旅立ちの朝
リリアムたちは、宿屋兼食堂で少し遅い朝食を囲んでいた。
大凶の大爆発でインペレータの町はほとんど破壊されてしまったが、ジャスティシアに近い地区は無傷で残っていた。リリアムたちがいるのはその一角にある店だった。
そこへ、建築関係らしい男二人組が店に入ってきた。
「……おい、聞いたか?」
二人組は朝食セットを店のお姉さんに注文すると、話し始めた。
「またご領主さまは設計を変えたんだってよ」
「またかよ。勘弁してほしいよな」
あれから、既に一か月近くが経とうとしている。
アエスキュラスは私財を投じて町の再建に没頭している。旧い町なのでこれまで街並みや道路は雑多であったが、ほとんどが破壊されてしまった。アエスキュラスはこの際、町を新しく造り変えるつもりだった。
新進気鋭の建築家を呼び寄せ、自身も議論に参加してアイデアを闘わせながらアーバンデザインを練り上げていた。しかし、こだわりが強く、設計の変更は頻繁らしい。
「仕事にご熱心なのはいいんだけどよ、いくら侯爵さまったって、金は続くのかね?」
「都市を丸ごと造るようなもんだからな。まあ、王宮や王女宮から結構な援助が出てるらしいぜ」
「ほとんど国家レベルの事業だな」
「王女宮っていやあ、王女さまはご領主さまと婚約したって噂だが本当なのかね」
「本当らしいぜ。俺の親父の友だちの知り合いの親戚の娘が王宮勤めしてるんだけどよ、七星侯だけに婚約が伝えられたんだと」
「……だいぶ関係が遠いけど、信用できる話なのかよ」
「間違いねえって。その証拠に、王女さまはしょっちゅう陣中見舞いにご領主さまのところへ来てるって話だぜ」
「それなら、俺も見かけたことがある。妙にご領主さまと親しそうに話してるなあ、とは思ったんだよな」
「それどころか、王女さまは人が変わったってもっぱらの評判だぞ」
「我が儘で人を人とも思わない自己中な性格だって聞いたが」
「とんでもない。いつもニコニコしていて人当たりも柔らかいし、下々の者にも気さくに声をかけていたわってくださるんだってよ」
そうなのだ。カレンデュラにどんな心境の変化があったのか、初めて会ったときとはまるで別人に変貌していた。
わざわざ王宮のリリアムの部屋へやってきて謝罪したのだ。以前拘束したことも含めて失礼な態度をとって申し訳ない、とあのカレンデュラが頭を下げた。
シュテラリアも同じことを言っていた。今、孤児院の人たちは仮設住宅で避難生活を送っている。そこへ突然カレンデュラが訪れたのだという。
シュテラリアに頭を下げて、かつて面前で放った暴言を謝ったそうだ。しかも、これからは友だちになってほしいとまで言ったというから驚きである。
「……もともと王女さまは美人さんだし、俺の周りじゃ、今や人気がうなぎ登りだよ」
「へえ。まあ、嫌われ者より庶民に慕われる王女さまのほうが良いに決まってるけどな」
アエスキュラスの影響が絶大だということなのかもしれない。恋は人を劇的に変えるのだろう。
「人気者なら、ほかにもいるぜ」
「知ってる。ハーデンベルギアさんだろ?」
「……!」
いきなり自分の名前が出てハーデンベルギアは思わずむせ返った。
リリアムは微笑みながら背中をさすってやった。
「一人で赤い魔獣を倒した英雄だもんなあ。俺、あのとき見たんだ。きらきらと輝く黒い長い身体をくねらせて、レッドドラゴンに雷の槍をぶち込んだんだよ。それでレッドドラゴンは大爆発さ」
「竜とかいう聖獣なんだって? 神々しいというか、すごくキレイだよな。グラウンド・ゼロに銅像が建ってる」
「ほんとはハーデンベルギアさんの銅像になるはずだったんだけど、ご本人が奥ゆかしい人で、絶対に嫌だと逃げ回ってモデルになってくれないから、仕方なく竜にしたんだと」
「……」
リリアムはニヤニヤしながらハーデンベルギアを肘でつついた。ハーデンベルギアは真っ赤になって俯いてしまった。
「ハーデンベルギアさんご本人も、えらいべっぴんさんだって評判らしいじゃねえか」
「まだ子どもなんだけどよ、そりゃあ、お美しいらしい」
「将来が楽しみってやつだな」
「そういやあ、王妃陛下は体調を崩されて、しばらく離宮で静養なさるらしいな」
「大公殿下も急な病で亡くなったっていうし、いいことばかりじゃねえな」
男たちの話は尽きないようだ。リリアムはみんなを促して食堂を出た。
インペレータではあちこちで復興の槌音が響いていた。人々も元の生活に戻るにはまだまだ時間がかかるだろう。
