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真滅の光焔  作者: 黒羽 スイ
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第9章 : 再生の灰

――三ヶ月前。光刃寺院の訓練場。


沈みかけた夕陽が中庭を黄金に染めていた。

「ほらハヤト! そんな鈍い構えじゃ俺に当たらねぇぞ!」


ケンジの笑顔が、いつにも増して腹立たしかった。

挑発混じりの自信に満ちた笑み。――だからこそ、余計に闘志が燃える。


「黙れ! 構えを下げるな!」

俺は前へ踏み込み、拳を突き出した。


衝撃が腕を走る。ケンジはそれを受け流し、体をひねって足払いを仕掛ける。

辛うじてかわし、砂塵を巻き上げながら後方に転がる。

奴は重く、俺は速い。互いの強みが噛み合うたび、空気が弾けた。


精神の気流がぶつかり合う。

俺の炎は明るく燃え、

ケンジの大地は揺るがぬ脈動を刻む。


寺の階段では、綾澤師匠が湯呑み片手にこちらを眺めていた。

「お前たち……田んぼで角突きしてる牛みたいだな。米が泣くぞ。」


ケンジが息を切らしながらも笑う。

「俺は悪くねぇ! こいつがウサギみたいに逃げるから――」


その言葉を遮るように、俺は左へフェイントし、胸元へ蹴りを叩き込む。


「ぐっ……ははっ……やるじゃねぇか。」

「言っただろ、成長してるって。」


再び距離を詰める。

砂埃が足元で渦を巻き、

拳と拳が、呼吸と鼓動がぶつかり合う。


汗が目に染みた、その瞬間――ケンジの笑みが変わった。

言葉もなく、左手をかざす。


「土の精技・砂噴流ッ!!」


地面が震え、砂が奔流となって胸元へ襲いかかる。

反応するより早く、身体が本能で動く。

掌に熱が集まり、炎が迸った。


「火の精技・炎掌撃ッ!!」


炎と砂が正面衝突した。

押し合い――拮抗。

どちらも引かない。

その瞬間、異変が起きた。


砂が炎を吸い込み、

空中で螺旋を描きながら淡く橙色に輝く。

やがて硬化。

まるで氷のような透明な結晶となり、宙に静止した。


音が消える。

残るのは、低く響く微かな唸り。


それはガラスのようで、

だがその内側には――小さな火が静かに揺らめいていた。


俺とケンジの顔がその光に映る。

砂と汗まみれの顔が、

驚きと笑いを同時に浮かべていた。


「……なんだよ、これ……」

ケンジが呟く。


「さぁ……こんなの、教本には載ってねぇ。」


綾澤師匠が静かに立ち上がる。

湯呑みを置き、宙に浮かぶ結晶をじっと見つめる。

宝石職人のような眼差しだった。


「……お前たちの精神。炎と大地。

本来なら対立する属性だ。破壊と持続。

通常、強い方が弱い方を押し返す――それが理だ。

だが今、お前たちは拮抗した。

そして相殺ではなく、融合を起こした。」


風が吹き、結晶が音もなく崩れ、砂となって散った。


師匠は一拍置き、静かに言葉を続けた。


「忘れるな。

戦うとは、精神をぶつけ合うことだけじゃない。

理解をぶつけ合うことだ。

いつか、その違いが――お前たちの生死を分ける。」


俺は手を見つめた。

まだ微かに残る熱。

砂の中で生まれた火の記憶。


あの一瞬――

炎と大地が争わず、ただ共に在った瞬間。


その静かな調和の感覚を、

俺は一生忘れないと思った。


――月影の森。現在。


訓練場の記憶が、脳裏で燃えていた。

そして嵐が森を呑み込む中で、ようやく綾澤師匠の言葉の意味を悟った。


屍魔は対峙していた。

漆黒の体表には、俺が刻んだ裂傷が幾筋も走り、そこから煙が立ちのぼっている。

雨がその表面を打つたび、ジィ…と音を立てて蒸気が上がった。


俺が一歩踏み出すと、空気が淡く揺らめく。

屍魔は爪を地に突き立て、唸り声を上げた。

「来い……! この森が貴様の墓となるッ!!」


俺は静かに構えを取る。

足元の大地が脈動し、湿った土が精神に共鳴した。

穏やかで、深く、揺るぎない鼓動。

――それを掴み、引き上げる。


「土の精技・石牙斬ッ!!」


刀が黄金の光を帯び、

踏み込みと同時に閃く。


地面が爆ぜ、圧縮された土塊が牙のように飛び出した。

そのまま一気に振り抜く――

衝撃が炸裂し、屍魔の胸を貫く。


砂が唸りを上げて流れ込み、

口や裂け目から吹き出しては内部を満たしていく。


「グァァアアッ――!!」

咆哮が濁り、喉を裂くような悲鳴に変わった。

砂が動きを封じ、腕を拘束する。


残った片目が狂ったように光を放ち、震えた。

「貴様……! 砂ごときで我を封じられると思うな……!

