誰が××××殺したの?
「エウリエ・ミスルトゥ公爵令嬢。傲慢で冷酷な君は、この私にふさわしくない。よって、君との婚約を破棄する! そして、私はこの心優しきティーナ・ロビン男爵令嬢と、改めて婚約することを、ここに宣言する!」
そういって、隣で哀しげな表情で身体を寄せる、ピンクブロンドの愛らしい少女を腰を抱き、我がスパロウ王国の第一王子――グノー殿下は、びしりと私に指を突き付けた。
王立学園のめでたき卒業パーティにおける、王子の愚行、乱心。
正式な婚約者である公爵令嬢の私を放って、学園で仲睦まじくしていた男爵令嬢の手を取りエスコートする王子。しかも衣装の色を互いに合わせて。
外遊で陛下と王妃殿下が不在の隙を狙った、スキャンダルだった。
いや、第一王子による男爵令嬢の寵愛は、ひっそりと知れ渡っていたから、公然の秘密の方が正確か。
生徒並びに訪れていた父兄が、ざわざわしながら、この舞台を興味深く窺う。
在校生の中に交じっている弟の第二王子も、読めない顔色で、静かに私たちを眺めている。
それはそうだ。だって、誰もがみな、わかっているだろうから。
王太子が依然決まらず、王位継承争いが激化しているこのタイミングで、宰相家たる我が家との婚約破棄が、どれだけ政局に大きな影響を与えるのかを。
私は口元に扇を当て、眉を顰めた。
巷でみかける恋愛小説のような展開。改めて目の前で繰り広げられると、なんて茶番。
この場合、あちらが正義で、私が悪役といったところかしら。
殿下の腕に抱かれた少女、ロビン男爵令嬢は、小鳥のように愛らしいと令息たちから人気の少女だった。殿下をはじめ、数人の男性によく囲まれていたのを、私は遠目から眺めていた。
令嬢の間からは、誰彼囀る煩い小鳥と揶揄されていたので、彼女の振る舞いがいかようかは良くわかる。
「エウリエ、君は、ティーナを虐めていたらしいではないか。可哀想に、一人耐えて涙を零していたんだよ、彼女は」
「まあ。虐めていたなど、あんまりな言い草。ただ、婚約者のいる殿方に、みだりに近づいてはなりませんよと、注意していただけですわ。それを無視したのは、貴方方ではありませんか。私、間違っていますでしょうか?」
「ははっ、私に振り向かれないからと、嫉妬は醜いよ?」
優越感マシマシな殿下の言い分に、思わずイラっとして睨みつけてしまう。私の剣呑な雰囲気に、びくりと涙目でロビン男爵令嬢が怯えて見せ、それを宥めるように殿下が顔を寄せる。
誰がお前なんかにと、噛みつきたくなるのを抑え、剝がれそうな淑女の仮面を、どうにか保つ。クールに、クールに。
確かに、私は時折ロビン男爵令嬢に、おいそれと殿下に近づかないよう、苦言を呈していた。また、殿下の後ろ盾になれる力が男爵家にあるのか、殿下を守れるのかとも。
彼女が、国の現状を理解しているとは、到底思えなかったから、ついつい差し出口を。
にもかかわらず「愛のない結婚など可哀想だ」「学園では身分など関係ない」「そんな言い方酷い」などとのたまい、泣いて話を聞かなかったのは果たして誰だったか。
そうして、彼女の言葉を間に受け、曲解し私の言葉を一顧だにしないグノー殿下に、私は深々とため息をついた。
「……殿下。王命による私との婚約の破棄が、ひいては我がミスルトゥ公爵家との契約破棄が、どういった事態を招くのか、本当におわかりですの?」
「ああ、もちろん。こんなところで権力をひけらかす君のような傲慢な女より、私は可憐なティーナとの愛を選ぶよ。愛する彼女が隣にいてくれれば、私はより素晴らしい国を作っていける。父上も母上も、私の幸せをきっと喜んで下さるに違いない」
「左様で……。後悔はなさいませんのね?」
「君と結婚する後悔以上のものなどないさ」
殿下はきりりと表情を引き締め、自信満々に告げる。ロビン男爵令嬢の表情が、ぱっと喜色に満ちた。格好いい、素敵とでも思っているのだろうか。
身分差の恋を貫く、王子と男爵令嬢。殿下と柔らかな視線を交わし、幸せそうに二人の世界を作っている。
呆れた。これは何もわかっていないな。
