告白は新月の夜に
王女宮にも王宮に負けず劣らずの庭園がある。豪華な噴水を中心に様々な花が咲き乱れている。カレンデュラが花好きということもあって、かなりの予算を注ぎ込んで整備されていた。
ほぼカレンデュラのためだけの庭園なので、普段は人の出入りがあまりない。せいぜい庭師が日々の手入れのために訪れるくらいである。ましてや夜ともなればなおさらだ。しかし、今夜はいつもとは様相が違った。
新月のため月明かりはない。常夜灯がほのかに付近を照らすばかりの中、独り佇む姿があった。
「……待たせた?」
その人影に近付くもう一人の影があった。
「殿下…」
佇んでいた人影がひざまずく。それはアエスキュラスであった。ひざまずいた相手は無論、カレンデュラである。
「待ってはおりません。私も今来たばかりです」
「相変わらず優しいのね。よそよそしさも変わらない」
「急なお呼び出しと伺い、取るものも取り合えず参上いたしましたが、殿下は謹慎の御身。このような場所に出て来られてよろしいのですか」
「ここは私の家の庭よ。謹慎中だって夜の散歩くらい構わないでしょ」
「陛下のお耳に入れば、また殿下がお怒りを買います」
「私の心配をしてくれるの。嬉しいわ」
「……」
「ねえ、いつまでかしこまっているつもり? うつむいていないで私を見てよ」
「ははっ」
アエスキュラスは顔を上げるなり目をみはった。そこにはまるで別人が立っていた。
カレンデュラはいつもの髪を高く結い上げる髪型を変えていた。長い橙色の髪を背中に流し、大きなリボンで先をまとめていた。トップにはカチューシャを付け、朱い口紅が夜目にも眩しい。いつもは険しい眉根もアイシャドーを変えたのかアイブロウの仕方を変えたのか、とても優しげである。
「……どう? 髪型とかいつもと変えてみたんだけど…似合うかな?」
照れたようにはにかんでみせるそのしぐさまで、清楚で気品が溢れていた。とうてい高飛車で優しさの欠片もないあのカレンデュラとは思えなかった。
「……とても…お似合いです。なんと言ったらいいか…その、驚きました。とてもお美しくて」
「ありがとう。お世辞でも嬉しいわ」
「世辞などと、とんでもない。まるで…そう、子どものときに初めて殿下にお会いしたころを思い出しました」
「何よ、それ。なんだか私、全然成長していないみたいじゃない」
「あ…大変失礼しました。決してそういう意味ではなく、子どものときの殿下は純粋で清らかでとても可愛かったので」
「裏を返せば今の私は、純粋でも清らかでもないということじゃないの。やっぱり失礼だわ」
「あ…いや、これはどうも…申し訳ございません」
「いいのよ。別に怒ってはいないわ。それに、あなたが私のコーデを気に入ってくれて良かった。会うまでは心配で心配で、今もドキドキしているくらい」
「殿下はもともとお美しい方ですよ」
「……アエスキュラス。今日呼び出したのは、大事な話があるからなの」
カレンデュラは、一度大きく息を吐いた。
「アエスキュラスと私は幼馴染よね。さっき、あなたが言ったように」
「はい。確か殿下が4、5歳からのお付き合いかと」
「あなたは5歳年上だから、9つか10だったわ」
「そうなるかと…」
「当時の私からすれば、大人に見えたわ」
「それは大げさです。私は何も考えていないただの悪ガキでした」
「その悪ガキは私には優しかった。上手くできたことはちゃんと褒めてくれるし、いけないことをしたときは叱ってくれた。私のことなんて誰もまともに向き合ってくれなかったのに、あなただけは真正面から受け止めてくれた。とても嬉しかったのよ。本当よ」
「恐れ入ります」
「だから、憧れた。それはずっと胸にしまい込んで、誰にも気づかれないように、大事に大切にしまい込んで、気がついたら恋心に変わってた」
「……」
「アエスキュラス。あなたのことが好きです。世界で誰よりもあなたのことを愛しています」
サッと夜風が吹いてきた。それは、いつかどこかの幼馴染たちが言葉を交わしたときと同じような風だった。花々の香りとともにカレンデュラのドレスを揺らしながら吹き抜けていった。
「……殿下。真摯にお話しくださったので、私も正直にお答えします。私は自分の気持ちがわかりません。確かに殿下のことは好きです。でもそれが愛なのかよくわからないのです」
「……」
「初めて殿下にお会いしたとき、ああ、この人は孤独な人なんだなと思いました。大勢の人に囲まれているのに、心はポツンと独りで佇んでいる。だから、私だけでも寄り添ってあげなくてはと思ったのです。守ってあげなくては……幼い妹のように、と」
「……!」
「主君筋の王女殿下に対し妹などと不敬の極みと思い、ずっと心深く隠して参りました。そして、ある女性に出会い、心が惹かれました。殿下もご存知の方です」
「それは…私も悪かったと思ってる。やり過ぎだったわ。でも―」
「あ、いや、殿下を責めている訳ではないのです。ただ、その方に心惹かれながら殿下のお気持ちにお応えするのは、その方に対しても殿下に対しても不誠実です。だから…」
「だから…?」
「お時間をいただきたい。私の心の整理が付くまで…お答えをお待ちいただけませんか」
「……わかったわ。あなたが待てというのなら、待つわ。例えおばあちゃんになっても、ずっと待ってる」
カレンデュラは橙色の瞳を潤ませながらアエスキュラスを見つめた。
「殿下…。変わられましたね」
「そう? 自分ではわからないけど、もしそうなら…きっとブレティラのおかげね」
