼェゼェ言ってたら、誰にでも見つかっちゃう。ケンジの痕跡、何か見つけた?」

「いや、まだだ。でも俺たち二人が揃えば、見つけやすくなるはずだ」

――その頃、ケンジは森の中を一人で歩いていた。

通り過ぎる木を軽く小突きながら、ぶつぶつと文句を言っている。

綾澤師匠の言葉が、頭の中で何度も響いていた。

『三人でチームとして動け』

「チームっつってもなぁ……。俺一人なんだけど?」

苛立ちまじりに呟く。

何度も名前を呼びながら歩いたが、返事はない。

その時、木々の間に影が揺れた。

「……ん?」

誰かがそこにいる。そう思い、ケンジは影を追った。

一本、また一本と木を越えるたびに、影はするりと逃げる。

(待てよ、この感じ……まさか!)

考えるより先に体が動いた。

だが次の瞬間――

「うわっ!?」

足元が崩れ、ケンジは浅い落とし穴に落ちた。

横腹を強打し、地面に倒れ込む。

「……最高だな。完璧じゃねぇか」

うめきながら腕をさすった。

登ろうとしても、壁がつるつるで掴めない。

(間違いねぇ、これも綾澤師匠の罠だ……!)

ケンジの顔が真っ赤になり、首筋の血管が浮き上がる。

ついに堪忍袋の緒が切れた。

「これが訓練ってやつかよ!? 教訓は何だ? 浅い穴から出るにはトランポリンでも持ち歩けってか!? こんなの修行じゃなくて、精神崩壊への旅だぞ!!」

その怒鳴り声が、森に響き渡った。

「ねえ、今の聞こえた? ケンジの声だ!」

俺が言うと、アカリがうなずいた。

「うん、間違いない。あの怒鳴り方、ケンジしかいない!」

アカリが先に走り出し、俺もすぐに後を追う。

「ほんと、いつも通りうるさいね……」

アカリが小声で笑う。

「ケンジ! 大丈夫か!?」

「どう思うハヤト!? 最高だよ! ここ、天国みたいだ! お前らも入ってみるか!? 温度も快適だぞ!!」

「ほらほら、そんな怒るなって。今引っ張り上げるから!」

俺は地面に腹ばいになり、穴の縁ぎりぎりまで体を伸ばした。

後ろではアカリが俺の足をつかみ、全力で支えてくれている。

「せーのっ!」

二人で力いっぱい引っ張り、ケンジをようやく穴の外へ引きずり上げた。


「ったく……次にあの人に会ったら、絶対一発お見舞いしてやる!」

ケンジが地面にへたり込みながら毒づく。

「落ち着けケンジ。綾澤師匠は、最初から俺たちを弄んでるんだ。これは始まりにすぎない。離れたら終わりだ。お互いに背中を預けろ。……ほら、足跡がある。ケンジのよりずっと小さい。アカリ、先頭頼む」

アカリがうなずき、すぐに目を鋭く細めた。

「足取りは軽いけど、消えてるわけじゃない。見て、ここ――わずかに葉が沈んでる。風の流れで足跡を隠してるみたい。でも完全じゃない。近い……構えて」

俺とケンジはそれぞれ小石を手に取り、アカリの合図を待つ。

アカリは静かに地面に座り込み、両手を地につけて目を閉じた。

――空気が変わる。

アカリの内に流れる精神が、わずかに共鳴した。意識せずとも、彼女は感覚を研ぎ澄ませていく。

(……何、この感覚。見えなかったものが、見える……。考えちゃダメ。感じて、探すの!)