いや、わかっていたら、こんな馬鹿な真似、するはずもないのだけれども。頭痛がしそう。
仕方ない。これも殿下が選んだ道だ。
その責は、私たちが負うものではない。
我が家は充分尽くしてきたし、私は何度も優しく注意や警告をしたのだから。
この先、どんな未来が訪れようと、その手をはねのけたのはそちらだ。自らの身をもって、証明するといい。
ぱちりと扇を畳んだ私は、にっこりと笑い、カーテシーを取る。
「こんな公の場で断罪されるいわれは、とんとございませんが。そこまで仰るのでしたら。婚約破棄、承りました。手はずはすぐにでも」
「あ、ああ……」
「では、早速破棄の手続きを行わねばなりませんので、私はこれにて失礼いたしますわね」
私が特段けん制することもなく、素直に婚約破棄に応じたからだろうか。
ぽかんと口を半開きにした間抜けな顔で、拍子抜けしたようにグノー殿下が頷く。
ロビン男爵令嬢は、わけもわからぬまま「え? え? こんなに簡単に?」と私と殿下の顔へ、視線を行ったり来たりさせている。
私は、颯爽と踵を返し、足早にその場を去った。残された者たちのざわめきなど、知ったことではない。
会場を出ると、すかさず私の後ろへ、次々付き従う者たちが集っていく。騎士、護衛、官吏、侍女、侍従、召使い。見えないけれども、影も潜んでいる。
王宮からパーティのために派遣されてきた者たちが、ホールの様子を窺いつつ、控えていたのだろう。ほんの一部にもかかわらず、結構な人数がいる。
「私は、第一王子殿下より婚約を破棄されました。よって、ミスルトゥ公爵家に携わる者は、全て王宮から引き上げなさい。これは、当主である父の意向でもあります」
「お嬢様、かしこまりました」
「全て手はず通りに」
私の言葉を受け、我が家に仕える者たちが、三々五々に散っていく。
殿下と私の婚約は、今晩中に恙なく解消されるだろう。そうなるよう、既に諸々父が手を回してある。
幼い頃に政略で縁を結んで、早15年。
私とグノー殿下の相性は、幼い頃からさほど良いとは言えなかった。
それでも貴族の務めとして、愛し合うことはできずとも、互いを尊重し合い、善きパートナーとして国を治められるよう、励んできたつもりだった。殿下も、最初はそう考えていたはずだ。
なのに、こうして袂を分かつまでになってしまったのは、いつからだろう。
不安と恐怖に震える内心を押し隠しながら、辛く厳しい王妃教育や婚約者としての責務に耐えてきた私の15年は、愛の前にあっけなく終わりを告げた。
「……己の立場を忘れて、恋愛ボケしすぎなのよ。さあて、どこがどう動くのかしら。もう、私には関係がないけれど」
くすりと、私は口の端に笑みを載せる。
冷たい夜風が私の髪を揺らす。ふと見上げた空にぽかりと浮かぶ、赤く大きな満月は、まるで禍々しさの象徴のようだ。
果たしてそれは、誰にとっての不吉の前兆なのか。
そのまま、私は悠然とした足取りで、迎えの馬車に乗り込んだ。
* * *
翌日の朝。
殿下の婚約者と宣言された少女が暗殺され、多くの血を流した無残な遺体で発見された。
――グノー殿下の私室の、床の上で。
久しぶりにのんびり朝食をいただいた後、サンルームで茶を飲みながらその凶報を聞いた私は、「でしょうね」と感慨もなくひとりごちた。
しばらくお茶を楽しんでいると、部屋の外がざわざわとざわめいているのに気づく。揉め合うような、激しい声が聞こえる。私付きの護衛が、ぴりりと緊張を帯びた。
誰が来るのかはわかっていたから、私はギリギリまで手を出さぬよう指示を出す。
やがて、バンとけたたましい音を響かせドアを開き、サンルームに入ってきたのはグノー殿下で。
「君か、エウリエ!! 婚約破棄の腹いせに、君がティーナを殺したんだな!! そうだ、そうに違いない!!」
はあはあと息を激しく荒げ、整えていないぼろぼろの身なりを気にすることなく、血走った目で殿下は私を弾劾した。
何の根拠もなく。