「……リリー。このまま旅に出るんでしょう?」
ハーデンベルギアが確認するように言う。
「そうよ。ほんとはちゃんとお別れしたいけど、みんな忙しいから。あんまり迷惑かけちゃ悪いし。―センナたちにお別れしたかった?」
「うん…。でもいいの。この前たくさんお話ししたから」
一週間ほど前に、孤児院の人たちとお祝いのパーティーをしたのだ。主役はなんと、レウィシアとスカビオサだった。二人は結婚することになったのである。
孤児院の建物は破壊されてしまったが、町の復興に合わせて新しい孤児院を再建することになった。それを機に独立して二人で暮らすという。もちろん、孤児院の運営は引き続き手伝うそうだ。
「次はお前の番だぞ。マット」
スカビオサにからかわれてマッティオラは真っ赤になっていた。相変わらずニブいシュテラリアは何のことかわからずきょとんとしていたが。
「シュテラリアさんたちも幸せになってほしいよね」
「マッティオラ次第だろ。はっきり言わなきゃ、シュテラリアは死ぬまで片想いと勘違いしたままだ」
「おや〜? フィール。なんか急に恋愛に詳しくなったんじゃない?」
リリアムに肘でつつかれて、ファーグスは照れたように横を向いた。
「ブレティラさん、美人だったものね」
「……なんでここでブレティラが出てくるんだよ」
「さあ? なんででしょうね」
「ちっ―」
いまいましそうにファーグスは舌打ちした。ユーストマから派遣された聖属性魔法使いのおかげで骨折も治り、今ではすっかり元通りになったファーグスである。スピラエも同じように現場復帰していた。
「……これで本当にインペレータともお別れだな」
アーケルは、ふと立ち止まると振り返った。
インペレータの郊外あたりに来ていた。人家は既になく、森の国らしく背の高い木々が目立ってきている。ここを過ぎればもう町からはずれる。
「ヨーマにしちゃ、感傷に浸ってるじゃない」
「いろいろあったからな」
「そうだね…」
「いろいろあり過ぎて、最後の最後までオレたちを簡単には放してくれなさそうだぞ、この町は」
「ん? それって、どういう―」
リリアムが眉根を寄せたときだった。
「……黙って出て行くなんて、水臭いじゃねえか」
大きな木の陰から男が現れた。
「……マッティオラさん!?」
マッティオラの後ろから、センナを先頭に子どもたちがわらわらと出てきた。
「ハーディおねえちゃん!」
あっという間にハーデンベルギアは囲まれてしまう。
「おねえちゃん、行かないで〜」
泣き虫ラミウムが大泣きしている。
「……なんでここにいるの?」
「俺はな、遠くまで見通せる魔法が使えるんだよ」
「下手な冗談はよしてよ、マット」
マッティオラをたしなめながら、シュテラリアも木の陰から出てきた。
「シュテラリアさんも…」
「リリアムさん。本当にお世話になりました。どうしてもお礼が言いたくて、スピラエさんにお願いしていたんです」
「スピラエさんに…!?」
「きっとリリアムさんたちは、遠慮して黙って町を出ていくと思ったから、そういう動きがあったら報せてくださることになっていたんです」
「スピラエさんったら、余計なことを…」
「申し訳ありません」
当のスピラエが現れた。
「シュテラリアさんが悲しんでおられたので、つい手助けしたくなりまして」
「……まったく、こうならないためにそっと出ていこうと思ったのに」
「あの、リリアムさん。提案があるんてすが」
「提案…?」
「これでお別れすると湿っぽいじゃないですか。だから、みんなでピクニックに来た体にするのはどうかな、と思って」
「ピクニックか…それもいいか。わいわい楽しく騒いで、また明日、みたいな感じてさよならすれば寂しくならずに済むかも」
「……実はお弁当も用意してきてるんです」
「―じゃーん!」
今度はレウィシアとスカビオサが大きな包みを持って現れた。
「……準備万端ですね。恐れ入りました」
リリアムは深くため息をついた。
「そうと決まれば、まずは場所取りだ。―おーい、センナ。これからピクニックだぞ」
「えっ!? ピクニック? わーい!」
センナたち幼少組が大はしゃぎする。歓声を上げながらマッティオラの方へ駆けていった。
「―ハーデンベルギアさま」
独り取り残されたハーデンベルギアにスピラエがそっと近づいた。
「サリックス殿下から、お手紙を預かって参りました」
「えっ!? サリックスさまから…?」
ハーデンベルギアは封書を受け取ると、大事そうに胸に抱えた。その神秘的な瞳はキラキラと輝いていた。