我は精神から生まれた存在だッ!! 森そのものだァ!!」


「……違う。」

俺は低く呟いた。

「お前は、もう森じゃない。」


刀を地面に突き刺す。

刃がまだ微かに光を放っている。


身体の内側から熱があふれた。

肩から手首へ、炎が走る。

血管のように赤く輝く筋が、皮膚の下を脈打った。


「――火の精技……」


空気が震えた。

熱が満ち、世界が呼吸する。

拳が紅金に輝き、

漂う火の粉が羽のように宙を舞った。


「火の精技・鳳炎衝ッ!!」


一瞬――炎が爆ぜ、

俺の腕から鳳凰の形を成して飛び立った。


その翼が背に広がり、

頭が屍魔の胸に突き刺さる。


心臓を――奪い返すように。


熱が皮膚を焼く。

だが、止まらない。

全ての力を押し込む。


炎が砂を包み、

それらが結晶化を始めた。


連鎖反応。

雷のような光が屍魔の身体を走り抜ける。

拳から放たれた閃光が、

金と紅の亀裂を描きながら全身を裂いていく。


空気が震える。


屍魔が悲鳴を上げる。

結晶がその動きを封じ、

やがて、全てを飲み込んだ。


その体が砕け、

無数の輝く欠片となって宙へ舞う。

雨の中で、星のように燃え、

そして――静かに消えていった。


開いた拳の中、

最後の火花が弧を描いて灰となる。


「……炎による再生。」

息を吐きながら呟いた。


さっきまで狂乱していた森が、嘘のように静まり返る。

聞こえるのは、雨の音だけ。


炎の触れた場所から蒸気が立ちのぼり、

まるで祈りの煙のように空へ昇っていく。


俺は片膝をつき、荒い息を吐いた。

雨と血に濡れた身体が重い。

それでも、掌の下の大地は――

確かに温かかった。


生きている。

森が、息をしていた。


俺は立ち尽くしていた。

屍魔が立っていたはずの空間を、

息を荒げながら見つめていた。


終わった。

――本当に、終わったんだ。


胸の奥が静かに鳴る。

勝利の歓喜ではない。

ただ、長い戦いの果てに訪れた安堵。


「……じいちゃん。終わったよ。」

唇の端が、僅かに上がる。

「約束、守れた。」


視界が滲む。

身体の隅々まで痛みが走る。

それでも、足を引きずりながら振り返った。


ケンジ。

アカリ。

まだ息をしている。――無事だ。


俺は彼らの傍に膝をつき、

片手で祖父の刀の柄を握りしめ、

もう片方の手で地を掴んだ。

温かい土。湿った生命の匂い。

それだけが、確かな現実だった。


勝利は、決して栄光ではなかった。

代償を支払って得た、静かな証明だった。


雨が止んだ。


森が――静まり返る。

焦げた土から上がる蒸気が薄く立ちのぼり、

濡れた木々の香りが風に混ざる。


袖を裂き、

ケンジとアカリの腕や肩を包帯代わりに巻く。

震える指先ではうまく結べず、何度もやり直した。


「……大丈夫だ。もうすぐ……すぐ終わるから。」

アカリの傷口に掌を押し当て、血を止める。


やがて、彼女の指がわずかに動いた。

瞼が震え、かすれた声が零れる。


「ハヤト……? ここは……わたしたち……死んだの?」


胸の奥で笑いが漏れた。

「馬鹿言うな。終わったんだ。俺たちは……生きて帰る。」


アカリの目に涙が溢れる。

震える手で口元を押さえ、嗚咽を堪えた。


「……よかった……ほんとに……。」

その手が俺の衣を掴み、放さなかった。

「もう二度と……誰も――」


俺はそっと彼女の髪を撫で、顔を近づけた。

「今日は誰も失わない。もう二度と、な。」


その瞬間だけ――

世界は穏やかだった。

雨の匂いと、静けさと、呼吸の音だけがあった。


――だが。


「感動的だな……実に。」


声がした。

