策謀の姉妹
「ふーん。ブレティラはインペレータ出身なのね」
カレンデュラは面白くなさそうな顔をした。
「インペレータに何かお気に障ることでもおありなのですか」
ブレティラは夜になるとカレンデュラの私室に呼ばれるようになった。昼間は別の仕事があるといって姿を見せない。カレンデュラは再三王女付きになるよう迫るが、頑なに断っていた。
カレンデュラなら、強権を振るって無理やりにでも部署替えができるだろうに、ブレティラから、そんなことをしたら二度とカレンデュラに会わないと『脅され』、渋々好きにさせている。
ブレティラへの溺愛は、人を人とも思わない振る舞いの多いカレンデュラとこれが同一人物かと疑うほどだ。元々の気質が表に出たのか、それとも一旦心を許した相手は全肯定する性格なのか。今やブレティラ無しでは過ごせなくなっていた。
「インペレータは、カレンさまが恋い焦がれるアエスキュラス侯のご領地ではありませんか」
「だからよ。そこに私の恋敵がいるのよ」
「ああ、なるほど。殿下の謹慎の元になったという」
「アエスキュラスのような大貴族が、なんで庶民の小娘なんか好きになるのかしら。理解できないわ」
「人というのは自分にないものを求めるものですから」
「何も持っていない庶民に何を求めるというの」
「人生経験の浅いカレンさまにはまだ難しいかもしれませんね」
「何よ、偉そうに。ブレティラだって歳は私と同じじゃないの」
「仰るとおりですが、多少なりと庶民のことを知っている分、経験値は積んでいるつもりです」
「あ〜あ。どうして世の中って思い通りにならないのかしらね」
「……」
「お母さまは、王族に恋愛は必要ないっていうのよ。ヒドイと思わない? 私にだって人を好きになる権利くらいあるでしょ。そうでしょ? ブレティラ」
「もちろんですよ。カレンさまは自由に人を好きになっていいし、好きになった方と結ばれる権利だっておありです」
手放しで肯定されて、カレンデュラはこそばゆそうに微笑んだ。
「……ねえ、ブレティラ。また膝枕してもらっていい?」
「どうぞ。いくらでもお好きなだけお使いください」
カレンデュラはブレティラの膝に小さな頭を載せた。橙色の髪をブレティラは優しく撫でる。カレンデュラは満足そうに目を瞑った。
―愛情に飢えた孤独な少女なのだ。
そう、ブレティラは思った。周りの人々に高圧的な態度で臨むのは、愛情を求める裏返しなのだ。
父からは愛されず、母には甘えることを許されなかった。何をしようが父は興味を示さず、母は厳しく接してくるばかりだった。人に愛されたくて、関心を持ってもらいたくて、
『私はここにいるよ!』
ただひたすら、それだけを叫び続けてきた、寂しがり屋で甘えん坊なただの女の子。
―可哀想な娘。可哀想な私の…。
「……カレンさま。アエスキュラス侯に告白なさってはいかが?」
「えっ!? あなた、今何て言ったの?」
カレンデュラは驚いて飛び起きた。
「まだアエスキュラス侯には告白なさっていないのですよね? でしたら、思い切って告白なさったらいいのではないですか?」
「そんな恥ずかしいこと、できないわ。第一、女性から告白するなんてはしたないことは許されない」
「好きな人に好きと伝えるのが、なぜはしたないことなのですか」
「そんなこと言ったって…」
「悪役のままではアエスキュラス侯の気持ちはカレンさまに向かいませんよ。カレンさまは既に恋敵に危害を加えていらっしゃる。男は弱い者、虐げられた者を守ろうとする習性がありますから、恋敵に一層心が傾いています」
「ど、どうしよう。アエスキュラスに嫌われてしまったら私…」
「ですから、カレンさまがアプローチすべきなのです。アエスキュラス侯とは幼馴染でしたよね。男は幼馴染という言葉に強い思い入れがあると聞いたことがあります。カレンさまのアドバンテージと捉えて、幼馴染の絆を全面的に押し出すのです。情に訴えて、アエスキュラス侯の気持ちをカレンさまに向けさせましょう」
「そう上手くいくかしら…」
「そんな弱気でどうしますか。ここは勝負どころですよ。私がアエスキュラス侯を呼び出します。カレンさまは気合を入れてアエスキュラス侯を『落として』ください」
「……落とす…?」
「アエスキュラス侯の心を奪うという意味です。私もお手伝いしますから、目一杯着飾ってお化粧もバッチリ決めて、アエスキュラス侯を驚かせましょう」
「何だか緊張してドキドキしてきたわ」
「私はむしろワクワクしています」
「……ブレティラ。ずっと私の側にいてね。私一人じゃ何もできない。お願いよ、約束して」
「もちろんですよ、カレンさま。お約束します」
カレンデュラはブレティラにすがりついた。ブレティラは優しく抱きしめた。橙色の瞳の中では、暗い炎が激しく揺れ動いていた。
