1.断罪
連載作品の息抜きにと勢いで書いた短編です。四話で完結します。
今日中に全話投稿するので、ぜひブクマなどでお待ちいただければ幸いです。
華やかなドレスをまとった学園の生徒たちが、広いホールに集まっていた。
交流会と称して度々開かれる、簡単なパーティーだ。
本来であれば賑やかなはずの交流会は、どういうわけか、いまはしんと静まり返っている。すべての耳目が一点に集まっていた。
ダンスフロアにと空けられたホールの中央、それを囲むようにして、生徒たちが注目する。
中心から響き渡るのは、小鳥のさえずるような少女の声だ。
「ラクア・フォン・ナキーエさま! あなたとの婚約を破棄させていただきます!」
淡いピンクの髪をなびかせた少女は、片腕を隣の少年に絡ませて、空いた手をびしっと目の前の青年に突きつけた。
豊かに波打つ金髪が、青年の背中でふわりと揺れる。
周囲の生徒たちがざわめいた。互いに目配せをし合う、そこにあるのは戸惑いか、ほかのものか。
皆の動揺ぶりを肌で感じながら、人だかりの最前列に陣取ったミラローズは、自らの手に握ったふたつの黒地のうちわを見下ろした。
片方には「ラクア様、がんばって♡」、もう片方には「ラクア様、罵って♡」と切り抜かれた紙がでかでかと貼ってある。
ミラローズお手製のオタクうちわだ。魔法で少しだけキラキラするように加工もしてある。
ごくりと喉を鳴らして、ミラローズはうちわを頭上高く掲げた。
この場で大きな声を出すことは許されない。
ならば、全力で振って目立たせるまでだ。
「ラクアさま、あなたは――って、なにかしら?」
桃髪の美少女――この国の王女であるセイディ・リュー・エラミールが、先にミラローズに気づいた。目の前の青年に突きつけていた指が、ふにゃりと力をなくす。
次いで、彼女に腕を組まれていた少年、勇者フェースも顔をしかめて、ミラローズが掲げたうちわを睨む。
ちがう、ミラローズが気づいてほしいのは、あんなふたりではない。
そこでようやく、セイディとフェースに対峙していた青年が振り返った。
ラクア・フォン・ナキーエ。
日の光を浴びて、眩しいほどに輝く金髪。くるりくるりと巻いた金糸は、右耳の下あたりでひとつにくくられていた。
かき上げた前髪の下から覗く白い肌には、そばかすひとつ、毛穴ひとつだって見当たらない。
柳のような眉、すっと通った鼻筋に、薄い唇、シャープな顎。顔のすべてのパーツが完璧に配置されている。
重たそうな睫毛は、伏せられた濃紺の瞳を豪奢に飾る。彼がまばたきをする度に、そよ風が舞い起こるかと思うほどだ。
その瞳が、たしかにミラローズを――ミラローズのうちわを捉えた。
神が舞い降りたかと錯覚するほどの衝撃だった。天にも昇る心地とはこのことだ。
「なにをしている、ネルテ伯爵令嬢」
空気を震わせるような低い声音で、ミラローズを呼ぶ。そこにこめられているのは、たしかな――
たしかな、怒りだった。
喜びのままに黄色い悲鳴を上げようとしていたミラローズの喉が凍りつく。
ラクアが目を細めて、ミラローズを睨んだ。
それはそれで高揚する気持ちがあったが、ミラローズはぐっとこらえた。緩みそうになる頬を必死で黙らせる。
そうしてミラローズは、すごすごと掲げたうちわを取り下げた。
余計な邪魔が入ったからか、ラクアへの追及はそこまでで終わった。
もとより、王女の婚約破棄なんておおごとは、学業に勤しむ少年少女が集う場で起こしていい騒ぎではない。
ミラローズがそれを止めたというのなら、大変な功労者だ。
そのはずなのに。
学園の庭園の一角、ミラローズは固い石畳の上で正座していた。
頭上に落ちる影は、ベンチに腰かけたラクアだ。長いおみ足を組んでミラローズを見下ろす様子も、絵に描いたようにさまになる。
ミラローズがうっとり見惚れていると、ラクアが薄い唇を開いた。