低く、冷たく、すぐ背後から。


空気が、凍った。


肌が総毛立つ。

呼吸が止まり、心臓の鼓動だけが耳に響く。


ゆっくりと振り返る。


そこに――いた。


屍魔が砕け散ったはずの場所に、

白い影が立っていた。


その姿は、人のようで人ではなかった。

白衣のような外套に、淡い彩色の符が縫い込まれている。

光の角度で、それらの紋が脈動のように揺らめいた。


顔には仮面。

滑らかで、無表情。

だが刻まれた文様が微かに光り、目のようにこちらを見ていた。


頭をわずかに傾け、俺を観察するように。


「……これが、お前の力の限界か。」

その声は穏やかで――退屈そうだった。

「立つのもやっとのくせに、ずいぶん誇らしげだな。」


俺は刀を握り直す。

全身の筋肉が悲鳴を上げる中、視線だけは逸らさない。


「……何者だ。お前は。」


男はくぐもった笑い声を漏らした。

中空に響くその声は、どこか中身のない――空洞のような嘲笑だった。


「名など、死にゆく者に教える価値はない。

なぜ我が死聖の名を貴様などに教える必要がある?」


ゆっくりと、一歩。

それだけで地面がひび割れた。


圧。

ただ存在するだけで、世界の重力が歪む。

膝が勝手に震え、肺が潰されるように空気を拒む。

視界が狭まる。

……呼吸が、できない。


「お前が戦ったあの屍魔……」

男は言葉を継ぐ。

「ただの失敗作だ。魂のない木偶。

にもかかわらず、お前は半死半生になった。」


乾いた笑い。

「だが感謝するがいい。

屍を斬って生き残る者など、そうはいない。」


その声の冷淡さ――

それが刃よりも鋭かった。

俺たちが命懸けで掴んだものなど、最初から無価値だと言わんばかりに。


次の瞬間、視界が――空白になった。


一瞬、目を閉じたのかと思った。

だが違う。


開いたままの視界が、

彼で埋め尽くされていた。


いつの間にか、目の前に立っていた。

距離は――腕の一振り分すらない。


音も、風も、なかった。


白衣の男は仮面に手を掛け、

ゆっくりと、右側をずらす。


その奥。

――一つの眼が覗いた。


虹彩は幾重にも渦を巻き、

淡い光が層となって回転している。

まるで夜空の星図を閉じ込めたような――狂気的な美。


視線を合わせた瞬間、

心臓が握り潰される感覚。


(……これは力じゃない。理の外だ。)


本能が叫んだ。

逃げろ、と。


だが、逃げない。

俺は剣を振り抜いた。

横薙ぎ、首を狙う一撃。


――届かない。


刃は空中で止まった。

何かに掴まれたように、宙で凍りつく。

腕に力を込めるが、剣は一寸も動かない。


「勇敢だな。」

低く、穏やかに。

「そして――愚かだ。」


男は一歩、顔を近づける。

仮面の奥の声が、囁きへと変わった。


「光刃の道を捨てろ。

彼らのために戦うのをやめろ。

さもなくば――お前が守ろうとする全てが、炎に呑まれる。」


その声が一段と低くなり、毒を帯びる。


「次に会う時、

お前の骨を一本ずつ砕いてやる。

仲間の悲鳴が、寺院の柱を震わせるまでな。」


仮面の下で、微笑んだ。

それが、終わりの合図だった。


俺が何かを言うより早く――

男の手が俺の胸に触れた。

心臓の真上。


瞬間、全身が痙攣する。

筋肉が凍り、呼吸も思考も止まる。


視界が白く滲み、音が遠ざかる。


「――眠れ。」


その囁きと共に、

最後に見たのは、

あの渦を巻く一つの眼。


静かに、まるで観察するように俺を見つめる――。


そして世界は、

漆黒に溶けた。

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