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「おじさま、お呼び立てして申し訳ありません」
「いや、他ならぬリリーの求めだ。応じぬ訳がなかろう」
デュランタは破顔一笑した。リリアムと並んで立つハーデンベルギアに目を向ける。
「この方がハーデンベルギアどのか?」
「この子のことでおじさまにお願いがあってお呼びしたのです。立ち話も何だから、とにかく座って」
ソファに腰掛ける。侍女がお茶とお茶菓子をサイドテーブルに並べた。
「この子の事情は以前お話ししたとおりです」
「……極東の竜人村出身で、家族を魔獣に殺され奴隷として売られていた村で拾った…失礼、出会った、ということだったな」
「ええ。いろいろあって、今では妹同然の存在なのです。でも同然ではなく本当の妹にしたい」
「……」
「為人はわたしが保証します。カリステファス伯家の養子手続きのやり方を―」
「それはできない」
「えっ!?」
「リリーの望みとあらば何としてでも叶えてやりたいが、こればかりは無理だ」
「ど、どうして?」
想像もしていなかった答えにリリアムは狼狽した。
「ハーディが庶民だから? それならわたしが責任を持って貴族の礼儀を教えます。どこに出しても恥ずかしくないレディに…」
「いや、そうではない。勘違いするな」
言い募るリリアムをデュランタは手で制した。
「ハーデンベルギアどのの為人は正直いって私にはわからん。しかしリリーが妹にしたいと望むほどならば、とやかく言わないし全面的にリリーを信じる」
「だったら…」
「法的に無理なのだよ」
「法的…?」
「養子縁組には養親養子双方の同意がなくてはならん。しかし、肝心の養親であるブラシカが既に他界している。同意の取りようがない」
「そんな…」
激しく落胆するリリアムを、痛ましそうにデュランタは見つめた。
「悪く思うな。これは家を守る大事な規則でもあるのだよ。養親が亡くなった後でも自由に養子縁組ができては、悪意のある者が家を乗っ取ることができてしまうだろう?」
「それはわかるけど…残念だし悔しい」
「リリーが伯爵を継いで、ハーデンベルギアどのを養子にするというのなら可能だが」
「姉妹じゃなく親子になるのね。イメージが涌かないわ」
「……リリー、ありがとう」
それまでずっとうつむいていたハーデンベルギアが、努めて明るく言う。
「リリーのその気持ちだけであたしは嬉しい。別に本当の姉妹にならなくてもリリーはあたしのお姉さまだから」
「ハーディ…ごめんね、期待持たせた挙げ句こんな結果になるなんて」
「謝らないで。あたしは大丈夫。これまでもそうだったし、これからも何も変わらないよ。リリーと一緒にいられるなら、あたしはそれで満足なの」
「……もう一つ、方法が無い訳ではないが」
お互いを思いやる二人の健気な様子を見かねて、デュランタが切り出す。
「えっ、おじさま、それ本当?」
「少々問題はあるが可能性はあると思う」
「どんな方法? 教えて」
「リリーとハーデンベルギアどの、二人揃って陛下の養子になる、というものさ」
「えっ…!?」
途方もない提案に思わずリリアムは絶句した。
「二人が陛下の養子になれば、晴れて法的にも姉妹ということになる。陛下の養女としてカリステファス伯爵家を相続することも問題はない。ただ、問題は…」
「陛下の同意を得られるか、でしょ?」
「……そういうことだ。リリーは元々姪御にあたられるわけだし、比較的可能性は高いだろうが、それだって陛下がどう反応されるか予測がつかない。ましてやハーデンベルギアどのに至っては…」
「ぶっちゃけ、見ず知らずの赤の他人なんか知らん、と言われるのがオチね」
難しい顔を並べる二人を見て、ハーデンベルギアは素朴な疑問を述べた。
「陛下って、そんなに気難しい人なの?」
「う〜ん、気難しいというか…一言でいえば変人?」
「こら、リリー。他国で滅多なことを言うものではない」
デュランタが慌ててたしなめる。しかし、リリアムはお構いなしに続ける。
「どうして? ここで取り繕ったって仕方ないわ。どうせ諸外国にも偏屈王の評判は伝わっているでしょうし」
「偏屈王…?」
「そうよ、ハーディ。とにかく素直じゃないっていうかひねくれてるっていうか、話の持っていき方が難しいのよ」
「……それでよく宮廷が治まってるね」
「それがねえ、利害には聡いのよ。うまく立ち回ることもできるし、きっと地頭がいいのね。良すぎちゃって凡人には理解できない、というタイプ?」
「……リリーの話を聞いてると身も蓋もないね」
「それでも可能性があるなら賭けてみる価値はあるわ。―おじさま。話を進めてもらっていい? 予測できない人を予測したってしょうがないもの。でたとこ勝負よ、ハーディ。わたしたちの『姉妹』がかかってるんだから」