「どういうつもりだ? あの場であんなこと、絶対にやめろといっただろう」
「すみません、つい……」
「つい、ではない。セイディだってさっさと終わらせたかったはずだ。それがあんなかたちで中断されて……私は、そのうちまた呼び出されることになるじゃないか」
「はい、申し訳ありません」
ミラローズはただただひたすらに、縮こまるしかない。
理由は単純、ラクアは、セイディが学園の生徒たちの前で婚約破棄を宣言するのを知っていたのだ。そして、それを当然のことと受け入れている。
ラクアもセイディも、そしてセイディにくっつかれていたフェースもみんな、ミラローズが前世で読んでいた漫画の登場人物だった。
田舎村出身の少年フェースが主人公だ。ある日勇者として見初められた彼は、必要な知恵を身につけるため、学園に編入させられる。そこで王女セイディと出会い、意気投合。婚約者ラクアのセイディに対する仕打ちを知って、彼女を救い出すのだ。
その先の展開は割愛する。
ミラローズにとって、それ以降のストーリーはさして重要ではない。
学園編以後、ラクアは登場しない。
彼は、ミラローズが全力でうちわを振っていたあのホールでの一件をきっかけに、正式に婚約破棄をされ、家からは勘当。天涯孤独となって、身ひとつで外に放り出されてしまうからだ。消息は不明である。
生死も不明だったから、再登場する可能性もあったのかもしれないが、生憎ミラローズはそれを確かめる前に転生してしまった。
ラクアは、前世のミラローズがこの世でなにより愛していたキャラクターだ。
断罪されても表情ひとつ動かさず、言い訳も命乞いもしないその気高さ。与えられた罰をその身でしっかり受け止める潔さ。クールな性格に、なによりあの美貌。
ミラローズは夢中だった。
彼の破滅を回避するには、婚約破棄をさせないことが一番の近道だった。
実際、当初はミラローズだってそのつもりだった。ラクアとセイディの仲を取り持って、ふたりの婚約を破棄させないようにする。
しかし、である。
それは失敗した。だからいまのミラローズがある。
ラクアが、ミラローズの目の前に並べて置いたオタクうちわを指した。
「そのくだらないものは没収する」
「はい……」
両手で捧げると、手塩にかけてつくったうちわは目の前で真っ二つにされた。さして力をこめたようにも見えないのに、いとも簡単に割れた。これが男女の備え持った腕力の違いか、綺麗な顔なのに力が強いの最高すぎないか、とミラローズはラクアに惚れ直した。
転生してからもう何度目だろう。ラクアの魅力は尽きるところを知らない。
それにしても、ラクアがうちわを壊す手つきに迷いがなさすぎる。
これまで何度も同じように、ミラローズ手製のうちわを破壊しているからだろうか。
そう、作るたびにこうして壊されて、作り直す。ミラローズはここ一年、それを繰り返していた。
(やめない私も私だけど、作るのを止めないラクア様もラクア様だよね)
そう、毎回壊すくせに、ラクアは絶対にミラローズに「くだらないものは作るな」と言わない。いわば公認である。最後に真っ二つにされるところも含めて儀式のひとつといっても差し支えがない。
「いいか、ああいった場ではこれを振り回すのをやめろ」
ラクアが手を振ると、真っ二つになったふたつのうちわが、あっという間に砂塵と化した。結局粉々にするなら割る必要はあったのかというつっこみはしてはいけない。
組んだ足を解いて、ラクアが立ちあがる。
彼は顔に似合わぬごつごつした男の手で、ミラローズの髪をかき回した。
「おまえと、おまえの家がセイディに敵視されることになる、心しておけ」
ぶわり、とミラローズの頬に熱がのぼった。
今度こそ黄色い悲鳴を上げて喜ぶと、ラクアはちょっと眉をひそめて、しかしまんざらでもない様子で、ミラローズに背を向けた。