「はあ……先ぶれも、挨拶の一つもなく公爵家に押し入るとは、礼儀をどこに置いてきたのでしょう。しかも、言いがかりも甚だしいですわね。何故、私があの男爵令嬢を暗殺しなければなりませんの?」
「だから、私との婚約を破棄をされたからだろう!」
「快く破棄に応じたというのに、それでは道理が通りませんわ。貴方との婚約は、デメリットはあれど、メリットなど一つもないのに? 私、殿下と婚約破棄できて、せいせいしておりましたのよ」
「なっ……! 君は私を愛していたではないか!!」
「愛してなどおりませんが?」
愛してはいなかった。
でも、少なからず情はあった。
「はぁ!? そ、そんなはずは……。だ、だって、私の護衛が一人残らずいなくなったのは、君の嫌がらせに違いないだろう!? そんな無体ができるのは、私を愛していた君くらいしかいないではないか。護衛がいれば、ティーナが死ぬこともなかった!」
「はぁ……」
殿下は、さも私が悪いと言わんばかりに、睨みつけてくる。
いや、愚かだなと思ってはいたけれども、つくづく愚かだ。勉強はできているはずなのに、恋愛に浮かれて、頭が花畑にでもなったか。それ以前に、周りが過保護にしすぎたか、我が家も含めて。
私は、ついつい特大のため息をついてしまった。
「婚約を破棄されましたのに、どうして彼らが殿下を守らねばなりませんの?」
私は、純粋に小首を傾げた。
「は、はあ!?」
「殿下は、何もご存じありませんでしたの? 貴方が当たり前に享受していたあれら護衛は、我がミスルトゥの者たちですわ。そもそもの話、側妃殿下の家は爵位が低く財もなく、殿下の身の回りを守る人員が揃えられないと、我が家に陛下と側妃殿下が泣きつかれたから、仕方なく婚約が結ばれたのですよ。我が家は伯爵家の代わりに、妃殿下と殿下を暗殺から守っておりましたのに」
「な……!?」
まあ、ぶっちゃけると、私を守るついでみたいなものだけれども。
もちろん、王城には精鋭の近衛騎士たちもいるが、多くは軍を差配する侯爵家出の王妃の派閥の者だ。
第一王子派と第二王子派の派閥争いが激化し、暗殺が横行している昨今、誰が敵か味方かわからぬこの状況で、安易に信頼できる手の者以外を身の回りに置くことができなかった。
いつ裏切られ、背後からざくりといかれるか、わかったものではないもの。
その辺の警戒を逆手に取って、悪感情を吹き込み近衛騎士団に誤解を生ませ、第一王子派と仲違いさせてきた王妃殿下の手腕は、なかなかのものだったけれど。
実際、私も襲われかけたことあるし、割と毒の混入は日常茶飯事だ。
王妃殿下の手だとわかっているのに、巧妙に尻尾を掴ませてくれず、苦汁を嘗めさせられること幾星霜。
我が家が素知らぬ顔して、毒を魔道具で対処してるのも、知らなかったのでしょうね、殿下は。
なかなか王妃殿下に子が授からず、陛下がひそかに愛していた令嬢を側妃として娶り無事子を授かった後、王妃殿下にも待望の子が生まれたのが、そもそも悲劇の始まりだ。
この国は、よほどのことがなければ、基本長子継承と定められている。
伯爵家出の側妃の子でありながら、候爵家出の王妃の子より先に生まれたグノー殿下は、後ろ盾があまりにも弱すぎた。
そうして、陛下に乞われ、権力を担うべく、同時期に生まれた私が婚約者として選ばれたのだ。
だから、病の床につかれる前に、側妃殿下が婚約者を大事にしろと口を酸っぱく言っていたのに。
グノー殿下は、初めての恋に浮かれて、ちっとも聞きやしなかった。
婚約破棄となったとしても、かなり煮え湯を飲まされた我が家が、掌を返して王妃派に付くことはないとはいえ、ミスルトゥ公爵家にもプライドがある。
瞳を細めた私は、くすりと唇に笑みを刷いた。
「婚約を破棄されたのですもの。後ろ盾も解消ですので、我が家の手の者を王城から引きあげさせました。ただそれだけのことですわ。当然でしょう?」
王妃殿下や、第二王子派閥の者から、幼少のみぎりよりひそかに暗殺者を送り込まれていたが、全て我が家が返り討ちにし、グノー殿下はここまで守られて育ってきたのだ。
その守りがなくなれば、果たしてどうなるのか?
