4.婚約
それからミラローズは、学園の中でラクアを探して回るのをやめた。
たまたま見かけたときに、さっとうちわを取り出して、振る。書かれているのは「ラクア様、手を振って♡」「ウインクして♡」「指ハートして♡」など、その日によってまちまちだ。指ハートだけ伝わらなかったので、泣く泣く自分で処分した。
学園内で、セイディやフェースと、ラクアが対立しているのを見たときは、すかさず「負けないで♡」のうちわを取りだす。そういうときは大抵あとからラクアがやってきて、
「この間もセイディに目をつけられたばかりだろう。あまり目立つと痛い目を見るぞ」
と、うちわを取り上げてしまう。
イベントごとにも欠かさず持参した。
ダンスパーティーのときなんかは、もっぱら「ラクア様、世界一♡」の出番である。すれ違いざまにラクアにうちわを奪われて叩き折られ、そのまま使用人の手に渡ってしまった。
学園祭のときは、敵の魔導士役をやっていたラクアに向かって「睨んで♡」のうちわを振り回した。その甲斐あってかはわからないが、ちゃんと睨まれた。
格好いいよりも先に、ちょっと背筋が寒くなったのはここだけの話である。
「さっきのはなんだ、ネルテ嬢」
「すみませんでしたこちらをどうぞ」
そのときは、舞台裏から出てきたラクアに自らうちわを献上した。目の前で丁寧に折って破って、校舎裏の焼却炉に放りこまれるところまでしっかり見守った。
ミラローズがセイディと対峙して以来、ラクアの断罪イベントまでの半年以上、ミラローズはほとんどその調子だった。
ラクアと接する機会は格段に減ってしまったが、ミラローズはこれでいいと思っていた。
すでに、ラクアはフェースに対して嫌がらせを重ねるのをきっぱりやめている。
命を狙ったというのも、フェースを魔獣の森に転移させたのが最後だ。それも、フェースがセイディと懇ろになってから二か月ほどの出来事である。
これ以上ラクアの悪評が広がることも、ラクアが実家から勘当されることも、ない。
そう、思っていた。
断罪イベントの交流会間近になって、突然ラクアの悪評が広まった。
もちろん、内容はラクアがやっていないことばかり。
不自然なほどの早さで彼のやっていない悪行は人から人へと渡り、あっという間に学園の生徒の大半を敵に回してしまった。
セイディの仕業だった。
フェースが加担していたのかどうかはわからない。彼がそういうわかりやすい悪事に手を染めているのを見たことはない。セイディがあたかもラクアがやったかのように見せかけて、フェースを騙していた可能性もある。
とにかく、セイディの浮気がかすんでしまうほど、ラクアは悪者にされた。
(このままでは、ラクア様が!)
ミラローズは焦ったが、時はすでに遅かった。ミラローズがいくら声を張り上げたところで、誰も聞く耳を持ってくれなかったのだ。
結果は、先日の交流会のとおりである。
ラクアは原作どおり、断罪されそうになった。半ば強引な方法でミラローズが中断させたが、それも苦し紛れの一手にすぎない。
その証拠に、放課後、正式にラクアとセイディの婚約が破棄されたことが発表された。
セイディの新たな婚約者は、もちろんフェースである。
婚約破棄をしたその足で、そのままフェースとの婚約の書面にサインをしたような、そんな早さだった。
次の日の朝になって、寮から飛びだしたミラローズは、久しぶりにラクアの姿を探していた。
ラクアは当初の予定どおりに断罪されてしまった。
ならば、学園は追放されるのだろうか。
家からは勘当されて、行方知れずとなってしまうのだろうか。
「ラクア様!」
ラクアの姿は、案外すぐに見つかった。
なんてことはない。以前ふたりで昼食を取っていた東屋で、ぼんやりと庭園を眺めていたのだ。
「ネルテ嬢か」
「ラクア様、大丈夫ですか!? 婚約を破棄されてしまったと聞きました。おうちは? ご両親は? 学園は? なんと言って」
「落ち着け。どうしておまえがそんなに焦っている」
「だって……」
そこで、ミラローズは初めて気づいた。
ラクアが笑っている。以前見た一瞬の微笑みよりもずっとわかりやすく、その麗しい顔に笑顔が浮かんでいた。
どこか、清々しさを感じる。
肩の荷が下りたというか、これで解放されるというか、ラクアの表情にはそんな喜びが見えるようだった。
眩しすぎる。破壊力がすさまじい。
ミラローズが思わず目元を覆って、視界を遮断してしまったほどである。
「言っただろう、こうなるのはわかっていた。ただ、セイディは決断を早まったな」
「……と、いうと?」
「私の悪評が広まるのが、あまりにも唐突で、早すぎた。聞いたか? セイディの話を整理してみると、私は寮でフェースの制服を切り裂いたのと同時に、本校舎で魔物を召喚して彼にけしかけたことになる」
「……できるんですか、そんなこと?」
「生憎だが、私はひとりしかいない。別の場所に同時に現れることなんてできるわけがないさ」
「ですよね……ってことは、学園からも、おうちからも?」
「咎めはない。今のところな」
よかった、とミラローズはその場にへたり込んだ。
セイディとの婚約は破棄されてしまったが、断罪は免れた。不完全ではあるが、ミッションクリアだ。
後半、ミラローズはほとんどなにもしていなかったが。
「それを聞くために私を探していたのか?」
「そうです、どうしても、気になって」
「そうか。てっきり、いつものように『落ちこまないで♡』とでも書かれたうちわを振り回しに来ると思っていたんだが」
そんな余裕はなかった。そもそも、作ってすらいない。断罪からの追放ルートだったら、さすがに笑えないからだ。
「私がここにいるのは、おまえのおかげだよ」
「えっ」
思わぬ言葉に、ミラローズはぱっと顔を上げた。
いつの間にか、目の前にラクアの顔がある。彼は東屋を離れ、へたり込むミラローズの前に膝をついていた。
近い、肌きれい、睫毛長い、髪きらきら……必死に思考を外に逃がしているうちに、ミラローズの唇に、やわらかいものが押しあてられた。
「んっ……!?」
ラクアの顔はすぐに離れたが、いまのは。
「なっ、なななな……!」
いまのは、間違いなく、キスだった。
心臓がうるさい。全身の血が沸騰している。顔から火を噴きそうだった。ミラローズの頭は、すっかりゆで上がってしまっている。
「ど、な、なに、どうして!?」
「あとで、ネルテ家に書状を送っておく」
「なんのですか!?」
「決まっているだろうが」
私とおまえの婚約の話だよ。
ラクアは、ミラローズの頬に唇を寄せた。
最終話、ありがとうございました!
爆速で駆け抜けてまいりました。このお話はいま投稿している連載が終わったあと、長編として練り直して、なろうで連載を始める予定です。おもしろかったよ!という方は、ぜひお待ちいただければと思います。
現在連載している拙作、「悪役令嬢は、転生しても改心しない!?~暗殺エンドを避けるため、手段は選んでいられません~」もぜひよろしくお願いします。
それではまた!ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました!帰りに下までスクロールして、星をポチっとやってくれたり、感想を書いてくれたりすると私が飛び上がって喜びます。