目を閉じたまま、彼女は温度の差を感じ取った。

木々の間に潜む、わずかな熱。

「いた――あの高い木の左!」

アカリが叫んだ瞬間、俺とケンジは左右から突撃した。

枝の上、綾澤師匠がそこにいた。

「おりゃっ!」

ケンジが手に持った石を投げつける。彼の腕力は尋常じゃない。岩は音を置き去りにし、風を裂くように飛んだ。

「――!」

綾澤師匠は反応する間もなく短剣を抜き、辛うじて受け止めた。だが刃は衝撃で折れ、目を見開く。……初めて、師匠の表情に驚きが走った。

アカリは間髪入れずに飛び出した。腕を掴もうとしたが、綾澤師匠は絹のように動く。一歩下がり、横へ滑る。アカリの手は空を切った。

「じゃあ、これならどうだ!」

ケンジが地面に拳を叩きつける。土が盛り上がり、塊が宙へと跳ね上がった。彼はそのまま蹴り上げ、土塊を弾丸のように放つ。

しかし――綾澤師匠は軽く身を翻し、三人まとめて地面に叩き伏せた。

「力は見事だ」

彼女は息も乱さず言った。

「だが、力だけでは勝てぬ」

アカリとケンジが俺の隣に転がり込み、ぜぇぜぇと息を整える。全身泥まみれで、擦り傷だらけ。それでも二人とも笑っていた。

綾澤師匠は短剣を鞘に収め、背筋を伸ばした。

「思ったより粘ったな。未熟で、まだ焦点が定まらん……だが、お前たち三人の絆は見事だ。珍しい」

差し伸べられた手を取り、俺は息を整えながら立ち上がった。

「正直に言おう」師匠は淡い視線で俺たちを見つめる。

「新人・初伝を教えることになったと聞いたとき、期待はしていなかった。だが、この世代は案外侮れんかもしれん。特にお前、アカリ。精神の感覚が目覚めている。維持しろ。仲間にとって大きな戦力になるだろう」

その後の数日は厳しかった。綾澤師匠は連日、徒手格闘の稽古を課した。彼女は小柄だが、その身に秘めた力は想像以上で、何度も俺たちを叩きのめした。

同じ森の課題を繰り返すごとに、見つけ出す難易度は上がっていった。三人が揃っても苦戦することが増えた。

一日の終わりには、師匠は必ず川辺の大木の周りに俺たちを集め、瞑想を指示した。静寂は精神を研ぎ澄ませ、属性とつながる助けになるという。

当然のように、アカリはケンジと俺を追い抜いていった。彼女は落ち着いて呼吸を整え、川の水がまるで彼女を囲むかのように流れを作り出した。小さな水の塊がいくつも浮かび上がり、宙に留まる。俺とケンジはそれをただ見つめ、息を呑んだ。彼女の上達は想像を超えていた。

「見つけたな、アカリ。よくやった」

綾澤師匠の声に、アカリは目を開け、自分の成したものを見て満面の笑みを浮かべた。礼を述べるその姿は誇らしげで、俺とケンジは少し肩を落とす。師匠は俺たちに近づき、短く励ましの言葉をかけた。

「他人の成果に囚われるな。できないことを嘆くな。自分が成し得ることに集中せよ。そうすれば、時が解決してくれる」

稽古は続き、師匠は武器を持つことを許されているにも関わらず、徒手で戦うことに厳しくこだわった。気になって、ある日俺は訊いた。

「綾澤師匠、なぜ徒手格闘にこだわるのですか? 焔鬼人えんきじんがどれほど猛威を振るうか、そして師匠のように武具を使う光刃もいるのに――」

師匠は返事をせず、ふいに自ら身を軽く解いて短剣を俺に差し出した。

「全力でかかってこい。それが命令だ。手を抜けば、殺すぞ」

その言葉に、場の空気が一瞬固まった。俺は驚きで言葉を失ったが、反抗する余地はない。命令に背くことは、失敗より重い罰を招くと知っているからだ。

俺は短剣を握り締め、呼吸を整えた。心の中で、ただ一つ――仲間を守るという思いだけが反芻される。

俺は突進して、短剣を左右の手で受け渡しながら斬りかかった。足払い、薙ぎ払い――何度も仕掛けたが、当たらない。彼女は攻撃を受け流すどころか、ほとんど反撃もしない。――そう思った次の瞬間、彼女は動いた。

一瞬のうちに、俺の短剣は奪われ、頬に浅い切り傷が走る。続けざまに腹部を蹴られ、膝を地につけた。

「ハヤト!」

アカリとケンジが声を合わせ駆け寄ってくる。

綾澤師匠は淡々とこちらを見下ろし、低い声で言った。

「わかるか、ハヤト。力は武具に宿るのではない。意志に宿るのだ。武は折れることがあるが、意志を折られてはならぬ。お前の内にある炎に道を任せよ。危機の刹那にこそ、清らかな判断が生まれる」

師匠の教えは常識にとらわれないものだった。だが確かに、その言葉は正しかった。俺たちは徒手での闘いを繰り返し、日に日に成長していった。

ケンジはその中でも群を抜いていた。何度もアカリと俺が脱落する中、彼だけは綾澤師匠とともに居残り、限界を押し広げ続けた。

そして気づけば、三か月が過ぎていた。体力も連携も上がったが、ケンジと俺は精神の具現化に苦戦していた。術を形にする感覚が、なかなか掴めない。

ある日の稽古、綾澤師匠の姿が遅かった。普段は決して遅れたりしない。俺たちは川辺で師匠を待っていたが、やがて彼女は影のように現れ、表情は険しかった。

「ハヤト、ケンジ。お前たちは当面、この班から外す」

綾澤師匠の声は冷たく、告げられた時の衝撃は大きかった。

「えっ?」と俺たちは同時に声を上げる。

「アカリは既に徒手も精神の制御も十分に備わっている。精技の訓練を始められる段階だ。だがお前たちは、まだ到底及ばない。よって当分の間、お前たちはここで別個に鍛錬せよ。私は彼女を直接訓練する」

