お師匠様はダメ人間です
「ああ……君を、探していたんだ」
そう呟いて私に笑いかけたのは、王子様のような金髪に青い瞳の美青年。
けど、お姫様と程遠い境遇の私は、ただその光景を他人事のように目を丸くして見つめていた。
――だって、ここは王都の貧民街。お風呂なんて転生してこの方、入ったことが無い。
薄暗い路地裏。臭くて汚くて痩せ細った私を、お師匠様になる彼は優しい瞳で見つめていた。
◇
大きな木を繰り抜いたファンタジックなお家。
どこもかしこも木でできたそこは、この数か月で馴染んだ柔らかな香りがする。もう昼になりそうな時間なのに、漂う魔法のランプには火が灯っていて、私はハァっと重い溜息を吐いた。
「もう! ロウソクだって使ったら減るのにっ。お師匠様は何度注意しても治らないんだから!」
フッと吹き消けせば、窓の側、彼がデスクに突っ伏して眠っている。どうせ夜中まで研究してそのまま眠っちゃったんだろうな。私は足元に散らばる本をそっと避けながら隣まで歩く。
太陽みたいな短い金髪が朝日にキラキラと輝いて、まるで童話の主人公だ。
「眠ってればイケメンなのになぁ」
呟いて私は窓を思い切り開け放った。カーテンが風に広がって、爽やかな朝の冷たさが部屋に吹き込む。
お師匠様がむぅ、っと小さな声を上げてうめいた。
彼の名前はアシャーリフ。
金髪に白い肌、今は丸まってるけど身長は百八十くらいあるのかな。適度に引き締まって正に剣が似合う王子様! って容姿なんだけど、職業は魔法使い。
とっても有名(自称)らしいけど、それっぽい所は見たことがない。
私は往生際の悪い彼の体を思い切り揺さぶった。
「おーしーしょー様ーっ! もう昼になっちゃいますよ。起きてくださいっ。いい加減にご飯食べないとまた倒れますよ!」
「ううーん。プリムラ……昨日は遅くまで頑張ったんだよ。もう少しくらい良いじゃないか。倒れたって死にはしないよ」
「それじゃ困ります! 私じゃお師匠様を運べないんですから!」
そう。プリムラ――それが転生した今の私。現在十六歳である。
転生早々、貧民街に生まれて親に捨てられ、散々な人生だった私を拾ってくれたのは、たまたま町に買い物に来ていたお師匠だ。
元黒髪黒目の日本人の私。今世は赤毛に黒に近い紺色の目で髪に色が付いたのは嬉しいけど、もう少し華やかな外見で貴族にでも生まれたかったと思うのは何度目だろう。
転生チートは生まれた時から不在である。
それどころか、お師匠様に拾ってもらうまで碌な栄養を取れなかったせいでかなり成長途上の私の体。成人男性を運ぶには荷が勝ちすぎている。
いや。まあ、転生前の成人女性の体でも無理ですけどね?
まだむにゃむにゃ言っているお師匠様は私の小さな体を引き寄せて抱きしめた。ほとんど彼に乗り上げる形になった私は思わず悲鳴を上げる。
「にゃあああああっ! ちょ、ちょっとお師匠様っ」
「……耳元は困るな。折角二度寝をしようと思ってるのに。心地よい眠気が遠のいてしまうよ」
「私は起きてって言ってるんですよ!? 二度寝されたら困ります!」
ぎゅうぎゅうと腕を突っ張って引き離そうとしても意外な力強さを発揮してるお師匠様は一向に離してくれる気配が無い。
彼は一事が万事この調子。
気分屋で、ダメ人間。私の事を小さな子供みたいに思ってる。
そりゃあ、育たなかった外見は中学生くらいに見えるけど、これでも今世では大人の年齢。中の人は既に日本の基準でも成人済みだ。
王子様もかくやの美青年にスキンシップを取られて平静でいられるわけがない。普通にドキドキしてしまう。
なのに彼の方は拾った子どもを可愛がってるだけなんだと思うと……。
(こんな気持ち、理不尽だ!)
胸にツキンと小さな痛み。それを無視して彼の腕の中からスルリと抜け出す。小さな体はこういう時には便利だ。悲しいけどね。
「お師匠様は枕にできるなら何でも良いんでしょう!? もう、魔法が使えるんだから、抱っこする用の枕でも人形でも作ればいいじゃないですか!」
「なんでプリムラはそんな寂しい事を言うんだい? 私は君じゃなければダメなのに」
「そうやってすぐに煙に巻こうとする! だめだめだめです! そんなこといって、なんで私を拾ったかも教えてくれないじゃないですか!」
「だって、それは秘密だから。自分から言うのは恥ずかしいじゃないか」
そう言って真っ直ぐに微笑む彼は、宝石みたいにキラキラ輝く瞳がハチミツみたいに甘く弛んでる。白く長い指先が私の頬に触れてゆるく撫でていく。彼の指がなぞった場所がじんじんと熱く、胸がきゅんと跳ねる。
私はお師匠様のこの顔に弱かった。というか、耐えられる人なんているんだろうか。美形ってズルい!
「~~~~~っ。そんな適当なこと言ってもダメですっ。朝ご飯ですから!」
私は理性を総動員してその瞳から顔を逸らして彼の腕を引っ張った。「適当なんかじゃないのに」そう、小さな声が聞こえた気がするけど無視だ。適当人間の彼の言葉を真面目に聞いてるとらちが明かない。流石に折れてくれたのか、彼がゆるりと椅子から起き上がる。そして、あの日みたいに大きな手を差し出した。
「手、繋ごうか」
「……私、そんなに子供じゃないですよ」
「でも好きだろう?」
そう言われ、繋がれた手は温かく、それだけで体が温かくなった気持ちがする。
酷い転生生活をしていた私を救ってくれた手だ。彼の弟子になって、ここに来て、この手があれば安心だって無意識に思ってしまう。でも、そんな自分が子どもっぽくて、もどかしくて、私は彼を見上げてムッと不機嫌そうな顔をして見せた。
「お師匠様が繋ぎたいなら繋いであげますよ」
「じゃあ、そういう事にしておこうか」
適当人間で自由人。人の気持ちなんかお構いなしのくせに、こういう時、細かい事を聞かないお師匠様はやっぱり優しい。
(絶対ぜったい、こんな人、好きにならないんだから!)
そう、必死で自分に言い訳をいしながら私たちはいつもどおりに廊下を歩く。あたたかい日溜まりのような日常に、私までちょっと眠くなってしまいそうだった。
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