「ブレティラ?」
「最近知り合った侍女なの。今一番のお気に入り。とても頼りになるのよ。……実は今日のスタイリング、彼女にすべてやってもらったの」
カレンデュラは嬉しそうに微笑んだ。
「そうでしたか」
「ブレティラはね、インペレータの出身なんですって。アエスキュラスとも縁があるのね。彼女、とても綺麗なのよ。侍女にしておくにはもったいないくらい。彼女には何でも話せるの。物知りだし頭の回転も早いし、何より私のことを受け止めてくれる」
「それは良い方と知り合われましたね。こう言ってはなんですが、ご友人のようなご関係なのですね」
「……そうね。アエスキュラスの言うとおりだわ。ブレティラは私の…親友よ」
「安心いたしました。王女宮の中で何でも話し合える方がいるのは、殿下にとって大変良いことだと思います」
「ブレティラと話すようになってから、心が安らぐようになった気がする。イライラすることもなくなったし、毎日が楽しいの」
「その方を大事になさってください。―間違っても困らせるようなことをなさってはいけませんよ」
「しないわよ。私を何だと思ってるの。……まあ、言われても仕方がないか、これまでのことを思えば。ふふふっ」
心底楽しそうに笑うカレンデュラを、アエスキュラスは眩しそうに見つめた。
その二人を庭園の物陰から見つめる人影があった。
「カレン、上手くやったみたいね」
会話の内容までは聞き取れなかったが、雰囲気がとても良いのは伝わってきた。ある意味カレンデュラ本人よりも緊張して二人を見守っていたが、ほっと一安心のため息をついた。
我ながら、ここまでカレンデュラに肩入れするとは思ってもみなかった。最初は仇の娘の顔を拝んでやろうと軽い気持ちで部屋に忍び込んだのだ。
まさかカレンデュラと顔見知りになり、あまつさえお気に入りの侍女のフリをすることになろうとは。しかも意外だったのは、そのことを自分が嫌がっていないことだった。むしろ、いたいけな少女の応援をしたくなった。しなくてもいい恋のアドバイスみたいなことまでしてしまった。
「……まあ、いいか。もともとカレンに恨みがあるわけでなし」
カレンデュラの為人を知れば知るほど、己の目的を達したときにカレンを不幸にしてしまうことを密かに恐れ始めていた。無論、いっときは衝撃を受けるだろう。しかしそのときには『ブレティラ』はこの世に存在しなくなるのだ。そしてカレンデュラの傍らには、ブレティラの代わりに愛する人が寄り添っている。何を心配する必要があろうか。
カレンデュラたちの様子を見定め、そっと物陰から立ち去ろうとした、その時だった。
「……よう、剣士どの。覗き見は趣味がよくないぜ」
突然暗がりから声を掛けられた。
「……お前は…フィール!?」
常夜灯の薄明かりから現れたのはファーグスだった。
「あれだけ自分は男だと主張しておきながら、その侍女の装いはどうした? ユリオプス」
ブレティラ…いや、ユリオプスはドレスのスカートの裏からナイフを抜き出した。
「お前、どうしてここにいる? なんで僕につきまとう?」
「あんたと同じように忍び込んできたんだよ。ここは警戒心がなさ過ぎる。外からの防御が完璧なだけに、不落の王城は内側からの攻撃を想定していないようだな」
「もう一つの質問に答えていないぞ」
「あんたが心配になって警告しに来てやったのさ」
「何だと…!」
「刺客に襲われていたとき、夜の町を徘徊していたのじゃなく、王女宮の行き帰りだったんだな。王女の懐に入り込んで何をしようとしているのか知らないが、あんた既に王女宮じゃ有名になってるぞ」
「……」
「毎晩のように王女の私室に呼ばれて話し込んでいる素姓のよくわからない侍女、ブレティラ。口さがない侍女どもの中には、王女は男を諦めて女を愛人にした、なんていう奴までいる」
「……バカはどの世界にもいる」
「だけど、あんたも結構綱渡りしているぜ。王女があんたのことを調べたらどうすんだ。王女宮には『ブレティラ』なんていう侍女は存在しないってすぐにバレちまう」
「カレンは絶対にそんなことしない。僕が調教しているからな」
「ほう。そこまで仲良くなったのか。もしかして、アエスキュラスと王女の逢引きはあんたが仕組んだのか」
「答える義理はない」
「もっとも、これで二人がくっついてくれれば、俺としては助かるけどな」
「……お前、何が目的だ? 誰に雇われた?」
「インペレータ孤児院のシュテラリアという女性の依頼を受けて動いている。内容は王都で迷子になった子どもの捜索だ」
「そんな嘘、誰が信じるか」
「嘘なもんか。子どもは見つかったから依頼は果たしたんだが、ここから先はついでのボランティアでな、シュテラリアに嫌がらせをしている王女を止めることが俺たちの最大のミッションなのさ」
「……嘘だ。僕の身辺を探ってどうするつもりだ?」
「疑り深いやつだな」
遠くから人の動く気配がした。おそらくカレンデュラだろう、アエスキュラスとの話が終わって戻ってきているのに違いない。
「おい、ユリオプス。ここにいるのが王女にバレたらまずいんじゃないのか」
「大きなお世話だ。―いいか、フィール。綱渡りしているのはお前の方だ。何に首を突っこんでいるのかわかっていない。これ以上僕に関わるな。いいな、忠告したからな」
ユリオプスはドレスの裾を翻して走り去った。一瞬気掛かりそうな視線を送ったファーグスは、己も暗闇の中に姿を消した。
まるで何事もなかったかのように、闇夜の中で庭園の花々は美しく咲き乱れていた。