「なんでだよ! 師匠は先生なんだろ!? 普通はみんなで訓練すべきじゃないのか?」とケンジ。

綾澤師匠は冷静に言葉を返す。

「すべての光刃は精神を制御できねばならぬ。精神を操れぬ者は、ただの自滅志願者に過ぎん。精神を学ぶには、自分と感覚を一つにする必要がある。精神はあらゆる生に流れている。お前の中を、水のように、土のように、地の気と同調させよ。精神の制御は力任せではなく、調和だ。私はお前たちに基礎の断片を与えた。組み合わせるのは、お前たち自身の仕事だ」

その言葉は厳しく、だが核心を突いていた。俺とケンジは互いに顔を見合わせ、無言で稽古場へ向かった。

綾澤師匠の言葉は、胸に突き刺さるほど痛かった。

彼女がアカリと並んで歩き去るのを見送りながら、ケンジと俺は視線を交わし、同時にため息をついた。

「……やっぱ、俺たちには向いてねぇのかもな」

ケンジが沈黙を破った。

「違うよ」俺は首を振った。

「まだ――準備ができてないだけだ」

「お前、まるで師匠みてぇなこと言うじゃねぇか」

「かもな。でも、たぶん師匠は正しい。俺たちには――まだ何かが足りないんだ」

その日を境に、アカリの姿をしばらく見なくなった。彼女は精神の修練に専念しているらしかった。

一方で、ケンジと俺は毎朝、日の出とともに川辺へ戻り、同じ場所で鍛錬を続けた。

灼けつく陽の下でも、滝のような雨の中でも、ただ俺たちは動いた。考えるよりも、感じるままに。そこにあるのは――俺たち自身の意地だけだった。

稽古の合間には、師匠に教わった通り、川のそばで座禅を組んだ。流れる水の音は途切れることなく、静かで、どこか優しかった。

目を閉じ、呼吸を整え、心の奥を探ろうとする。

日が過ぎ、週が過ぎた。

何も感じない日もあれば、かすかなざわめきを感じる日もあった。

だが毎回、焦りと疑念が押し寄せてきた。

――精神は、支配するものじゃない。耳を澄まし、感じ取るものなんだ。

少しずつ、それが分かってきた。

ケンジは地面の下の振動に気づき、土が微かに脈打つのを感じ始めた。

俺は空気の温度を感じ、怒りが高まるたびに空気が重くなるのを知った。

それでも――覚醒には至らなかった。

ある夕暮れ、川辺で瞑想していた俺たちは、向こう岸の岩の上に座る綾澤師匠の姿に気づいた。

師匠はゆっくりと篠笛を取り出し、唇にあてた。

ふと、風が鳴る。柔らかく、どこか物悲しい音色が空へ溶けていった。それは穏やかで、美しい旋律。まるで心の迷いを静め、調和へ導く祈りのようだった。

旋律が俺たちを包み込む。呼吸がゆっくりになり、夕陽の温もりが肌に染み込む。一つ一つの息が、重く、深く――。

(……あの夜のことが、蘇る)

怒り。悲しみ。夢。

けれど、今はその怒りを力に変えるんだ。

指先で大地の感触を確かめた瞬間――

木の香りが消え、川のせせらぎも遠のいた。


俺は息を吐き、目を開けた。

そして気づく。

自分の周囲が――炎の輪に包まれていることに。

驚きはなかった。

恐れもなかった。

ただ、心が静かだった。

(……この感覚を、忘れるな)

