地を這えば
人は地を這えば何を思う?
後戻りできなくなってしまった道か?
未来の希望と言う不確かな物にすがり歩く己か?
それでいいじゃないか。
後を見ても今を見ても先を見てもあるのは私の選んだ道、選んだ結果、今から選べる道。
全ての選択を私が自由にこなしている。
人は過去の遺物である。
私は過去に出来き今を生きる、過去があって今を生きる。
それがどれだけ土砂道であったとしても足がある限り…体がある限り、止まれば死ぬとの思いで必死で這ってきた。
未来は今の理想形である。
今をどう生きるか自分が決意するだけで作れる。
今の理想の塊が未来である。
私は私だ。
昨日の私が私を成した。
今の私が未来を成す。
そこには私しか居ない。
私が私である為だけに私がいた。
私を私にする為だけに私を見る。
地を這ってきた私も私でしか無い。
今を生きる私も私でしか無い。
神にすら私を作れない。
神なんぞに作れるものではない。
理想よりも今をみるからこその理想である。
今日の自分が清々しい。
明日の自分はもっと自分が清々しくして差し上げよう。
ここには私しか居ない。
誰に汚いと言われようと。
自分にすらも囚われない、空を泳ぐ天人ですら、私を羨む。
未来も今の自分に囚われよう、今も過去の自分に囚われて居続けよようじゃないか。
なんて素晴らしい道だ。
神も信じよう。
神も尊ぼう。
人の道を、人が作った道を歩もうではないか。
「……地を這い続けるなんて、ごめんだね。だからこそ私は地をはおう、苦しい思いをしていても、今の私が理想である。誰にもきっと今の私は私にすら囚われない。自由である!この上なく!きっとこの世界の全て自由である。」