闘いのあとの風景
「女は敵でも斬らない、ってどういうことだよ? クソフィールっ!」
リリアムは、ファーグスをその場に正座させて烈火の如く怒りまくっていた。
「剣士は女や子どもを守るためにいるんだ。女に剣は向けられねえ」
「聞いてたよ、そのセリフ。バカじゃねえのか。お前の信条か知らねえけど相手は五指仙だぞ。禍乱だぞ。女だからって情けかけてる場合じゃねえんだ。そもそも魔獣に情けかけてどうすんだよ、クソがっ。ルータの最後を見ただろ? あれを見ても女だからって禍乱を斬らねえのか、このゴブリン頭はっ!」
「リリー、落ち着いて。気持ちはわかるけどフィールは酷いケガをしてる。お説教は治療の後にしてよ」
応急措置でファーグスの脇腹を包帯でぐるぐる巻きにしていたハーデンベルギアは、リリアムをなだめる。
「こいつも早く治療を受けさせたほうがいいぞ」
アーケルは床に寝かせたセネシオを指差す。
禍乱が飛び去ったあと。すぐにアーケルがホールに現れた。ハーデンベルギアがファーグスの傷の様子をみている間に、リリアムとアーケルが手分けしてセネシオを探すとすぐに見つかった。
ホールの中の小部屋に拘束されていたセネシオは、逃げられないようにするためか、四肢を折られていた。顔も殴られたようで頬や口元に青あざがあり流れた血が乾いてこびりついていた。
第一発見者のリリアムはセネシオがピクリとも動かないことで死んでいると勘違いしてしまい、泣きながら抱きついた。しかしその騒ぎでパチリと目を覚ましたセネシオが最初に言った言葉は。
『……おおっ、我が心の女王、ハーデンベルギアさま。臣のために御自ら救出においでくださるとは、身に余る光栄。この先も身命を賭してお仕えいたします』
「ハーディしか見てないクソヤロウはほっとけっ!」
「そう怒るな。セネシオだって悪気があって言ったワケじゃない。ケガで朦朧としてたんだろう」
「男ってやつはどうしてこうもクソばっかりなんだ!」
「……ハーディと間違えられただけで、どうしてあんなに怒るんだ?」
アーケルはそっとハーデンベルギアに尋ねる。
「女心はね、複雑なんだよ」
ハーデンベルギアは、ため息混じりに答えた。
「そうか…」
納得したようではなかったが、アーケルは何かを振り払うように頭を一つ振った。
「……まあ、セネシオはともかく、禍乱を見逃すフィールはどうかしてる。五指仙に性別という概念はない。あるのは男型か女型かというだけだ」
「どういうこと?」
「やつらが人型を取るのは能力を100%発揮するためだ。それがたまたま廖疾は男であって、禍乱は女であるというだけで、中身が人間のいうところの男であったり女であったりするワケじゃない。つまり見かけだけで禍乱が女だと決めつけるのは間違っている」
「……だとよ。クソフィール。わかったか」
「……」
「しかも、禍乱は最後、左目が輝いていたと言っていたな、リリー?」
「ああ。はっきり見た。まるでトパーズみたいだった」
「ということは、左目の魔法に目覚めたということだ」
「例の周りの動きを遅くするやつ?」
「これで禍乱は両目の魔法が使えるようになったと考えたほうがいい。―次はないぞ、フィール。見逃すどころか、両目を使われたら確実にお前は殺される」
「……」
「……ったく、考えなしなことしやがって」
うなだれるファーグスを見て、リリアムはため息をついた。
「フィール。まずはケガを治せ。禍乱対策を考えるのはその後だ」
リリアムたちは遺跡の外に寝かせていたルータを丁重に弔うと、ケガの重いセネシオは、アーケルが空を飛んで町の医者へ連れていった。
何とか歩けるファーグスはリリアムとハーデンベルギアに支えられて町へ向かった。さすがに激闘後のヴェズルフェルニルを使うことは憚れたからだ。
部下が全滅したセネシオは、しばらく医者のところで預かってもらうしかなさそうだった。パルナッシアへはスピラエの支店のある町を探して連絡することになるだろう。セネシオは当分の間、戦線離脱を避けられそうになかった。
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「それで逃げ帰ってきたのか。情けないやつらだ」
「大凶さんには言われたくないですね」
とある国のとある場所。五指仙の大凶、廖疾、禍乱は招集を受けて顔をそろえていた。招集をかけたのは五指仙筆頭、統骸だった。
「真っ先に彼らに遭遇して逃げ帰ったのはあなたですよ」
「あれは竜と魔法使いのはさみ撃ちにあったからだ。タイマン勝負で負けたお前らとは違う」
「勝負は時の運。紙一重で勝敗はひっくり返るものです」
「だとしても、今回は負けなんだろ?」
「あなたが負けたのと同様に負けました」
「廖疾。てめえ、言い訳がましいぞ」
「……ああっ、うっさいなあ、二人とも。勝ち負けなんかどうでもいいじゃんか」
「おや。普段は勝ち負けに最もこだわるのはあなたのほうでしょう、禍乱さん」
「少し静かにしてくんないかな。ボクは考え事してるんだけど」
「禍乱さんが考え事ですか。時間の無駄の何物でもないですね」
「ふざけんなよ、廖疾。ボクはいつだって考えてる。何しろ頭脳労働者だからね」
「……意味をわかって言っているのでしょうか?」
「そうだ! 廖疾。お前、頭いいんだろ? 聞きたいことがあるんだけど」
「聞きたいこと? 禍乱さんが? どうせロクなことじゃないんでしょう」