その感情と道のりを、記憶に焼きつけた瞬間――俺は力を解き放ち、炎は静かに消えていった。


隣を見ると、ケンジも同じように集中していた。

その気迫は、まるで空気そのものを震わせるほどだった。

額や首の血管が浮かび上がり、足元の土がわずかに揺れる。

粉塵が舞い、地面に細かなひびが走る。

――正直、怖かった。

でも、それ以上に――圧倒された。


その瞬間、綾澤師匠が篠笛を止め、スッと立ち上がった。

そして迷いなく、ケンジの頭を「パシンッ」と叩く。

「そこまでだ」

師匠の声が夕暮れに響いた。

「二人とも、おめでとう」

彼女は柔らかく微笑んだ。


「ハヤト、お前には感心した。火の属性を受け継ぐ者は稀だ。破壊の力を内に秘めるゆえ、制御が最も難しい。

そしてケンジ、地の属性は均衡の象徴であり、代々、強き心を持つ者にのみ現れる。

この三ヶ月、共に修練してきて、私は確信した。――お前たちの心は、確かに強い」


「光刃の奥義を極めるまでの道は、まだ果てしなく長い。

だが、焦る必要はない。今はただ、磨き続けろ。

今日は部屋へ戻れ。――お前たちへのご褒美が待っている」


俺たちは深く頭を下げ、師匠に感謝を伝えた。

その言葉には、これまでの努力が報われたような重みがあった。


寺へ戻る頃には、夜の帳が下りていた。

参道の両脇に灯された灯籠が、柔らかく道を照らす。

その光景は、長い一日の疲れを癒やすように美しかった。


部屋の前に着いたとき――扉が勢いよく開いた。

「ハヤト! ケンジ!」

アカリが飛び出してきて、勢いのまま俺たちに抱きついた。

「二人が修行から戻ってくるのを待ってたの!