火を見るよりも明らかだろう。
とはいえ、よもや暗殺を未然に防いでいたせいで、殿下から危機感がなくなっているとは、さすがに予想だにしなかったわよね。政争中という意識が低かったのかしら……。
まあ、成績も成果も後ろ盾も、第二王子殿下と互角だったから、よほどバカやらない限り、グノー殿下の立太子は揺るがないはずだったからね。油断もあったのだろう。
そして、そのよほどのバカをやらかしたのだけれども。
婚約破棄をした直後、自身の守りが極端に手薄になったなどとは露知らず、呑気に想い人と仲良くしているなど、暗殺してくれと言っているようなものだ。
最初、男爵令嬢と浮気していると聞いたとき、殿下は自殺したいのかなと思ったほどである。
「そん、な……。君でないならば、一体どこの誰が彼女を殺したんだ……」
「私に聞かれても存じませんわ」
殿下は呆然と呟く。
知らないと言いつつも、あの辺とあの辺とあの辺の2~3家が出した暗殺者同士の争いあっての結果だろうなあと、私は心当たりを思い浮かべる。
一応、婚約破棄の件は殿下一派に当日まで伏せられていたとはいえ、大人に太刀打ちできるほどの力も経験もない学生の、学園における悪企みなど察知できないわけがなく。
手と判断が早いなと感心するし、我が家が逆の立場であれば、同じタイミングで暗殺を狙うだろう。父ならそうするし、事実私たちが一夜のうちに素早く動けたのも、情報を掴んでいたためだ。
殿下がいっとき戯れに手を出している男爵令嬢ならば、高位貴族にとってはただの羽虫。それにわざわざ暗殺者を出すなど、愚の骨頂でしかない。
男爵令嬢は、単純に殿下のついでに守られていたにすぎない。
ただ、それが『婚約者』になろうともすれば話は別だ。
身を守る術のない男爵令嬢を暗殺するなど、がちがちに我が家に守られた私に比べれば、赤子の手をひねるほどに容易い。
第一王子の婚約者に自らの娘を差し出したい者、第一王子を引きずり下ろしたい者、そもそも第一王子の息の根を止めたい者、国の行く末を憂う者など、様々な思惑が絡み合った末に、今回の男爵令嬢の死に結びついたのだろう。
あの王妃の執念をかいくぐり、この状況でよく殿下が生きていたものだと感心しさえする。
因みに私の予想では2人とも暗殺される、だったのだけどね。殿下ったら、悪運が強いわ。
でもね、幕は引かれなければならないの。
「ただ一つ言えるのは……」
私はゆるりと立ち上がり、殿下の傍へと近づくと、うっそり耳元で囁く。
「彼女が死んだのは、殿下、貴方のせいですわ。王子であるにもかかわらず、何も知らずに無知なまま、ぬくぬくと守られていただけの貴方が、身勝手に彼女を愛したから、彼女は死んだの」
「私が……愛したから……? 私が……ティーナを殺した……ああっ、あああああああ!!」
私の言葉に、殿下が目を見開く。
がくりと、その場に殿下が力なく跪いた。瞳から、ぼたぼたと涙がこぼれ落ちていく。
私は、床に蹲る殿下を睥睨する。私には決して見せなかった感情を、正面から浴びる。
男爵令嬢への愛は、確かだったのだろう。
ぽきりと、彼の心が折れた音が、確かに聞こえた。
誰が男爵令嬢殺したの?
それは、貴方。
では、誰が王子の心殺したの?
「それは、私」
私の15年は、愛の一言で片づけられるほど、安くないですもの。
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