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王都ジャスティシアの東のはずれは少し高台になっている。その高台にある公園の芝生にポツンと一人の若者が座っていた。若者は旅支度を済ませたブレティラだった。
彼女は所在無げに空を眺めていた。雲がぽかりと浮かんでゆっくり流れている。
「……隣に腰掛けてもよろしいかな?」
そこへ、商人の身なりをした壮年の男が声をかけてきた。
「……」
ブレティラは黙ったままである。男は肯定と受け取って、静かに座った。
「こんなところで何をしているのですか?」
「……人と待ち合わせていたんです。でも、すっぽかされたようで、これからどうしようかと考えていました」
「そうでしたか。実は私も人を探していまして、ある人にここへ来れば会えると教えていただきました」
「……」
ブレティラは、初めて男を振り返った。優しそうな眼差しをした男だった。
「……フィールのやつ、騙したな」
ブレティラは小さく呟いた。しかし、男には聞こえたようで、
「フィールとはどなたのことですか?」
「あ、いえ、こっちのことです。……それで、尋ね人とは会えたのですか?」
「ええ。会えました」
「それは良かった」
「死んだと思っていた娘が生きていたことがつい最近わかって、天にも昇る心地で会うことを楽しみにしていたのです」
「そうでしたか。でもその娘さんは会いたくなかったんじゃないかな」
「……どうしてですか?」
「会いたくないというより、会わせる顔がない、と言ったほうが正確ですね」
「何か不都合なことでもあるのですか」
「娘さんは思い違いをしていてずっと父を憎んで育ったからです。真相がわかったからといって、今さらどの面下げて会えるでしょうか」
「それを言うなら、私のほうこそ申し訳ない思いでいっぱいです」
「申し訳ない? なぜです。あなたは何も悪くないでしょう」
「……娘を守ってやれなかったから」
「……!」
「離れた宮になどリンダを遠ざけてしまったから、弟に付け入る隙を与えてしまった。私はずっと悔いて生きてきた。もっと私が気をつけていれば…もっともっと近くにいてやりさえすれば、あんなことにはならなかった。私は父親失格です」
「リンダさん…母は望んで離れに宮をいただいたに違いありません。自分の立ち場を考えて、あなたに迷惑をかけまいとして。母とはそういう人です」
「……そうであろうか」
「娘の僕が言うんだから間違いありません」
「……もう一度やり直せないだろうか。今度こそ、ブレティラを幸せにしてやりたい」
「それはやめておきましょう」
「なぜ…? やはり不甲斐ない父とは暮らせないのか?」
「違いますよ。あなたにはカレンがいるじゃないですか」
「……」
「カレンは頭がいい。飲み込みも早い。正しく導いてやれば、立派な女王になれます」
「ブレティラに罪滅ぼしをしたいのだ。せめて父親らしいことをさせてくれぬか」
「それはカレンにしてやってください。カレンもあなたの愛情を欲しがっていますよ」
「……どうあっても私の言うことはきかぬか。強情なところはリンダに似たな。あれも一度言い出したらてこでも動かなかったものだ」
「……」
「では、これからどうするつもりだ? その格好からすると、旅にでも出るつもりか?」
「……僕は好きな人ができたのです」
「なんと!?」
「その人は冒険者で、世界を旅しているのですよ。だからその人についていくと決めました」
「娘というのは、皆いきなり大人になってしまうものなのだな。カレンもこのごろはすっかり見違えて立派な淑女になりおった」
「―そろそろ、僕は行きます」
ブレティラは立ち上がった。
「待て。せめて最後に一言、父と呼んではくれぬか。私の最初で最後の我が儘と思って、頼む」
「……お父さまさえ良ければ喜んで」
「ブレティラ…」
ディオスピロスは伸ばしかけた手を引っ込めた。それを見てブレティラは、自分からディオスピロスの胸に飛び込んだ。
「お父さま…お元気で」
「お前もな。ブレティラ」
「……いつか、戻るときが来たら…そのときはお母さまの話を聞かせてください」
「ああ。いくらでも話そう。お前の知りたいこと全てを話してやろう」
「……では、行きます」
ブレティラは身を起こした。
「さようなら、お父さま」
ディオスピロスは、遠ざかるブレティラの後ろ姿をいつまでも見送っていた。