廖疾はうろんそうに禍乱を見た。既に腰が引けている。
「女って何だ?」
「女…ですか。また唐突な。―人間の、ということであれば、性別の一つで性染色体がXX型。子宮内で子を作製することができるのが最大の特徴で、其の為に一定期間ごとに卵子を…」
「ああっ! そうじゃないってば! そんな小難しいこと聞きたいんじゃないよ」
「じゃあ、何なのです?」
「もっと、こう…何ていうかな。男にとって女はどういう存在だ?」
「どういう存在と言われても…子どもを生んでくれる生物…?」
「……お前、最低だな。1000回呪われろ。聞いたボクがバカだったよ」
「俺さまが教えてやろうか」
「絶対にイヤだ」
身を乗り出した大凶を禍乱はバッサリ切り捨てた。
「脳筋のお前に教えてもらうことなんか何一つない」
「てめえ、俺さまをバカにするとぶち殺すぞ」
「お前なんか、ボクにかかれば瞬殺だよ」
「……男にとって女は守るべき存在だ」
「あっ、統骸だ」
スラッとした長身の若い男が現れた。ほぼ黄色い金髪、黄色い瞳をした超絶美男子だった。見た目は人間だが人間ではない証拠に黄色い金髪から二本の角が伸びていた。
「それそれ! 統骸とまったく同じことを言ったやつがいてさ〜。女は男に守られるべきものなの?」
「そう考える男は多いだろうな。一般的には身体的な理由から男より女は腕力が弱い。弱いものを守りたがるのは人間の性だ。無論、並みの男より強い女も稀にいるが」
「ランタナだ! ……でしょ? 統骸」
「剣聖ランタナ。禍乱の言うとおり、まさに強い女だ。だが、あれは特別だ。稀な存在だ」
「だよね。ボクと互角に闘うんだもん、やっぱり特別だったんだ」
「人間は己より弱い存在は守るべきものと子どものころから教えられる。それは肉体に限らない。地位であったり金銭であったり様々な態様がある中で、弱きものを助けるのは良い行いだと称賛される。逆はまるで魔獣のように非難され嫌われる」
「う〜ん。地位とか金銭とかよくわかんない」
首をかしげる禍乱の純白の頭を統骸は撫でた。
「要は、力の強い男にとって力の弱い女を守ることは己の自己顕示欲を満足させることができるということだ」
「ふ〜ん。……じゃあさ、例えばだよ。男と女が剣で立ち合って、男が女の首を斬ろうとしたんだけど、女を理由に斬らなかったんだ。これってどう思う?」
「男はその女が自分より弱い存在だと認識したのだろう」
「そっか。……な〜る。そういうことか。でも、ボクは自分が女だって思ったことないけど」
「例え話だったんじゃないのか」
「あっ…え〜と、その…まあ、細かいことはいいじゃん。とにかくボクは五指仙の禍乱であって女じゃないよ」
「見た目は人間の女だな」
「そりゃ、ボクだって女を観察したことあるから、ボクの身体は女だと思うよ。でも心は禍乱さ」
「人間には本質を見極める洞察力はない」
「ふむふむ。フィールはボクの見た目だけで愚かな判断をしたということか。―うんっ。納得。ありがとう、統骸。おかげでスッキリしたよ」
禍乱はニッと笑った。二本の牙が口元から覗いた。
「それは良かった。禍乱の気が済んだところで、渾沌さまの指示を伝える」
「お待ちを、統骸さん。謀逆さんがまだ来ていませんよ」
廖疾の当然の疑問を、統骸は手を振って一蹴した。
「謀逆には既に渾沌さまから命が下っている。そのうち動き出す」
「そういうことならば」
「では、改めて伝える。冒険者パーティーのリリアムを生きて捕らえよ、とのことだ」
「リリアム? 誰それ?」
「ついさっきまで禍乱が闘っていた男のリーダーだ」
「……ああ、あの赤毛の女? あいつ、魔力も小さいしザコだよ。なんであいつなんかを捕まえなきゃいけないのさ」
「理由など考える必要はない。渾沌さまの指示に黙って従え」
「……わかったよ」
「くれぐれも殺すな。手足の一本や二本ならば斬り飛ばしても構わんが」
「……あいつのパーティーのリーダーか。考えようによっちゃあいつに会う口実ができたな」
「禍乱。余計なことは考えるな」
「わかってるよ〜。狙いはリリアムでしょ」
「やり方はいつものようにおのおのに任せる。わかったら解散だ―禍乱、少し待て」
動き出した三人のうち、統骸は禍乱だけを呼び止めた。
「禍乱、左目はまだ目覚めないのか?」
「……うん。まだみたい」
「そうか。完全体にはいまだ少し時間が必要か」
「それがどうしたのさ」
「お前が両目を解放すれば無敵となる。五指仙最強となるのだ」
「最強は統骸じゃん」
「俺よりも強くなる。お前は渾沌さまのために大いなる存在となるだろう。渾沌さまも楽しみにしておられる」
「ふ〜ん」
「左目が目覚めたらすぐに報告しろ。わかったな」
「はいよ。真っ先に知らせるよ」
禍乱はそう言うと空へ翔んだ。まるで統骸の前から逃げるように。
夜空には満天の星がきらめいていた。
―何で、統骸にウソついちゃったんだろ?
統骸に尋ねられたとき、思い浮かんだのはファーグスの顔だった。どうしてかはわからない。しかし、左目のことを正直に言う気になれなかったのだ。
「まあ、いいや。いつ報告するかはボクの自由だもんね。―それより、フィールだ。今度はどうやって遊ぼうかなあ」
禍乱の両目がキラキラと輝く。一つはラピスラズリ。もう一つはトパーズ。
「楽しみだなあ。ワクワクが止まらないよ〜」
世界で最も危険な少女は、流れ星よりも早く星降る夜空へと消えていった。