今日は特別な料理を用意したんだよ! すっごく会いたかったんだから!」

「久しぶりだな、アカリ」

俺は笑いながら答えた。

「歓迎してくれてありがとう。今日みたいな日は、まさにそれが必要だったよな、ケンジ」

「おう、まったくだ」

ケンジが肩をすくめる。

「この数ヶ月、人生の山も谷もぜんぶ詰まってた感じだ。

アカリ、お前は? この一ヶ月、師匠の修行を受けてたんだろ? どうだった?」


「綾澤師匠の修行は、想像以上にハードだったよ」

アカリは苦笑いを浮かべた。

「裸足で川の中に立たされて、流れに逆らわずに呼吸を整える訓練。

最初は足が痛くて泣きそうになったけど……だんだん水の流れと一体になれるようになったんだ。

そのおかげで、精神とももっと深くつながれて、水の制御も上達したの!」


「……すごいな」

俺は誇らしい気持ちでアカリを見つめた。

腕や足にいくつか痣があったが、彼女の顔には明るい笑顔が浮かんでいた。

大丈夫――そう思えた瞬間、胸の奥が少しだけ温かくなった。


「ところで二人は? 師匠から聞いたよ。もうすぐ属性が判明しそうだったって!」

アカリが目を輝かせて身を乗り出した。

「俺は地だったな」ケンジが腕を組み、肩をすくめる。

「ちょっと地味だろ? でもまあ、悪くねぇ」

「俺は火だった。

なんとなく、ずっとそうだと思ってたんだ。アカリの水とは正反対だしな」

「ふふっ、やっぱりね」アカリは嬉しそうに笑った。

「二人とも、本当におめでとう。

これからが本番だから、しっかり食べて、覚悟しておくんだよ!」


俺たちは顔を見合わせて苦笑した。

明日からの修行がさらに厳しくなるのは目に見えていた。

それでも、もう迷いはなかった。

目標を胸に刻み、ただ前へ進むだけだ。


――その日を境に、すべてが変わった。


精神の制御が上達するにつれ、戦いの感覚も研ぎ澄まされていった。

相手の動きがゆっくりに見える。

身体が自然に反応し、動きが滑らかで正確になる。

俺は確かに、綾澤師匠と同じ景色を見始めていた。


師匠の指導は、精神投射の鍛錬へと進化した。

それはつまり――火、水、そしてケンジによる小規模な地震の連続だ。

何度も、何度も、師匠は俺たちに徒手空拳の勝負を挑んできた。

もちろん勝てる気はしなかったが、逃げるという選択肢もなかった。


「忘れるな、私はまだ奥伝にすぎない。

これで辛いと思うなら、上位伝の修行では痛い目を見るぞ」


師匠の挑発に、ケンジが舌打ちする。

俺は構えを取った。

拳を放つ――が、すべて受け流される。

蹴りを繰り出しても、わずかに当たるだけで、まるで手応えがない。


次の瞬間、師匠が防御をやめた。

視界が揺れた。

彼女の回し蹴りが俺の脇腹を狙う。

反射的に肘で受け止めた。

だが、その衝撃は想像を超えていた。

「ドンッ」と音を立てて、俺の身体は地面に叩きつけられた。


息が詰まり、視界が白く霞む。

師匠はゆっくりと歩み寄り、俺の前で立ち止まった。

「よくやった。この数日で、見違えるほど成長したな」

その声には、厳しさよりも温かさがあった。


「リョウマが見出した可能性――それが、お前たちの中に確かにある。

そろそろ、次の段階に進むときだ」


あれから――九ヶ月が経っていた。


俺たちは毎日限界まで鍛え続けた。

どれだけ倒れても、立ち上がるたびに強くなっていく。

そして気づけば、身体は逞しくなり、背も伸びていた。

……寺の食事に一体何が入っていたのかは、今でも謎のままだが。


精神の制御と投射にも、ようやく慣れてきた。

森を半焼させかけたり、ケンジが地面を揺らしたり――そんな失敗を重ねながらも、少しずつ扱うことを覚えていった。


ある休日の午後。

部屋で休んでいると、リョウマ師匠が顔を出した。

「やあ、三人とも元気そうだな」

「元気っていうか……綾澤師匠にボコボコにされてる最中っすけどね!」

ケンジが口を尖らせて言う。

「今日は回復日だから、やっと安心しておにぎり食べられるんだ。

足払いされる心配もねぇしな!」


リョウマ師匠は口元を緩めた。

「ミツリは昔から熱血だからな。俺たち飛心でも、あそこまでストイックなのは珍しい。――さて、ハヤト。お前に渡したいものがある」

「えっ、俺に……?」


師匠は深い蒼の絹布に包まれた何かを取り出し、俺に手渡した。

「これはお前に託す。

これを振るうたびに、自分が何のために戦っているのかを思い出すだろう。

そして、その一太刀が、お前の背負う重みを少しでも軽くしてくれるはずだ」


ゆっくりと布を解く。

黒と蒼が交わる美しい鞘が現れた。

刀を抜くと、刃が淡く光を放ち、部屋の空気を照らした。

「……この刀、どこかで……」

「お前の祖父の刀だ」

リョウマ師匠の声に、思わず息をのんだ。


「村でお前が振るっていたあの刀を覚えている。

あれ以上にお前に似合う武器はないと確信していたんだ。

寺の鍛冶師たちに修復を頼んで、数ヶ月かかった。

刃こぼれも多く、柄も欠けていたが――芯は生きていた。

ほんの少しの手入れで、再び息を吹き返したんだ」


「……これが、じいちゃんの刀……?」

アカリと俺は同時に声を漏らした。

「信じられない。まるで別物みたいだ。

軽い……まるで、俺の一部みたいに感じる」

「それは当然だ」

リョウマ師匠が静かに笑う。

「光刃が携える武器は、ただの道具ではない。

戦うためだけでなく――精神を導く羅針盤でもある」


俺は刀を鞘に納めた。

「シャキン」と響く音が、妙に心地よかった。

村が襲われたあの日以来、初めて――

怒りや恐怖ではなく、決意で柄を握った気がした。


(……これが、俺の道。じいちゃんの想いを継ぐ光刃としての証)


「なあ、俺たちは?」

ケンジが少し拗ねたように言う。

リョウマ師匠は苦笑しながら、ケンジの肩に手を置いた。

「いいか、光刃を形作るのは武器じゃない。――心だ」

そう言って、彼はケンジの胸を軽く指で突いた。


「ミツリがハヤトを試したのも、そのためだろう。

危険の前に立ち、人を守るという意志――それこそが最強の力だ。

彼女から聞いたぞ、ケンジ。

お前ほど純粋な力と意志を持つ弟子は、いまだかつていなかったと。

少し磨けば、誰よりも高く立つことになる」


ケンジの肩がわずかに下がり、ゆっくりと息を吐いた。

胸の奥で何かが揺らめき、再び彼の目に火が灯る。

「……へへ、言ってくれるじゃねぇか、師匠」


リョウマ師匠は立ち上がり、腕を組んで三人を見渡した。

「お前たち三人の中に、光刃が託した希望がある。

修行を続け、前を見ろ。仲間を信じろ。

光刃の位が上がるほど、この世界と――自分自身の真実を知ることになる。


忘れるな。

お前たちはただの戦士ではない。人類の盾だ。


真の勝利とは、どれだけ敵を倒すかではない。

どれだけ命を救い、どれだけ静かな夜明けを守れたかだ。


覚えておけ――光を絶やすな。

たとえ世界が凍てつこうとも、重みが背にのしかかろうとも。

お前たちが光を繋ぐ限り、誰かがその道を見つけ出す」


その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が熱くなった。

俺たちはただ、静かに頷いた。

目に宿る光が、同じ輝きを放っていた。


――俺たちは、この光を――決して手放さない。

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